第4章 ガソリン被って、火を放って

※聖書の内容に触れていますが、登場人物の価値観や文化を表現することが目的であり、他に他意はありません

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昔々、1人の少年がいました。

少年はとある国の王族御用達の、貿易商人の息子でした。広い海と様々な文化、そして王族に嘲笑われようが蹴られようが、ヘラヘラと笑う父親の姿を見て育ちました。


彼は世界も父も好きでした。多様な文化は彼を飽きさせず、父の態度は家族を守るためのものだと思っていたのです。

少年は順調に青年へと成長したのでした。


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―――結婚記念パーティーから数週間後、魔法学院にて


主食。それは日常の食事の中心になる食物だ。飯、麺類、パンとか色々あるけれど、大抵は穀類を調理したもの。芋や果実類、中には魚類や生肉を主食として生きる人々もいるらしい。


幼い頃様々な国を航海したノアの主食は、フォロワー数、♡数、映えるものだ。朝、教室の席について一番にSNSを更新し、お昼休みに急増したそれらを見てホクホクしないと死んでしまう。死にたい時はあっても餓死したい時はないだろ?俺もそうだから今日も食料準備に忙しい。


「お前に草を育てる趣味があったとはな」


頭上から降ってきた声に顔を上げると、幼馴染のユダがいた。その目は俺の魔法の手鏡に写る、植木鉢に入れられたとある花の画像に向けられている。ちなみに名称は知らない。


「いやこれ友達の。あと草じゃなくてせめて花って言おうな」

「お前が育てたかのような投稿だな」


そう思ってもらわないと困る、それが目的なんだから。俺は植物見てもまずそうとしか思わないけれど、植物好きな奴はお洒落で優しそうに見えるらしい。中性的な儚げ美青年をイメージブランディングにしている俺にぴったりだ。


「この投稿のポイントは俺という素材がないことなんだ。これでガチな植物好きに見えるし、自分を載せてばかりだと自分大好きかよって思われるから」

「お前の投稿見てる奴、外見目的がほとんどだからナルシストでいいだろ。互いに同じもん愛でてりゃ平和だ」

「人間は複雑なんだよ。俺のフォロワーの多くは“自分の理想の推し俺の外見からくるイメージ”を愛でることで自分の欲を満たしたいんだ」

「それに上手いこと漬け込んで承認欲求満たしてんだな、お前は」


互いにwin-winで気持ちいい関係だろ?もはやこれは愛の営みセックスだ。

俺が本心を言うと、互いを見合ってオナニーの間違いだろって彼は返してきた。セックスの在り方は人それぞれなんだよ、ユダ。


「セックスといえば、」


どんな連想ゲームだよ。俺がそうつっこむ前に彼は続けた。


「この前のパーティーでマリアと寝た」

「ッッッあっぶね!急に何言ってんだ鏡落としそうになっただろうが!」

「以来定期的にヤってる」

「続けるな。…いや、お前はそういう奴だよな」


通常運転の彼は今日も俺を置いていく。全力疾走で追いかける俺の身にもなれ。

ユダは性自慢をしたいような奴じゃない。そしてマリアは彼の長年の想いの人だ。何かしら相談があるんだろうと、俺は目の前の席を引いた。席指定なしって便利だよな。



―――数分後


「それセフレじゃん」


彼の話を聞いた結果はその一言に尽きた。しかし目の前の男は違うらしく、「人聞きの悪ぃこと言うな」なんて言葉が返ってくる。


「………え、まじで自覚ないの?」


信じられない。思わず鏡から視線を上げ彼を見た。眉間に寄った皺と射殺すような目。タチの悪い冗談かと思ったら本気らしい。


マリアあいつは股が緩いが別にセックスが好きなわけじゃねえ。男を繋ぎとめる行為として今までヤってきてんだよ。セフレが必要ないのに俺とセフレにはならねえ」

「ホテル集合ホテル解散、ピロートーク無しヤったら帰る。そんなのデートとは思えないけど」

「性欲薄いあいつがそうしてんのは、腐っても王子な俺と過ごす場合、パパラッチに気を取られず恋人らしく過ごす方法が他にねえからだろ」


セフレというより友達以上恋人未満的なあれだと言いたいわけか。確かにマリア令嬢は好き好んでヤるというより、本気で狙って本気で外してヤり捨てられるイメージがある。


でも自分勝手で下手糞なセックスだからはまらないだけで、目の前の経験豊富な彼が相手なら話は別だろう。案外繊細というか健気な彼は、好きな相手ならより丁寧な愛撫をしそうだ。


