第4話 野上ゆら
谷中といっても有名地になってしまった「夕やけだんだん」から「谷中銀座」の界隈ではなく、途中から路地に入る。すっかり観光地化して、この暑さにもめげずに散策している一団を横目に、燐が先頭に立って何度も角を曲がっていく。志野はついていくだけであるが、だんだんとどこを歩いているのか分からなくなってきていた。
ぐるぐると歩く道の風景がいつしかぼやけていくような感覚を志野は得て、皮膚がチクチクと体に覇力が作用しているような感触を受けると、頭にズキンとくる嫌な痛みが通り過ぎた。
「燐さん、どこへいくんですか」
我慢できずに志野が尋ねた時、彼女は急に足を止める。
「ここ…」
立ち止まった燐が指差す古い家屋は忘れもしない、昨日未明、志野が怪しげなキズキビトを見つけたあの骨董品店である。
「鳳凰堂って、燐さん、ここ昨日私が跋扈を倒したもう一匹のモウリョウを追ってたどり着いたところですよ。ここの家人はキズキビトに間違いないです」
二階の物干し台を確認して、志野は間違いないと見当をつけた。またもここに来るとは夢にも思っていなかったことである。
「ああ、そうなのね。なるほどね…」
答える燐にあまり驚いたという様子はない。むしろそれがどうかしたのかという顔で志野を見ている。
踵を返した燐は、ガラガラと引き戸を開けると「こんにちは」というあいさつと共に店内に入る。そんな燐の態度に釈然としないものを感じつつ志野も続いて店に足を踏み入れた。
「わ、」と思わず声を出す志野の目に飛び込んできたのは、いかにも年代を感じさせる家財や装飾品の数々だった。雑然というには意味が違うかもしれないが、あらゆるものが所狭しと並んでいるということでは違いがないかも知れない。
「なんだろこれ、ものすごく古そうな鏡だな」
これだけ色々なものがあるにもかかわらず志野の目は、店の中で半ば隠すようにしておかれていた丸い鏡を見つけていた。
「それに触るんじゃないよ」
長い髪の毛を後ろで一つにまとめ、赤ふちの眼鏡をかけた細面の美人が店の奥から姿を見せた。
「あ、」と反射的に声を漏らす志野はその人が、一昨日の夜更けに見たかの人であると思い出す。
眼鏡の女性は志野に近寄ると,彼女を上から下までじっくりと見つめ、左の眉を少しだけ動かした。
「こんにちは、ゆらさん」
すっと出てきた燐がニコリをあいさつし、志野のすぐ左横に立つ。
「ああ、燐、久々だね。麻里子のおつかいだね」
「はい、頼み物が出来ているとのことでしたので」
「うん、仕上がっているよ。今回はちょっと数が多くて大変だったけどね」
燐がゆらと呼んだ女性はそう答え、彼女の隣に立つ志野を見る。
「ああ、彼女が綾川志野さん。この間いろは組に加わった新しいお仲間です」
燐はそう言い、肘で志野をつつく。
「あ、綾川志野です、初めまして…」と言うよりはすでに会っていなくもないと志野は思うが。
「一昨日であったさ、モウリョウ退治の最中にね。新たな四神瑞獣青龍の主だろ」
ゆらは答えニヤリと笑う。
「やっぱりそういうことだったのね。谷中のキズキビトがと聞いていたからそうじゃいかなと」
燐はニコリとして志野を見て、ゆらを見る。合点がいったという感じであろうか。
「私は野上ゆら。ここ『鳳凰堂』で見ての通り骨董を扱っている。古今東西いろいろなものをね」
「骨董ですか…」
志野は答え、先ほどの鏡に視線を移す。ならば古そうな鏡の一枚や二枚当然であると思う。
「こいつが気になるのかい」
ゆらは志野の視線に気がつくと、その先にある相当な年代物の丸い鏡を乗せてあった紫の敷物ごと持ち上げるが、鏡面は敷物で覆い隠す。
「いろいろなものがある中から、真っ先にこれに気がつくなんて、さすがは四神瑞獣青龍の主だけのことはあるね。たいしたもんだ」
ゆらは言いまたニヤリと笑う。
「その鏡はそんなにすごいものなのですか」
燐には一見してその鏡が青銅鏡で大和時代あたりもの、くらいしか思いつかない。
