第5話『いいだろ?』

「左腕の痛みはどうかな?」


「もうほとんどないです」


「状態は?」


「えっと、少しだけ感覚が戻ったくらいです」


「……この期間でそれだと、あとは日常生活で少しずつ動かしていくしかないね」


 リハビリを始めてから二ヶ月。治癒魔法を併用しながらこれまで頑張ってきたが、左腕はこれ以上元には戻らないようだ。完全に動かないわけではなく、全快しているわけでもない曖昧な状態。何度も教会に来てくれている村の治療士長は目を伏せた。


 指先などの繊細な感覚は前と比べると雲泥の差。


「そう、ですか……」


 重いものが肩にのしかかった。この期間で全快するのではないか。どうにかなるのではないか。そんな期待を全て壊されたようなふわふわした感覚。


 諦めに似たなにかだ。


「そうだね。この村で、現時点では、ここまで治すのが精一杯だ」


「ということは……」


「言ったように、もう少しくらいなら、実際の生活や運動の中で改善されるだろう。けれど……ほら、ちょうどここ」


 治療士長は俺の左腕を手にとって、関節と付け根近くを指差した。


「この二つの部分の神経がボロボロになってる。特に付け根。神経根っていって、太い神経が多くあるんだけど、そこにガタが来てるんだ」


「ま、魔法でもどうにもならないんですか…?」


「やってはみたが……簡単に治らないのとは別に、君は治癒魔法の効きが人と比べて弱いんだよ」


「ぇ、な、なんで……」


「分からない」


「分からないって、……そう、なんですか…」


 力不足だ。すまないね、と呟くのを見るとアヤトでも申し訳なくなる。救ってくれた恩人達にこれ以上を求めることは精神的にきつい。治ってくれれば万々歳ではあるのだが。


「こちらこそですよ。力を尽くしてくれたのに、すみません」


「まあ、落ち込まんでくれよ。王都の医者に診てもらえばもしかしたら改善も見込めるかもしれない。いや、それも分からんが……」


「ほんと、すみません……」


 こうして、俺はあまり無茶できない左腕を抱えながらこの世界で生きることになった。




「はいおはよ。今日からあなた動いていいんでしょう?朝の祈りに遅れないようにね」


 彼女自身凄く眠そうな顔をしながらアンリが俺を起こしに来てくれる。といっても、俺は意外に早起きなのでその言葉の返答に唸りはない。年下に起こされるのもなんか恥ずかしいしな。


 というわけで、俺の異世界生活の初めての行事は朝礼になった。朝礼と言っても学校とかでやるような、長い話を聞くつまらない集会ではない。礼拝堂でサンセという神様の像に向かって一列に並んで順に祈りを捧げるだけだ。


「命の輝きを賜る我らに今日も平和の光あれ」


 規律正しいことが大好きそうなこの協会のシスター、カムラナが左腕を像に向かって差し出しながら右手を胸に添える。目を閉じて祈りを唱える姿は幼い頃にテレビで見たシスターと瓜二つで軽く感動した。


「光あれ」


 今度はアンリが先のシスターと全く一緒のポーズをとって祈る。その後数人の孤児が真似をしていくがこの二人だけは別格だ。オーラが違うと言うのだろうか。


「ひ、光あれ……」


 俺も頑張って真似してみたが、洗練されたものには程遠かった。もっと頑張れよ俺。




◇◆◇




 朝礼の後、朝食を済ませると小さい子供たちは庭に向かって全力疾走。お昼まで駆け回っている。皿洗い、洗濯などは日本で言う週間の当番制で、当番の子供たちは「いいな」と呟きながらきちんと皿を拭いていく。


