第3章 真実の愛は呪いを解く。そう相場で決まっているのです

※暴力、未成年淫行、虐待の表現があります

※妊娠、出産、乳児へのネガティブな描写、表現があります。

閲覧は自己責任でお願いいたします。


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昔々、1人の少女がいました。少女はとある国の貴族の家に生まれ、穏やかで豊かな生活を送っていました。


ある日、少女は王子様と婚約を交わすことになりました。顔もしらない王子様との婚約に不安を感じていた少女。しかし王子様は、硝子細工に触れるかのように優しく彼女を扱ったのです。


陽だまりのような彼に、少女の不安は溶けていったのでした。


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―――舞踏会翌日、魔法女学院にて


「「「マリアおめでとうッッッ!!!!」」」


クラスルームに入った瞬間、複数の祝福の声と共に何かが弾ける音が聞こえ、目の前に色とりどりの色が散らばった。微かな火薬の香りを嗅ぎながら、髪に絡みつく何本ものカラーテープを払う。

これは面倒なことになるな…。そう思いながら顔を上げると、何人ものギラついた視線が刺さる。その勢いのままにクラスメイトらは声を上げる。


「いつからユダ第二王子と付き合ってたの!?」

「最近でしょ!?あんたヤり捨てられてばかりだったし!」

「幼馴染との恋愛って都市伝説じゃないんだね!」


男に飢えた女子校生の前に熱愛報道の出た同級生を置くとこうなるのか。腕や肩を掴まれクラスルームの中心の席に連行されながら私は遠い目をした。フラッシュが眩しいし録音・動画撮影開始の音が聞こえる。なんだ私は犯罪者か。


「とりあえず質問は1つずつにして…」

「はい!」

「はい○○ちゃんどうぞ」


運ばれた席に座りながら目の前で挙手したクラスメイトを指すと、彼女は元気よく声を出した。


「結婚式はいつですか!?」


ガキか。なんだその質問。


「いや、あの、色々と早いかな…?」


早いも遅いもなく、そもそも付き合ってすらいないんだけど。ユダの告白にはろくな返事もしなかったし、彼も返事を急かさなかった。過去を振り返ろうとした瞬間、もう1人のクラスメイトに勢いよく肩を捕まれた。


「なに悠長なこと言ってるの!彼王族よ!死に物狂いで結婚までいきなさいよ!」

「うぐ…っ!!」


彼女の口から放たれた現実に耐えきれず、私は胸を抑えた。そう、何も彼女達は恋に恋をしているために騒いでいるわけじゃない。王族との結婚が果たされなかった場合、最悪国外追放、良くて魔法使いとして生きていかなければならない私の現状を心配してくれているのだ。

彼女の勢いに上乗せするように、別の方向から声が飛んでくる。


「アンタが王族にならなかったら私達クソみたいな王族共に媚び売らないといけなくなるじゃない!!」「マリアの権力下でゆるーく働いてぬくぬく暮らしたいのに!」「私達の未来はどうなるの!」

「いや君達が心配してたの自分の身?」


祖国でも隣国でも、魔法学校を卒業した者は王族の支配下に置かれ、王族の為の魔法道具や魔法薬を作る職人か、魔法を使う兵士になる。魔法使いが過去に犯した罪がある以上、私達を手放しにするのは危険すぎるからだ。つまり魔法使いは王族以外に商売ができない。そして自分達に仕えるしか生きる術がないことを王族は理解しているため、足元を見てくるのである(仕事がないよりはましだが)。


「当たり前でしょ。アンタのことは好きだし応援してるけど、他人の身を案じる余裕が私達にあると思う?」


私の言葉への返事は、やけに現実味を帯びていた。貧民・平民出身の彼女らは家族を支えなければならない。私の心配もしてくれている(と思いたい)が、自分と家族の心配の方が勝つのだろう。


(…私も、現実に向きあわないといけない)