志野は何気なく見つけたものにしか過ぎないと思っただけに、そこで青龍の名が出てくるとは思わなかった。まったく無意識のうちにそれを発見していたという感じが強いのだ。
「信じる信じないは勝手だけど、これは世に言う三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)だよ」
さらりと聞いた答えを耳にしても、志野は今ひとつピンとこない。三種の神器って何だっけか。
しかし、横に立つ燐は心底驚いている様子だった。
「ほ、ほ、ほ、本当に八咫鏡なのですか、ゆらさん」
「まあ、こんな骨董屋にありきな偽物というくくりでみるなら、さもありなんだろうけど、事実は小説よりも奇なりってね。店を始めた時に麻里子が持って来て、ここに置いておけばまず安全だからということでね。もちろんあたしも最初は驚いたよ」
「うーん、そうですね。でも麻里子さんがいうなら本当なのかな」
興奮冷めやらぬ様子で燐は鏡を見ている。
「あの燐さん、この鏡ってそんなにすごいものなんですか」
燐の興奮をぶち壊すと分かっていても、状況の読めない志野にはそういう無粋なことしか聞けなかった。
「あ、うん、そう志野さんも歴史で習ったでしょ。帝の皇位継承の証である三つの宝器。その一つなの」
そう燐に言われ「ああ、」と志野も思い出すが、ここにある意味を問われても理解できていない。
「どうやら綾川は理解できていないようだな」と言いゆらはクスリと笑う。
「どういう経緯で三種の神器が成り立ち、扱われたかは歴史の本でも読んでもらうとして、こいつらはね異界に関わるいわばオーパーツというべき存在なのさ。つまり覇力と関わりのあるものということになる」
「あと二つ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、と合わせて三つ。これらが平安時代に異界と現界を結びつけた事象を生み出す引き金になったと言われているの」と燐が補足する。
「え、そんなできごと関係があるのですか」
覇力と異界がらみとなれば、二人が重要視するのももっともだと志野も思う。
「三つそろえて保管しておくのは危険極まりないと昔、麻里子が回収した時分に三箇所へ分散して隠したのだけど、その後また色々あって今はこれ一つがここにある」
ゆらは答え口を真一文字に結ぶ。
「残りの二つはどこにあるのですか」
「元々、公には失われて現存しないことになっているし、今の帝のところにあるものはレプリカだしね。どこにあるやらだけど、いっそこの世から消滅してくれているほうが良いかもね。あれが引き起こすであろう覇力の災いは、どんなことがが起きるのか想像も出来ない」
少しだけ厳しい表情で鏡を見るゆらはこれ以上これに関わりたくはないとも見て取れる。
「それにしてもそんなにヤバイものを、さらりとこんなところに置いておいて構わないのですか」
むしろ志野にはそっちのほうが気になった。
「ああ、そういうことならこんな店にそんなものがあるわけない、ということだよね。一度だけ、かなり高名な考古学の先生が興奮気味に凝視していたけど、まさかねという感じだったよ。まあ掃き溜めに鶴というかそんな感じ。麻里子が考えそうなことだろ」
そう言ったゆらはフフンと笑う。確かにそういうことなら麻里子が言い出しそうなことだと志野も思う。
「そんなわけでね、ずば抜けて覇力の強いキズキビトがこれに触ると何が起きるのか予想がつかないのさ。それで触るなと警告したわけ」
ため息をついたゆらは八咫鏡をあった場所に置く。そこが定位置というくらいに鏡はまさに埋もれていた。
「それより一昨日は大分派手にやらかしていたみたいだね」
話題を変えようということなのか、ゆらは志野と跋扈の話を持ち出した。
「ああ、そのまあ、ええとお…」
もしバッコとの戦いの一部始終を知られているのなら、志野はかなり無様なところまで目撃されていると言うことになるのだろうかと考える。だとすれば燐の手前、余り詳しくは語りたくない話であるのだが。
