第2話 悦子
「そんなことより!あんた服はどないしたん」
言われて始めて自分が一糸まとわぬ姿である事に気が付く。成功したとしたら当然だ。服は私が固形でなくなった時に溶けたか、もしくは電気で一瞬にして焼け消えたかどちらかだろう。
自分の身体に傷一つついていないことがひどく不思議に思えた。
悦子と名乗ったその人は、中学一年生で私と同い年だと言う。
悦子は半袖のティーシャツに、短いスカートを履いている。偏見は良くないが、恐らくaかabだろうと思う。
プールに行く途中だったという悦子に、何も着てないよりはマシやろ!と巾着ごと水着とタオルを渡され、物陰で着用する。なんとも露出の多いスクール水着だけれど、腰にタオルを巻けば許容範囲だろう。胸部分に《1-2 山岡》という名札がでかでかと縫い付けられている事も気にはなったが、私自身は山岡ではないのでまあ良しとする。私の時代なら即補導、厳重注意。-2点引かれる所だ。
山岡悦子にお礼を言い、信じて貰えるかわからないけれど、自分が未来からタイムスリップして来たらしいという事も簡単に伝えると、悦子は噛んでいたアイスの棒を取り落として、じっと私を見つめたまま数秒固まっていた。
「えっと、悦子さん」
「悦子さんて!えっちゃんでええよ」
日焼けした肌に対称的な白い歯が覗く。
「それはえっと、あだ名、ですよね?私の時代ではあだ名で人を呼ぶのは禁じられいて・・・」
気分を害してしまうだろうとは感じつつ、自分が生まれ育った環境での生活や規則は簡単には曲げられない。
「ええー?そうなん?難儀やねぇ・・・じゃあ悦子ちゃん、とかでもええけど」
やや不満そうではあるが、特に気にした様子でもなく、ほっと胸を撫で下ろす。
「なんというか、体型や外見で付けるあだ名とか・・・そういうのは特にイジメと見なされますし、名前は自分で選べないので、名前から考えられるあだ名は不本意、不適切として、私の生まれる少し前に法律によって全てのあだ名の使用が禁止されたんです・・・なので呼び方は、悦子さんにしますね。私の時代ではちゃん付けはかなり古いというか・・・差別用語というか」
「サベツヨウゴォ?なんでそないな事になるん?うちは女の子やし、なんとかちゃんって、普通やろ」
私は足元に落ちていた手頃な小枝を拾うと、地面に図を書いて説明をする。
「私の時代では女の子、男の子、とは区別しないんです。ただ、身体の作りが違うのでそこでaかbか判別します。作りが、呼び方旧女性の場合a、旧男性の場合はbと呼び、身体が女性で心が男性の場合の表記はab、逆はbaと言う言い方をします。そしてどの性別の組み合わせでも結婚は可能です」
頬杖をつきながら、私の書いた図を眺める悦子は
「うーん」と唸った後、全然わからへん!と吠えた。
2034年、性別の撤廃案が可決されると同時に、女性男性の呼び方は不適切とされ、a及びb、または身体と心の性が不一致である者はab、baとの表記に統一された。
更に2040年、言語の統一化により 各地の所謂方言や訛りという物も標準語に統一する事が義務となり、私の時代では悦子のような訛った喋り方をする人はもう存在しない。
絶滅した生物を見るのって、こんな感じなのだろうか、などと考える。少し不思議で少し寂しい、なんとも形容し難い変な気分だ。
「所で、水着を借りたついでで申し訳ないんですけどマスクってお持ちではないですか?」
「マスクぅ?風邪も引いてへんのに持ってへんよ!」
「ああ・・・ですよね、すみません。私の時代ではマスクは下着くらい重要なんですけど」
言いかけて、この時代ではマスクはそこまで重要視するものではない事を悟る。言われてみれば空気も綺麗だし、悦子もマスクは着用していない。ウイルスが蔓延し、産業廃棄物で空気が汚染された私の時代とは違うのだ。
クエスチョンマークを頭の上にいくつも飛ばして唸る悦子を見ながら、この時代を選んで飛び込んだのは正解だったなと思う。
ただ、地面に落ちていた小枝を触ってしまった手は早く洗って消毒したいなと思いながら、腰に巻いた悦子のタオルで何度も拭って気を紛らわせたけれど。
過去と未来の現在予想図 神納木六 @kounoki6
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