紅茶の香りが届く距離

koto

紅茶の香りが届く距離(SS)

 意図せず漏れた溜息に、傍らのその人が顔を上げた。

「何かあったの? そんな顔して。最近変だぞ」

 無邪気なまでにストレートに問いかけてくる言葉と視線に、応えそうになった口を必死に閉じる。

「何でもない。酸素が足りないだけ」

「酸素ぉ? まあお前らしいけど」

 そう返しつつもどこか心配そうな色を宿す双眸を、今は真っ直ぐに見返すことができなかった。

 スマホからメールの着信を知らせる音色が聞こえたのをいいことに、そちらに関心をひかれたふりをして視線を逸らし、しかしスマホを手に取らないまま庭を見た。

 大きな窓から差し込む日差しが、テーブルにコントラストを描く午後。私と照彦はいつものように思いつくまま語り合い、お茶を飲んでは「美味しいね」と微笑み合い、ゆったりと流れる時間の中にいた。

 それは心地よくて幸せな、かけがえのない時間だったのだけれど、私にとっては不満と痛みが棘のように刺さるひとときでもあった。

 どんなに愛しくても手を伸ばしてはいけない人がいる。その人の幸せを願うならば決して。その人が大切な友人の片想いの相手ならなおさらだ。

 なのになぜ、彼は彼女の所ではなく我が家に足しげく通ってきて、手土産の菓子を掲げて茶をねだるのだろう。

 それは、私たちの家が隣同士で、私と彼とは幼馴染だからだ。さらに言えば彼は私の淹れるミルクティが子供の頃から大好物で、「一日一杯飲みたい」とかほざいているからだ。

「いやー、やっぱり詩織の淹れるミルクティは最高だわー、何でお前喫茶店で働かないの? 絶対これ金とれるって」

「ミルクティだけ出す喫茶店? またニッチなことを。私は今の仕事が気に入ってるし、お茶を淹れるのは趣味でいいよ、別に」

 褒められると悪い気はしない。でも、こうして穏やかな時間を共有していることを知っていて、咎めずにひっそりと悲しそうな笑顔を浮かべる友人を思い出すとあまりいい気持ちではない。

 でも、目の前にある彼のお手製ケーキには罪がないので食べる。今日も美味しいし、ちょっとだけ笑みを浮かべてしまうのは仕方ないことだ。

 私の口元が緩んだのを見てとったからか言葉を継ごうとした彼に、私は罪悪感から少し畳みかけるように告げた。

「そうそう、涼香が今度照彦のケーキ食べてみたいって。あの子スイーツ好きだしね。あんたこそケーキの店でも開いたら? 涼香そういうの応援してくれるよきっと。私は食べるばっかりだけどそこが違うよねー」

 少し早口でまくし立てながらケーキにフォークを入れる。

「私ばっかり照彦の時間をもらうのはなんか勿体ないよ。もっとみんなに食べてもらいなよ。あっ、今度涼香うちに呼ぼうか? んで照彦ケーキ食べてもらいなよ」

 痛い、痛い痛い痛い。胸が痛む。

 でも我慢しなきゃ。涼香はいい子なのだ。とても素敵で優しくて大事な友人なのだ。その彼女が惚れた相手なら、応援しなきゃならないのだ。絶対私といるよりああいうタイプの方が照彦は幸せになれると思うから。

 胸の痛みをこらえてケーキを飲みこんでから顔をあげると、照彦はひどく剣呑な表情を浮かべていた。

「お前さ、まだわかってないの? そういうの、いいから」

「何がぁ? 甘いものが好きな優しい子とあんたを引き合わせようってだけじゃない」

 先程私がついたよりももっとずっと深いため息をついてから、照彦はこちらをにらんだ。

「俺がケーキを食べてほしいのも、一緒に過ごしたいのも、茶を淹れてほしいのも、お前だけなんだけど」

 飲みこんだはずのケーキがのどに詰まった気がした。息が全くできなくなるほどに。

「は、初めて聞いたなぁ……でも、だめだよ。私とじゃ照彦は幸せになれないよ」

「どうして? 俺はお前を望んでいるのに? お前はほかに誰かいるのか?」

 こんな風に詰問してくるのは初めてだった。震える手でフォークを皿に戻し、目を逸らす。

「いない、けど」

「じゃあいいだろ? 俺と付き合え。んで一生俺の作る甘い物食ってろ。そんときにミルクティ淹れてくれればそれでいいから」

 体がこわばって、舌が凍る。それとは正反対にひどく顔が熱い。

 報われないまま絶えてしまう想いならば、伝えるまでもなくそのままでいいと思っていた。そんな諦めをいともたやすく打ち砕いた彼は、眉間にしわを寄せて凶悪な顔つきでこちらを睨んでいる。