「でもそのパパラッチ云々のやつ、身分高い奴がヤりたいだけの奴納得させるために使う常套句じゃん。本心で言うやつ初めて見た」


そんなこと初めて知りました。彼はそう言うように数回瞬きをした。


「え、なにその反応。お前女の子口説いたことないの…?」

「んなもんしなくても勝手に寄ってくるだろうが。」


うっわ…。よく真顔で言えたなそんな台詞…。


「悪いことは言わないから、それとなく確認しとけよ…」


溜息を吐きそう言いながら、俺は再度鏡に視線を戻した。


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ある日、青年は不思議な夢を見ました。

温かい液体の中、2つの心臓の音だけが響く世界。そこで胎児のように身を抱えながら、呆然と1人の女性の声を聞いたのです。


―おはよう、私の可愛い子―


それが届いた瞬間空気が入り込み、目の前を覆う程の泡が発生します。たちまち視界は真っ白く染まったのでした。


水面から浮上するように、青年の意識は現実へと戻ります。

見慣れた天井に身体を起こそうとして、しかし、強い力がそれを阻みました。ベッドに縫い付けるように、身体が縛られていたのです。慌てて視線を巡らすと、そこには荒れ果てた自室と出入口の扉に凭れ掛かりながら立つ、傷だらけの父の姿がありました。


強盗。その可能性が頭に過りますが、父は手当を受けています。しかし自分が縛られている以上安心はできません。


「父さん何があったわけ…?」


万一に備え掠れた声を出すと、父は低く言いました。


「お前がやった」

「………、は………?」


やったってなんだ。父の怪我を、そしてこの部屋の惨状をか。俺今まで寝ていたんだけど。

彼の疑問に答えるように、力のコントロールすらできなかったんだろ、という父の声が返ってきます。


「お前には魔法使いの血が流れていたらしい」

「…えっと、母さん魔女だったの?」

「知るかあんな売女のこと」


吐き捨てるように言われた、亡くなったとされる母親の情報。自分がやっとされる、父の怪我と窓が割れ物が破壊された自室の惨状。目の前に広がる情報全てを置いて、青年は茫然と父を見ました。


「平穏な暮らしを潰しやがって、この生きる科学兵器が」


重く響く低い声と、射殺すような視線。…どうして家族に、そんなものを向けるんだろう。


青年は非常に聡明で、本当は理解していました。自分に忌み嫌われている恐ろしい力が発現したことも、父が本当に守りたかったのは、家族でなく立場だということも。

ただ、信じていた愛する父の軽蔑の眼差しが、現実を受け入れることを拒ませたのです。


「…ねえ、今何時?」


逃避の末、不意に口を出た疑問。

それを理解できない化け物を見たかのように、父は彼を置き部屋の外へ出たのでした。



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「皆さんが手放せない魔法の手鏡がありますね。それは魔法を活用して作られています。ですがもし魔法がなかったとしても、それに相当する道具を開発することはできたでしょう。もちろん、の年月を必要としますが」


今日も先生が何か言ってる。仰る通り手鏡を手放せない俺は、彼の話をBGMに今日もSNSのチェックをする。本日のフォロワー数の変動を見ていると、硝子の上部に通知が入った。


『ユダ:熱愛報道流したのお前だろ』


むしろ俺以外にラブホから出てくるお前らを撮影できる奴がいるなら知りてえよ、雇うから。そう思いながら彼との会話アプリを開き返信をした。


『ノア:外堀から埋めた方が早いだろ?』

『ノア:報道出ればしばらく王子様探しもできないだろうし』


数週間前の俺の予言通り、ユダはセフレだと思われていた。しかも告白しても信じてもらえなかったらしい。なにそれうける。普段からちゃんと好きそうな態度を取ればよかったのに。

