第3話 カマイタチ

「んーそれは恐らく、カマイタチだろうね」

 佐伯麻里子はアイスコーヒーの入ったグラスを左手で持ち上げ、よく冷えたコーヒーをストローでズズと飲み込んだ。氷がカランとグラスに当たり、耳に心地よい音を伝えてくれる。

「カマイタチですか…」

「そそそ、今の志野の話を聞いてさくっと思い出すにはね」

 グラスをカウンターのテーブルに置き、麻里子はニカッと笑った。

 昨晩の事件はすでに電話で麻里子へ知らせていた志野だったが、バッコの件も合わせて詳しい報告をするために学校での自主補習授業の後で月光館へ来ていた。

「それにしても暑いですよね」

 ぼやいた志野は自分のアイスコーヒーを一気に飲み干す。 

「あ、そう志野、二輪車の免許はこの夏でなんとかなりそう」

「ええとー頑張ってますけど、時間が取れなくて」

 行動範囲を広げることができるようになるからと、麻里子から中型クラスの二輪車免許取得を促されている志野ではあったが、もう少しのところで足踏み状態が続いている。実技はともかく講習の方が引っかかっていた。

 七月も後半、学校は夏休みに入りたてであったが毎日が暑くてたまらず、もううんざりというのが志野の感想であった。詩織の強引な押しで帰宅部から写真部(仮入部)になってから、妙に忙しく何かと雑用を言いつけられてしまう。高二とあっては受験に向けた勉強も何となく迫られている。加えていろは組の用事もいろいろ増えつつある昨今ではそっちも疎かに出来るはずはなく、一日がとんでもなく短いと感じる今日この頃だった。

「カマイタチとはまた、嫌なモウリョウが姿を現したものね」

 厨房での水仕事を終えたそのみが手を拭きながらそう話す。

「ご存知なんですか、そのみさん」志野は珍しいなと思いながら言う。普段、モウリョウの話にはほとんど絡んでは来ない人である。

「江戸時代にはよく悪さをしていたモウリョウね。ヤマミサキとかノガマとかそんな別名で意外と全国的にいるみたいよ。突風が吹いて突然に手足をスパッと切られて、傷を負うという現象は知ってるでしょ」

「あ、ええ聞いたことがあります」

「まあ、俗に外見はイタチのなりで、両腕が刀や鎌状になっている、黒いヤマアラシのような固い毛で全身が覆われているっていうさっきの志野の話の通りならばそうだろう」

 麻里子はそう言ってため息をついた。都内のどこに封印されていたのか記憶にないが、通り魔みたいな存在のモウリョウが暴れているとなると、また面倒なことが起きることになる。さっさと倒したいというのが本音だった。

「それとキズキビトらしき人が二人と、変わったお坊さんみたいな人も現れたのですが」

 志野はそっちのほうがより気になった。

「ん?谷中の話じゃなくて」と麻里子は返す。そちらの話はメールで受けていた。

「あー谷中の方も気になるのですけど、昨日の夜の方は何かその、正体不明というか息を潜めて私を見ていたという感じがしたので」

 モウリョウカマイタチとやりあっていた時に、志野は肌がピリピリする覇力を感じていたのだが、その時はモウリョウのものだと勝手に思っていた。しかし後から考えるにあの時はカマイタチが発していた覇力とは違う感触も確かにあって、それが志野のアンテナに引っかかり彼女を苛立たせていたのだと思い直すに至ったのである。

「また誰かが志野さんを見張ってたのかしら」とそのみ。我邪か、それとも御伽衆かということになるのか。

「わからないが、ハグレビトやツカレビトの可能性もある」

 麻里子は答え志野を見た。

「何ですかその二つは」オウム返しで志野が尋ねる。

「ハグレはまさに独立独歩でモウリョウと付き合っている人のことかな。前にも話した思うけど私らとかの仲間にはならず、稀にそうやっていける人もいないわけじゃない。問題はツカレのほうで、こっちはモウリョウが人を取り込み支配下におかれた人をさす。気がつかれる前にその人を乗っ取って寄せ代、いわば操り人形みたいな状態にしまったわけだな」

「え、モウリョウが人を取り込んで人を操るのですか」

「うん、相手が何も知らないというならモウリョウだって自分本位で行きたいと思うのは不思議じゃない。例えば志野の場合は桁外れに覇力が強くて大きいから、並みのモウリョウじゃおいそれと近寄れないけど、そこまでいかないなら、気がつかれる前に乗っ取ってしまえ、みたいな」

「あ、それ、もしかして御伽衆の」

「そそ、小夜姫じゃない九尾姫はその典型例。そうなったら人は寄り代というモウリョウのバッテリーとか電池みたいなものね。覇力を供給し人の世界を渡るための殻でしかない」

 麻里子は少しだけ思案げな表情を志野に見せ答えた。

「じゃあ、この間の事件で解放されちゃったヤバめのモウリョウが、適当なキズキビト候補みたいな人を見つけてその人を寄り代として乗っ取り、他のモウリョウやキズキビトに喧嘩を売ってるということですか」

「その線は捨てられないね。だとすると東京中に通り魔みたいのが始終うろついていることになる。ある程度は組織だって動く我邪とかと違って何時何処で騒ぎを起こしてもおかしくないし厄介だね」

「うーん、そういうのがやたらめったら襲い掛かってきたら身が持ちませんよ」

 深いため息をついて志野は答えた。早い話が年がら年中、果し合いを吹っかけられているということになるのであろうか。モウリョウは格上のモウリョウに対して恐ろしいほどの敵愾心を持って襲ってくるとすれば、受けて立たねばならないほうは身が持たない。

