神童退場

 前述のように、息子はレッスンでの課題を楽しみながらクリアしていった。しかしそれは初めの段階で、やがてキチンとした教材を使い、キチンとした楽曲を習う段階に入る。それにはキチンと練習が必要だ。


 ここでいよいよ、親の資質が問われる。肝心なことが教えられるか。すなわち、


・壁にぶつかる

・努力する

・乗り越える


 いかにこれが出来るか、それが人生を左右する。これを教え込むには忍耐が必要だ。


「できない」

 ちょっとやっただけであきらめる息子。

「何回も練習するんだよ。そうしたら出来るようになるから」

 そうして出来るまで付き添い、なんとか達成感を味わせてやる。出来るとやはり嬉しそうだ。


 しかし、段階が進むと、一日で仕上げるのは難しくなる。達成が次の日、またその次の日までお預けとなると子供も嫌気がさしてくる。


 そのうち息子の脳裏に、

「達成感 < 努力の苦しみ」

 という図式が構築され出した。そしてそれは大きくなり、その日ピアノの前に座らせることすら困難になる。

 ネットで検索し、子供に練習させる方法がないか探す。そして片っ端から試してみるが、なかなか功を奏さない。


 つくづく思う。子供のピアノを上達に導いた親って偉いなあ。子供に10分練習させるのは、自分が何時間も練習するより遥かに労力を要する。だから「エリーゼのために」を立派に弾いた子がいたら、その親を僕はリヒテルやギーゼキングよりも尊敬する。


 家での練習だけでなく、先生のところでレッスンする時も、すっかり意欲を失い、全く集中出来ていない。先生だって貴重な時間を割いてレッスンをみてもらっている。これでは申し訳ない。


 息子に問うてみた。

「ピアノ、続けるか? それともやめるか?」

 息子はしばらく考えてから返事した。

「……続ける」

 そうしてしばらくは、気持ちを入れ替えて練習するようになった。練習に比例して上達もした。しかしまたしばらくして息子は言った。

「ピアノ、やめたい」

 多分それが本音だ。この前は親の期待もおもんばかっての「続ける」だったのだろう。その晩、家族会議を開き、息子のピアノレッスンはやめることに決定した。


|| ||| || |||


 それから息子はのびのびと色々なことに興味を持ち、色々なことをやっている。サッカー、スケートボード、レゴ作りなど。しかしどんなことでも上達の前には乗り越えなければならない壁にぶち当たる。

 その時、どんなに苦しくても歯を食いしばって乗り越えたい、そう思えるほど好きなことを見つけてくれればいい……

 夢中でボールを追いかける息子を眺めながら、そんなことを思う今日この頃である。


おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

子供にピアノを練習させるのは、自分がするより骨が折れる 緋糸 椎 @wrbs

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説