まぁ、仮面を被るのが得意なこいつは不遜な態度素顔を見せることを愛情表現だと思っている節があるから、それのせいだろう。


『ノア:で、進展は?』


結果を知りたくて指を動かすと、返信はすぐに返ってきた。


『ユダ:やっと俺があいつを好きだと信じた』

『ノア:へーやったじゃん。それでそれで?』


………

………………

………………………


「……え、待ってそれだけ?」


いつになってもこない返信に思わず声が漏れる。授業中に声出すな、そう言わんばかりに背ろの席のユダから椅子を蹴られた。


『ノア:俺のフォロワー数犠牲にしたのに!!』

『ユダ:なんで俺の熱愛報道でお前のファンが減るんだよ』

『ノア:俺とお前を恋愛関係にするのが好きなshipperが消えたんだよ!』

『ユダ:俺もお前も異性愛者だろうが。ゲイに見られた経験も少ねえし、外見もそれっぽくねえ筈だろ』

『ユダ:人間は色んな奴がいて複雑なんだよ!』


これだからSNSに疎い奴は。ブロマンス路線に切り替えた俺の苦労も知らないで!

身分違いの中性的な儚げ美青年(俺)とどこか影のある高身長美丈夫( ユダ )を生かすために、どれ程俺が熱意を注いできたと思っているんだ。


「そこの鏡依存症、当時の歴史家●●●の著書『■■■』における有名な一節を述べなさい」


荒ぶる気配が伝わったのか、咎めるような先生の声が俺を刺した。

何で俺だけ!?立ち上がりながらユダに視線を向けると、手鏡に透過魔法を掛けていた。くっそこの完全犯罪野郎。世の理不尽さを感じながらも答えを口にする。


「『魔法が存在しなければ、文明の利器は未来人のものだった。しかし魔法が存在したために、我々は多くの犠牲を払うこととなった』」


先生の眉が驚いたように、またどこか意外そうに上がる。先生は何か勘違いしているようだけれど、俺歴史好きなんだ。好きすぎるか余り教科書の間違い探しをするくらいには。


『ユダ:進展はあったが面倒なことになった。後で話す』


机の上においた手鏡に映るメッセージ。先生に目をつけられてしまった俺は、授業後にそれを確認することになった。


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魔法使いになった青年は、世界の共通点を知りました。


差別、偏見、バイアス…、呼び方は色々ありますが、人間は大なり小なり、様々な基準で相手を判断し、型を嵌める傾向があるのです。基準となるのは人種、性別、社会的地位や醜美、そして魔法を使えるかどうか。


どれだけ人種差別を悪とする国でも、流行り病が生じれば根拠なしに一部の民族を感染源としたように、

王位継承における男子優先の文化が当たり前のようにあるように、

魔法という名の殺傷能力を持つ魔法使いに、嫌悪感を抱く者がいる。


そう悟った瞬間、世界は途端に狭くなりました。…もっとも、変わったのは青年の方かもしれませんが。



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告白したが返事を曖昧なまま胡麻化された場合、どう返事を貰うのか。そんな腐る程に聞く恋の悩みをこの王子様から聞く日が来るとは。


「つーか、マリア嬢って王家に嫁がないとやばい状況にいるんじゃなかったっけ?なんでOKしないわけ?」

「知らねえよ。…母親とのいざこざで自己愛確立してねえから、愛情向けられたらそれはそれで警戒するんだろ、」


親とのいざこざ、自己愛。その言葉を聞くと、中庭にいるのにどこか息苦しさを感じた。…俺の承認欲求も、父親への感情を仮初の相手で満たそうとして生まれるのだろうか。零すように付け加えられたユダの言葉は、嫌に俺の中に残った。


「なにその分析。セラピストかよ」


自身の感情を直視することも受け入れることも難くて、俺は冗談めかして笑い、カツサンドを齧った。そんなことよりも話の続きをしよう。そもそもこれは俺の話じゃないのだから。


