第6話 春を呼ぶ歌

 セキはいつもの着流しに羽織りを引っ掛け、店の前を竹箒たけぼうきで掃いていた。夕暮れの冷たい風は春を感じない。それでも少しだけ日が延びたようで明るさが残る空が嬉しくて見上げる。後ろではユナが木目の扉を磨いていた。


「おはよう御座います!」


 元気な声で出勤したのは見習いで入ったばかりの麗奈れいなだ。


「おはよう。麗奈ちゃん。昨日はゆっくり休めれた?」


「はい。でも、四月から美容学校に通うので、提出書類をまとめてました。凄いんです! 現職にここの店書いたら美容組合に入っていてなんの問題もなく書類通りました」


「もちろんよ♡ うちはちゃんと組合費も払ってるんだから…」


 ジャリ…という音で、そちらを見れば昨日会ったばかりの正樹が照れくさそうに頭を下げた。


「あら、こんばんは。今日は残業はないのね」


 セキが簡単に昨日のお客である事を麗奈に説明すると、随分板についたなぁと思う笑顔で挨拶をする。


「ようこそ。こちらにお世話になっています麗奈です。よろしくお願いします!」


「ふふ、彼女だけはね、実はあたし達とは違うの」


 彼女はオーナーがここで働くのを認めた唯一のだ。

 正樹が昨日のお代を持って来たと言うのでセキは、やんわりと頂いている旨を伝えたがどうしてもと言う正樹に押され、店内へ招き入れた。店に入ると正樹に驚いたオーナーにセキが苦笑する。


「昨夜のお代を持って来て下さったそうよ。オーナーに貰って欲しい物があるんですって」


 正樹は、鞄から大きな封筒を取り出した。それは、三枚のA四サイズの写真。

 一つ目は正樹が二十人の仲間とげた手筒花火の写真。横一列に並ぶ二十本もの火柱はまるで滝飛沫たきしぶきの如く闇夜に火花を咲かす。人が下で支えているのが影で辛うじて分かるのだが、熱に耐え、覚悟と誇りを抱いて火の粉を浴びる彼等こそ主役だろう。


 もう一つは足元でつつぜた瞬間を捉えた写真。人と筒が爆ぜた火の粉で境目などわからない程の黄金色こがねいろに染まる。彼等はそのハネの瞬間に全神経を注ぐのだ。


 そうして、最後の一枚の写真に…、セキ達の目が見開かれた。麗奈は一人きょとんとオーナー達を見渡す。あきらかに動揺が伝わり見上げたオーナーの美しい頬をすーと一筋の涙が流れた。ただただ戸惑う正樹に、セキが柔らかく微笑む。


「最高のお代を頂いたわね。オーナー…」


「…ええ。……早速飾りましょう! 私は奥が良いと思うわ!」


 直ぐにいつもの彼女達にもどると、入口の扉横か奥かで飾る場所を揉めだした。麗奈とユナが写真を持ち上げ、ここは?ここは?と動き回る。ゲンスケがそこ!と言うたび、エモトが違う!と答えるのはいつもどうりなのだろう。


「又、駅前の民謡居酒屋に行く事もありますか?」


 心ここにあらずの正樹の問いかけ。

 みそぎの神事。この写真の何が、彼女達ゆうれいたちに衝撃を与えてしまったのだろうか…。一瞬だけわずかに揺らいだオーナーの表情はあまりにはかなくも…歓喜に満ちた美しさだった。


「もちろん行くわ。この子の入社祝いもしないとね!」


 変わらずニッコリ微笑むオーナーの黒い瞳はもう揺らぐ事は無く、あの涙をも幻なのかと思われた。


炭坑節たんこうぶしは、流さないよう店に頼みましょうか?」


「どうして?」


 心底不思議そうに小首をかしげるオーナーの顔は、今迄で一番可愛らしく幼くさえ見える。


「だって好きじゃないんでしょう?」


「あら、そんな事ないわ! 炭坑節は春を呼ぶ歌ですもの!」  


 満面の笑みでオーナーが言う。セキは、そんなオーナーを見て、何だって楽しくしちゃうのがうちのオーナーね♡とクスクス笑った。麗奈の持つ写真を眩しそうに眺めながら…。


 もう春がそこまで来ている。


 あなたも背伸びして、ワンステップうえの毎日を楽しみましょう。


   おわり



最後までお読み頂き心より感謝致します。

皆様に、極上の幸せが毎日訪れる事を願って。

       高峠たかとう 美那みな

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美容室は怪奇な所でございます【弐】 高峠美那 @98seimei

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