番外編 春風の夜(電子書籍配信記念SS)

 窓から入り込む夜の風が、部屋の中で遊んでいる。

 お風呂から上がったわたしは、風が運ぶ花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。タオルで拭いている髪からはラベンダーの香りがする。

 神使のルカが作った石鹸は日替わりで変えられていて、今日は紫色が綺麗なラベンダーで作られていた。石鹸作りにはまってから長いけれど、まだ飽きる様子はないようだ。


「クラリス、おいで」


 寝台の上に胡坐をかいたディエ様が、自分の前をぽんぽんと叩いてわたしの事を呼んでいる。

 いそいそと寝台に上がったわたしはディエ様と向かい合って座ったけれど、ディエ様はわたしの肩を掴んでくるりと体を回してしまう。わたしはディエ様に背を向ける形になって、何だろうと首を傾げた。


「髪を乾かしてやる」

「ありがとうございます。今日はラベンダーの香りでしたね」

「これくらいの匂いならいい。一昨日だったか、噎せ駆るような薔薇の匂いは」

「薔薇の形に削ってあって、すごく凝っていたんですけどね。お部屋に置いたら薔薇の匂いがふんわり広がって丁度いいかもしれません」


 ディエ様が生み出す熱風が髪にあたる。ぽかぽかと気持ち良い温度は、よくディエ様がお昼寝をしているような春の陽だまりを思い浮かばせる。

 頭を撫でるような優しい手つきも相俟って、このまま眠ってしまうんじゃないかと思うくらいに気持ちが良かった。


「おい、寝るなよ?」

「だって……ディエ様が、優しくするから……」

「優しくして悪い事なんてねぇだろうが」


 くく、と低く笑うディエ様の声に鼓動が跳ねた。うとうとしていたのに、意識が一気に覚醒する。


「悪くないですけど、ドキドキしてしまいます」

「それはいい事だろ?」


 そうなんだけど。

 というよりも、ディエ様と一緒に居てドキドキしていない時なんてない。

 ディエ様の声が、眼差しが、熱が――わたしを好きだと伝えてくれるから。


「さて……このまま髪に触れてていいか?」

「髪にですか? もちろん構いませんが……何をするんです?」


 濡れていた髪はすっかり乾いている。

 髪を拭くのに使っていたタオルもディエ様が宙に浮かせて、その場でぱっと消してしまった。洗濯場に移動させてくれたのだろう。


「触りてぇ」

「さ、さわ……?」


 別に拒むつもりはないのだけど、何をするんだろう。肩越しに振り返ってディエ様を見ると、楽しそうに笑みを浮かべている。

 でもまぁ……ディエ様はわたしの嫌な事はしない。そう分かっているわたしはまたディエ様に背を向けて身を任せる事にした。


 髪に櫛の入る感覚がする。丁寧な手付きは少し擽ったい程だった。

 触りたいというから少し身構えてしまったけれど、髪を梳かしてくれるという事だったのか。


 乾かすのと同じように優しく髪が梳かされる。

 ここで過ごしている間に、肩の下まで伸びた銀髪は双子神使達のおかげで艶々になった。


 わたしの後ろで膝立ちになったディエ様がわたしの髪を手に取っている。頭頂部の辺りの毛束を持って、分けているようだけど……これは――


「編み込んでます?」

「ああ。痛くないか?」

「大丈夫です」


 少し迷うように手が止まるのは、慣れていないからかもしれない。

 手順を口に出して確認する様子が可愛らしいなんて言ったら、怒られてしまうだろうか。


「変な事考えてんな」

「心を読むのはやめて下さい」

「分かりやすいのは変わらねぇな」

「淑女は微笑に感情を隠すって、こないだ読んだ本に書いてありましたよ。わたしはいつも笑っているから、実は淑女なんじゃないかって思っていたんですけど」

「お前が笑ってるのは楽しいからだろ。何も隠せてねぇよ」

「確かに」


 軽口を交わしている間に、編み込みも出来上がったようだ。

 それをピンで留めてから、今度は逆側を同じように編み込みするらしい。二回目だからか、先程よりも躊躇いなく手が動く。