どう考えたって、王族ユダに告白されたら了承するべきだ。

…でも、どうしてだろう。彼が私のことを好いているとわかったとき、私の胸に浮かんだのは恐怖心だった。別に、ユダが怖いわけじゃない。手段を選らばないときは多々あれど、無闇矢鱈に人を傷つける奴じゃないことはわかっている。


それでも、姿は見えないけれど確かに人の気配を感じた時のような、そんな漠然とした不安が、私を取り巻いて離さない。

思い出した感情に弱気になった私は、気休めの言葉を吐いた。


「いやほら、ユダとの関係が駄目になっても他の王子様が私に告白してくれるかもしれないじゃない…?」

「絶対にない」「夢見るのも対外にしたら?」「寝言は寝ていいなよ」


よし分かった。歯を食いしばれ。


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少女の身体は次第に変化を迎えました。身長は伸びと共に身体は丸みを帯びて、子宮から血を流すようになりました。“女性”と呼ばれるようになった彼女は、その変化は自然なものであると教えられていました。

ですから、暫くして生じた違和感を気にも留めていなかったのです。急激に体力が落ちたかのような無気力な感覚も、吐き気を感じる程の気持ち悪さも。


しかし暫くして、あまりにも彼女の様子がおかしいと、異変に気付いた家族は医者を呼びました。その医者はベッドに横たわる彼女を診断し、こう言ったのです。


彼女の胎に赤子がいます、と。


彼女は当然困惑しました。彼女には心に決めた王子様がいます。彼女との関係を穏やかに進めてくれる、優しい彼が。


「…どうして、どうしてそのようなことがありえましょう。わたしは、男の人を知りませんのに…っ、」


不安で震えた、か細い声。彼女の言葉を裏切るように、胎の中の命は今も脈々と形成されていくのでした。


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どこかの国では、3度目のデートは関係を進める境目らしい。その3度目のデートを優に越した私達の関係は舞踏会から一歩も進んでいない。


「ねえ、報われるかもわからないのに返事を待つの、きつくないわけ?」


手元のレモネードに日光が反射し、中の炭酸がキラキラと発光する。テラス席に座りそれをストローで掻き混ぜながら、私は疑問を口にした。…罪悪感で、ユダを直視することは出来なかった。


「別に報われたくて言ったわけじゃねえ」

「じゃあなんのために告白したのよ」


私の疑問に返ってくる言葉は無く、彼の様子を伺うために視線を移した。彼はビンのジンジャーエールを煽っており、口を放すとそれをテーブルに置く。唇についた液体を舌で拭うと口を開いた。


「熱愛報道が冷めるまでは俺に付き合う。それをお前は了承したろ?」

「そりゃそうだけど…」


ちらりとテーブル上に置いた手鏡を見る。画面には『ユダは僕がいないとデートプランも立てられないみたいw』という数週間前に投稿されたユダの友人のSNSが載っていて、それにはえぐい量の♡数が付いていた。


「熱愛報道が冷めるの、かなり後になりそうだけど?」

「こっちとしては冷めない方が都合がいい。王族との結婚を目指すなら、王子様探しするより俺と付き合う方が現実的だとじわじわ実感しろ」

「ちょっと待って。アンタも私の王子様探し成功を信じてないわけ?」

「信じるわけねえだろ。お前がヤリ捨てられる度に愚痴聞いてたの誰だと思ってやがる」


いやそうだけど、私のこと好きならちょっとくらい不安になってくれない?なんで失敗する前提なわけ?

そう噛みつこうとしたけれど、確かにユダと交際するのが王族結婚の最短ルートなのは間違いない。


『アンタのことは好きだし応援してるけど、他人の身を案じる余裕が私達にあると思う?』


不意に、クラスメイトの言葉が頭を過る。…他人の身を、案じる余裕。

目の前の彼は自覚していないのだろうけれど、好きな人から他の男の悩みを聞いていたのも、こうやって返事を急かさずにいるのも、結構な労力がいるはずだ。…私はずっと、彼の優しさに甘えている。


「来週、君の国にいくわ」


私の決断に彼は眉を寄せた。


「急にどうした。つーか…、いくら反乱が収まっているとはいえ今の俺の国にいくのは危険だ。やめとけ」


彼の意見はもっともだった。私達が生まれて間もない内から、隣国では何度も平民・貧民による反乱が起きている。現在は鎮められてはいるが一触即発な雰囲気が漂い、いつまた争いが起きるかわからない状況だ。

…でも逆にいえば、行くなら今しかないってことでしょう?