 その光景がなんだか眩しかった。


 小さい頃を思い出す。


「あなたは外に行かないの?」


「ん?」


「そんなに見つめて、なにか思い出した?」


 ぼーっと眺め続けていると、アンリがこちらに歩み寄るのが視界の端に映った。同じように、外ではしゃぐ子供たちを慈しむように見つめている。


「いや、なにも……。元気だなって、それだけ」


「あなたはまだ若いじゃない。そんな言葉使ってると歳をとるのが早くなるわよ」


「若いったって、あんな動き回る気力はないよ。……というか、いつもああなのか?」


「……あぁ、今日はアレの日だから」


「アレ?」


「その内分かるわ。ほら、子供たち呼んでるわよ」


「ぇ、へ?」


「行ってあげなさいよ」


「俺じゃないだろ?」


「どう見たってあなたよ。ほら急いだ」


「な、なんで俺が……」


「年上の人とあまり遊べてないから新鮮なのよ。ほら、行ってあげて」


 こうして俺はアリスに背中を叩かれながら、渋々外に出たのだった。


「……っ!」


 扉を押し開くと即座に新鮮な空気が肺を満たす。懐かしい感覚にゾクゾクと身体も反応している。閉塞感を覚えるというのはこういうことか。解放されるとはこういうことか。


 俺は胸に手を当てて、何度も確認する。ここに魔獣は出ない。ただの公園と一緒だ。危険がないから子供たちもはしゃいでいるのだと。


 震えだす身体に教え込ませる。ここにいても死にはしないと。そうして、やっと俺は扉の前から一歩外へ踏み出した。思わず深く息を吐く。


「ふー……」


「アヤトにぃー!!」


 そんな俺を見ていた子供達が走り寄ってくるのが分かった。


 ちなみに『アヤトお兄ちゃん』というのがアンリが子供達に教えた俺の呼び名らしい。ここは本当に異世界なのか。いちいち言い回しが日本に似ている。


 字は日本語じゃないのに。


 聞いた話だと、文字を読み書きできないことは珍しくもないのだという。教会内の子供達は簡単な童話を読めるくらいだそうだ。


 不思議な世界だ。実際はこんなに上手く意思疎通できないはずなのに、俺の話す言葉をセルトナやサナ婆、先生、アンリ、子供達は当然のように理解できる。出来すぎとも言える。


 というかなんで俺はこんな世界に飛ばされたのだろう。俺は特別悪いことをしたわけでも特別良いことをしたわけでもない。


 何故俺なのだろう、と考え込んでしまう。


 と同時だった。


「アヤトにぃ!」


「うぼっっ!!!」


 走った勢いのまま腹めがけて飛び込んできた一人の男の子にタックルをかまされて、俺は倒れ込んだ。一瞬ドクンと心臓が跳ねるが、目の前にいる子供を視認したことで落ち着きを取り戻す。


