第2話 通り魔

「大体さ、遅刻するとかそういうレベル、もう越えていると思うんだよね、この場合」

 志野の真正面で体を横に向け座り、アイスコーヒーのストローをくわえてズズと残りを飲み干す朝倉詩織は、ちらと横目でうなだれている彼女を見て視線をカップに戻す。詩織のすぐ横にある椅子には、原宿にあるファッションビルが夏に催すバーゲンセール特注のショップバッグが山積みになっていた。

「ごめん、本当に悪かった。忘れてたじゃ済まないことは十分分かっているから、もう機嫌直してよ」

 そう言って志野はテーブルにに額がつくほど頭を下げた。

 昨夜というよりも正確には本日の明け頃、モウリョウバッコと一戦交えていた志野は、その後こっそりと家に戻り、詩織と約束していたバーゲンに行く前に一眠りして起きる、つもりでいたのだが四度目の催促電話に目を覚ました時は昼過ぎという失敗をやかしていた。

 初日から気合を入れていく、という話になっていたので、肩透かしを食らった詩織がご機嫌斜めなのは仕方が無いと志野も思うが、だからといって遅刻の理由を説明できるわけもなく、ただひたすらに謝り続けるしかないというのは何とも情けないというしかなった。

「何かさあ、志野ってさ、私に隠し事しているよね」

「は?」

 それがどういうことを意味するのか、志野は即座にあれこれ考え巡らしてみるが思い当たることがない。友人としてまだそんなに付き合いが深いとはいえない詩織との関係だが、六月以降は何となくよくつるんでいるのは間違いない。だとしてもお互い秘密のひとつやふたつ持っていてもそう訝しがられる所以はないと思うのだが。

 もっとも志野の場合、言っても信じてもらえないような秘密?があることは事実なので、そこをもし突かれたりすれば『その通りです…』と答えるしかないとしてもである。

「わけもなく突然に姿を消したり、空や何もない場所に向かって吼えたり、あ、この間、本所の辺りにいたでしょ。そこまで来たらうちとか来るのかと思ったよ」

 横に向けていた体を真正面に戻し、詩織は真っ直ぐ志野を見る。突き刺せるくらいストレートな視線は嘘などつくことをはばかれるくらいに鋭い。

「あ、いや、そのねぇ、そうかな…」

 ここで事実を語って詩織がどういう反応をするものか。志野にはとても興味がったが大笑い、いや大丈夫かと心配されるのが落ちであると思い直し止めておく。そして詩織の家が石原であることを思い出せば、志野が月光館の近くでふらふらしているところを目撃されてもおかしくはない。

「まあ、その本所というか、東駒形に知り合いのお店があるからさ、ちょっとそこに…」

 果たして月光館のことを話して良いものかという疑問符は拭えなかったが、話の矛先を上手くかわすにはこれが妥当かと思うことにする。もともと月光館が茶館であることを考えれば、別に近所の詩織が行ったりしても不思議はないと思えたのだが。

「お店?ふーんそうなんだ。何てお店、何屋さん?」と詩織は尽かさず突っ込んでくる。

「あ、月光館ていうその、茶館というかコーヒーハウスというか、そんなお店」

 気迫負けしたとは思いたくないが、志野はさくっと答えてしまぅた。

「へえええ、志野がそんな場所でねぇ、東駒形の月光館ねぇ…」

 さらに探りを入れてこようとしている詩織の視線に、志野は心中穏やかでない。

「じゃ、さ今度そこ連れてってよ、志野が気に入って出入りしているお店なら行ってみたい」

 顔をぐっと近づけて言い切る詩織に、志野は無言のまま首を縦に振るしかない。

 わ、私って押されるとこんなに弱いタイプだったっけか、と自問する志野は考えるに詩織と付き合いだしてからかなりの確立で振り回されている事実に改めて気がつく。

 誰よ力のある覇力の持ち主は、常に周囲の人々を圧倒するとか言ったのは…

 そんなのまるで当てにならないと思えば、志野の口から出てくるのはため息だけだった。


 その後も何店か服や雑貨の店などをぶらぶら見て回り、女子高生的な普通の一日を満喫した後、詩織の家で夕飯をちゃっかりご馳走になった志野は、午後八時過ぎに彼女の家を出た。

「確かにここらあたりからなら、月光館は目と鼻の先よね…」

 停留所で中々やって来ない都営バスを待ちながら、志野はちょっとだけ顔見世していこうかなと考える。バッコの件はメールで報告しておいたもの、詳しくは後日でいいと麻里子から返信されたので明日でもいいかなと思っていたのである。