「大丈夫、中心区にはいかない。貧民街の中でもかなり外れにある、誰も見向きもしない建物…それも地下に行くの」

「おいそこって…」


彼は続けようとして、言葉を探し言い淀む。私を傷つけないよう配慮するその姿に確信した。彼に好意を向けられて、恐怖心を感じるのは間違っている。私が恐れているのは彼じゃない。過去だ。

自分が向き合うべきものがわかった私は、はっきりと声を出した。


「ええ、行くのは私の生まれた家よ」


私は私自身に向きあわないといけない。


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優しい王子様婚約者がいながら不貞を働いたという噂がみるみるうちに広がり、彼女の生活は一変しました。外に出れば国民から石を投げられ、家では立場がないと家族に非難される日々。それを終わらせたのは、王子様からの一通の手紙でした。


「どうして…、どう゛じて゛ッッ!!!」


声を涸らすように泣き叫ぶ悲痛な声。その声の主である彼女の手には、国外追放を命じる手紙が握られていたのでした。


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貧民街は相変わらず酷い有様だ。寒さを凌ぐには心許ない、薄いボロのシャツを着て道の隅に座り込む人々。その腕は枝のように細く、頬は痩せこけ、煤か埃か黒く汚れている。


「アンタも来る必要なかったのに」

「こんな状況で好きな奴が貧民街に行くなんて不穏なフラグ立ちすぎだろ。これを放置する馬鹿なんざ物語フィクションにしかいねえよ」


横を歩くユダに声を掛けると平坦な声が返ってきた。変身術を施した彼に普段の面影はなく、顔色の悪い痩せた青年の姿をしている。かくいう私も、貧民街にいる典型的な女性に見えているのだろう。


「どうせ変身コスプレするならベッドでメイドになってくれ」

「はいはい今夜ご主人様のお気に召すままにすればいいわ。ただお言葉を返すようですが、ご主人様は使用人の従順な私に勃起なさいます?」

「………、微塵も唆られねえな。俺が執事役でお前は温室育ちの糞生意気なご令嬢でどうだ?」

「任せなさい、得意分野よ」


奉仕系ドSを煽る言葉なら演技無しで出てくるもの。好きなだけ性癖を満たしてあげる。

夜の予定を立てながら進むと貧民街の外れに出た。そこから少し進みと、誰も見向きもしない、寂れた建物が現れる。


「ここか」


足を止め建物を見上げる私にユダが声を掛ける。私はそれに頷くと裏手に回り、壁沿いの階段に足を掛けた。地下へと続く階段を進む度、掛かる影は色濃くなり、一歩踏み込むごとに腐り掛けの足元が軋んだ音を立てる。…覚えている。地下の冷たさに縮こまりながら、この音だけを待ち続けていた日々を。


階段を下りた先、待っているのは木製扉。震える手で取り出した鍵を差し込み、その抵抗を解いた。

扉を押した私は僅かに差し込む淡い光を頼りに、部屋の中に足を踏み入れる。燃え尽きた灰しか残っていない暖炉、壊れかけのテーブルと足が不揃いの椅子…。地面の冷たさをそのまま伝えるフローリングは埃を纏い、私の足跡を残していく。…部屋、こんなに狭かったっけ。


「お前も解いとけ」


扉が閉まる音がして数秒後、ユダの声が聞こえた。振り返ると変身術を解いた彼がいて、私をじっと見つめている。

室内とはいえ貧民街だし、警戒しておいて損はないんじゃ…。そう思ったけれど、魔法の使用可能時間には限りがあったことを思い出す。時間には個人差があり、心身の状況によっても左右される。限界がきたことがないため忘れていたが、この後の精神的負担を考えると温存しておくに越したことはない。


