恋心

さいとう みさき

触れると壊れてしまいそうなモノ


 ―― 人が恋するというのは苦痛の始まりだ ――



 誰が言ったのか忘れたけど、私は窓の外を見ながらそんな言葉を思い出す。

 


 「白川、次読んでみろ」



 授業中にそう言われドキッとする。

 見れば長い黒髪を揺らし白川さんが立ち上がる。

 

 すらっとした高身長。

 後ろ姿からも分かる気品漂うその姿。


 私は思わず彼女を見る。

 そして聞こえ始める彼女のカナリヤのような声。



 始まりはなんて事の無いモノだった。


 二年生になって初めて見る顔の中に彼女がいた。

 私はその時「奇麗な人」と言う印象しか無かったはずなのに一学期が終わる頃にはいつも彼女を目で追っていた。


 自分から彼女に話しかける事は無い。

 仲良くしたいと思う気持ちも無い訳では無いけど、何を話せばいいのだろうか?


 同じ同性なのに彼女の事が気になって仕方ない。



 「次、そうだな中村、お前読んでみろ」


 「はぇ!? あ、えっと、そのっ!!」



 白川さんの事を考えていて全くの無防備だった。

 先生にいきなり名指しされ読めと言われても何処を読んでいたのかでさえわからない。



 「中村、ぼうっとしてんじゃないぞ?」



 途端に周りから笑い声が上がる。

 私は思い切り赤面してしまうが、白川さんはこちらを振り向き教科書を差し出す。



 「中村さん、ここからね」


 「え、あ、ありがとう。えーと……」



 白川さんから話しかけられた!

 私はそれだけで心臓が高鳴り、そして赤面が更に赤くなる。


 それは恥ずかしさでは無く、興奮しての赤面。

 白川さんが私の為に読む場所を教えてくれている! 


 それだけの事なのに彼女の存在はますます私の中で大きくなっていった。



 * * *



 「ねえ、そろそろ帰ろうよ」


 「あ、うんちょっと待って……」


 友人から一緒に帰ろうと言われ慌てて荷物をまとめる。

 ちらちらと白川さんを盗み見ながら今日もまた終わる。


 でも今日は白川さんに授業中に助けてもらった。


 それだけで私は気分が高揚している。

 盗み見ている白川さんが立ち上がり教室から出て行く。

 でも教室を出て行くその瞬間こちらをちらっと見る。



 どきっ!



 え、何?

 今白川さんが私を見た?



 「ほら、早く帰ろうよ~。あ、帰りにミスド寄っていこうよぉ~」


 友人からそう言われるけどこの胸のドキドキが収まらない。

 白川さん、一体何だったのだろう?



 * * *



 「そう言えばさぁ、あの噂知ってる?」


 「噂?」



 友人とドーナッツをかじりながらたわいない話をしている。



 「うちのクラスの白川さん、援交してるって噂よ?」


 「えっ!?」



 ガタッ!



 あまりの事に驚き思わず席を半立ちしてしまった。


 

 「ちょ、ちょと驚きすぎだってば」


 「白川さんが、え、援交? うそ……」


 「まあ噂だし、でもなんかお金持ちっぽいオジさんと一緒に居るのを見たって人多いよ?」


 「まさか、それ本当?」


 「うーん、噂だと何人かのオジさんと一緒に居たり何処かのビル入って行ったりって聞いたなぁ」



 ジュースのストローに口をつけながら友人はあまり興味なさそうにそう言う。

 でも私はそれを聞いてからまるで地面が大地震になったいるかのような錯覚さえ覚えるほどふらふらとしてしまう。



 「ちょっと、大丈夫?」


 「あ、うん、少し驚いただけ。まさかうちみたいな田舎の学校でそんな話聞くとは思わなかったから……」


 「だよねぇ~。いくら東京まで電車で二時間だって言ってもこんな北関東の片田舎じゃ相手してくれるおじさまだっていないもんね~」


 からからと笑う友人に対して私は力なく席に着く。

 頭の中では白川さんがそんなことするはず無いとか、噂はきっと何かの間違いとかそんな言葉が巡り巡っていた。


 

 * * * * *



 翌日私は教室で白川さんを見る事が出来なかった。

 いや、目の端では彼女を追っている。

 でもその顔を見る事が出来なくなってしまっているのだ。



 白川さんが援交だなんて!!