「そ、それよりも、ゆらさんもキズキビトなんですよね。麻里子さんとはいつお知り合いになったのですか」
志野としてはゆらの事に話を振ることで何とか逃げようと試みる。
「ああ、そうねそういえば志野さんはゆらさんの事は何も知らなかったのよね。だから麻里子さんが一緒に行きなさいといったのね」
幸か不幸か、燐が話に乗ってきてくれた、と志野は心の中で安堵していた。
「ん、まあ話すことなんてあるかな。確かに私も君と同じようにモウリョウと契りその主である以上はキズキビトではあるけれど、表立っていろは組に加わっているというわけじゃない。麻里子風に言えばハグレビトってことになるかもね」と言いゆらは苦笑する。
「ハグレビトですか。たった一人でモウリョウの世界を渡り生きていくという話ですよね」
麻里子の解説ではそんな風に志野は聞いていた。
「麻里子の表現は大袈裟だな。確かに私は天涯孤独でどこにも属してはいないけれど、それで何が大変と言うわけでもないさ。選んだ道である以上、とっくに覚悟はできているよ。かれこれ八百年近くたつしね。それにまあ、まったくどこの誰とも関係していないわけじゃないということは、今日、麻里子のお使いできた君らとこうしていることで分かるだろう」
淡々と語るゆらの口調には何も迷っていない、と感じられる信念が十分にあった。それにしても八百年とは何時ものことはいえ相変わらずスケールが大きいと志野は思う。
「ゆらさんは得物鍛冶という特別な技術を持っているの。私たちがモウリョウと契った証に得た得物の手入れや修理をすることが出来る。他にも神石や神木から置石や止石、短冊とか異界と覇力、モウリョウと関わる上で必要不可欠な式具を作り出すことが出来るのよ。こんなことが出来る人は私が知る限りゆらさんと上方の冷泉葵さんくらいかしら」
「ふえええ、そんな重要なことが出来る人なのにハグレビトなんて、ちょっと信じられないです」
さらりと流す燐の解説に志野は驚く。
「まあ、いろいろと事情があるのさ。どこにも組みしない代わりに常に中立。そういうことでやってきた」
ゆらはそう答えて笑った後に続けて、
「だが、どうも佐伯の麻里姫には引っかき回されてばかりだけどねぇ」と答えさらに笑う。
やはり麻里子さんという人はここでもいろいろと面倒を起こす人なのかと志野は思うが、ゆらの言う意味は少し違うのだろう。でなくてここまで笑うとも思えない。
「もういいだろう私の話は。麻里子からの頼まれ物を持っていきな」
話は終わりと言わんばかりにゆらはくるりと体の向きを変え、店の奥に上がってしまった。
彼女を知らない志野としてはいろいろ聞きたいことも多々あるのだが、ゆらにしてみれば何をいまさらということに違いはない。一昨日、夜中に見せた気難しくて神経質そうに見えたところがそのまま現れているように思えた。
「あ、私もしかしてゆらさん怒らしちゃいましたか」と志野は燐に尋ねてみた。
「大丈夫よ、ちょっと難しい人だけど、ちゃんと分かっている人だから」
燐がそう答えるのであれば間違いないと志野も思うが、初対面で心象を悪くしてもと考えてしまい多少の不安は拭えない。
そんな風に志野が悶々としていた時、ガラリと「鳳凰堂」の引き戸が開かれ大きな声が響いた。
「頼もう!ゆら殿、おられるか!」
ドスというか張りの効いた大声はそれだけで鼓膜が破れそうなくらいの音量があった。思わず燐と志野の視線がそちらに向けられる。
「あ、この人」と言葉を漏らす志野だったが燐の反応はまるで違っていた。
「あれ紫雲さん、どうしてここに」
燐が紫雲と呼んだ旅支度の僧侶は燐を見るなり破顔一笑した。
「おおお、燐殿。これまたこんなところで巡り会うとは何とも奇遇ではないか。久しいが息災であられたか」
「おかげさまで何とか。ああ紫雲さん、彼女が綾川志野。青龍の主です。志野さん、この方が次郎丸紫雲さん。麻里子さんが言っていたいろは組の仲間よ」
