第34話 世界を壊したいほど、君を愛している。

自由に生きなさいと言われてもどうすればいいか分からない。

ふとこのまま何もかも投げ出してどこか遠くに行こうかとも思う。ギルメールもいるし、当分の間私が公爵家にいなくても何も問題ないのではないかと。

「復讐の先には何もない‥‥‥本当ね」

物語でよく書かれる文言だ。

正義感の強いヒーローやヒロインが美しい心根で悪役を諭す為に使われる言葉。でもそこには復讐を望む悪役のこれまでの道や想いには一切配慮がされていない。ただ綺麗なだけの言葉。だからいつだってその言葉は悪役には響かず、彼らはいつだって悪役を倒して殺人者になるのだ。ただ彼らと周囲がそれを殺人だと判断しないだけ。

状況や環境、関わる人間の人柄によって殺人はいつだって正当化されて来た。全てを滅ぼしたいと望む悪役と全てを救いたいと願うヒーローとヒロイン。傲慢なのはいったいどっちなのだろう。

「馬車を止めて。少し歩きたいわ」

私は共をすると申し出だ御者に「一人にして」と命じて街中を歩く。特に目的はない。ただ街中をいろんな目的で闊歩している人たちを見ながら私も彼らの真似をして街中を闊歩する。

この道をずっと真っすぐ進み続けたら最終的にどこへ行きつくのだろう。どこまで行こう。どこまで歩き続けよう。何もない。

やりたいことも、何も。一度起こってしまった未来を回避することに精一杯でその先を考えてはいなかった。結局、誰よりも未来を回避したいと思いながら誰よりも回避できないと諦めていたのは自分だったのだ。

私は足を止めて前を見る。

道はどこまでも続いていた。今ならどこにも行ける。でもどこにも行く場所なんてなかった。だからどこにもいけないのだ。

「どこへ行くの、スフィア?」

「‥…ヴァイス殿下」

目の前に立つヴァイス殿下はうっすらと笑いながら私に近づいて来る。笑っているのに目が笑っていない。

どうしたのだろう、どうしてここへ居るのだろうと考えていると気が付けば私はヴァイス殿下の腕の中にいた。

「ダメだよ、スフィア。一人でどこかに行ってはダメだ」

ヴァイス殿下の体が震えていた。

「‥‥…置いて行かないで」

縋るように囁かれた声はか細く、こんなに弱々しいヴァイス殿下は初めて見た。

「どこに行こうと君は自由だ。君が望むのならどこへでも連れて行ってあげる。君の望みは何でも叶えてあげる。だから俺の目の届く範囲に居て。俺の傍を離れないで。俺の腕の中に居て」

「ヴァイス殿下」

「愛しているんだ」

それはまるで慟哭のように。

「誰よりも何よりも、愛しているんだ、スフィア。俺の運命。俺の唯一。俺の番。君だけだ。君だけなんだ。君だけが俺の世界、俺の全てなんだ。もう二度と君を失うのは嫌だ。心をくれなくてもいい。愛を返してくれとは言わない。その資格が俺にはない。だけど、お願いだ。拒まないでくれ。傍に居させてくれ」


◇◇◇


side.ヴァイス


俺の世界は一度、色づいた。けれどすぐにモノクロに変わり、そして最後は腐敗した。

愛した人がいた。でもその人には既に婚約者がいた。弟の婚約者だった。彼女が、スフィアが俺以外の男の傍にいるのを見るのが嫌で俺は早々に外国へ逃げた。その日のことを酷く後悔することになるとは知らずに。


