第2章 王子様は本命童貞

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昔々、1人の王子様がいました。

その王子様はとある国の第二王子でしたが、長年その存在は隠されていたのでした。社交界デビューをしたばかりの王子様にとって、多くの王族・貴族が集うパーティーは息苦しく、まるで海の中にいるようでした。

その日も王子様はパーティーを抜け出し、小魚が身を守るように、会場外の薔薇園へと足を踏み入れました。


「あら。お初にお目にかかります、殿下」


ただ1つ、その場にお嬢様先客がいたことが、いつもと違っていたのでした。


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「おい、次のパーティーはお前をパートナーとして連れてくからな」


シャワールームに向かおうとベットから身を起こすと、未だに身を委ねたままの男、ユダはそう言い放った。


「え、またどっかのご令嬢に言い寄られてるの?」


なんて残酷な世界なんだ。相手を求めない奴がモテて私がモテないなんて。まあいつものことかとサイドデスクに置いたペットボトルを取り口に運ぶ。そのまま水を含み、喘ぎで掠れていた喉を潤した。


あの夜から約3週間が経った。彼とは週一くらいのペースでホテルに集まり、一夜を共にしたり事後すぐに帰宅するような関係になっている。つまり私達は腐れ縁の幼馴染からセフレへとレベルアップしたのだ。

…いやまあ、世間一般ではレベルダウンかもしれないが私にとってはレベルアップだ。女性に優しい余り誘いを断らないユダは(これを『優しさ』と呼ぶか『ヤリチン』と呼ぶかは人による)、どこぞの王族とは違い独り善がりなセックスをしない。そして私は男を繋ぎとめる為に培ってきたテクニックがある。お互いが気持ちイイ関係なのでこれはレベルアップだ。


そう、セフレ。略さないとセックス・フレンド。夫婦や恋人といった関係を望まず、性的交渉のみを目的として交際する相手である。だから「パーティーにパートナーとして連れていく」なんて発言は「どっかの令嬢に言い寄られてるから恋人のフリしろ」の意味に他ならない。


…はず、なのだが。


「いや牽制目的だ。またお前がどっかのヤリ捨て男に狙われたら困るからな」

「……ッ!?、」


な、何を言っているんだこいつ…。何で私がヤリ捨てられたらお前が困るんだ。セーフティーセックスには人一倍気を付けているから、性病なんて貰ってこないことは知っているだろうに…。驚きの余り水分が妙なところに入ってしまい、胸を数回強く叩く。そんな私が回復する様をユダは無関心に見ていた。アンタのせいなんだけど。


「………え、なにどうした?セフレに言う台詞じゃないわよ」

「俺はセフレとは思ってねえ」

「オナホとか穴とか言ったら縁切るわよ」

「いつからそんな察しが悪くなった?どう考えても友達以上として見てるっつう意味だろうが」


……

…………

………………………

………な、何を言っているんだお前は。数秒間熟考しても意味がわからない。友達以上っていうのは恋愛対象として見ているって意味だと知らないのか?…あ、つまんない冗談?

1つの可能性に行き当たった私が彼を見たが、その目は微塵も笑っていなかった。


「この前私のこと好きなの?って聞いたら『お前ほんとにめでたい頭してんな』って言ったよね…?」

「照れ隠しだろ察しろよ」


あんな照れ隠しが存在してたまるか。ポーカーフェイスが過ぎるだろ。あまりにも酷い言い訳にユダを睨みつけるが、やはり彼の目に揶揄いの色は浮かんでいない。酷い頭痛を感じ額に手を当てながら、私は今までこの腐れ縁から言われてきた幾多の台詞を思い浮かべ、そのまま声に出した。


「『誰にでも股開くから誰にも愛されないんだろうが』っていうのは…?」

「自分を大切にしろっつー意味だろ」

「『外見に頼るのそろそろやめろよ』」

「お前の魅力は他にもあるだろ。そっちも生かせ」

「『婚約破棄された王子は幸いだな。やっとお前を手放せる』」

「王になりたいっつう夢があっても、お前を自分からは手放せないだろうからな」


………コミュニケーション障害か?