志野は両肩を燐にポンと叩かれ紹介される。
「綾川志野です。昨晩は助かりました、ありがとうございました」と言い、志野はペコリと頭を下げる。
志野がカマイタチに押されかけていたところに、絶妙のタイミングで割り込んでくれたことが機転となったのは間違いなかった。
「ん、危ういところであったが、無事で何よりであった。拙僧が次郎丸紫雲と申す。この通り無頼の坊主であるが、以後お見知りおきをな。ああ、ついでに差し出がましいことを言わせてもらうなら、いま少し周囲の覇力の具合にお気を使われよ。さすればさらに上手くいかれると思うが」と紫雲は豪快に笑い答えた。
「あはは、そうですよね…」
そっちかい、と志野は思うが笑ってごまかすことにする。バッコ同様カマイタチ戦も褒められたものではないし、何せ逃げられたとあっては言い訳も出来ない。麻里子さんが言っていた坊主とはこの人のことかと思う。
「店先ででっかい声と思えばおや、紫雲来てたのかい」
ゆらが両手に荷物を抱え奥から出てきた。それが麻里子の頼み物ということなのだろう。
「ご所望の品々、お持ちできたのでな。早々に渡そうと思い持参した」
紫雲はそう言うと背中から荷物を降ろし紐を解く。出てきたのは太い木の枝に奇妙な色をした石だった。
「これはまた、随分と立派なものを」
ゆらの目の色が変わり、抱えてきた荷物を一度床に置くと、紫雲が持ってきた木々を手にする。
「これだけの神木、もはや手に入らぬと思っていた」
「月山から白神山中にて見繕った。それがしもこれだけ見事なものは久しく見ておらぬ」
ゆらの眼に叶う品々を持ち帰れたことに紫雲も自慢げである。
「神石も見事だ。ここまで群青な石はいつ以来になるかな」とゆらはさらに興奮覚めやらぬ様子である。
志野には一見して不思議な木と石という風にしか見えないものの、何となくそれらから覇力の流れが伝わってくるのは感じ取れた。ならばゆらが浮き立つのも理解できないわけではない。
「これ、その、すごいものなんですよね」と小声で志野は燐に尋ねる。
「ええ、質の高い神木や神石はそれだけで優れた式具を生み出せるからとても貴重なものなの。昔と違って今はそうしたものが手に入りにくくなっているから探して持ち帰るのは至難の業なのよ」
燐の解説にああ、と志野は思う。そしてこんな風にしていろは組の色々な部分が回っているのだとも思う。縁あって加わった志野だが、まだまだ知らないことが多すぎて少し怖い気がしなくもない。扉一枚向こうのそのまた向こうの一枚。さらに一枚と深まる謎と答えの追いかけっこの先には何があるというのだろう。
「あの、ゆらさん。私たちそろそろ失礼します。余り遅くなるといけないので」
燐は腕時計で時間を確認して言った。志野も自分の時計を見てすでに六時を回っていることに気がつく。
「ああ、すまないね。あまりにも立派な逸品だったもんでね」と夢中になっていたゆらが顔を上げる。
神石を紫雲に渡すと、床においてあった荷物を別途持ってきていた風呂敷に包み燐に渡す。
「短冊十二色と封陣札、置石もある。それぞれに梱包しておいたから見れば分かると思う」
「あ、はい、承知しました。いつもいつもありがとうございます」
受け取った燐が頭を下げる。
「それから麻里子によく言っておいてくれ、無駄遣いはほどほどにってな。最近じゃ短冊一枚こしらえるのも何かと大変なんだから」
ゆらの半ば文句に近いセリフに燐は苦笑せざるをえない。毎度の事ながらこんな調子で麻里子は方々に迷惑をかけているのかと思ってしまう。
「分かりました伝えますね。じゃ、紫雲さんもまた」
頷く紫雲に燐はペコリと頭を下げ、志野も習う。引き戸をガラガラと開き店の外に出ようとした時だった。
「ああ、綾川、暇があったらまた遊びにおいで。もう少し話してみたいし、他にもいろいろと見せたいものもあるしね」とゆらはニヤリと志野に笑う。
「え、あ、あはい…」
