甘さが温みを孕むまで

冬原水稀

第1話

  ──柔らかい双眸の先は、遠い春を見据えていた。


 こんな肌寒い夜に、濃度の高すぎる宵闇に、息を吸い込んでは咳をする。気道の内側、ぺたり、何か張り付いたような違和感の痰。丸ごと剥がして捨ててしまいたかったが、出来ないし、そうすると余計なものまで一緒に取れそうだ。声帯とか。

「具合はどう?」

「……胸焼けしてるみたい」

「どういうこと? 病院食食べ過ぎたの?」

 声帯を震わせる。くすりと窓枠に腰かけた彼女は笑った。どこか甘い香りを髪に絡めた彼女は、こうしてよく窓枠に座る。僕は決まって、ベッドから起き上がり彼女に触れられないもどかしさを抱きながら、窓からこちらへ、吹く風が運ぶ甘さを嗅ぐ。甘くて冷たい。香りに温度なんて無いけれど、もしあるとしたら、冷たい。突き放すような冷たさ。鼻を通って気管に入り、熱を持つ痰に染み付く。

「でも、不思議な病気だね。星を飲み込んで、その星の熱が体のどこかに張り付いて、炎症を起こすなんて」

 彼女は当の星から目を離さないまま、口ずさむように告げる。

 ただの奇病でしょ、なんて掠れた声で返した僕は、また咳込んだ。

 星は、万病に効く。ある時代、そう判明した。落ちた星を磨り潰して、零れた煌きを透明な水に混ぜて、口にするだけ。そうするだけで、どんな難病も怪我も治るんだとか。けれど今彼女が口にした、リスクと半々だった。僕はその、半分にぶち込まれたということ。

 彼女はすいっと、指先を。一つ。小指を立てて、夜空に向けて回す。白い指先が触れた寒空。次に立てた人差し指で、何かを空に押し込むような動作をした。彼女が指を引っ込める。するとその紺に、新たに光る星。


『星の種を植えているの』


 ふっとある日現れた彼女はそう言った。他でもないその星の熱で身体を蝕まれる僕に、微笑んで。

 何を考えているんだ? なぜ僕の前に現れた? 星の種を植えるって? ……分からないことはあったけれど。ただ一つ。

 「綺麗な死神が会いに来たのだ」と、そう思った。

「ねぇ、貴方の命が吹き零れたら、私が夜空に一つ、星を植えてあげようか」

「……生きた功績を称えて星を作るなんて、神話の神様みたいだね」

 僕は微笑み返した。動けないこの身で焦れた心の宛先は、ひどく残酷な形をしている。

 ぽやりと離れかけた意識を掴んで、自分と結んだ。途端、熱で喉がひどく傷む。彼女がかつて生み出したかもしれない星を、飲んだ僕。春はまだ遠く。彼女の髪に桜の香が絡む季節に、僕の喉はまだ震えるだろうか。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

甘さが温みを孕むまで 冬原水稀 @miz-kak

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る