その4 嫌いになった先生の話

 急にふと思い出したので小学生の時に嫌いになった先生の話について書こうと思います。




 私が竹山たけやま先生(仮名)と出会ったのは小学2年生の秋か冬だったと思います。


 担任のY先生が産休で休みに入り、その代わりで来たのが竹山先生でした。


 竹山先生は小2から見たらおばあちゃんに見える年配の先生。それくらいの年齢の先生というと校長、教頭あたりの先生だけだったので、何となく怖そうだなというのが私の第一印象でした。銀縁眼鏡に少し神経質そうな顔立ち。優しくて明るいY先生とは対象的な雰囲気。


 クラス内も微妙な空気になったまま初日は過ぎました。下校中も友人たちと「何か厳しそうだね」なんて話に。


 ですが竹山先生は話上手でわりとすぐにみんなこの先生には慣れていきました。


 竹山先生はいつも授業中や帰りの会になると面白い話をしてくれたので、教室もよく盛り上がりました。


 その面白い話というのは明らかな作り話でしたが、内容がぶっ飛んでいたせいかクラスでもとてもうけていました。私も竹山先生の話に笑っていたことを覚えています。


 その竹山先生の話というのは『帰宅途中でUFOに連れ去られたけど宇宙人と仲良くなった』とか『川から大きな桃が流れてきて拾おうとした』など、さすがに小2も騙せないような作り話です。


 それでも竹山先生の話術が優れていたのか、みんな夢中になって、時には爆笑しながら聞いたものです。


 そんなわけで私もすぐに竹山先生が好きになり、みんないつしか先生のことを竹先生、竹ちゃん先生なんて呼ぶようになりました。


 



 私は小学3年生になり、担任は引き続き竹山先生になりました。クラス替えで一緒になった幼なじみのMちゃんなんかは最初こそ「竹山先生っていい先生なの?」といぶかしんでいたものの、Mちゃんもすぐに竹山先生が大好きになりました。


 初めて竹山先生が担任になった子たちにも先生の作り話を楽しんでいました。


 まだこの時は私も竹山先生のことは好きでしたが、モヤモヤとする案件が一つ起きたのです。


 3年生になり算数の授業で、私は割り算に苦戦させられました。元々算数が苦手で、掛け算も苦手だったせいで、割り算が難しくて、私にはさっぱり理解できない。


 でも優しい竹山先生なら聞いたら教えてくれるだろうと放課後に先生に割り算のやり方を聞きに行きました。


 そこで竹山先生は丁寧に教えてくれたかというと、そんなことはなく


「これくらい家で勉強しなさい」と一蹴されてしまいました。


 その時は「他の子は割り算のことなんて聞いてないし、それが普通なのかも」と先生に頼るのは諦めました。


 


 多分5月頃だったでしょうか。時期は明確には覚えていませんが、Y先生が出産したというニュースがクラスに伝えられました。


 そこで竹山先生が「Y先生は子供を産んだばかりで大変だから、Y先生を励ますために手紙と歌を贈りましょう」と提案したのです。


 歌はとある童謡のメロディーに合わせて、Y先生へのメッセージをクラス全員で作詞することに。


 竹山先生が一人一人の作詞をチェックして、よかった詞を採用して一つの歌にするというもの。


 作詞経験なんてなかったですから、これにはかなり頭を悩ませました。


 今となってはどんな作詞をしたのか細かくは覚えてませんが、私は『早くY先生に会いたいな』という一文を入れたのは確かです。ない頭をフル回転させて、Y先生が喜んでくれそうな詞を書いたわけです。 


 ですがそれは竹山先生的にはNGだったようで、「砂鳥さん、この歌は"みんな"が思ってることを歌詞にしないとだめなのよ。"あなただけ"が思ってることを書いてはダメ」とその歌詞に赤ペンでバツを入れられました。