 あっという間に両サイドに編みこみが完成していた。それを後ろで纏めたディエ様がパチンと髪留めで飾ってくれる。


「よし、出来た」

「見たいです!」


 そっと片手を髪に伸ばすと、ちゃんと編み込まれているのが分かる。

 ディエ様が渡してくれた手鏡を両手に持ち、ディエ様が大きな鏡を後ろで開いてくれるのを待った。


「双子達みてぇに凝った髪型には出来てねぇけどな」


 そう言いながら鏡を開いてくれる。わたしは手鏡の角度を調整して、頭を左右に動かして髪型を確認した。

 初めてだとは思えないくらいに丁寧な編み込み。髪飾りは美しい金細工のものだった。


「すごい! 可愛いです!」


 何よりもディエ様がしてくれたというのが嬉しくて、わたしの顔は笑み綻ぶばかりだ。

 ずっとこの髪型で過ごそうか。そんな事を思ってしまうくらいに嬉しい。


「喜んでくれて何よりだ」

「凄く嬉しいです。でも……どうして髪を?」

「お前も俺のブラッシングをするだろ」

「しますけど……それと一緒?」

「一緒だろ。櫛やブラシを使うんだから」


 中々無理があると思うけれど、でもそれってディエ様もわたしの髪を触る事を楽しんだという事だろうか。伝わるかなと心でそう問うてみても、ディエ様は知らん顔をしている。だから――


「ディエ様もわたしの髪に触りたかったんですね?」


 口で問いかける事にした。こうやって問いかけたらディエ様はちゃんと答えてくれるから。聞こえていない振りなんて出来ないもの。


「お前が俺をブラッシングして楽しそうだからな。気持ちが分かるかと思った」

「分かりました?」

「そうだな……悪くねぇ」

「そこはもう少しはっきり、楽しかったとか言ってくれてもいいんですけど」

「可愛かった」

「はい?」

「俺が触れて喜んでるのも、髪型を見たくてそわそわしてるのも、可愛かった」

「……そうじゃなくてですね、ディエ様がどう思ってるのか……」


 間違ってはないんだけど、どうせならディエ様のお気持ちを知りたいのだ。

 でも可愛いと言われて浮かれてしまうのも事実で、もう手の平でころころと転がされている気分になってしまう。


 わたしの事を後ろから抱き締めたディエ様は、わたしの手にある手鏡を取ってしまう。

 両腕でしっかり抱き締められて、わたしは後ろから包んでくれるディエ様に体を預けた。わたしの髪にディエ様が頬を寄せるけれど、いつもより控えめなのは髪型が崩れる事を気にしているのかもしれない。


「ディエ様、またこうして髪を結んで下さいね」

「そんなに気に入ったのか? 双子に任せた方が綺麗だぞ」

「ルカとリオがやってくれるのとは、また別なんです。ディエ様の手で、ディエ様の好きな髪型にして貰うのがいいんです」

「変なやつ」


 ディエ様は大袈裟に溜息をついて見せるけれど、その表情も声も柔らかい。

 ああ、気持ちが溢れていく。ディエ様が好きで、大切で、心がぎゅっと切なくなる。


「ディエ様、好きです。大好き」

「知ってる」


 ディエ様が耳元に唇を寄せる。触れる吐息が擽ったい。


「俺も」

「……知ってます」


 蕩けるような声で囁かれて、胸の奥が甘く疼いた。

 短く答えるだけで精いっぱいのわたしに、ディエ様は低く笑うばかりだ。


 ディエ様が指を鳴らすと部屋の明かりが消える。

 開けたままの窓から差し込む月明かりの中、熱が灯る頬を、夜風と一緒にディエ様が撫でた。


 唇が重なる。

 熱が重なる。


 わたしの事を見つめる黄と赤の瞳にまた溺れる夜だった。



*********


2月6日、アマゾナイトノベルズ様より電子書籍の配信が始まっています!

加筆修正でとっても読みやすくなっていますし、書き下ろしエピソードもありますので、どうぞ宜しくお願い致します!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

捧げられた生贄は、神様に恋して過ごしています 花散ここ @rainless

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