 「ちょっと歩けば着くもんなあ」と思い、志野はをとりあえず春日通りを目指す。 

 それなりに夜道でもあり、女子高校生が一人でとぼとぼというのは危険かも知れないが、何せ志野には青龍蒼牙というとてつもない用心棒がついているだけにその辺はさほど心配しなくてもいいのかもしれない。もっともはぐれモウリョウにでも遭遇しようものなら、そっちのほうが厄介であるのだが。

 無味乾燥な家々が立ち並ぶ静かな界隈の道を進み、それなりの規模がある病院の横を抜け、行く手の左に小学校のある四つ角に差し掛かった時だった。

 どこからともなくビュウという突風が志野の体にまとわりついた。そのまま空に浮き上がってしまうのではと思えるほどの風力があり踵が浮きそうになる。

 バランスを崩しかけた志野は必死に堪えるが、右手に持っていたバーゲンのショップバッグは何の抵抗もなく腕ごと彼女の顔前までふわりと浮き上がっていく。

「な、何…」

 志野が浮き上がったショップバッグを押さえようと右腕に力を込めたときだった。ざわという嫌な覇力が全身にまとわりつき、志野の本能が危険を察知したことを感覚的に教えてくれる。

 反射的に身を後ろへ反らした志野は、浮き上がったショップバッグが無残に切り刻まれていくのを眼前でしっかりと見た。冷や汗が湧き出て背中を滴るが、もし体を反らしていなければ切り刻まれていたのは志野の体そのものだったかもしれない。

「あ、あ、あたしのワンピースがああ!」とこんな場面でもそっちの心配をするとは、案外、自分もまだまだ女子であると思ってしまう。たまの買い物で見つけたお気に入りを、一度も着ることなくダメにされればそれもまた真っ当な反応ではあるのだが。

『ウンガヨカッタナ、セイリュウ…』という不気味な囁き声が志野の耳に届く。

「誰、どこのはぐれモウリョウだっ!」

 後ろ向きに飛んで間合いを取った志野は、同時に錫華御前を手にする。すべての方位に視線を走らせ全身の感覚が悪意ある覇力の存在を感知しようと働き始める。

 次の瞬間、志野は真上に突風を感じた。何が起きているのか確認する間もなく志野はほとんど反射的に御前を下から切り上げる。吹き降ろされた突風の中に打ち込まれた御前の刀身が、何か固い金属のようなものと打ち当たり払いのけられた。再度打ち込んだところで咄嗟に左へ飛び、真上から振り落ちてきた真っ黒な相手を確認する。

 ゆうに志野の倍はあろうかという巨躯、全身がハリネズミのような黒く固い毛で覆われたモウリョウは、犬に似た姿の四足獣にも見えるが今は後ろ足で立ち上がっていた。両手は鎌のような剣のような形状をしており、これで突風の中から襲ってきたということだろうか。目だけが異様にギラギラと光って耳が立ち、殺意ある覇力をその全身からほとばしらせていた。

「何奴だ!坂東江戸いろは組、四神瑞獣青龍蒼牙が主、綾川志野と知っての狼藉かっ!」と何故か時代劇の名乗りあい風に志野は叫んでみた。そこに特別な意味は何もないのだが。

 「ウオオオオ」と狼のような雄叫びを上げたはぐれモウリョウが構わず突進してくる。全身から巻き起こしているとてつもなく激しく強い風は志野を目掛けて吹き荒れ、容易に動くことを難しくした。

「ちょ、こいつ問答無用というわけ…」

 もちろん大人しくやられるというわけにはいかない。突っ込んでくるはぐれモウリョウの動きをじっくり見ながら、志野は錫華御前を打ち込むべきタイミングを計る。

 モウリョウは動かない志野を見て、舐めてかかっているのか真正面から挑んできた。突風に乗ってまさしく飛ぶように襲い掛かってくる。

 ゴウという突風が巻き起こす風音が耳に刺さり、そのすぐ後からはぐれモウリョウが両手の刃を光らせて志野に切先を伸ばす。

 ガキンという研ぎ澄まされた刃同士がぶつかる音がして、下から振り上げた志野の錫華御前とモウリョウの両腕が打ち当たって力の押し合いになる。どちらも下がるつもりなど毛頭なく、ここで倒すという強い意志をむき出しにしていた。

「こっのおおおおおお!」と叫ぶ志野は押し合いになったままの体勢で左足をモウリョウに蹴りこんだ。

 そんな事態は想定していなかったのか、簡単にモウリョウは後ろへと跳ね飛ばされる。志野は蹴った勢いでそのまま一歩を踏み出してさらに地面を蹴り加速すると、引き構えた錫華御前をすくい上げて刃をモウリョウへ打ち込む。