「で、遠回しにふられたような状況だけど、お前その後どうしたの?」

「どうせ熱愛報道が冷めない内は王子探しできねえんだから、その間俺に付き合えっつっといた」


なんで強気なんだこいつ。もっとこう、「俺じゃ駄目か」的な可愛い発言はできなかったのか。俺が遠い目をしている間にも、ユダは勝手に話を進めていく。


「この状況から脱するためにとりあえずこれを用意した」


その言葉と共に目の前に置かれた小瓶。キャップの部分がスポイト状になっている、何の変哲もない薬品入れだ。つまんで揺さぶると中からチャプチャプと液体が跳ねる音がする。


「なにこれ?」

「惚れ薬だ」


はぁ!?禁書読まないと作れない奴じゃん!相変わらず法を破るのに抵抗ねえな!

誰かに見られる前にと慌てて小瓶を仕舞いながら彼を窘める。


「これは最終手段!」

(最終とはいえ手段に含めるんだな)

「なんだその目!お前のためにもこれは返さねえからな!」

「いや、お前も倫理的にあれなところあるよな」


現在進行形でお前の非倫理を止めている相手に何いってんだこいつ。俺がそう言う前にユダは口を開いた。


「で、止めるなら代わりの案があるんだろうな」

「案も何もねえよ。強いて言えばデートか…?」

「却下。確実な方法を探せ」

「まともに口説けるようになってから俺に反論しろ」


大体な…。俺はちらっと机の上にある鏡に目を向ける。流れているニュースは祖国のもので、どれも血生臭いものばかりだ。

俺が生まれて間もない内から、祖国では何度も反乱が起きている。現在は鎮められているが、一触即発な雰囲気が漂い、何時また争いが起きるかわからない状況だ。民衆と兵士の血が染み込んだ中心区を思い出し、眉間に皺が寄る。俺は苦々しく声を出した。


「変に効率重視にならずに、青春謳歌しとけよ」


お前腐っても王族だろ。どう足掻いても争いに巻き込まれるんだから。言外にそう伝えると、ユダは笑いながら意地の悪い冗談を言う。


商人の息子お前第二王子が心配されるなんてな」


反乱を起こす搾取される側民衆が悪いとでも言いたいのか、この搾取する側王族が。湧き上がる怒りに身を任せ、俺は口を開いた。


「原因は王族・貴族お前らだろ」


………ああ、やってしまった。言葉で怒りが発散されたのか、言葉に自分の狭量を感じたのか。言って、すぐに後悔した。

俺もお前も身分が違うだけで、この争いを作ったわけじゃない。ただこの時代に生まれただけなのに。そもそもユダは俺を責めたわけじゃなくて、いつものブラックジョークのつもりだったのだろう。


「………悪い。とりあえずデートプラン立てるか」


空気を換えるように話題を戻す。ユダも若干の気まずさを感じていたのか、それとも惚れ薬を没収された状況ではこの提案が一番スムーズだと思ったのか、デートという不確実な案に文句を言わなかった。


「とりあえず撮るからそのカツサンド隠して」

「昼飯食ってるだけなのに何で撮影すんだよ」

「『僕がいないとデートプランも練れないらしい』的な文に添えてこの様子をupするんだよ」


話題のカップルネタは♡数が稼げる。あやかってなんぼだろ。エモい写真集みたいな雑誌とフローズンヨーグルト、そして小さなサラダを鞄から取り出し配置すると、俺は鏡を構えた。うん、青空も相まって青春感漂う図だ。


「お前そんな食い物食った気しねえとか言ってなかったか」

「食が細いと思われたいんだよ」


カシャ。撮影音を鳴らしながら返事をすると溜息が返ってきた。その反応を無視して文章を入力している間にも、俺の作業を待たない彼は口を開く。


「さっきの話だが、」


さっきの話って…、反乱のくだりか。理解すると同時に眉間に皺が寄った。やめろぶり返すな。そう伝えるために鏡から彼へと目を移すと、ユダの目線が真っ直ぐに俺を貫いていた。揶揄も哀れみも、一切の感情が載っていない人形のようなその眼。…こいつがこの目をする時は、ろくなことがない。本人は相手に緊張感を与えていると思わないのだろう。じんわりと汗が滲む俺を差し置いて、彼は口を開く。