いつの間に発症していたんだろう。専門家じゃないから詳しくは知らないが、大抵の病気は早期発見・早期介入が求められるように思う。私は慌てて魔法の鏡を手に取った。


「すぐ病院予約するからちょっと待ってて」

「何だ性病か?」

「いや私の股じゃなくてあんたの頭」


言った瞬間鏡を取り上げられた。まだ断定じゃなくて検査するだけじゃん!不安なのはわかるけど!そう言おうと顔を上げると、眉間に皺を寄せたユダがいた。


「逃避してんじゃねえ腐れ縁に恋愛対象として見られている現実を受け止めろ」

「いや信じられるか!!」


というかあんたの今までの態度が不信を招いているのに何逆ギレしてんの!?


「どう見てもヤリもくの糞王子共の言葉はホイホイ信じる癖に俺の言葉が信じられねえとはどういう了見だてめえ…」

「恋愛対象に対してそんな態度取るとかどういう思考回路なの?」


チッ。舌打ちを一つ零したユダはその場に膝を付き、そっと私の手を取る。幾多の女性に向けてきたであろう、母性本能を煽る悲しげな表情を天使のような美顔に浮かべ、懇願するようにその声を震わせた。


「マリア様、今までの無礼をお詫び申し上げます。どうか私の言葉を信じて頂けませんか…?」

「うわきも…」

「ぶち犯すぞ」


ぶち犯すて。100と0しかできないのか。


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お嬢様の存在に驚いた王子様でしたが、賢い彼はすぐに笑顔の仮面を被りました。

そして魔法を使い、大量の資料を宙にばら撒きました。しかしお嬢様は動じません。この用紙は、魔法の使えない者には見えないようにできていました。


幾多の紙がそのまま宙に舞いますが、床に落ちることはなく、周囲に浮いたままです。そのうちの1枚の用紙が生き物のように移動し、お嬢様の顔に張り付きます。


●●●家の養子、貴族令嬢、貧民出身、■■■年××国の第5王子と婚約……


お嬢様の情報が並ぶ用紙レッテルに仮面を向けながら、王子様は会話に応えました。


「陛下は踊られないのですか?」

「ああいった場は苦手で…」

「御冗談を。社交の場にはもう慣れているでしょう?ああでも、ダンスは地域によって違いがあるから、もう少しお時間が必要かしら」


いくら××国の王子と婚約しているとはいえ、貴族の娘にしては馴れ馴れしい態度。違和感を覚えた王子様は、その用紙をどけて表情を伺おうとしました。

が、動いたのはお嬢様が先でした。


「初めてです。顔面に紙を貼られるのも、魔法を使える王族に会ったのも、パーティーで私以外の“貧民出身”に会ったのも」


その言葉に、ドクン、と王子様の心臓が大きな音を立てました。それでもお嬢様は待ってはくれません。


「私も君の“初めて”になれたみたいね」


そう言うと、彼女は用紙を剥がし握り潰したのでした。


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―――1週間後


「いや、私が来ないとは思わなかったの?」

「来るだろ。王家の男との出会いの場に出席しないと本家からの支援危ういんだから」


参加するとは一言も言っていなかったのになんで舞踏会ここにいるんだ。会場に入った瞬間ユダに広間の隅へと連行された私は、思わず溜息をついた。そんな私の態度はどうでもいいと言わんばかりに、彼は疑問を口にした。


「俺が贈ったドレスはどうした。わざわざ俺の鴉便を使ったんだから届かなかったわけじゃねえだろ」

「ああ、私好みでさすがだったけど、この国では赤や金の絢爛豪華な方が好まれるの」


色もさることながら、詰襟で横に深いスリットが入ったこのドレスはこの国で古くから愛される衣装だ。きっと気に入って貰える。


「その色、ウケはいいだろうがお前には似合わないな」

「褒めるところよ今。それに私は自分じゃなくて王子様のご機嫌を取りにきたの」


貴方の国の文化を尊重しますアピールは効果がある。普通の異国の貴族より自国に興味のある貴族の方が絡みやすいし、この国の制度的に国民人気は高い方が良い。王族内で結婚することへの批判も出てきているから、国の文化に理解のある異国の貴族が結婚相手としては最適だろう。


