第3話

 昨日のビッグ澤田の授業との激闘から一日が経った。




 案の定、森乃さんはあの後の授業も全て眠ってしまった。

 そして今日も、今のところ一から三時限目までの授業全て寝ている。


 なお四時限目の授業は水泳だったため、森乃さんが眠ることはなかった。




 今は昼休み終了間近。次の授業は五限目の世界史である。


 いつもなら、心の中で起きているように応援するのだが、今回の場合は違う。

 僕はこの授業で絶対に森乃さんが眠ると思っている。


 理由は三つある。


 一つは先程も言ったが、一つ前の授業が水泳だったからだ。

 誰もが一度は経験した事があるだろう、あの全身を動かした後の疲労感から来る眠気を。

 まるで気づけば机と椅子に、毛布と枕が現れたかのようなあの感覚。

 一度ハマれば、抜け出すことは難しい。


 二つ目の理由は、次の授業が昼飯を食べた後の直後に来る事だ。

 授業を半分以上乗り越えて、少し疲れた生徒達の空腹感を満たしてくれるこの時間。

 空腹感は少しずつ昼飯を食べることによって満足感へと変わり、その満足感はやがて心を落ち着かせる安心感となり、その安心感は夢へと誘う睡眠欲となる。

 森乃さんはそれを乗り越えることができるのだろうか。  

 いや無理だろう。


 三つ目、これが一番の理由だ。

 それは、次の世界史の授業の担当教師が倉山先生だということだ。

 倉山先生、彼はこの学校の中で一番長く教師をやっており、顔が若干渋い。

 彼の授業は、教師人生は長いはずなのに、異常なほどにつまらない。


 教科書に書いてあることをダラダラと読むだけで、プラスアルファで教える点が一切なく、生徒を当てるとかもしないため、別に授業を聞かなくてもそんなに問題はないし、生徒達が寝てても、別に怒ったりしない。


 またなんと言っても倉山先生の声、低くて貫禄があって不思議と眠たくなるのだ。

 少しでも眠気を感じると、彼が授業で言っていることが全て『おやすみ。眠りなさい』と囁いて聞こえるように錯覚してしまう。


 しかもこの声は静かに反響するかのように、別のことを考えていたとしても、心に響いてくるのだ。

 まるで耳だけじゃなく、皮膚からも彼の声を吸収しているかのような感覚。

 他のクラスだと、倉山先生は催眠術使いだと言われていた。


 これら三つの理由により、僕はこの授業で絶対に森乃さんは眠ると思う。

 最近になってプールが授業で始まったので、毎週この地獄の時間がくるようになってしまった。

 先週、森乃さんは学校を休んでいたが、その時は授業を受けていた三十人中、三十人が眠るという事態に陥ってしまった。

 ちなみに僕は、今日この時間のために、昨日十時間睡眠をしてきたから大丈夫だ、たぶん。

 だがどんな対策をしようとも、森乃さんは眠ってしまうだろう。


 気づけばチャイムが鳴っており、倉山先生が教室に入ってきた。

 

「え〜、それでは号令をお願いします」


「規律」


 生徒全員が立ち上がった。


「礼」


 生徒全員がお辞儀をした。


「着席」


 生徒全員が座った。


「はい、ありがとうございます。それでは前回のところの教科書を開いてください」


 今の一言で、クラスのムードメーカー益川くん、パソコン大好き今田くん、スポーツ音痴の古川さん、あと最前列の全員が眠りについた。

 一番後ろの席である森乃さんは一気に三パチパチまでいった。


 いや本当にそのぐらい、倉山先生は眠たくなる声をしているのだ。

 催眠術というより、麻酔銃に打たれるという表現の方が的確な気がしてきた。


 三パチパチした森乃さんはそうそうに危険を感じたのか、すぐさまポケットに手を突っ込んだ。

 中から取り出したのは、イケメン数学教師の田中の授業の際に使用した、ミントタブレットだ。


 そうか。

 倉山先生の授業は、人を当てたり、生徒を見つめたりすることはない。

 つまり、ミントタブレット作戦や、ガムくちゃくちゃ作戦が有効ということだ。


 彼女はミントタブレット一気に四粒噛んだ。

 そうでもしなければ、眠気をゼロにすることはできないと考えたようだ。


「ごほっっ!!」


 流石に一気に四粒はキツかったようだ。

 森乃さん咳き込んでしまい、しばらく舌べろをベーと出していた。

 か、かわいい。


 いや、そんなことを思っている場合じゃない。

 この授業油断したら、十時間睡眠をした僕も眠ってしまうかもしれない。


 どうやら、タブレット四粒一気飲みは効果があったようだ。

 三パチパチがゼロパチパチに戻っていた。


「それでは前回も言いましたが、この国はあの国と戦争をしたんですね」


 倉山先生の教科書朗読劇が始まった。




 気づけば寝ていた生徒は十二人に増えていた。

 前から二列目の生徒で、もう起きているのは一人しかいなかった。

 森乃さんも二パチパチに戻ってしまった。


 すぐさま森乃さんはポケットに手を入れて、ミントタブレットを口に入れる。

 彼女はミントの辛さを我慢するように、目をガン開きにしました。

 そんな姿も可愛い。




 しかし倉山先生の朗読劇が三十秒続くと、森乃さんはまた三パチパチに戻ってしまっていた。

 また森乃さんはミントタブレットを噛み、目をまん丸にする。

 だがまた三十秒後に、森乃さんは三パチパチへとなってしまう。




 タブレットを噛んでは、パチパチ。噛んでは、パチパチ。噛んでは、パチパチ。


 