「縺吶▲縺エ繧薙う繧ィ繝シ繧、」


呪文を口にすると術が解け、辺りに若干の風が吹く。それにより埃が移動したのか、視界の隅で何かがキラリと光った。


「……」


その輝きに何かを感じ、暖炉の傍、光の元へ足を進める。錆びついた鉄色、アンティークな装飾のついた持ち手、鋭い先。近づく度に形が露になり、拾い上げたそれは鋏だった。


ジョキン。


不意に、そんな音が記憶の底から蘇る。覚えている。鋏の歯が擦れる音と共に消えた、強く引っ張られる頭皮の感覚、次々と重力に従い落ちる髪の束、頭上から降りかかる、母の怒鳴り声。

ジョキン。

―外に出たわね…!―

ジョキン。

アンタの存在が未婚の母だとバレたせいで工場を辞めさせられた挙句、私は売女呼ばわりよッ!!!―

ジョキン。

―こんな髪を売ったところではした金しか得られない!どうやって生きていけっていうのよ!!―

ソト、ミコン、コウジョウ、バイタ、ハシタガネ。知らない単語交じりの母の怒鳴り声は、どこか悲鳴のようにも聞こえた。

ジョキン。

最後の一房と共に、その手は止まる。次に降ってきた音はやけに小さくて、それでも響く掠れ声。

「…そうよ、売女なんかじゃない」

その言葉は母の口から床へと零れ落ちた。次の瞬間腕を掴まれ、私を引き摺るように母は扉を開ける。悪い魔法使いが沢山いるから、外には出てはいけない。そう何度も言い聞かせられた外は暗くて、冷たい息のようなものを感じた。


ジョキン。


音がする。錆びついた鋏で、記憶を切り刻む音が。何度も何度も切り刻んでも、それでもなお縫い付けられていく記憶。継ぎ接ぎだらけのそれが、止める間もなく再生される。


「この子どうかしら?」

母が声を掛けたその人は、やけに大きくて、髪も短くて、服も何だか違っていた。

ジョキン。

「可哀想な子だね。大丈夫、終わったら沢山お金をあげるから」

家のものとは違う匂いのするベッド。横たわる私に伸びる手。怯える私に向けられた低い声。

ジョキン。

「どうして母さんの言うことが聞けないの!?!これ以上私を苦しめて何がしたいの!!!?」

必死に逃げて擦れた足、降りかかる暴力と母の目に溜まる涙。溢れ零れたそれが私の頬に落ちた瞬間、その手が私の首に掛かった。

ジョキン。

「子どもになんてことを、この■■■■が…ッ!!!」

急速に取り込んだ酸素に咳込み、視界が滲む。それでも分かる血濡れた母と何度目かもわからない鈍い音。どう見たって母にはもう私を殺す力なんて残っていないのに、高揚した表情のその人は手を止めない。

「やめ、やめて…」

何度も繰り返している制止の言葉は、震えと怯えでまともな音にならなかった。

ジョキン。

地に伏せた母をそのままに、私の手を引くその人。私の意思を無視したその力に為す術もなくて、どうすればいいのかわからなくて、助けを求めるように母を振り返った。


待っていたのは、感情のない、乾いた目をした母の姿。焦点の合わない目をした彼女は血を流す唇を開き、音もなくその言葉を零した。




「『 アンタさえ産まれてこなければ 』」


私の唇が言葉をなぞった瞬間、低い声が私を現実へと引き戻した。


「何してんだこの馬鹿ッッ!!!」


強い力が手を弾き、持っていた鋏が音を立てて床に転がる。床を汚す刃についた血液と、手首から感じる鈍い痛み。自傷行為をしかけていたという現実を理解するより早く、ユダが肩を掴み、その瞳に向き合わされた。