「言っておくが俺も一応王子だからな。脈なし王子漁るよりさっさと俺と交際しておくのが賢いだろ」

「まだその嘘貫き通す気?信じないからね。その態度もそうだけど、私のことが好きなら普通は婚約破棄とかヤリ捨てられた直後を狙うもの。…ちょっと待って今脈なしって言わなかった?」

「そんな人の弱みに付け込む真似を俺がすると思うのか」

「現在進行形で弱みに付け込んでるのに良く言えたね」


背中に感じる魔法の杖の感触に思わず遠い目になる。王子を漁りに行こうものなら蛙にでも変身させる気だこの人。王族・貴族で魔法を使える者は極めて少ないこと、そして歴史的背景から、現代では社交の場で魔法を使うのはマナー違反どころか重罪とされている。

でもまあ、ユダはこういう奴だからばれなきゃ良いとか思ってるんだろう。…というか無視されけどどこら辺が?どこら辺が脈なし??


「あ、あの…脈なしとは…?」


あまりにもそわそわと落ち着きのない私をうざいと思ったのか、ユダは溜息をついてから説明を始めた(そういう態度から直せ)。


「この国の顔立ちは堀が浅いし体付きも凹凸が少ない。派手顔でスタイルの良いお前が着るにはその服装は刺激が強い。…ってこの国の奴らは感じるだろうな」

「その理論でいくと君が用意したドレス最悪じゃない」


背中ガラ空きの深海色のドレスって。この人自分好みに仕立ててるだけで私のこと応援する気ないな。知ってたけど。


「あら…!」


前で談笑していた女性が、何かに気付き声を発する。その声音は朗らかに弾んでいて、やけに私の耳に入ってきた。


「×××国の皇太子、皇太子妃がいらっしゃったわ!」


そのお二方は各国のご令嬢だけでなく××国の民衆にも人気のある、いわば“理想の夫婦”だ。私も過去にはそういう存在に憧れていたし、そうなりたいと思っていた。…そうなれた、と思っていた時期もある。


嫌悪、好奇、嘲笑の視線が一気に私を包み込む。糞、誰の差し金なんだこれ。歪みそうになる顔に笑顔の仮面を張り付けて、私は次にくる展開に備える。そして入場した“彼”を見た。


―――×××国の皇太子、つまり、私の元婚約者を。


多くの視線が伝えている。お前は悪役だ。せいぜいお二方を見て悔しがれ。後悔しろ。ざまあみろ。

恩知らずにも優しい皇太子に婚約破棄を申し立て、案の定その後幾多の王子に弄ばれた、貧民出身の売女令嬢。私は今、そのレッテルを貼り直された。


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魔法が使えること、そして貧民出身であること。

それは王子様にとって、決して表に出てはいけない秘密でした。


過去の名を棄てなければならない程、貧民の中でも忌み嫌われていた身分。そして昔と比べればましになったものの、未だに残る魔法使いへの差別。伝統を重んじる王族においては特に、それらは隠すべきことでした。


(糞…ッ、魔法使える奴が社交の場ここにいるなんざ想定できるわけねぇだろ…!)


魔法を使えることは誤魔化せませんが、身分についてはまだ証拠がありません。王子様はとりあえずこの場を切り抜け、後に権力で潰すことにしました。


「申し訳ないことをした。謝罪させて欲しい」

「…蠕。險励?濶ッ縺?°繧画掠縺丞瑞縺…」

「ア?トチ狂ったかこの糞アマ。…ッ、!?」


意味のわからない言葉が耳に届いた瞬間、流れ出た本音に彼は口元を押えます。そして思い至りました。その独特の発音は、魔法の呪文特有のものであったことを。お嬢さまは“本音や本当のことしか口にできない魔法”を掛けたのです。


「想像以上に口悪いし、やっぱり貧民街で育ったでしょ」

「だから何だ。貧民街で育とうが王族の血は流れてんだよ。てめえらの御立派な血統主義には反してねえ。言っておくが、先に魔法を掛けたのは俺だが危害は加えてないからな。王族の内情を探るような魔法掛けて無事でいられると思うなよ糞貴族」

「よく喋るね」

「お前の魔法のせいだからな」


王子様の反応にくすくすと笑ったお嬢様は、そのまま言いました。


「安心して。私明日には社交界から姿を消すの」

「王族と婚約中の癖に何言ってんだこいつ」

「…そうだね。何言ってるんだろうね私」


お嬢様が呟くようにそう言った瞬間、カランと何かが転がる音がしました。目を向けると彼女の杖が転がっており、空いた手はこちらに向けられています。


「ダンスまだ苦手なんでしょ?社交界の先輩が教えてあげる」


今お嬢様を社交の場に戻すのはリスクが高い。それを知っている王子様はその手を取り、一歩彼女に近づいたのでした。


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××国の皇太子、私の元婚約者。

入場してきた彼を見ると傍には可愛らしいお姫様がいて、2人は残酷な程に幸せな表情が浮かべていた。


周囲第三者の羨望の眼差しなんて入る隙のない、お互いだけを見つめ合い慈しみ合う、愛する者にのみ向けられた瞳。第三者が構える必要なんて無かった。だってそこに、元婚約者は写っていないのだから。肩の力が抜けたと同時に、目の前が真っ暗になった。


王子様の呪いが解けるのを、ずっと待っていた。それが解けるのはお姫様だけだと知っていた。だから手放した。そしたらうまくいった。彼らは幸せそうだ。良かった。良かった。



…良かったはずなのに、なんでこんなにも胸が苦しいのだろう。視線を逸らせない私の目に、貴女お姫様の姿が色濃く残る。


ティアラを乗せた、緩くカールされた美しい髪。きっと強く引っ張られ根本から切られ売られたことなんて一度もない。睫毛に縁取られた透んだ瞳を持つ眼。そこには虐待現場も貧民街も、ましてや夫以外のペニスなんて写ったこともないんだろう。淡い色のドレスに彩られた、庇護欲をそそる小柄ながらに健康的な身体。その手足が異常に細くなって、内臓のある腹だけが浮かんで見えたことはあるのかな。


飢えたことも虐げられたことも不本意に身体を捧げたこともない貴女の傍に、どうして私を唯一愛してくれた人がいるの?貴女は愛されているのに、なんで私は棄てられ続けるの?貴女の母は娘を守ろうとするのに、どうして私の母は娘を殺そうとしたの?なんで貴女はお姫様で、私は売女令嬢なの?私はこんな目に合っているのに、どうして貴女は笑っているの?



なんで私だけ、幸せになれないの?



「ーーー具合が悪いようでしたら、医務室にご案内いたしますわ。」


その声は、私を現実へと引き戻した。


「ぁ…」


口元を抑え俯く私の顔を、地に膝をついた彼女お姫様がのぞき込んでいる。眉が寄り不安げなその目からは、心から私を心配していることが見て取れた。彼女はそのままそっと手を伸ばし、私の頬を包み込む。


…あたたかい。

このじんわりと沁みる優しさに、多くの人が救われるのだろう。それを生温い不快なものに感じる自分が堪らなく嫌で、惨めで、死にたくなった。


「貧血を起こしてしまったようです…。ご心配いただきましてありがとうございました。それよりも××国の皇太子妃に膝を付かせるなんて、そちらの方が心臓に悪うございます」


やんわりと頬にある手を離しそう言うと、皇太子妃は心配を残しつつ後退りした。膝をついている彼女に差し伸べられた手。その持ち主は案の定皇太子で、彼女は自然に彼の手を取り立ち上がった。その様子を俯きがちに見てから、そっと顔を上げた。


「お久しぶりです。陛下」


だいじょうぶ、ちゃんと笑えてる。何年も使い続けた仮面は私の弱さを全て隠す。皇太子は私の体調の心配をして下さった後に、どこか安心したようにこう仰った。


「その様子だと、噂は本当みたいだね」


その視線の先は私の肩に向けらえていて、そこにはユダの手があった。…ずっと、私の肩を支えてくれていたらしい。それに胸が少しだけ軽くなるのを感じてお礼を言う。もう大丈夫、そう言ったのに離れないそれに少し苦笑して、ふと思った。…さっき皇太子、何て仰った?


「あの、噂とは…?」

「あ、そっか…。さっきでたニュースだから、まだ聞いてないよね」


私達の様子、噂、ニュース。それらのワードに嫌に鼓動が早くなりじんわりと汗が滲んで、嫌な予感が全身を駆け抜ける。そんな私に気づくはずもない皇太子が魔法の鏡を差し出すと、そこには1つの記事が表示されていた。


『■■国のユダ第二王子と○○家マリア令嬢、熱愛報道』


なに、これ…。思わずユダの方を見ると、彼は頬を掻き苦笑いを浮かべていた。


「これは困った…。もう少し内密にしようと思っていたのですが…」


その声音、表情、態度。それらを見た瞬間全てわかってしまった。この報道が出ることを、ユダは知っていたんだ。


(ああ、だから…)


だから彼は、私が好きだなんて嘘をついた。


ユダは腐っても王子だ。王族だって人気商売だ。彼と国の現状を考えると『あの売女令嬢とセフレです』なんてゴシップは悪影響で、『あの令嬢を拾い上げた優しい王子』でいたいに決まってる。貧民出身の魔法使いというレッテルが張られている私達は、肩身の狭い思いをして生きてきた。これ以上名誉に傷をつけるリスクはよくわかる。


そう、私と彼はただの腐れ縁で、セフレで、恋人じゃない。彼が私を好きになるはずがない。

言われるまでもなく知っていた。知っていたけれど、どこかで私は期待していたらしい。じわじわと侵略する胸の痛みが、そう訴えていた。


周囲をみれば、驚きの表情で手鏡を見る人、「拾って頂けて良かったな」と言わんばかりの目を私に向ける人、ユダに尊敬の目を向ける人。…売女令嬢よりはましな状況なのに、少しも心は晴れない。

何も言わない私を急かすように、ぐっと肩を掴む手に力が入った。その力に引かれるままに、「困惑しつつも嬉しそうな声」と「恥じらいの表情」を作る。


「ええ、実は彼と交際しておりまして…」


その声とは裏腹に、私の思考は落ちていく。

何て醜いのだろう。お姫様のことを何もしらないくせに妬んで、最愛の人に嘘をついて、ユダの言葉に勝手に期待していた。

ああ、なんだ。理解すると無性に笑いたくなった。愛されない理由に地位も生まれも関係ない。答えは至ってシンプルなのに、遠回りに思考していたらしい。馬鹿みたいだ。


私が愛されないのは、ただただ性根が醜いからだった。



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会場から漏れ出る音楽と、夜風に合わせて揺れる薔薇達。それらに囲まれ踊りながら、お嬢様はふと思いました。

その身を守る幾多の棘が風に揺れ擦れあい、自身を傷つけることはないのかな。そんな思考に浸る前に、ふと彼女は王子様の軽やかな足取りに違和感を覚えました。


「ダンスできるじゃん」

「できないなんて一言も言ってねえだろ」

「じゃあなんで王女やご令嬢の誘いを断ったの?」

「…息苦しいからだ」


無理矢理本心を吐き出させる状況に顔を顰めながら、王子様は答えました。本当はこんなことを言いたくなかったのです。口に出せばあの日を思い出し、完治していない生傷を掻き混ぜてしまうのは目に見えていたから。


「…母も名前も家も、俺の手元にあるもの全てが奪われた。喚いた結果与えられたのは、顔も知らない親戚家族とユダ裏切り者の名、そして今までの生活を否定するような財力だ。そんなことを簡単にできる奴らの前にいると思うと、馬鹿みたいに手が震えそうになる…、っ」


王子様は身をもって知っていました。踊りましょうと差し出すその手には、権力全てを変える力が握られているのです。そんな神のような能力を持つ者の前で、貧民搾取される者の生き方しか知らない彼は、自分を守るために必死に仮面の付け方を身に着けました。


「…馬鹿みたいだろ。こんな立場にいても、まだ王族や貴族が怖くて堪らない」


滲み出る心の血すら拒絶したい彼は、痛みを否定するように嘲笑しました。剥がれ落ちそうになる仮面と、それを必死に維持しようとする冷たく震える手。彼女はその手を感じながら、独り言のように言いました。


「最低なシンデレラストーリーね」


どこか冷たく、硬い音色。

顔を上げ彼を見るお嬢様の目には揶揄も哀れみもなく、人形のようなものでした。自分を否定も肯定もしないその目は余計に彼に現実を突きつけ、王子様は咄嗟に一歩引こうとしました。しかし、彼女は冷たい手を握り直しました。王子様をそのままに、彼女はその口を開きます。


「でも勘違いしないで。私達は灰被りの少女じゃない」


繰り返し自身に向けて告げてきた、無慈悲で無感情で無機質な声音。

彼のリードに身を任せていたお嬢様は一歩距離を縮め、彼の瞳の奥をじっと見つめます。彼の恐怖心を超えた、さらに奥を。


「どれだけ悲観したって、クソみたいな現状に耐える健気さや優しさの無い私達を、親切な魔法使いは誰も助けない」


どこまでも無慈悲で無感情で無機質な声は、どこか強い衝動性を秘めていました。


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「懐かしいな」


噴水の淵に座り呆然と夜風の冷たさに身を委ねていると、頭上から声が降ってきた。顔を向けると案の定ユダがいて、彼はこの庭園に目を向けている。


「懐かしいって…何が?」

「お前と初めて会ったの、こんな感じの薔薇園だったろ」

「ああ…」


もう何年も前のことになる。今夜こそ彼に婚約破棄しよう、そう思うのに逃げるように酒を飲んで、でもそれじゃいけないと決心を付けるために会場を抜け出したあの晩。私は会場外の庭園で、目の前にいる彼に出会った。他人の顔面に魔法の用紙を張り付けるなんて結構強気な奴だと思った記憶がある。

過去を思い出していると、独り言のように彼は呟いた。


「…あの時からお前が好きだった」


嘘はもうばれているのに今更何言ってるんだこの人。人を揶揄うのもいい加減にしろ。今怒る体力がない私はその思いを溜息に変え、単極に告げた。


「心配しなくてもこんな寒い外にわざわざ出る人も青姦するような人もいないよ」

「……あ?」

「とぼけないで。…え、まさか今更貫き通せると思ってる?」


そんな馬鹿に見えるのか私。やめてこれ以上落ち込ませないで。


「ホテルに入るところ撮られたからあんな嘘言ったってさすがにわかるからね?私だって馬鹿じゃないからね?」

「俺はお前が好きだっつってんだろ。何度言えばわかるこの馬鹿が」

「嘘だとしても好きならその態度どうにかしろって何度言えばいいの私」

「嘘だとしてもって何だ。毎度嘘じゃねえって言わなきゃなんねえ俺を労われ」

「だから信じられる訳ないでしょ!?」


さらに声を荒げようとして、でもなんだか疲れて私は口を噤んだ。…今日はもう、色々と精神的に来ている。


「私ちゃんと理解できたの。こんな性根が腐っていて醜い奴、誰も好きにならないって」

「やっぱり馬鹿か。外見も性格もお前より醜い奴なんて腐るほどいるだろ」

「じゃあなんで私はヤリ捨てられてばかりなのよ」

「………本気で理解できてないのか?貧民出身の魔法使いを欲しがる王族なんて、何も知らぬ無垢な少年幼少期の皇太子以外にいるわけがないだろ」


そりゃ君の国ではね。昔じゃあるまいし、私の国も他の国も魔法使いへの偏見はそこまで残ってない。そんな私の気持ちを察してか「お前が思うより差別は根深い。自覚できないときは自然に染み付いているだけだ」なんて言葉が返ってきた。