「そうかもしれないねぇ…」意外にも麻里子の答えはさらりとしていた。

「あれ、それでいいんですか麻里子さん」

 志野としてはもう少し対応策を考えるとか、そういう話が出るかと思えたので少し拍子抜けした。

「志野がいきり立って怒る気持ちはもちろんわかるけど、ここは対処療法しかないじゃない。相手が何処にいて何をしようとたくらんでいるのか事前にわかるなら話は別だけどねぇ」

「ま、まあ、それはそうですけどー」

 確かに連中は何時何処で襲おうと遠慮なく出来るが、こちらはそういうわけには行かない。分かっちゃいるとはいっても何となく志野の気持ちは晴れない。

「ああ、それと谷中のキズキビトとお坊さんの話ですけど…」

 そっちの件を思い出した志野がそこまで言いかけた時だった。

 チャリンという鈴の音と共に月光館の扉が開き、阪上燐が姿を見せた。

「こんにちは」という可憐な声は何時もの通りである。

「わ、燐さん」何気に志野の声が上ずる。

 このショートボブの超絶美少女は何時見てもかわいらしく愛らしい。端末で話はしていたが、当人に合うのは三日振りくらいだろうか。

「すみません麻里子さん、ちょっと用事が長引いてしみましたので来るのが遅れました」

「ん、いいよそんなの。志野が来ないことにはだめだったしね」

「は、あたしですか…」唐突に振られた志野には何のことか覚えがない。

「うん、燐と一緒にちょっとお使い頼まれてくれないかな」

「あ、それは構わないですけど、何ですか」と言って志野は燐を見る。ニコリと笑う彼女は東都女学院の夏服姿であった。

「谷中へね。さっき志野が言った谷中のキズキビトと坊主の件、そこへ行けば多分わかるよ」

 麻里子はそう言うと、志野にニカっと笑って見せた。

 志野と燐は月光館を出て浅草に向け歩く。そこから地下鉄で上野に出て、あとは山手線で日暮里までである。「歩いても行けなくない距離よ」と燐はさらりと言うが、時計が四時を回っても陽射しは刺すように痛く暑い。こんな中を日暮里まで歩くなんて自殺行為だと思う。日傘を持って来ればよかったと志野は少し後悔した。

 上野駅で山手線のホームに上がると、ウワっとした感触の空気がまとわりつく。湿度もかなり高めなのだろう。ホームから見える駅周辺のビルに設置された温度計は簡単に三十度を突破している。見なきゃ良かったと志野は思った。

「それにしても何をしにいくのですか」ハンカチで汗を拭い志野は尋ねた。

「あーいろいろと麻里子さんが発注していたものを引き取りにね。短冊とかそんなの…」

 そう答える燐は何故かあまり暑そうに見えない。志野が首をかしげたところで電車がホームに入ってきた。

「ふええええ生き返る…」

 大袈裟に話す志野を燐はクスリと笑う。山手線の車内は当然のように冷房が程よく効いて心地いい。やっと救われたと志野は思った。

「ところで燐さんも学校とかだったんですか、制服だし」志野は燐の格好を見て改めて尋ねる。夏セーラーの胸元に結ばれた青いリボンがとてもかわいいと思う。

「あ、いえそういうわけじゃないのだけど、着替えに時間なかったからこれでいいやって」

 ちょっとはにかむ表情がまた良いのだ。

「着替えに時間ですか?それにしてもわざわざ制服じゃなくてもいいのに」

 学校での自主補修授業後の志野が制服なのはまあ当然として、学校でもない燐がわざわざ制服で来るなど、たいしたことではないが何となく気になってしまう。

「あーええと、その何ていうか、私は洋服とかあまり持っていないの。だから簡単に出かける時に何かと思うとつい、制服を着ちゃうの。普段は着物だし」と燐は最後の部分を恥ずかしそうに答えた。

「あ、へ、そうなんですか…」

 意外な答えに志野はちょっと驚く。まさか洋服が制服だけということはないのかもしれないが、普段着が着物というのはいまどきの女子高校生としてはほぼあり得ないことである。何せファッションとお化粧に一番お金を掛けているといってやぶさかでない年頃である故、服ならいくらでもという感じがまあ普通ぽい。そういえば五月に妙義に出かけた時も制服だったし、普段着の燐を志野は見たことがなかった。

 しかし、燐の事情を察すればそれも分からなくないというか、当たり前なのかもしれない。大正時代を少女として生きてきた彼女に、今のファッションをすべて受け入れるのはどこかが違うのだろう。

「まあ、そうですよね燐さんの事情を考えれば…」と答える志野に燐は小さく頷いていた。

「でももったいないですよ。燐さんほどの美少女が今時の洋服で決めればめっさかわいいです。めちゃくちゃモテます。今度一緒に服を見に行きましょうよ」

「ええ、でも私、若い人の行く繁華街とか怖いから、やめとくわよ」と

 遠慮という範疇を超えて燐は答える。

 若い人がと言ってしまう燐に志野は苦笑せざるを得ない。

「そうかなあ、絶対似合うと思うんですけど。じゃ、私には着物を教えてください」

 そう志野が答えると、燐の顔がぱっと明るくなる。

「え、そ、そう、志野さんも着物着てみる。うん、きっと似合うと思うわ、紬、いえやっぱり若いなら中振袖くらいはねぇ。袴も凛々しくて素敵そう」

 うって変わってはしゃぐ燐はやはりそっちがいいということらしい。呉服屋さんとかそういう方面のお店では話も合って、妙齢のマダムやおばあちゃまに可愛がられているんだろうなと志野は想像する。

「日暮里っー日暮里っー」というアナウンスが車内に響いた。

 暑い外に出るのは億劫この上なかったが志野は覚悟を決めて、燐は何一つ表情を変えることなく山手線を降りた。

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