 ずっとその事が頭の中をぐるぐると回っている。


 信じられない。

 いや、信じたくない。


 あんなに奇麗で優しそうな彼女が何故?


 そしてこの焦る気持ち。

 うずうずと心の奥底から湧いてくるようなもやもや。


 だめ。

 白川さん、そんな事しちゃダメ!


 押しつぶされそうになる気持ちで授業中も白川さんの後姿をチラ見する。


 長い黒い髪の毛がさらさらとしていてとても美しい。

 そんな美しい髪の毛を知らない男の人に?



 ドクンっ!



 心臓が大きく高鳴る。

 

 駄目、そんなのやだ。


 白川さんはずっと奇麗で汚れを知らないままでいて欲しい。

 いや、知ってはいけないんだ。



 あなたは美しく、尊い。

 私の理想。

 触れてはいけないとても大切なモノ。



 だから汚れてはいけないの!!



 押しつぶされそうになる気持ちを私は鉛の様なモノをお腹の奥底に抱えてしまっていた。



 * * * * *



 友人に用事が有ると言って先に学校を出る。

 そして道端でスマホをいじるふりをして白川さんが校門を出てくるのを待つ。

 ここ数日同じような事ばかりしている。



 程無く白川さんが校門から出てくる。

 そして繁華街の方へ歩いて行く。


 今までとは違う逆方向。


 私はそれを気付かれないようにそっと後を追う。



 白川さんがスマホの画面を確認してきょろきょろと周りを見る。

 そして古風な喫茶店を見つけると迷わずそこへ入ってゆく。


 私は近くのコンビニに入って雑誌を見るふりをして様子をうかがう。


 どれ程時間が経ったのだろう、白川さんと中年の男性が出て来た。

 特に変わった感じはしない普通の感じの白川さん。


 しかし私の心臓は大きく鳴り始めた。



 まさかその人が援交の相手!?



 年の頃四十過ぎくらい、、お父さんより少し若いような人。

 背広ではないカジュアルジャケットを着込んで、見た感じもややおしゃれっぽい人。

 こんな時間にふらふらしているだなんて普通の仕事をしているようには見えないよな人。

 そんな人と白川さんは何か話しながら歩いて行く。


 私は慌ててそれの後を追う。

 すると繁華街の更に奥にある雑居ビルに入ってゆく。



 まさか、本当に!?




 そう思った瞬間勝手に足が動いていた。



 「し、白川さん!! 駄目ぇっ!!」


 

 思わずビルに入る白川さんに叫んでしまった。



 白川さんが汚される。

 あの奇麗な髪が、肌が、顔が!!



 そんなの我慢できない!



 白川さんはずっと奇麗なままでいなきゃだめなんだ、そんな事しちゃだめなんだ!!


 

 「え? 中村さん??」


 「うん? 君の知り合い?」



 振り返る白川さん。

 それはいつも通りで私が目の前に現れてもその表情は何も変わらなかった。


 白川さんにとって私はただのクラスメート。

 ただの顔見知り。


 でも、でも私にとって白川さんはかけがえのない憧れ。


 いや違う、好きな人。



 「だめっ! 白川さんがそんな事しちゃダメっ! 嫌だよぉ、白川さんが汚されるなんてぇ、駄目だよぉ」



 何時しか私はぼろぼろと涙を流し始めていた。

 それに驚いた白川さんは慌てて私の所へやって来る。


 「ど、どうしたの中村さん? なに? 何が有ったの??」


 「駄目だよぉ、白川さんがそんな事しちゃ、援交なんかしちゃ嫌だよぉ、私、私、白川さんが好きなの、白川さんが汚されちゃうなんて我慢できないよぉ」



 ぼっ!