「‥‥‥スフィアが、死んだ」

その報はある日突然俺の元へ届いた。慌てて帰国した俺に待っていたのは変わり果てた彼女の姿だった。

誰かが叫んでいた。

空間を揺るがすほどの大きな叫びだった。

喉が痛くて、吐血した。喉が切れたのだと理解した時、先ほどから叫んでいたのが己なのだと自覚した。

どうして傍に居なかった。どうして傍を離れた。どうして国外に逃げた。

君が俺以外の男の隣で笑っている姿を見るのなんて君を失う痛みに比べたら大したことなかったのに。笑って受け流すぐらいできたのに。

「スフィア、すまない。すまない、スフィア。俺のせいだ。俺がもっと強かったら、君を守れたのに」

スフィアは強盗に襲われて殺されたと聞いた。けれど彼女の遺体は痣だらけでそれは古い物もあった。強盗というのが虚言であることは彼女の遺体を見れば分かる。

けれど彼女の遺族が調査を望まない以上、たかが下級貴族の夫人となったスフィアの死をわざわざ調査する者はいなかった。


「どうして、お前はスフィアの傍に居なかった。どうしてスフィアの伴侶となれる栄誉を自らの手で手放した」

スフィアの葬儀の後、俺はワーグナーの元を訪ねた。

「栄誉?兄上は気でも狂われたのか」

ああ、本当に気がおかしくなりそうだよ。スフィアが死んだというのに誰も悼まない事実が、お前がスフィア以外の女を傍に置いているという事実が。こんな奴に俺はスフィアを譲ったのか。こんなやつのせいでスフィアは死んだのか。

「あんな地味な女、王子である俺の伴侶に相応しくはない。俺のような男にはアリエスのように可愛く、聡明な女こそ似合う」

「まぁ、ワーグナー様ったら。嬉しいですわ。お姉様の死はとても残念ですけど、仕方がありませんわね」

「仕方がない?」

「因果応報ですわ。国外にずっとおられたヴァイス殿下はご存じないようですが、お姉様はいろんな殿方と関係を持つ性に少々好奇心旺盛なところがありましたし、気に入らない者は公爵家の権力を使って貶めてきました。私も何度お姉様に虐められたことか。あの日を思うと夜も眠れませんの」

「黙れ」

死人に口無とはよく言ったものだ。

どのような虚言を吐こうと死者には反論することすらできないのだから。けれど、俺の前でスフィアを貶めるとは悪手だったな。

「きゃあっ!!」

俺は腰に下げていた剣でまず、ワーグナーの腹を刺した。

「俺は黙れと言ったはずだ」

叫ぶ女の口を蛇に塞がせた。

「どう、殺してやろうか。なぁ、スフィア。どんな最期を彼らに望む?残虐に苦しめてやろうか?何度も君の心をズタズタに引き裂いたように、彼らの体をズタズタに引き裂いてやろうか」

刺された腹部を押さえながら床に這いつくばるワーグナーの手を剣で突き刺した。

女の叫びで部屋に飛び込んできた使用人は全員蛇の毒で殺した。

「そうだ、それがいい。そうしよう」

ガタガタ震えるワーグナーと女を見て俺は高笑いしながら何度も何度も彼らを剣で突き刺した。ポタポタと雫が俺から落ちた。泣いているのだと分かった。彼らを笑いながら刺している俺の目から涙が流れていることに嫌悪する。

「止めてくれ。そんな資格ないんだ」

泣くなんて許されない。

全部、俺が悪いんだ。俺が逃げから君を守れなかった。全部、俺のせいなんだ。

「ヴァイス殿下、何をされている」

「ああ、公爵‥‥‥ワーグナーにその地位を譲ったから前公爵になるのか」

アトリは俺に何度も刺されながらまだ生きている女の元に駆けよる。虫の息ではあるがまだ二人とも生きている。ちゃんと加減したからな。

「よくも、よくも娘を」

アトリは俺を睨みつける。憎むべき仇のように。

「あんたの娘はスフィアだろ」

「違うっ!アリエスは俺と俺が心から愛した女の娘だ。俺の本当の娘はアリエスだけだ。あの毒婦の腹から生まれたスフィアと一緒にするな」

「はっ。俺がいつスフィアとその木偶人形を一緒にした?冒涜するな。いつまでも被害者面するなよ。お前は公爵という地位に目が眩んで恋人を捨てただけだろ」

「違うっ!ロクサーヌが権力を使って無理やり」

「本当に愛しているのなら地位も財産も何もかも捨てて愛した女と一緒になれば良かったんだ。スフィアには何の関係もなかったことだ。お前たちの罪を、お前たちの行いを彼女に被せるな」

俺はワーグナーとその妻、スフィアの父親とラーク家に仕える使用人全員を殺して、邸に火を放った。

「スフィア、君を閉じ込めていた牢獄を壊したよ。待っていてね。全部終わらせたらもう一度始めるから。一度、全てをリセットしよう。この世界は君を迎えるには相応しくないから」