「お前がいなかったら、俺は自分の置かれた状況にしか目が向いてなかった。貧民出身のくせに、搾取されるお前らの生活を忘れていたからな」


…そりゃそうだろ。突然王族になったお前が、環境に適応する以外に何を考えられる。それを口に出したいのに、彼の真っ直ぐな眼に唾を飲み込むことすらできなかった。

何故って、俺はこの展開を知っている。視線で人の逃げ道を塞いだ後、こいつは捻くれているくせに、愚直な程にストレートに言葉を放つのだ。それも超ド級のこっ恥ずかしい言葉を!それを聞くのは勘弁願いたくて、カラカラの喉を震わせた。


「いい、やめろ。何も言「聞け」


聞けはこっちの台詞だ馬鹿が!最後まで人の話を聞け!!!!

たった二文字で言葉を飲み込む羽目になった俺は、結局その目すらも逸らせない。縫い付けるようなその視線に向き合うだけでも一杯になってしまうというのに。俺の内心なんて知る由もない彼は、堂々とその口を開いた。


「この学園でお前と出会えて、心から感謝している」


―――ほらみろ、なんてことを言うんだこの馬鹿は。人の気も知らないで、いや、知っていようが気にも留めないで。

ズドン、か、グチャ、か。重たい何かが胸に落ちて、潰れて、飛沫が上がり辺り一面を汚す感覚。腐り落ちた果実のような、踏まれた生き物のような、もしくは飛び降りた人間のような。それは、喜びや照れなんていう綺麗な感情じゃない。罪悪感か劣等感か、それとも嫉妬心か。全てが混ざったぐちゃぐちゃの感情を必死に笑みで隠しながら、俺は声を絞り出した。


「急にそういうこと言うの、かなりきもいぞ」


それを離したら落ちて死ぬかのように、手の中にある手鏡を必死に強く握る。これは武器だ。王族・貴族の最低最悪のゴシップが詰まった、お前の立場を崩す強力な武器。…そう遠くない未来、俺はお前の周囲に火を放つだろう。

頼むからこんな俺に、そんな目を、言葉を向けないでくれ。膿んで腐ってどうしようもなく爛れた俺は、王族・貴族お前らを許すことなんてできやしない。…しようとも思えない。


誤魔化せない程に痛む胸を殺して、俺はいつものように話を戻した。


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魔法使いだと判明してすぐに、彼は全寮制の魔法学園に送られました。過去、多くの魔法使いが強制的に住まされていた居住区。そこにある学園は、繁殖を避けるため男女別に分けられていた名残か、男子校と女子校に分けられていたのでした。


学園生活を送って数年、父から手紙が届きました。


父の遣える国に新しい王子様が現れたこと、その存在は長年隠されていたこと、彼が同じ学園に通うことになったため、護衛役という名の監視役の役割を命じること。挨拶もなくそれらを綴る、右上がりの父の文字。懐かしいその筆跡を青年はそっとなぞりました。

あの日以来、顔を合わせていない父。どういった形であれ、彼と会えることに青年は喜びを感じていたのでした。


しかし現実は無情なものです。

当日、父の視線、笑み、声は、ずっと第二王子権力に向けられていたのでした。



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もし俺が魔法使いでなかったら、今も父と共に、海の上にいたのだろうか。


体は机に向き合っているのに、視線は歴史書でなく外へと向いてしまう。窓の外に見える空には星一つ浮かんでおらず、吹雪く風がカーテンを大きく揺らした。今夜は嵐が来るらしい。きっと海は激しく荒れるのだろう。視線を戻すと、風に震える本の上で文字達が躍るように揺れていた。