「Y先生が大好きな子もいるのに何で?」と当時は疑問でした。 


 今思うと竹山先生からしてみれば「早くY先生に会いたいってことは私のことは嫌いなの」と思わせてしまったのかもしれません。もちろん私はそんなつもりはなかったのですが、思えばここから私は竹山先生に嫌われたような気がします。


 この作詞の件には少し納得いかなかったものの、それで竹山先生を嫌いになるということもなく日々過ごしていました。





 ある日の休み時間。私は絵を描いてました。かわいいお姫様の絵です。私は絵を描くのが好きでしたから、その絵は自分的にはかなりの自信作でした。


 だからこそ竹山先生に褒めてもらおうと、私は先生に絵を見せに行きました。


 だけど先生は「この子、頭頂部に髪の毛がないわね。カッパなの?」と言われ、私の自信は砕け散りました。


 絵としては前髪を縦線で描いて、頭頂部は頭の形に沿って丸く線を引いただけ。確かに頭頂部に細かく線は描き込んでませんが、そういう描き方は漫画とかでもよくある表現です。


 でも竹山先生にとっては前髪しか描いてないおかしな絵に見えたのでしょう。


 私はそれ以来絵を描く時は髪の毛を一本一本描いて埋めるようになりました。そうしないとダメな絵なんだと思ったからです。


 気持ち的にモヤモヤしたものの、この時点では竹山先生のことはまだ好きでした。






 校内で出している広報に先生を紹介する記事を載せることになりました。


 どんな先生なのかを書いた紹介文と似顔絵を児童が書くことになり、紹介文は学級委員のHちゃんが担当。似顔絵は希望者が描いて、その中から先生が選ぶことに。


 絵が好きな私はもちろん参加して描きました。描いた似顔絵を意気揚々と先生のところに持っていくと、パッと見て「これはダメね」とすぐに机の脇に避けられる有様。即没! という悲しい事態になってしまいました。またもや自信作の絵は没に。


 でもわざわざダメなんて言わなくてもよくない? そんなモヤモヤが募り、そこから段々と竹山先生が好きという気持ちと苦手という気持ちが混ざり合うようになっていきました。






 梅雨が来て毎日雨続き。そんな時期だったからでしょうか、竹山先生は風邪を引いて学校を休んでしまいました。


 そこで幼なじみのMちゃんが「先生を励ますために手紙を書こう!」と言い出したのです。


 竹山先生、学区内に住んでいて私たちが住んでいたアパートから徒歩5分くらいの場所に家があったんです。


 だから手紙を書いて直接届けようとなり、私とMちゃんは白い紙に手紙と先生の似顔絵を書いて、家まで渡しに行きました。


 先生は突然来た子供たちに嫌な顔をするわけでもなく、受け取ってくれたのです。


 私たちは先生が喜んでくれたことにほくほくしながら家まで戻りました。


 それから数日後、先生が私たちに手紙の返事をくれたのです。


 私とMちゃんはお互いにもらった手紙を見せ合いました。


 Mちゃんの手紙には文章びっしりで、先生の手描きイラスト付き。


 私への手紙は私が描いた絵を切り取ったものを貼り付けて、数行の手紙。


 どちらの手紙がよくて悪いかなんて決めていいものではないでしょう。


 でも私はMちゃんには沢山書いてるのに、私には少ししか書いてないことが不満でした。


 その上手紙に描いた絵を切り取って貼り付けてある。私が書いた手紙は絵を切り取ったから穴が空いてるはずです。そんな穴の空いた手紙を捨てずにいてくれるだろうか⋯。そんな気持ちがしてまたもやモヤモヤする私。