「ぃ、ってー」


 腹をさすりながら抗議せんと顔を上げる。


「アヤトにぃ!あーそーぼ!」


 そこには、子供ながらに少し整っている顔の少年が馬乗りになって、キラキラした瞳で俺を見ていた。


「お前らだけで、遊ばねーの?」


「あー、アヤトにぃ恥ずかしいんだー!」


「恥ずかしくないわ!!」


 笑顔が花咲く。アヤトの前で咲き誇る様々な花はアヤトに自ら腰を上げさせる。


『年上の人とあまり遊べてないから新鮮なのよ』


「はぁ……俺何やってんだろ」


「アヤトにぃ、ぶつぶつ言ってるー!」


 見た通り、この子供達は身寄りがない。中には辛い境遇の奴だっているはずだ。なのに無邪気に笑って俺を輪の中に入れようとする。

 むず痒い。だがこの感覚は嫌なものじゃないことは知っていた。


「ねぇーアヤトにぃー!!」


「あぁ!わかったわかった!」


「やったー!!」


 乗せられてやる。子供と遊ぶくらいやってやる。俺は改めて子供達の方を向いてなんとはなしに人数を確認する。


 教会に住んでいる子供達はアンリらを除いて15人だった気がする。当番で5人いないとなると10人か。名前を覚えるのが得意な人間ならいいが、しばらく苦労しそうだ。


 女子は2人だけで男子がほとんどなので、話しかけることに躊躇がいらないのがありがたい。少しずつ話していって名前と顔を覚えよう。


「じゃあアヤトにぃを鬼にして【鬼夜廻り】するー!」


 先程俺に見事なタックルをやってのけた少年がリーダーのように振る舞っている。こいつは確かルイだったか。


 というか【鬼夜廻り】ってなんだ。随分物騒な名前だが、まさかな。


「知らないなそれ。どんなゲームなんだ?」


「えー!アヤトにぃ知らないの!?」


「おう、教えてくれ」


「一人がいきなり鬼に化けて皆を襲うの。捕まったら鬼にいたずらされちゃって、いたずらされた人は鬼になっちゃって皆を襲うようになっちゃうんだよ」


「そ、そうか……」


 つまり増やし鬼か。


「いたずらってのは?」


「ふっふっふっ」


 じゃんっ!とルイが出したのは筆のような、筆というのには毛の量が情けない物書き道具だった。


「これで顔に鬼印を書く!」


 すげぇ。増やし鬼と羽子板の要素が混ざっている。ますます不思議な世界だ。


「なるほどな」


「鬼は触れば捕まえたことになって、人は動けなくなって、いたずらされちゃう。……わかった?」


「よし、わかった」


「ぎゃはははは!みんな逃げろー!」


「「わー!」」


 ルイの掛け声で皆が散る。と言っても庭の範囲内での話だ。大丈夫。そこまでならいける―――。


 俺は一歩踏み出した。


 足の指が地面を捉える感触。小さい頃に土手を裸足で遊び歩いた時と同じような。久し振りの小さな高揚感に身を任せ、俺は何一つ遠慮せずフルスロットルで駆け出した。


 大人気?


 そんなのないね。


「ぁ、アヤトにぃ速ぇ!」


 風が胸を突き抜けるかのように肺に届き、俺はそれを惜しげもなく吐き出す。酸素を思い切り取り込もうと呼吸音は徐々に激しく、鋭く。


 だが、捕まえきれない。さすがに小さい子供らしく幼い歩みだが、俺が狙ったルイは寸前で巧みに身体を使いひらりと躱してみせたのだ。


 高校生より身のこなしの良い子供ってどういうことだ。


「やーいこっちだよー!」


「……っ!……あのやろぉ…」


 挑発するルイ目掛けて再び一直線に猛進する。


 俺はいつの間にかいちいち渋ることもなくなり子供達へ手を伸ばす。笑いながら叫ぶ彼らを捕まえるべく、俺も笑う。


 笑う?


 おれ、なんで笑ってるんだろう。


「ほーらほーら!こっちだよ!アヤトにぃ!」


『こっちだよ兄ちゃん!』


「……っ!」



 ノイズのように、音質の悪い何かが鼓膜を揺らした気がした。


 あぁそうだ。


 本当なら俺はあの日、退屈な学校からおさらばして平和な一日を過ごす予定だったんだ。


 まだ小さい弟は元気で明るくて、面倒くさいけどたまには遊ぶのも楽しかった。帰れてたら、あの日は遊んでやるのもよかったのかもしれない。


 あのゲームは、あのドラマは、あの小説は、あのサッカー試合は。


 俺の、生活は。


 俺、なんでここにいるんだろう。


「………」


 俺はなんでこんなとこに―――


「ほーら!―――ぇ……アヤトにぃ……?」


 いつの間にか地面が近くにあった。膝をついたらしい。そんなこと分からないくらいに、突然俺は変なことを考えすぎたらしい。


 今更そんなこと考えたって無駄なのに。


 今更悔やんだってどうにもならないのに。


 けど、けどさ……


 やっと落ち着いてきたんだよ。


 飛ばされて、殺されかけて、馴染み始めて。


 やっとこの世界で生きてるって実感が湧いてきたんだよ。


「……ぁ…」


 なら、ちょっとくらい元の世界に帰りたいって思ってもいいだろ?


 ちょっとくらい、理不尽に泣いても―――


「……かぇりたぃ…ぅ、っぐっ…ぅ、ぁあああ…!!!」


 いいだろ?

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怠惰な俺だけど、異世界では頑張ってみます ならなゆ @kagurazakao

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