 涙をぼろぼろ流しながら白川さんの腕を掴んで揺さぶる私に白川さんは今までに見せた事がないほどの真っ赤な顔になる。

 そして言葉にならない言葉を発している。



 「なななななななっ!?」




 「ふぅうぅん、これはこれは愛の告白の場面だなんて、青春だねぇ」


 「いやいや、あんたが誤解させるようななりしているからでしょ?」


 「あれ? 荷物持ってきたけど、どうしたの?」



 いきなりそんな声が周りから聞こえる。

 知らない大人たちが集まって来る。


 白川さんは真っ赤なまま何か言おうとしているけどわなわなと唇を震わせるだけで言葉が出てこない。



 「うーん君彼女のお友達? 誤解させたなら謝るね。別に彼女は援交してるわけじゃないんだ」


 「いやいや、あんたとJKが歩いてればそう誤解されるって。ごめんごめん、私たち撮影スタッフなのよ」


 「なんだなんだ? もしかしてこの子もモデルか?」



 「へっ?」



 ぼろぼろと涙を流している私にその大人たちが話しかけてくる。

 そしてよくよく見ればさっきの男の人以外にも女の人やガタイのでかくてたくさんの荷物を持っている人もいる。


 私はぐちゃぐちゃの涙顔のまま白川さんをもう一度見る。

 白川さんはやっぱり真っ赤なままで目じりに少し涙がにじんでいる。




 「わ、私そんな淫らじゃありません!! まだちゃんと処女です!!」




 思わずそう叫んでしまってから、はっと気づき更に赤面する。

 途端に周りの大人たちが笑い始める。


 私は訳が分からなくなって白川さんとその周りの大人たちを見比べてしまうのだった。



 * * *



 「はい、えーと中村さんで良いんだっけ?」


 「あ、その、すみません……」



 缶のコーヒーを手渡されそのメイク担当の女性は私の隣に座る。

 目の前では驚くほど奇麗になって嬉しそうに輝いている白川さんが撮影をしている。



 ここは貸撮影スタジオ。

 こんな田舎街でもそう言った施設が有った。

 

 そして驚くことに白川さんは雑誌のモデルをやっていたそうだ。

 一人で東京に行くのは親御さんが反対して、結果的に撮影スタッフが定期的にこの街にまでやって来ていたそうだ。



 「彼女も幸せ者ね、こんなに思ってもらえる友達がいるなんてね、いや、告白した所見るとこの後は恋人同士になるんかなぁ~?」


 「うっ、わ、私はその、白川さんが心配で心配で……」


 「好きだから心配と、青春だわね」



 思い切り赤面してしまう。

 しかしそんな私の顔をそのメイク担当の女性はクイっと顎に付けた指でそちらに向かせる。



 「ふむ、彼女の言った通りね。ねえ、あなたモデルやってみない? 彼女の推薦していた子ってあなたなのよね。スタイルも悪くないし、水着とかはしなくていいから。うちの雑誌は低年齢層向けのだから少し大人っぽい可愛らしいのやってるのよ」


 「は? わ、私がモデル??」


 「彼女ずっとあなたを推薦していたのよ? でもなかなか声がかけられなくて悩んでいたらしいけどね。知ってる、彼女ここで撮影している時に良くあなたの事を話していたのよ?」



 「白川さんが!?」



 思わず撮影中の白川さんを見る。

 すると丁度、一休みに入ったようでこちらを見て目が合う。



 どきっ!



 心臓が高鳴った。


 そんな私の前に白川さんがやって来る。

 そして……



 「あ、あの中村さん。前々からお話したいと思ってたの。その……」



 

 ―― 人が恋するというのは苦痛の始まりだ ――




 誰がそう言ったのだろう?

 でもそれは本当だった。


 それでも私はこの苦痛が好きだ。




 だって今白川さんが目の前で私に……   




 

   


 ―― 恋心 ――



 Fin

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恋心 さいとう みさき @saitoumisaki

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