 でももらった手紙に喜ぶMちゃんを見ているとそんなことも言えず。


 きっと私の手紙も大切にしてくれてるはず、と思い込むことで抱いた不安について考えるのはやめました。







 あれは秋の遠足のことでした。行った場所はよく覚えてませんが、確か山だったと思います。ハイキングをした記憶がうっすらと残っています。


 帰りのバスを待つために3年生一行はどこかのだだっ広い空き地のような場所で座って待つことになりました。


 バスが来るまで時間があるとのことで、先生からおやつを食べてもいいと言われて、みんなでおやつを食べたり交換したりと、楽しい時間になりました。


 クラスメイトたちは次々に竹山先生の元に行き、おやつをおすそ分け。先生も喜んで受け取っていました。


 私も渡しに行こうかとは思うものの、苦手意識も芽生えていたので、やめておこうという気持ちも。渡すか渡すまいか悩んでいる間にもみんな渡しに行きます。


 みんなが行ってるなら、と私も勇気を出して竹山先生の元へ。


 先生は「ありがとう〜。嬉しいな」と笑顔で受け取ってくれました。よかったとほっとしたのもつかの間、先生は目の前に座るKさんに「ゴミ袋持ってる?」と聞くのです。私は何となくそれが気になって戻れずに見ていました。


 ゴミ袋を差し出すKさん。その袋に私が渡したお菓子を捨てる竹山先生。


 他の子のお菓子は受け取って食べていたのに、私があげたお菓子は捨てた。


 それがショックで竹山先生のことが嫌いになる決定打でした。





 

 月日は流れて3月。 


 来年にはY先生が復帰するから、竹山先生はやめてしまう。そこでPTAで竹山先生のお別れ会を公民館を借りて開くことになりました。


 普通はそこまでしないと思いますが、竹山先生は大人気でしたから、そんな様子が保護者にも伝わっていたのでしょう。


 多分、歌とか劇とかゲームとかしたような気がするものの、私はその時には竹山先生へは冷めた気持ちしかなかったので、まるで覚えてないのです。


 覚えていることと言えば、向かいに座ってたTくんがぼろぼろ泣いていたことだけ。それを見て「Tくんって竹山先生との別れが辛いんだな」とぼんやり思っていたことだけが思い出せるわずかな記憶です。



 こうして竹山先生は去っていきました。





 後日談がいくつかあるのでそれを。


 私が中学一年生の時です。友人のEちゃんと帰宅途中でした。いつも私たちが別れる十字路近くにあるバス停に竹山先生らしき人がいることを、Eちゃんが気づいたのです。


「ねぇ、あれ竹山先生じゃない? 挨拶した方がいいかな?」と言い出すEちゃん。 


 私は言われてみれば竹山先生っぽいけど、だから何だという気持ち。


「別にこっちに気づいてないし、挨拶なんてしなくてもいいんじゃない」と返しましたが、Eちゃんは「竹山先生っぽいから挨拶してくる」といい、バス停まで行ってしまいました。


 しばらくすると戻って来たEちゃん。


「やっぱり竹山先生だったよ。でも私のこと覚えてなかったみたい」


「竹山先生ってそういう先生だから」


「先生のことを悪く言うのは良くないよ。子供なんてたくさんいるし覚えてないのは仕方ない。はと子ちゃんも挨拶してきたら? はと子ちゃんは3年生の時も竹山先生だったし覚えてるかも」


 なんて言われたけれど、嫌いな先生と話したいなんて気持ちがあるわけなく、私はバス停に背を向け帰りました。




 最後に竹山先生と会ったかもしれないのは高校生の時でした。


 その日は家の用事で学校を休んでいて、平日でしたがお昼を食べるために家族と駅前の商店街にいました。


 今では寂れた商店街も、当時は平日でもそこそこ人で賑わっていました。


 たくさんの人の合間をぬって目的地を目指して歩いていると、竹山先生によく似た人とすれ違いました。こちらには気づいてません。


『今の竹山先生っぽいな』


 と思って振り返ると、すでに人に紛れてそれらしき人は見失いました。


 あの人が見間違いでなければ、これが竹山先生と会った最後です。

 


 私が唯一嫌いになった先生。


 私の胸に小さな棘を残していった先生。


 そんな先生の話でした。 

 









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なんか読まなくてもいい話 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko

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