小正月 👘

上月くるを

小正月 👘



 湯船で防水ラジオのスイッチを入れると、美しいボーイソプラノが流れて来た。



――わたしのひとみがぬれているのは なみだなんかじゃ……🎵



 ゆるんだ心の深い場所にすっと入りこんだ歌は何かに転化し、目から頬に転がる。

 かなわないよね~、これだから音楽ってやつはさあ。(;_;) わざと蓮っ葉につぶやいてみたのは、いい歳をしていつまでも青くさい自分が照れくさかったからだろう。


      *


 北海道の足寄あしょろというド田舎(本人の弁(笑))から出て来た小顔で生意気な青年は、愛用のギターひとつで、トップミュージシャンのポジションまで登りつめた。


 けれど、ビッグになった松山千春さんは、いまなお故郷・足寄を大切にしている。

 その心を失ったとき破綻が始まることを、賢いエンターテイナーは承知している。


 

      ****



 1月は新年であると共にヤヨイの誕生月でもあるので、またひとつ歳を重ねる。

 それを案じた娘から、正式な同居の誘いが、ねんごろな手書きの手紙で届いた。


 家も、人との関係もすべてを整理して、首都圏のわが家に移住して来ませんか。

 孫たちと楽しい老後を過ごしてもらい、最期は自宅で看取りたいのです……と。

 

 その気持ちはとてもありがたいし、せっかくの好意に応えないのは母として非礼のような気もするが、10年近く前、もうひとりの娘から同様な申し出があったときはまだ若かったし、談笑の合間だったこともあり、返事を先延ばしにしたままでいる。


 それより何より、この歳での民族大移動(笑)。

 ……果たして、どういうものだろうか。( ;∀;)


      *


 思い悩んで、行政や心療内科などの専門家、先例を見聞きしている先輩たちに相談したところ、見事にも満場一致(笑)でNOだったので(すでに決めてあった答えの正否をたしかめたかっただけなのかもしれないが)、丁重に辞退することに決めた。


 ――わたしはやはり、最後まで自立した自分でいたい。


 子どもの有無に関わらず友人らの多くがそうであるように、身内に負担をかけず、地域のプロのお世話になって人生の幕を閉じる……それが理想的なディ・エンドだ。



      *****



気づけば、ラジオはトークに変わっている。

そういえば、今日は小正月だったんだっけ。


娘たちが幼いころは、柳の枝に飾った繭玉を持って道祖神祭りに出かけて行った。

真っ暗な夜道や、凍てつく田んぼの踏み心地の感触が、鮮明によみがえって来る。


思えば、永遠に続くかに思われた親子の蜜月は、高校卒業までの18年間だった。


大学、就職を経て家庭を持った娘たちの哀歓を、ヤヨイは間接的にしか知らない。

同様に、ヤヨイがこの地で紡いだ半世紀も、芯から理解してはもらえないだろう。


同じ文化風土で同じ空気を吸って来た同志にしか分からないことがたしかにある。

そう思うと、互いの人生の大半を離れて暮らす親子の定めが、哀しくも愛おしい。



 ――世は世としわれはわれなり小正月



 ふっと、そんな句が泡のように浮かんだ。

 俳句の慰めを実感するのはこんなときだ。


 かたくつむった目のなかで、ヤヨイの眸はしきりに濡れている。

 それはもちろん、涙なんかじゃないに決まっているのだが……。


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