突然のゆらの言葉に驚いたのは志野のほうだった。何かおかしなことでもしでかしただろうかと思うが、鏡の一件以外は思い当たらない。頭に芽生えた疑問符を抱えた志野は燐と鳳凰堂を出て、また谷中の狭い路地を駅へと歩きだす。
「でも、きっとそこに何か感じる覇力とかあったんじゃないかしら」
燐はそんな風に分析していた。八咫鏡を真っ先に感じ取って見つける力は他人とは違うということを示しているようなものだと。
「そうなのかなあ…」
ゆらに対して別段気にかかることなど何も感じなかった志野だが、さりとて鋭くかつ繊細な覇力の感触を店の中にいる間ずっと感じていたのは事実だった。そこが志野自身の覇力と絡むということなら、またモウリョウの事も出てくるということなのだろうか。
そんな風にずっと考えながら歩いていた志野は、突然立ち止まった燐の背中に追突する。
「ぎゃふん」と声にもならぬ言葉を発し志野も止まる。
「り、燐さんどうしたんですか」ぶつけた鼻を押さえ志野が尋ねる。
「ッカア~」という烏と思しき鳥の鳴き声が聞こえ、間もなく暮れようとする夕陽に周囲は茜色に染まっていた。まさに黄昏時である。
「おかしい。私たち同じ道を二度通っているかもしれないわ」
燐はここで何が起きているのか掴もうと己の覇力を周囲に巡らせてみる。
「え、ええまさかっ」
志野が見る限り谷中の路地は何も変わった様子には見えないが、燐が真顔でそういうのであれば嘘には思えない。もう一度周囲を注意深く見た志野は、なるほど今しがた通り過ぎた家の塀がまた目の前にあることに気がつく。
「これって、もしかして私たち結界的なものの中に取り込まれているんですか」
「だとしたら、予兆すらつかむことなく術中にはまったということになるわね。しかも鳳凰堂の結界から出てすぐになんて。まさか、どうやったらそんなこと出来るのかしら」
周囲を警戒し始めた燐の覇力はここが予想通りの場所であることを伝えていた。
「黄昏時に燐さんと一緒でなんて、蟷螂姉妹の時のこと思い出しますよね」
洒落にはならないと思いつつも志野にはそんな風に思えてならない。
「そういえばそうだったわよね。まさかまた我邪が何かを仕掛けてきたというのかしら」
燐はそんな風に答えてみるが、ここしばらく東京で我邪が目立った行動をしていると言う話は聞いたことがなかった。連中が動けば嫌でも耳に入ってくるし何より麻里子が話さないわけがない。
「とにかくもう少し歩きながらじっくりここを観察してみましょう。何か気がつくことがあると思うわ」
志野は燐に頷くと、二人はまた駅に向かう道を歩いてみる。すると今度は駅とは違う方向に二人を向かわせようとする意図が道の設定に見えた。そのまま倣って歩く二人が行き着いた先はさもありなんと言えるべき場所であった。
「谷中霊園とはね…」
モウリョウが待ち構えているとすればこれ以上ない場所であろうと燐は思った。もう十分もすれば完全に日が落ち夜となる。これからの時間こそ彼らの天下となる。その時に待ち受けているのは誰なのか。
「燐さん、何だかすごい感じで覇力が過剰にピリピリしますよ」
志野にとっては先日、反対方向から鳳凰堂へ抜けた場所になるのだが、そのときも何匹かのモウリョウの覇力を十分に感知することができた。今のこの感じはそのとき以上のものに思える。
「ええ、そうね私も感じるわ。明らかに私たち二人に敵意を持っているといっていい覇力をね」
二人はいつでも己の得物を取り出すことが出来るように身を構え、意を決して霊園の中に入っていく。正面の通りは桜並木が続く春には風光明媚な場所であるがこの季節は枝振りしか見えない。空が群青に染まり星々が輝き始めると一気に陽が落ち、ここ一帯は夜の帳に包まれていく。当てにしていた外灯は案の定点灯しない。
瞬間、ざわと動く覇力の群れが波打って動き出すのを二人は感じた。
「来るわ!」と燐が叫ぶのと同時に、二人はそれぞれの得物、隼風鉾と錫華御前を手にし、切先を左右から迫るモウリョウに向けて振るっていた。