 もうこのやりとりを何度繰り返しただろうか。

 森乃さんは授業開始からのこの十分間で、もう三十個はミントタブレットを食べている。


 それでもすぐに眠たくなってしまう。

 それがこの時間の恐怖なのだ。

 すでに最前列から三列目までは既に寝ていた。




 このままじゃ埒が明かないと判断したのか、それとも持ってるタブレットが底をついたのか、どちらかは分からないが、森乃さんは作戦を変えてきた。


 昨日ビッグ澤田の英語の授業で使っていた、ガムくちゃくちゃ作戦だ。

 ポケットからガムを取り出して、左手で口を隠しながら、口の中に入れた。


 昨日はビッグ澤田の勘の良さのせいで、途中からガムをくちゃくちゃすることができなくなってしまった。

 しかし、絶対に生徒に注意をすることがない倉山先生だ。

 これは森乃さんが勝っただろ。


 森乃さんは口にガムを入れて噛み始めた。

 タブレットとは別の辛さがあるのか、また目を見開いていた。


「………っら」


 さっきから辛いものを食べているからか、若干声が漏れていた。

 はい、かわいい。




 それから一分くらいが計画した。

 前から三列目までの全員と四列目の半分は、すでに死んでいた。


 ずっと森乃さんをみて分かったことがある。

 ガムを噛むペースが、ゆっくりゆっくりと遅くなっているのだ。

 さすが倉山先生の催眠術だ。


 だがしかしガムだ。

 タブレットと違って、溶けてなくなることはない。

 そこにガムが口の中に存在し続ける限り、ガムを噛み続ける義務が発生し、その義務がある限り、眠ることはあり得ないのだ。



 その時だった。




 ゴックンと音がした。




「え」


「え」


 僕はもちろん、森乃さん自身も今起こったことに驚いて、声が出ててた。


 今彼女は、ガムを飲み込んだのだ。無意識で。


 え、一体どういうことだ。

 通常ならこんなことありえない。

 しかも無意識でだ。

 最悪死ぬとかなんとか言われている行為を無自覚でやったのだ。

 

 もし考えられるとしたら、一つしかなかった。


 倉山先生の催眠術に森乃さんの身体が悲鳴を上げたため、眠るために身体が勝手に動いたのだ。


 そうはならんやろ、と思うだろう。


 だが、倉山先生の授業ならばあり得てしまうのだ。

 恐るべき力だ。

 圧倒的絶望。


 森乃さんは今ので自分でもびっくりしていた。

 つまり脳が刺激されたということなので、少しは眠気は減っただろう。

 だがガムを噛んでも飲み込んでしまうと分かった以上、ガムくちゃくちゃ作戦は危険だ。

 もうこのまま森乃さんは眠るしかないのか。


 だが彼女の半開きになりかけている瞳は、諦めない心を表していた。

 

 まだ何か策があるのか、森乃さん。

 しかし、ミントタブレット作戦もガムくちゃくちゃ作戦も無意味な今何をするというのか。


 彼女はカバンから何かを探し始めた。

 ゴソゴソとやっている間に四パチパチしていたが、なんとか見つけたようだ。

 取り出したのはボールペンだった。


 なんだ。ただのボールペンじゃないか。

 そう思っていたら、彼女がボールペンをカチッと押した。

 その瞬間に、彼女の四パチパチはゼロパチパチになっていた。


 一体何が起こったんだ。

 まるで彼女に電撃が走ったようだった。

 だがこんな簡単に森乃さんがゼロパチパチに戻るわけがない。


 森乃さんは一旦ボールペンを右手から離し、手が痺れたかのように左手で右手を押さえたり、少し揺らしてたりしていた。


 ん?痺れたかのように?


 そっか。分かった。

 あれはただのボールペンではないのだ。

 カチッと押した瞬間に電撃が走る、ビリビリボールペンなのだ。

 よく百均とかで売っているあれだ。


 まさかドッキリのための道具をこんな所で使うとは。

 ボールペンならばおもちゃだと疑われる心配もない。

 さすが森乃さんだ。


 現に今も僕がこうして考えている間にも、僕ら二人以外の教室のみんなは寝ているが、森乃さんは、四パチパチしてゼロに戻って、四パチパチしてゼロに戻ってを繰り返している。


 これならばいける。




 しばらく時間が経った。

 気づけば授業開始から三十分が経過していた。

 まだ残り時間は二十分もあるが、これは森乃さんにとって、倉山先生の授業では最長記録だ。



 

 いける。いけるぞ……







 

「それでは授業を終わります」


 倉山先生の声が聞こえた。

 その瞬間私は目を開けたのと同時に、自分が寝ちゃっていたことを理解した。


 色々な対策をしてきたというのに、倉山先生の催眠術の前では無駄だったんだ。

 残念。


 なんだか長い夢を見ていた気がする。

 私が私を応援しているような。


 なんだったっけな。

 忘れてしまった。

 ま、いいか。




 私、森乃ヒメは教室の一番奥の窓側の席から立ち上がった。


 隣の席の机の上には、花瓶に新たな花が添えられていた。

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森乃さんは眠たがり デイリー @Daily_honkyochi

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