 バギンという刃が交じり合う甲高い音が周囲に響き、志野は際どいタイミングで今の一撃がかわされたことを悟った。

 さらに左右の腕を振り回すようにして切り込んでくるモウリョウの猛攻を御前で受け止め、流し、志野は反撃の隙を伺うが、その打ち込みの速さに何とか対応するのが精いっぱいで己の構えを直す余裕さえつかめない。

 一度離れて仕切りなおすことが出来ればと思っても、相手にその気はなくこのまま押し込んで潰すのが狙いらしい。より強烈な一撃が、グイと重たく志野の腕にのしかかり、思わずバランスを崩す。

「やばっ」

 倒れることはなかったが、隙が出来たのは間違いない。暗闇に光るモウリョウの目が好機と見て取り、これまで以上の一撃を振り落としてきた時だった。

 突然、どこからともなく投げ込まれた鋼色の錫杖が、志野とモウリョウの間に割って入りアスファルトの地面を割った。頭部の輪形に通された遊環(ゆかん)がシャリンと音を立てる。

「な、何、誰…」

 その隙を逃すことなく間合いを取って下がった志野は、その錫杖が飛んできた方向に目をやる。一見して僧侶か修験者と思しき格好をした大男が菅笠を持ち上げて頷き、ニヤリと笑ってこっちを見ていた。

 同じように一度下がったモウリョウも苛立ちを隠せず僧侶と志野を交互ににらむ。

「こいつ、やるわ…」

 額と背中に滴る汗を感じながら余裕たっぷりな科白を言ってみる志野だが、正直なところは心臓がバクバク状態なのは何時も通りだった  多少の場数は踏んできたとはいえ、まだまだ何とか勝つくらいが今の状況である。麻里子や燐のように片手で楽勝というわけにはいかなかった。

「だけどここで、負けるわけにはいかないしね」

 渇いた口の中のどこに残っていたのか、志野は生唾をゴクリと飲み込み錫華御前を回して下手に構え直す。

 殺意をむき出してこちらをにらむモウリョウに、心を落ち着かせながら自身の覇力を集中させていく。

 はぐれモウリョウもまた、必殺の一撃を放つべく全身に覇力をみなぎらせていた。

 すっと上がった錫華御前の切先が合図になったかのように、志野とモウリョウは同時にその場を飛ぶ。

「龍爪激裂っ!」

 振り上げられた志野の錫華御前から怒涛の衝撃波がはぐれモウリョウを狙って打ち出される。ほぼ同時にモウリョウも交差させた両腕を振り開くようにして、同じような衝撃波を志野へと放った。重なり合う衝撃波が真っ向からぶち当たり、これまでにない激しい轟音と余波を周囲にも拡散させていく。

 錫華御前をくるりと回して防御の構えで凌ぐ志野だが、考えていた以上にはぐれモウリョウの力は強いと感じる。どうやら並みの覇力の持ち主ではないということか。

 バリバリガシャンというガラスが割れる音が連鎖して聞こえ、電柱がなぎ倒され、電線が切れる。あっという間に周囲は停電し、家屋や雑居ビルの壁が崩れ屋根も飛んだ。

「はう…」やってしまったと志野は焦ったが、それよりもモウリョウのほうが気になった。すぐさま四方に気を飛ばすが引っかかるものがない。

「逃げた?何時?停電になった時かな」と志野は思う。

 突然の惨事に「何ごとだ!」と周りのビルや家屋から多くの人々が這い出してくる。窓が開く音がして怒声や悲鳴が耳に届く。

「うわ、やば…」早々に退散したほうがいいなと志野が思った時だった。

 真っ暗になった街の中、確かにこちらを意識している存在が一つ、いや二つ。周囲をもう一度見回す志野の目に雑居ビルの屋上からこちらを見下ろす人影を見つける。さらには小学校の屋上か。

 どういう類の連中なのかはわかりかねたが、モウリョウではないと志野は思った。

「ではキズキビトだということ…」

 志野が存在を察したことに気がついたのか、雑居ビルのほうはさっさと退散した。小学校のほうは何か思わせぶりな威圧感を見せているようにも感じたがその数秒後に消えうせる。

 さらにはあの僧侶の姿もなかった。

「たく、どういうことよ」

 聞こえてくるパトカーや救急車のサイレンとこの界隈の人々のざわつく声を聞きながら、志野はまた何がが起こり始めているのだと思うしかなかった。

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