「それは、プロポーズですか」

「おう」

「私、友人を裏切りたくないんだけど」

「涼香さんには告白されたけど、断った。お前が好きだからってはっきり言った」

 変な声が出た。目玉をぽろりとこぼしそうになるほど見開いたので視界がえらく広くなった。その視界の真ん中で、彼は真顔でこちらを見つめている。

「はあ!? 聞いてないよ?」

「ああうん、ついさっき。ここに来る前に言われた」

「ちょ、ちょっと待って!?」

 そういえばさっきメールの着信音が鳴っていた。照彦と一緒の時間を堪能したくて触らないままだったのだけれど、まさか。

 慌てて携帯を手にして履歴を辿ったら、やはり涼香からのメールが入っていた。

(振られちゃった。でも大事な友達が幸せになるならいいや。色々ありがと、頑張れー)

 文面はそれだけ。それだけの文面を涼香はどんな思いで打ったのだろうと考えたら目頭が熱くなった。

 呆然自失の私を照彦はじっと見つめたままだった。色々な想いが渦巻いて、座っている椅子から転げ落ちそうなくらい動転している私の前で、彼はカップに残ったミルクティを一気に飲み干すと、立ち上がる。

「帰る。とりあえずさっき言ったことは本気だから。早いとこ返事くれ」

 勝手知ったる我が家からすたすたと出ていく彼を座ったまま見送って、とうとう椅子から崩れ落ちた。隣の家の扉が開いて閉まる音が聞こえる。慌てて玄関へ行って鍵をかけると、自分の足取りがふわふわと心もとないことに気付いた。

 ああ、私、浮かれている。

 友人が振られたっていうのに、自分の長年の片想いが実って、喜んでる。

「うっわ、サイテー」

 ひんやりとした空気が火照る頬を撫でてきた。午後の柔らかな日差しはすっかり傾いて色づいている。あっという間に時間が経ってしまっていた。涼香に返信しないといけない。でも、何と答えればよいのだろう?

「ありがとう」

「ごめんなさい」

「大丈夫?」

 どれもそぐわない気がして、打っては消し、打っては消しを繰り返しているうちに陽が落ちた。

 ようやく彼女に

「連絡ありがとう、正直に言って私も照彦が好きです。隠していたけどバレてたんだね。ごめんなさい。こんな最低な人間、嫌われても当然だけど、私は涼香が大好きです」

 こんなぐちゃぐちゃのメールを送り付けたころには星が瞬いていた。


 翌日。

 あのあと涼香からの怒涛のメールと電話攻勢の結果、急遽夜飲みに行くことになった私は二日酔いに苛まれていた。

 土下座しそうな勢いで詫びる私に涼香は苦笑して「判ってたけど、辛いなぁ。でも詩織ならいいや」と優しく応えてくれた。色々ぶちまけあった結果、女二人でクダをまき、酒を浴びるように飲み、最後は笑って手を振ってくれた彼女には一生頭が上がらない気がした。

 痛む頭を抱えながらベッドでうずくまっていると、枕もとでメール着信音が響いた。照彦からだった。

「今日、そっち行っていいか?」との問いに「二日酔いだから無理」と返信すると、隣の家の窓が開く音がした。

「詩織―。窓開けろー」

 強引極まりない。が、放置するとずっと呼ばれそうだったので仕方なく痛む頭をさすりながら窓を開けると、照彦が1.5mほど向こうからこちらを見ていた。

「何よ……頭痛いんだけど」

「大丈夫か?」

「さっきまで寝てたんだから、大丈夫じゃないよ」

 うるさげに対応している私ににっこりと笑う彼。

「今日はプリンにしてやるよ。それなら食えるだろ?」

 昨日の今日でそれか。よくもまあ、とあきれるやらおかしいやらで思わず笑みがこぼれた。 

 柔らかな風が彼と私の間を吹き抜ける。彼と私の間の距離はいま、1.5m。手を伸ばしても1.5mは届かないけれど、あとで玄関の扉を開ければ彼はきっとプリンを載せたお盆を持って立っている。

 ごめんね、涼香。私、手を伸ばすわ。

「ん? どうしたそんな顔して」

「何でもない。あとでプリン持ってきてよ。お茶入れるからさ」

 その答えに満足したのか、彼は少し話した後窓を閉めた。

 再び遠く隔てられた私と彼の間に、それでも確かなものを感じてこちらも窓を閉める。

 大丈夫、もう迷わない。ちゃんと、手を伸ばして捕まえる。

 もう不安よりも幸せの方が強くなっている自分の心境に少し戸惑いながらも、私は着替えてお茶の時間にそなえて階下のキッチンへと降りて行った。うん、大丈夫。もう、二人で歩く覚悟ができた。

「きっと大丈夫だ」って、今なら言える。


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「意図せず漏れた溜息に、傍らのその人が顔を上げた」で始まり「きっと大丈夫だって、今なら言える」で終わります。

#shindanmaker #こんなお話いかがですか

https://shindanmaker.com/804548

上記の診断を元に書きました。

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紅茶の香りが届く距離 koto @ktosawa

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