「そんな差別的な世界なら余計君は私を求めないはず。仮に私を好きだとしても、それを口にするメリットが君にはない」


私の言葉に彼は舌打ちをすると、魔法の杖を取り出す。また魔法を掛ける気かと身構えた瞬間、彼は杖の先を自身に向け“それ”を口にした。


「…蠕。險励?濶ッ縺?°繧画掠縺丞瑞縺…」


その呪文は、あの夜私が彼に掛けたもの。本心しか口にできない彼はそっと片膝をつき、座る私の目を覗き込む。突き刺すように真っ直ぐな瞳には、反射した私だけが写っていて…。

ただ自分だけを見る彼に、思わず息を呑んだ。


「あの日お前は言った。『私達は灰被りの少女じゃない』『どれだけ悲観したって、クソみたいな現状に耐える健気さや優しさの無い私達を、親切な魔法使いは誰も助けない』」


無慈悲で無感情で無機質な、冷たく固い声。

…知っている。その声は溢れて溺れる程の感情を、押し殺したときに出るものだ。彼はその声であの日の私の台詞をなぞり、あの日の私のように一歩距離を縮め、瞳の奥、私の戸惑いを超えた、さらに奧を視線で貫く。彼はそのまま、口を開いた。


「そしてお前は最後に言った。『誰も助けてくれないのは、私達自身が魔法使いだからだ。私達には既に、自力で状況を変える力がある』」


彼はそこで、一度口を閉じた。そして瞬きをし、再度を私を見る。次に現れたのは、押し殺していた感情を露わにした、逃げることを許さない視線。その雄弁さに視線を縫い付けられた。

一本の弾丸で私を殺すように、胸の奥に突き刺さるように、確かに届くように。彼はその口を開き、狙いを定め、そして自分自身の言葉を発した。



「好きだ。この言葉で俺を支えたお前を、あの日からずっと愛している」



弾丸は、確かに私を貫いた。



「………すき、なんだ…、……わたしのこと、ちゃんと…、」

「理解が遅ぇ」


私が呆然と呟くと、間髪を入れず彼が言った。

足元に広がる、幾多にも放たれ届かなかった弾丸達。それを足で蹴り笑いながら彼は笑った。あの頃とは違う、心からの笑みで。


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お嬢様が王子様にあって2週間後、彼女は彼に土下座をしていました。


婚約破棄により異国に追放され社交界から離れると思っていたお嬢様でしたが、家の者は王家に嫁ぐことを望んだのです。社交界に居残る以上、王子様への失礼な言動を詫びる他ありません。


「大変申し訳ございませんでしたッ!あの晩は酷く酔っておりまして、陛下に大変失礼な言動をしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます…ッ!!」


決死の覚悟で述べた謝辞を無視して、王子様は言いました。


「お前の入学する魔法学校があるだろ。その隣の男子校に俺も入学することになった」

「魔法が使えること隠してたのに何してらっしゃるわけ????」


驚きの余り敬語が狂ったお嬢様を、王子様は鼻で笑います。


「俺達は魔法使いだ。『自力で状況を変える力がある』んだろ?」

「酔っ払いの戯言本気にするとかやばいなこの人、…………、え!?」


意図せず漏れた本音に口を押えながら王子様を見ると、そこにはあくどい笑みが浮かんでいました。


「あの呪文、しっかり覚えさせてもらったからな」


ほんと良い性格してるなこの王子様。そんな思考回路を口に出しながら、お嬢様は遠い目をしたのでした。



こうして出会った2人は次第に腐れ縁へと関係を変え、数年後にセフレになり、そしてまた、新たな変化を迎えたようです。

次の関係がどういった名前のものか、未来のことは誰にもわからないのでした。



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閲覧ありがとうございました。

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