ラーク家を出た俺はスフィアの祖父と彼女の夫であるダハル・キンバレー子爵を殺した。そしてそのまま王宮の地下に向かった。止める者は皆、殺した。

「愚弟よ、それは確かに王家の秘宝と呼ばれている砂漠の薔薇だ。願いを叶えると言われているが眉唾物だぞ」

王宮の地下深くに眠るそれに手を取ると入口付近に寄りかかった兄、ヴィトセルクが面白そうに俺の手にある秘宝を見る。

「可能性があるのなら試すだけだ」

「そうか。お前たち獣人の情の深さを見る度に哀れに思うよ。お前たちはいつだって囚われている」

俺はヴィトセルクの言葉に苦笑しながら砂漠の薔薇を使った。


◇◇◇


私は今、ヴァイス殿下の邸に居る。

殿下は馬車を使用していなかったので私の馬車でヴァイス殿下の邸まで行った。そこでヴァイス殿下から前の人生についての真実を語られた。

どうして私に二度目の人生が与えられたのか。そしてアリエスの出生の秘密も。

「アリエスはお父様とヘルディン男爵夫人の間にできた子でしたのね」

「ああ」

それで納得だ。いくら自分の血筋である家の娘とはいえ可愛がりすぎだと思っていた。もしかしてアリエスに対してひとかたならぬ想いでも抱いているのではないかと疑ったこともある。けれど愛した人との間にできた自分の娘なら仕方のないことだったのかもしれない。

「ヴァイス殿下には記憶があったのですね。一度目の人生の」

「ああ」

「ヴィトセルク殿下には?」

「確認しはしていない。でも、砂漠の薔薇を使った時に傍に居たから可能性はあると思う」

「そうですか」

「恨んでいるか?君を守れなかった俺を?」

恐々と聞くヴァイス殿下は珍しく、思わず笑ってしまった。

「あなたに罪はありません。全ての原因は私にあります。流されることしかできなかった。意志を持てなかったからこそ起こってしまった事象の一つ。選択した時点で確定された未来が何なのか人は知る術を持ちません。だから当時、第三者でしかなかったあなたに背負うべき罪はありません」

感謝はしても恨むことはない。だってこの人生はヴァイス殿下に与えられたものなのだから。

「殿下、ありがとうございます。私に二度目の人生を与えてくれて、機会を与えてくれて、ありがとうございます」

ツーっとヴァイス殿下の目から涙が零れた。私は気づいたら殿下の手を引いて、抱きしめていた。ヴァイス殿下は体を強張らせていたけど、恐る恐る私の背に手を回した後は力を抜き私に身をゆだねてくださった。

「愛しているんだ、スフィア」

「はい」

「愛している」

私の存在を確かめるように何度も何度もヴァイス殿下は囁いた。「愛している」と。

私の為に気を狂わせてしまったこの人を、それでもただ一途に私を思い続けてくれたこの人をどうして拒むことができるのだろうか。

復讐を終えて、虚しさだけが私に残った。

全てを捨ててどこか遠くへ行こうかとも思った。けれど街中を闊歩してどこにも行く当てがないのだと分かって、どうすることもできなかった。この虚しさをこの人となら埋められるかもしれない。

今度こそ幸せになれるかもしれない。幸せになろうと思った。


◇◇◇


side.ヴィトセルク


「ヴィトセルク殿下、嬉しそうですね」

俺は妻のリオネスと一緒に弟であるヴァイスとラーク女公爵の結婚式に参加していた。

「まぁな。色々あっての、漸くの結婚だからな。恋が成就することはないと思っていたからそれなりに嬉しいよ」

「まぁ。うふふふ。そうですね。確かにここしばらく女公爵の周囲は騒がしかったですものね」

「ずっと騒がしかったさ。それで一度失った。二度目が与えられた時、神様ってのは本当に居るのかと柄にもなく思ったよ」

「?」

何のことだか分からないというリオネスを抱き寄せてその額にキスをする。

「運命を凌駕する愛は奇跡だって起こせるんだ。それって究極だと思わねぇか」

「よく分かりませんが、本当に殿下らしくありませんわね。でも、愛はいつだって究極ですのよ。もちろん、私の殿下に対する想いもですわ。愛しています、殿下」

「俺も、愛しているよ。リオネス」

周囲が弟とラーク女公爵の誓いのキスに注目している時にこっそりと俺もリオネスにキスをする。

「もぉ」と頬を赤らめるリオネスは最高に可愛くて、幸せな気持ちになった。

ヴァイスも漸く恋が成就して幸せそうに笑っている。

絶望に満ちた顔をしたヴァイスに一度会っているからこそ今のアイツをみて人一倍嬉しくなる。

「ヴァイス、幸せになれよ」

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あなたが今後手にするのは全て私が屑籠に捨てるものです 音無砂月 @cocomatunaga

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