「こんなことしにここまで来た訳じゃねえだろマリアッ!!」


マリア。母が私に与えてくれた、唯一の名前贈り物。それを口にする、母を不幸にしたこんな私を愛しているという貴方。


「抱いて、」


考えるより早くそう言いながら、彼の首に両腕を回し引き寄せる。吐息の掛かった、キスをする時の距離感。そこで蠱惑的な笑みを見せてから耳に唇を寄せ、声を吹き込む。…例えるならそう、悪魔の囁きのように。



「    」



屈辱的で卑猥で低俗な、理性を焼かせるような言葉。これで大抵の男はその牙を向き、欲をぶつけてくる。簡単な女だと、使い捨てて構わない存在だと認識するから。

私を愛した馬鹿なユダ。永遠の愛を誓う王子様あの優しい少年だって、最後には私より価値あるものを見出したのに。


「…っはは、」


急速に腰と後頭部に回る男の手。普段とは違う荒々しいその動きに嘲笑いながら、床に転がる鋏を見た。


ほら母さん、私は今も、貴女の願う“マリア”のままだよ。


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国外追放により国を出たものの、重荷の身体で移動できる範囲は限られています。やっとの思いで辿り着いたのは、隣国の貧民街の外れにある空き家の地下でした。

本当はもっと遠くへ…未婚の母を悪く言わない国へ行きたかったのですが、陣痛が始まってしまったのです。


「あ、あ、あああああ!!!!」


産まれてくるな、産まれてくるな、産まれてくるな、出ていけ、出ていけ、出ていけ!!!!

相反する思いを抱えながら、身を裂くような痛みに溺れた彼女。必死に縋り付いた先は近くに転がる鉄の棒でした。…この冷たい無機物が温かな手であったなら、不器用で必死な呼吸は多少楽になったのでしょうか。


「―――ッッ!!!!」


どのくらいの時が経過したのでしょう。永遠にも感じられる痛みを耐えた彼女を迎えたのは、股から響き渡る悲鳴でした。

体力が尽きる中響き渡る耳障りな声。それが嫌で身を起こすと、そこには血や体液に塗れた幼子―――身体に居着き全てを壊した悪魔がいました。


「………貴女の名前は、マリアよ」


この悪魔が、自分と同じ目に合う決して幸せにならないように。

近くにあった硝子の破片で幼子との繋がりを切りながら、彼女は名前を与えた呪いを掛けたのでした。


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「過去を整理しにわざわざこんなクソ汚ねえところに来といて、自傷行為始めんなこのクソメンヘラ」


その言葉が私に届いた瞬間、腰にある手が服を掴む。それに違和感を感じる前に視界が反転し、見事な回し投げが炸裂した。


「ったぁ…!何すんのよ!?」

「お前こそリスカして抱けとか何考えてんだ。好きな奴を傷つけて興奮する性癖なんざ俺は持ち合わせてねえ」


だからって回し投げはないでしょ。東洋の武術齧ってるなら武術家らしく一般人に手出すな。私がそう口に出す前に彼はその口を開いた。


「何度も言ってんだろ。俺はその辺のヤリ目王子共と違って、お前が好きだって…」


そこで彼は息を吐くと、懇願するように私の手を両手で握り、そのまま額に置いた。


「…頼むから、俺にお前を傷つけさせるな」


掠れ声のその言葉と包む手の震えに、やっと私は理解した。

私は、彼を使って昔の傷を開こうとしていた。…彼は私を、愛しているのに。


不意に、私に愛を教えたあの少年が脳裏に過る。兄弟により付けられた痣と傷だらけの身体を、綺麗な衣服で隠した彼。虐待されていることが表に出ないようにと、唯一怪我のなかった幼い顔。そこにある淡く色付いた唇を動かし、彼は言う。


『これで僕を、楽にして』


渡されるのは、鋭利な刃物。


「―――っ、」


想像して、思わず息を詰まらせた。


私が想像に怯える間にも、彼は両手の檻から私の手を開放し、血を流すその箇所に杖を振っていた。消毒が施されたその傷に、彼は私以上に痛みを感じた表情でスカーフを巻く。…以前、糸のほつれた女性物のそれを見て恋人のものかと揶揄ったことがある。彼は舌打ちをしながらも、二度と会えない実の母のものだと教えてくれた。


「汚すわよ」

「綺麗でも汚れてもどうせ捨てれねえから良いんだよ」


…なに、それ。

自分ですら大切にしない自分を、丁寧に扱うユダ。…貴方が無償の愛を与える程、亡き家族の私物を汚す程、私に価値があると思っていいの?

