赤い森の魔女が逃げた

澤田慎梧

赤い森の魔女が逃げた

「おい、見ろよ。『赤い森の魔女』だぜ」

「まあ、なんて醜いっ! 恐ろしいわ」

「しっ! 聞こえたらどうする。魔法で蛙にされちまうぞ」


 ――久しぶりに街に出てみれば、これだ。

 「赤い森の魔女」ことアリシアは、胸の内で小さくため息を吐いた。

 赤褐色の幅広とんがり帽子とお揃いの色のローブに身を包み、皺だらけの顔には爛々と輝く瞳と鉤鼻が鎮座している。

 誰もが心に思い描くであろう「魔女」の姿を体現した存在。それがアリシアであった。


 「魔女」とは人から生まれながらも人を超越したモノ。長い年月を生き、自然と人間との懸け橋となる存在だ。

 人間達が自然の恵みを徒に浪費しないよう監視する一方で、精霊や妖精達を鎮め災害や疫病が人間達を滅ぼしてしまわぬようバランスをとる。言わば調整役である。


 人々の行いが目に余れば魔法でこらしめるし、逆に彼らが困窮していれば森の恵みや秘伝の薬を届け救う。「魔女」は、尊敬と畏れを一身に受ける存在であった。

 今日も、街の薬師のもとへ秘薬を届けに来たのだが……街の人々の反応は悪い。アリシアの見た目の醜悪さ故に、尊敬の念よりも畏れや嫌悪の方が遥かに上回っているのだ。


 ――困窮している時は、「魔女様、魔女様」と媚びを売るくせに。

 アリシアは、人間達の現金さに鼻を鳴らしながらも用事を済ませ、やや早足で街を去ろうとした。

 その時だった。


「む、あれは……」


 街と森の境目に差し掛かったところで、アリシアの眼に見慣れぬものが飛び込んできた。

 ボロのみを纏い鎖に繋がれた幼く浅黒い肌の少年と、その鎖の一端を握る商人風の男――奴隷商だ。

 この地方で見かけることは非常に稀な存在だった。アリシアが我知らず言葉を漏らす程度には。


「おっ! ちょっとそこを行くお方! そう、そこの見るからに大魔女と言った風情の貴女様! いかがですか? 南方産の若くて活きの良い奴隷! こいつらちょっとやそっとじゃ死にやしませんから、お買い得ですぜ!」