『そもそもの始まりは、国土を失った魔法使いが赤ノ国祖国青ノ国隣国を侵略しようと、多くの民を虐殺したことだった。』


虐殺。その文字をそっと指でなぞる。…もし、祖国と隣国が魔法使いを保護していたら、彼らは虐殺なんてしなかったんじゃないか。


『敵国同士であった赤ノ国と青ノ国は魔法使い共通の敵を前に結託。多くの犠牲を払った末、彼らに勝利した。これを機に両国の間に友好条約が結ばれ、そのまま魔法という恐ろしい力を持つ者を、一部の地域に隔離・迫害した。』


もし、魔法を抑制できたなら、魔法使い達は隔離も迫害もされずに済んだんじゃないか。


『魔法使いへの迫害と隔離は、植民地獲得戦争をきっかけに緩和されてゆく。魔法を使い、幾多の敵国の民を殺した魔法使い達は、その貢献により迫害と隔離から解放されたのだった。』


もし、植民地支配に魔法が使われなかったら、魔法使いへの偏見はここまで酷くならなかったんじゃないか。…そうすれば、俺が父に嫌われることもなかった。


「………ばかみたいだ、」


何度たらればを考えたって、歴史は変わらない。例え変えられたとしても、上手くいくとは限らない。

わかってる。わかってるんだ。在りもしない塵みたいな可能性を、必死に探して掻き集めたところで意味はないと。…でも、その塵屑以外に縋るものがなくて、下らなくても、どうしたってやめられなくて…。


「ほんとうに、ばかみたいだ」


弱弱しく掠れた声は、一際強い風が流れ込み掻き消された。ページは次々と捲れられていき、もはや内容を確認することは難しくなる。

俺は一度深呼吸をすると、歴史書を乱雑に閉じた。その動きに何を勘違いしたのか、魔法を掛けておいた新聞やメモ用紙が宙を舞い、視界に入り込んでくる。


『魔法兵を以てしても緑の国ある一国との植民地争いに負けてしまった赤ノ国祖国は、民に多額な税を課すことでその赤字をカバーしている』

『民衆の生活は困窮し、複数回に渡って反乱が勃発』

『どうすれば魔法使いへの偏見はなくなるのか』


紙を手で避けながら席を立ち、ベッドに腰掛ける。シーツの上にあった手鏡を手に取ると、硝子に指を動かした。

画像の選択、本文の入力、ハッシュタグの追加、最終チェック。目の前の情報を確かに理解し作業をしているはずのに、脳裏にはあの日の父が居座っていた。重く響く低い声と射殺すような視線が、俺に告げる。


ーーー平穏な暮らしを潰しやがって、この生きる科学兵器が


あの日の父に向けて、俺はそっと微笑み、手を伸ばした。


…なあ父さん、俺は別にアンタのことを恨んでいないよ。文化は、…差別や偏見は、歴史的背景から来ている。人間はどうしたって、時代の影響を受けてしまう。

魔法兵に故郷と両親を奪われたアンタが、魔法使いを嫌うのは仕方のないことだ。植民地支配で貧しさを味わったアンタが、地位を危うくする魔法使いを遠ざけるのは当然だ。


自分でも不思議なくらいに、穏やかな気持ちだった。…でもそれは、嵐の前の静けさで。


ゆっくりと父に近づいた俺は、伸ばした手で優しく彼に触れる。冷たい指先に触れる、温かな体温。それを感じた瞬間、カッと目頭が焼けるように熱くなり、視界が滲む。その歪んだ世界は、水中に泡が入り込んだあの朝のようで…。気が付くと俺は、震える手をその頸に掛けていた。


わかってる、わかってる。仕方のないことだ。俺が父なら一生魔法使いを許さない。例えそれが実の息子だとしても、俺はきっとその手を放す。ああでも、でも、それでも…!


馬鹿みたいに震える手、開かれる瞳孔。落ち着こうと繰り返す息が、まるで理性のない獣のようだった。

獣、化け物、平穏を乱す存在。そう思った瞬間、保っていた何かがグチャリと溶け落ち、溢れた。


ーーーでもアンタはさァ、たとえ魔法使いでも、王族相手なら目を向けるんだろ…?例え本心からじゃなくたって、笑みを向けるんだろ…ッ?!