結ばれた淡い色の布のように、胸が強く締め付けられる。その動きで溢れ出した感情が涙になり、言葉が零れ掛けた瞬間だった。


コンコン。

何の変哲もないノック音に緊張が走る。…ここは貧民街で、壁の薄さを考えると話が聞かれユダの素性王族であることを知られた可能性がある。しかし私達の焦りを裏切るように、聞き覚えのある声が扉の向こうから聞こえてきた。


「ユダ、僕だよ。ノア」


ノア。ユダに仕える青年の名前だ。彼には数回しか会ったことはないが、 SNSで儚げな美青年として知名度を誇る彼を見かけない日はない。

私が記憶を辿る間に変身術を解く呪文が聞こえ、本人確認が済んだのかユダが扉を開く。…というか、何故ユダの位置が分かったんだろう。魔法の鏡に位置情報を伝える機能でも追加しているのだろうか。


「マリア令嬢もいらしたんですね。王子とご一緒とは知らず失礼いたしました」


人好きのする柔らかい笑みと挨拶に私が応える前に、ユダは「で、何があった」と話しを促す。それによりノアは真剣な表情に戻り、一度息を吐くと、そっと口を開いた。


「いいか、落ち着いて聞いてくれ。…反乱が始まった」

「―――!!!」


彼の言葉を理解し、息を飲むと同時に疑問が浮かぶ。

今までの反乱は取り上げられた武器が保管されている建物を襲うところから始まっている。昨夜ニュースを確認した時点では何もない状態だったのに、12時間も経っていない今どうやって反乱が起きたんだ。武器もなく貧民が反乱を起こすなんて自殺行為だろう。


「ちょっと待って…そんな急に?」

「大変申し訳ございませんが、説明をする時間はございません。貧民街ここから離れる為に一度変身して頂けますでしょうか?」


そ、そっか。そうだよね安全確保が第一だよね。彼の言葉に従い杖を出し、変身術を施そうとした瞬間だった。


「譚悶r蠑セ縺 托シ瑚?繧堤ク帙l」


………何が起きたのか、理解が追いつかなかった。

呪文を唱えたのは私でもユダでもなく、ノア。彼の声が届いた時には杖が弾かれており、後ろ手に腕が、そして足がその場に硬直する。カランと、私とユダの2つの杖が音を立てて床に転がった。

…攻撃と束縛の呪文。遅れてきた理解とこの事態に、転がる杖から顔を上げる。


「………一体どういうつもりだ、ノア」


顔を上げてまず目に入ったのは、眉間に皺を寄せ彼を見るユダ。ノアはどこか清々しく、それでいて痛みを持った笑みを向ける。


「ごめんねユダ、俺反乱軍こっち側なんだ」


その言葉と共に、ノアは拾い上げたユダの杖の先を私に向け、ユダに私の杖を向ける。抵抗する術を持たぬ私達は、優しい声音に乗せられた呪文を最後に意識を手放した。


✰⋆。:゜・*☽:゜・⋆。✰⋆。:゜・*☽:゜・⋆。✰⋆。:゜・*☽


月日は流れ幼子は少女になり、王子様と恋に落ちました。しかし最終的には王子様の手を放したのです。

呪いにより自分にも他者にも大切にされなかった少女。長い年月を経た今日、真実の愛によりその呪いは解かれ始めたようです。


しかしそんな真実の愛すらも、時代に翻弄されていくのでした。


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