 魔女をも畏れず流暢に売り文句をまくし立てる奴隷商。少年と同じく浅黒い肌をしているところから見て、商人自身も南方の出身であろう。

 ふと周囲の様子を窺うと、街の人々が冷たい眼差しを商人へと向けていた。


 ――自然の恵み豊かなこの地方では、奴隷を見かけることは殆どない。必要がないからだ。それ故なのか、住人には奴隷制度そのものを嫌う者も多い。

 幼い同胞を売り買いする奴隷商に、軽蔑の目が向けられるのも必然であった。

 この奴隷商は、そういった土地柄を知らずにやって来てしまったらしい。金と同じくらいに情報を尊ぶ商人としては失格だ。


「……中々に恐れを知らぬ商人だな」

「へい! どなた様でも平等に商売するのが商人の鉄則です! あっしらが怖いのは借金と不渡りだけでごぜえやす!」


 皮肉を込めて言ったのだが、図太い商人の神経には届かなかったらしい。

 ――改めて奴隷の子供を眺める。

 歳は六つほどだろうか? 浅黒い肌に軽く巻いた茶髪、子供の割にいかつい顔つきをしていて、お世辞にも見目麗しくはない。愛玩奴隷としては売れないだろう。

 さりとて労働力としても期待はできない。南方の人間は丈夫だと聞くが、子供では任せられる仕事も限られてくる。

 根気強く育てようという好事家でもなければ、この少年奴隷を買う者はいないだろう。


 無能な奴隷商と買い手のない奴隷。その将来は言わずもがなだろう。

 かといってアリシアに少年を助けてやる義理もない。興味を無くした魔女は、無言でその場を立ち去ろうとしたのだが――。


「あっ!? こ、こらキサマ! 魔女様のお召し物を!」


 僅かな抵抗を感じ振り向いてみれば、奴隷の少年がアリシアのローブの端を、その小さな手でがっちりと掴んでいた。

 紅葉のような手が、ぶるぶると小刻みに震えている。恐怖故なのか、それとも。


 そこでアリシアは、初めて少年の瞳を直視した。

 深い、いつか見た南方の海のような碧い瞳。それが今、魔女に助けを求めるように揺れていた。

 ――アリシアの胸に、久しく忘れていた何か激しい波が押し寄せた。


「こら、離さんかキサマぁ!」

「……いいよ。商人さん、この子はアタシがもらおう。いくらだい?」


 魔女は少年を買うことにした。



   ***



「散らかっていてすまないね」


 室内は言葉通りに散らかっていた。

 薬品の瓶、毒々しい色の茸、何かの動物の骨格標本、古ぼけた本の山。この世の混沌を全てかき集めたかのような、惨憺たる有様であった。


 ――奴隷商から少年を買い取ると、アリシアは彼を連れて「赤い森」の自宅へと舞い戻った。

 樹齢数千年を超える巨木の根本、そこに空いた空間を利用して作られた文字通りの「魔女の館」である。

 使い魔達に建てさせたその家は、部屋数も多く下手な貴族の邸宅よりも堅牢だ。しかし、主である当のアリシアの頭の中に「整理整頓」という言葉がない為か、散らかり放題であった。


「……きたない」

「おや、アンタ喋れたのかい?」

「……もじもよめる。すこし」


 初めて聞いた少年の声は、意外にもそよ風のように涼やかだった。

 しかも文字も読めるという。南方では読み書きができぬ者も多いと伝え聞く。どうやらこの少年は、元はそこそこの家の子息だったようだ。


「ふむ。小間使いに……とでも思っていたけれど、助手として育てた方がいいかもしれないねぇ」

「……じょしゅ? ばーさんの?」

「婆さんとはなんだい! ――っと、そうかそうか。。ホイッと!」


 魔女が何やら空中に文字を描くような仕草を見せると、少年の前に「ボンッ!」と派手な音と共に煙が立ち昇り、魔女の姿を覆い隠した。

 やがて煙が晴れた時、そこには醜い老婆の姿はなく、代わりに妙齢の女性の姿があった。

 瑞々しく白い肌。唇は朱を引いたかのように赤く妖艶で、瞳は漆黒。夜の闇をすべて集めたような黒髪は、星々を内包したかのように艶めいている。

 「美女」という以外に形容する言葉のない、美しい女性がそこにいた。


「わ、わかがえった!?」

「失敬な。こちらが本当の姿だよ……まあ、ババアなのも本当だけどね」

「ほんとうはなんさいなの?」

「レディに歳は尋ねない! まったく……まずは礼儀作法から教えないといけないみたいだねぇ」


 ――こうして、魔女と少年の奇妙な共同生活が始まった。



   ***



 少年の名はファン。やはり南方の裕福な家庭に生まれたそうだ。

 だが、両親が悪い商人に騙され破産し一家は離散。ファンは奴隷商に売られてしまったらしい。


「ねぇねぇ、まほーなら、おとーさんとおかーさんとおねーちゃん、さがせる?」

「……ちょっと、難しいねぇ」

「そっかぁ」


 ――実際には、アリシアほどの魔女ならば、人探しなど容易である。

 しかし、離散したファンの家族は、彼と同じか、より酷い目に遭っているはずだ。特に、年頃であったらしい姉の末路は悲惨であろう。幼いファンに見せられる状態とは思えなかったのだ。

 ファンも幼いなりに何かを察したのか、それ以上「家族を探してほしい」とは言わなくなった。


 少年と魔女との日々は目まぐるしく過ぎていった。

 ファンは物覚えが良く、難しい言葉もすぐに覚えてしまった。使い魔の自動人形達に教わりながら料理も覚え、アリシアの食生活は急激に改善した。

 両親の教育が良かったのか、教えた訳でもないのに整理整頓にも長けていて、ごみ溜めのようだった魔女の館は日に日に清潔になっていった。

 アリシアにとってそれは、嬉しい誤算だった。だが、困ったこともあった。


「ねぇねぇアリシア」

「師匠とお呼び」

「アリシアはなんで、街に行く時、お婆さんの姿に変身してるの? こんなに奇麗なのに」

「人の言うことを聞かない子だねぇ……。あの姿だとね、街の連中がいい感じにビビってくれるから、余計な干渉されないで済むのさ。アタシは人間は大嫌いだからね!」

「ふぅ~ん?」


 アリシアの言葉に、ファンが「嘘ばっかり~」と言いたげに顔をニヤつかせる。「人間嫌いの魔女が、子供を助ける訳ないじゃん」と、その碧い瞳が言葉よりも雄弁にアリシアの嘘を否定していた。

 ――実際、アリシアの言葉は半分本当で半分嘘だった。人間の愚かしさは死ぬほど嫌っているが、時に彼らが見せる優しさや勇敢さは、何よりも尊いものだと知っていた。

 ファンには、そんなアリシアの内面が透けて見えてしまっているらしい。


 おまけに最近のファンは、アリシアのことを「師匠」とは呼ばず名前で呼んでいた。しかも呼び捨てだ。

 「師匠と呼べ」と言われても、頑として呼び捨てを止めない。理由を尋ねても「アリシアはアリシアだから」と要領を得ない。

 何か、彼にしか分からない拘りがあるようだった。



   ***



 ――そして、十二年の時が流れた。


「なあ、アリシア。この薬の材料ってさ……って、聞いてるか?」

「あ、ごめんごめん。その薬はね、エスコリアル茸をすりつぶして――」


 ファンは立派な青年に成長し、優秀な助手として今もアリシアの傍にいた。

 驚くべきことに、男には珍しく魔法使いとしての素養もあり、簡単な魔法ならば使いこなすようにもなっていた。

 まったく嬉しい誤算だった――が、一つ、別の意味での誤算もあった。


「なるほど。解熱作用のある茸を加えるといいのか。じゃあ、こいつをこうして――」


 アリシアの教えを忠実に守り、街の人々に施す為の薬を調合するファン。その横顔に、大魔女は不覚にも見とれてしまっていた。

 子供の割にいかつかった顔立ちは、いつしか整い過ぎる程に整い、貴公子もかくやという美形へと変貌していた。

 大きく碧い瞳、形の良い鼻、穏やかな口元。アリシアの言いつけで毎日のように歯磨きを欠かさなかったからか、その歯は白く並びも良い。

 背丈もグンと伸びた。体格は細すぎず太すぎず丁度良い塩梅で、その立ち姿は売れっ子の役者のように絵になった。


 いつの頃からか、連れだって街へと赴くと、どこからかファン目当ての街娘たちが群がってくるようにもなっている。

 街の人々の反応が、「赤い森の魔女が来た!」ではなく「ファンさんが来た」になってしまったのだから、魔女の威厳もへったくれもあったものではない。

 が、悪い気もしないのだからなんとも複雑だった。


「まったく誤算だわ……こんなに化けるなんて」

「何か言ったか? アリシア」

「なんでもないよ……」


 今やファンは自慢の弟子だ。我が子のようなものでもある。それは間違いない。

 街娘達に見せつけるように連れ歩くのも気持ちがいい。

 だが――だが、アリシアがファンに向ける感情は、それだけではなかった。


 不意に目と目が合った時。手と手が触れた時。いつしかファンは、少しだけ恥じらうような仕草を見せるようになっていた。

 そんなファンの姿を見る度に、アリシアの心には、この世の尊さを全て詰め込んだような温かい感情が芽生えるのだ。


 その感情に、アリシアは覚えがあった。

 遠い昔、まだ彼女が普通の少女であった頃、幼馴染の少年に抱いた甘酸っぱい――。


「ないないないない! ありえない!」

「ど、どうしたアリシア!?」


 突如奇声を発したアリシアの姿に、ファンが思わず調合していた薬を取り落としそうになる。

 数百年の時を生きた偉大なる「赤い森の魔女」が、突然に訳の分からないことを叫び出したのだ。天変地異の前触れのような空恐ろしさがあった。


「大丈夫か? もしかしてどこか具合が悪いのか? 最近ちょっと……いや、かなり変だぞ」

「大丈夫よ。ええ、大丈夫。アタシは正常に機能しているわ」

「そうは見えないんだが……」


 明らかに言動が不審なアリシアのことをどう思ったのか、ファンはそっと彼女の手に自分のそれを重ねると、すっかり声変わりした優しい声音で語りかけた。


「アリシア……もし、本当に具合が悪いんだったらすぐオレに言ってくれよ。オレ、まだ頼りないかもしれないけど、アリシアの役に立ちたいんだ」

「……ありがとう、ファン。本当に大丈夫だから、心配しないで。それにね、ファン。アンタはもう十分にアタシの役に立っているよ。本当だよ? もし育てられた恩とか感じてるなら、どうか気にしないでおくれ」


 ファンの手の確かな温もりを感じながら、アリシアは更に続けた。


「それにね、アンタももう十八歳だろう? 人間の社会じゃ一人前だ。そろそろここを出て、嫁さんの一人でも見つけたらどうだい? 今のアンタなら、薬師としてもまじない屋としても、そこそこ以上にやっていけるはずだよ」


 胸に籠る僅かな痛みをごまかすように紡がれたアリシアの言葉は、半分は本音で半分は嘘だった。

 育ての親としてファンに人並みの幸せをつかんでほしいという気持ちは本当だが、その一方で彼に出て行ってほしくない自分もいる。

 それでも、ファンの為を思えば、なるべく早くここから旅立たせるべきなのだ。彼には、自分のように長い寿命などないのだから。


 だが――。


「……オレはどこにも行かないよ。ずっとアリシアの傍にいる」


 重ねた手をぎゅっと握りながら、ファンが熱のこもった言葉を放つ。

 碧い大きな瞳が揺れている。


「ファン、子はいつか親の元から巣立っていくもんだよ」

「アリシアはオレの親じゃないよ。オレにとって、アリシアはずっとアリシアだ」

「……え?」


 いつの間にかファンの顔が近い。

 表情は真剣そのもので、けれどもその頬は幼い少年のような朱に染まっている。


「え、ええと、それってどういう……?」

「はっきり言わないと分からないか? オレは……アリシアが好きなんだ。一人の女性として、ずっと前から!」

「……えええええええっ!?」


 天地がひっくり返ったかのような衝撃がアリシアの全身を貫いた。

 「両想いだった!」「いやでも流石に養子に手を出したら」「そもそも魔女と人間だし」「いやでも嬉しい!」――そんな数々の矛盾した感情が彼女の中で爆発する。

 頬は朱に染まり茹ったように熱い。心臓は早鐘を打ち、思考が全くまとまってくれない。


「アリシアから見ればオレなんてまだガキだろうけど……オレ、本気なんだ! オレの寿命が尽きるその日まで、アリシアの傍にいさせてくれ――恋人として!」

「――っ」


 アリシアの脳髄が白熱する。あまりにも情熱的過ぎるファンの告白を前に、彼女の思考は遂に限界を迎え――。


「アリシア、返事を聞かせてくれ」

「う、うううううう……」

「う?」

「う、嬉しいけど、むりー!!」


 本音と最後の理性による拒絶がない交ぜになった絶叫を上げながら、アリシアの指が宙に文字を描く。

 途端、彼女の身体から「ボワン!」と煙が巻き起こり、その姿が瞬く前に一羽の白フクロウへと変身した。


『嬉しいけど、むりー!』


 もう一度同じ言葉を発しながら、アリシアフクロウが森へと飛び立つ。

 ファンは、その姿をしばしの間ポカンと眺めた後、正気を取り戻すとアリシアの姿を追って森へと駆け出した。


「嬉しいってことは、オレにもチャンスはあるんだな!? オレは諦めないぞ、アリシアー!!」

『嬉しいけど、むりー!』


 静かな森に二人の声がこだました。


 ――後の世に「赤い森の魔女の恋愛譚」と詩人に歌われる、恋の追いかけっこの始まりだった。


(おわり)

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赤い森の魔女が逃げた 澤田慎梧 @sumigoro

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