一人登山

武智城太郎

一人登山

 これは私が、趣味の登山に熱中していた大学時代の話です。  

 ただあのときは、いっしょに登る予定だった友人に急用ができて、しかたなく一人で登ることになってしまったのですが……


 あの日の登山は、少なくとも前半は快適そのものでした。その山は登山好きにもあまり知られておらず、また大雨の翌日ということもあり、自分以外に登山客の姿は見あたりませんでした。まるで山を独り占めしている気分です。

 不意に背後に気配を感じたのは、カメラで景色を撮っているときでした。 

 ふりむくと、10才くらいの少女が立っているのです。私は一目で異変に気づきました。少女は蒼白な顔をしており、額には血を滲ませていたのです。

「どうしたんだい!」

「あたしたちを助けて……」

 少女は消え入るような声で訴えます。

 彼女の話によると、両親といっしょに登山にきたのですが、ぬかるんでいた山道が崩れて三人とも崖から落ちたそうなのです。両親は意識不明で重傷らしく、唯一軽傷だったこの子がこうして助けを呼びにでてきたとのことでした。

 私たちは、この近くだという事故があった崖へむかいました。

 15分ほど歩いたでしょうか、彼女の説明どおり、崖下には中年の男女が意識を失って横たわっていました。その崖というのはすり鉢状になっており、一目で下りるのが困難だとわかりました。これでは応急処置もできません。

「すぐに下山して助けを呼ばないと!」

 ですがここから麓まで、どんなに急いでも三時間はかかってしまいます。

「お父さんが携帯電話を持ってる……」

 私の考えを見すかすように少女は教えてくれました。

 当時すでに携帯電話は一般的に普及していましたが、まだ山中は通じないところが多く、私もそのときは持ってはいませんでした。ただ登山口の案内所で知ったのですが、この山は幸いにも電波状況は良いそうなのです。 

「電話して救助の人を呼んで……」

 両親を助けてほしいという少女の気持ちは痛いほどわかりましたが、私は迷いました。うまく崖下までおりられれば携帯電話ですぐに救助を呼べますが、滑り落ちて自分まで大ケガをしてしまうおそれも十分にあります。かといって下山して助けを呼んでいたら手遅れになってしまうかもしれません。

「……あれは?」

 そのとき、意外なものが目に飛び込んできました。下草に隠れて見えにくくなっていたのですが、両親のそばに三人目の人物が横たわっているのです。

 リュックから双眼鏡を取り出して確認すると、それは今も私のそばに立っている少女にそっくりでした。

「はやくしないとおまえを殺すぞ!」

 ついさっきまであんなにおとなしかったのに、少女はとつぜん鬼のような顔になって叫びだします。

 が、次の瞬間には、私の目の前からフッと消えてしまいました。まるではじめから誰もいなかったかのように……。

 もう一度双眼鏡で崖下を見てみると、横たわっている少女はわずかに身じろぎをしています。

 私はけっきょく、下山して助けを呼びに行くことを選びました。救助隊が駆けつけたときには両親はすでに亡くなっていましたが、少女は病院に運ばれたときにはまだ息があったそうです。ですが残念ながら、まもなくして少女も息を引き取ってしまいました。医者の話では、あと数時間早ければ命を助けられたかもしれないとのことでした。


 私があの山で出会ったのは、自分たち家族を助けたいという少女の強い思いが生みだした生霊だったのでしょうか? あのとき危険をおかしてでも崖を下りなかったことを私は激しく後悔しています。なぜなら、そのことを逆恨みした少女が悪霊となって今も私の部屋に……

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一人登山 武智城太郎 @genke

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