最後に見た父の笑顔と柔らかな声。それを一心に受けて当たり前のような顔をした、ユダ第二王子

溢れる、溢れる、溢れる。腐り落ちた果実、潰された生物、飛び降りた人間。その中身が溢れて、周囲を汚して、醜い俺が現れる。汚い存在、穢れた存在、凶悪な力魔法を手に入れてしまった、平穏な暮らしを乱す化物。


アァ父さん、父さん、父さん!!俺は昔からずっと、魔法使いになる前からずっと、王族が嫌いだったよ!!生まれだけでアンタをコケにする、あの糞野郎共がなァ…ッ!!!


掌に感じる、ドクドクと脈打つ命の感触。両親を殺され故郷を奪われ、泥水を啜りながらも懸命に生きた生命の感触。


彼奴等(王族共)が植民地支配なんてしなければ、アンタの親を殺さなければ、俺は綺麗なままで家族でいられたのにッ!!!!!


指を頸に絡めても、父は動かない。当然だ。父はベッドに縫い付けられていて、目を瞑り眠っている。あの日の、魔法使いとなった汚れてしまった俺のように。…そのまま永遠に目覚めなければいい。目覚めたところで、悪夢のような現実が待っているだけだ。

俺は唇を噛み締めると、指先に、掌に、全体重を掛けてーーー



ーーーピロン♪


「!、…ッ、」


軽快な音に、我に返る。目の前には父ではなく、俺の唯一無二の武器があった。掌に命の感触などない。あるのは無機質な機械で、指先が触れるのは、ただの画面硝子


表示されているのは、『一斉投稿』といういつもの通知。その通知の後ろでは、投稿された画像や動画が映し出されていた。人身売買、暴行、強姦、虐待…、見るに堪えない、王族の悪行が。


「…ああ、やっと投稿できたのか。」


安堵し、息を付いた瞬間、


拡散、


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鳴りやまない通知、地響きのような雷鳴、叩きつけられる雨の音が辺りを包みこむ。ああ始まった、嵐だ。嵐だ。脳裏に浮かぶのは、クソでかい箱舟を作った男の話。海は荒れ、川は氾濫し,大洪水を起きて全世界が滅ぶ。船の中にいない者は、皆死んでしまう。


「はは…ッ,アハハハハッ!」


笑いが込み上げる。どうせ俺は、溺死する側だ。反乱を引き起こすのも、船を造るのも、溺死するのもみーんな俺。馬鹿みたいな自己満オナニーに罪深いお前等王族共を巻き込んで、そうやって死んでやる。


インターネットという海の中、人の波が情報を伝えてゆく。それを途切れなく伝える鏡には、醜い俺が反射していた。



―――××××年某日、複数のSNSアカウントから、王族・貴族の地位・権力乱用の証拠となる動画や画像が投稿された。



✰⋆。:゜・*☽:゜・⋆。✰⋆。:゜・*☽:゜・⋆。✰⋆。:゜・*☽



「初めまして、ユダ第二王子」


父が去った後、心の闇を隠した青年は、いつもの柔らかな笑みを乗せて挨拶をしました。


「…敬語はやめろ。ここではただの学生同士だろ。」


釈然と告げる王子様の声に青年は目を丸くし、その後悪戯っぽく笑みを浮かべます。その笑みは先程のものとは違い、青年の雰囲気とは合わないものでしたが、年齢相応の健康的なものでした。


「王子様がお望みならば。…よろしくな、ユダ」


青年は“心を開いているように見せること”が得意でした。

この日の王子様は知りませんでした。立場に翻弄されているのは自分達だけではないことを、魔法使いという立場に苦しめられた青年が、王子様とお嬢様王族・貴族の周りに火を放つことを。


それもそのはず、先のことは誰にも分からないのですから。炎に包まれた2人はどう生きるのか、ガソリンを被り火を持つ青年はどう動くのか、私達が知らないように。



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婚約破棄からヤリ捨てられてばかりの貴族令嬢ですがどうにかして王家に嫁ぎたいです @sususususususususu

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