「ギャイイ~」という幾つもの悲鳴と手ごたえを感じ、数匹が光の点となり四散するのはほぼ同時だった。
さらに上から迫る数匹を切り捨て燐と志野は並んで移動する。互いの背中をカバーし合い、死角を作らないようにすることが狙いだった。
「こ、こいつら一体何のために…」
青龍と麒麟の覇力ではなく、私ら自身が狙いかと志野は思うが、次から次へと堰を切ったように波状攻撃をかけるモウリョウどもは、ただがむしゃらに押してきているだけといってよかった。地の底からあふれ出るという例えが相応しいほどその数は尋常ではない。
「か、数が多すぎるよ、燐さん」
戦いはじめて五分と経ってないのだが、息つく間もなく畳み掛けられてしまってはどこまでもつのか分かりかねた。何とか覇力を集中してと志野は思うのだが、そんな間さえつかめない。
「し、志野さん、何とか五秒だけ時間作ってくれない」と叫ぶ燐に志野は何か打つ手があるのだと考える。
「ご、五秒ですねっ」
志野は錫華御前を下からすくい上げ,今、集中できる覇力をすべて切先にそそぐ。勢いだけが勝負だった。
「龍牙雷轟っ!」と叫ぶ志野の声と共に錫華御前の刀身から凄まじい雷撃が発し地面をほとばしる。
バッバッという閃光が闇の中にある霊園内で爆発し,、そこかしこから湧き出てくるモウリョウどもを蹴散らしていく。志野的には己が放つ覇力のわずかしか集中出来ていないのだが、その威力は凄まじい。
しかしモウリョウの群れはその圧倒的な覇力を目の当たりにしてもひるまない。ふっと数秒息が切れたのは確かだがすぐにまた燐と志野を目掛け襲い掛かってきた。
「それならっ!」叫んだ燐は先ほどゆらから受け取った短冊を盛大に撒き散らす。一瞬、闇夜に色とりどりの紙片が乱舞し桜が散る様にも見えた。
「え…」何て大盤振る舞いなと志野は思ったが燐はためらうことはなかった。
「変化折神っ、茜蝶、山吹鷹、白狼、紫蛇、翠蛙、茶猿っ!行きなさい!」
燐の声に反応し、それぞれの色の短冊が瞬時にして折神に変化する。どのくらいの量を撒き散らしたのか分からないが、一斉に変化した折神の数はまさに無数で、雲霞のごとくモウリョウたちに襲い掛かった。数匹程度では牽制くらいにしか使えない折神でもこれだけ揃えば雪崩のような勢いで押しつぶしていく。
「す、すごい…」
その圧倒的な光景に志野は息を飲んだ。色の洪水がすべてを飲み込んでいくという表現で良いのだろうか。
「わ、わわ…」とそれをやってしまった当の燐が一番驚いていなくもない。
「あの、燐さんこうなること分かっていたのですか」
「あーその、いえ、どうしようかしら…」
志野の問いに燐は想定外としか答えられなかった。冷や汗もので試してはみたが、まさかこんな結果を生み出すとは考えに及ばなかった。
ゴオオオというまさに轟音を残し、折神の群れはモウリョウを飲み込んで四散させていった。覇力を散らして果てた輩が光点と化して天に昇っていく。その後は今ここで何がおきたのか分からないほどの静寂だけが残り、志野と燐だけが取り残されているという感じであった。
「さあ、志野さんここからがきっと本番よ」
燐は残った短冊をまとめ、他の荷物とともに風呂敷へ入れ直して背負う。二人の周囲には生き残った折神たちが戻ってきていた。
「ですよね、ハグレモウリョウだけじゃこんな真似できませんよね、てことは…」
「ええ、これを仕掛けたキズキビトが出てくるはずよ」
答えた燐は隼風鉾をギュっと握りなおし、あたりを警戒する。結界に飲まれている以上、何が起こるのかまるで分からない。無事にここを抜け出すことが出来るか否か。今はまだ答えることは出来なかった。
蒼キ龍ノ覇道 烈夏の章 とうがけい @foxfrog98
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。蒼キ龍ノ覇道 烈夏の章の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます