第4話『現代の若者』
左腕が本当に動かない。痛みは引いているはずで、結構な日が経っているのにも関わらず一向に回復の兆しを見せない。
治らないのではないか。そう思ったのは、身体を動かす回数が増え始めた事後治療、いわゆるリハビリの時だ。
利き腕までとはいかなくても、重大な損失である。というか冷静に言っているようだけど本当に困るしため息も出る。辛い。
少しずつ体重や左腕の障害に慣らす意味でも、日々の動作の速度を格段に遅くして何度も練習しなければならない。
「ふっ……ふっ……!」
「いいですよ。ゆっくり、ゆっくり起こしていきましょうね」
機能回復というらしい、地味な反復練習に気分は萎えるばかりだ。最も、これをやっておけば絶対に楽になるというのだからしょうがない。
―――それに、外に出たいわけじゃない。
震えで歯が合わさってカチカチと鳴りそうになるのを堪えながら、俺は腹筋にも似た起き上がりの運動をこなしていく。だが、いくら復調したからといって元気に走り回りたいと思うかは別だ。
外に出ると、また死にかける。
あの時感じた寒気。血液が身体からなくなっていき、際限なく冷え切ってしまうあの感覚。幼い頃葬式で曽祖父の遺体に触れた時と同種のなにか。死という絶対的な情報。
そんなものを意識させられてしまえば、今この時生きていることにも疑問が湧いてくる。自分は本当に生き長らえたのか。本当はあの世で夢でも見ているのではないかと。
だがここが夢であったとしても、物事は現実と同じように上手くいっていない。左腕が不動になり、あちこちボロボロになり、待っていたのは復帰練習。
ここは現実だ。そうだあの時実感したじゃないか。世界が俺を甘やかしてくれることなど有り得ないのだ。これはリアル。
「ふっ……っ!?…ぐっ!」
「はーい落ち着いてー。一回休みましょうねー」
死にかける苦しみを知ってから言ってください。と治療士に心の中で悪態をつきながら、俺は休めとの指示に反して身体を動かし続けた。
◇◆◇
この世界に関しての記憶(知識)がないという俺に、幼いながらも立派に教会のシスター見習いであるアンリがくれたのはどうやら歴史本らしい分厚い書物だ。
だが読めない。言葉が通じるのに文字はちんぷんかんぷんだ。と苦笑いしたら、彼女はさらさらの栗毛をふわりとなびかせ、面白いというように静かに笑ったあとで音読を買って出てくれた。
どうやらこの世界は広大な箱庭のようだ。箱のような形の大陸の内側で人々の営みを始めだしたガーディ族がここにいる人々の祖先であり、補佐及び監督を務めたのが前に出てきた六大神らしい。隠し子かなんかの元だったり、大地を創りだした存在であったり、監督役であったりと色々面が窺えない。あやふや、というのだろうか。真偽性を疑ってしまう。
俺が今いる村はアーケラルという名前らしい。日本と同じ東、西、南、北という方角分けの中で東の大国と呼ばれるカルナ王国に近い村だ。馬車で半日くらいかければ王国に行けるらしい。
半日。遠い。それだけ大陸自体が広大ってことらしい。どうりで小一時間歩いても辿り着かなかったわけだ。
ちなみに今ではガーディ族の概念は既に無くなり、血族は各々自由に暮らしているそうで判別もつかないのだそうだ。豆知識だと、アンリは言った。
この際だ。前に気になったので、ついでに魔法のことを聞いてみた。
「魔法かぁ……私も全然使えないよ?」
まだまだ成長途中の身体を左右に揺らしながらアンリは手を顎に添える。うーんと迷ってから、やがてまた口を開いた。
「まず、魔法っていうのは基本六大神様が皆に与えてくださった加護なんだけど、一定数使えない人もいるの。そういう人は剣だとか別の分野を伸ばしたりするものなのよ。そもそも、戦いに出ない人もいるし」
「適正とかか」
「そうそれ。魔法を使えるかどうかは大体六歳くらいに判別できるの。そのくらいの歳になってから、大小関係なく六つの色の魔晶石に触ってみて、反応がある魔晶石に適正があるって感じね」
「それって、適正がないとどうなるんだ」
「ある特定の色に適正がない人でも、その色の魔法を使える人はいるわ。だけどそれは長い時間それだけを鍛え続けた場合ね。それも半端な状態で終わるのよ」
「そうなのか……」
属性、適正、不適正。ここら辺はゲームでもよく見る設定だ。分かりやすくて助かる。
ところで、この世界の魔法と剣と序列はどのようなものだろうか。職業などは存在するだろうか。
「力関係?」
「うん、そう。例えば、剣士と魔法使いが一人同士で戦ったとして、どっちが有利かとか」
「うぅーーん」
考え込むほど難しい問題なのか。
「場合によるわね……分野が違う。剣に有利な場所なら剣が勝つし魔法に有利な場所なら魔法が勝つ。剣士は気力、魔法使いは魔力の消費がそれぞれ大きいから、得意な部分に引き込める戦い方ができる方が勝つわ」
「人によるし場所による。ケース・バイ・ケースか」
「え?けーす?」
「あ、あぁいやぁなんでもない」
「基本的には皆魔法を磨いてる。そこから剣士として腕を磨くか魔法使いとして研鑽を積むかで分かれるのよ」
今言ったのは、剣を使えて魔法が使えない人と魔法が使えて剣を全く振ってない人との場合だそうだ。ゲームみたいにこれが最強だ!とかはやっぱないんだよな。複雑だ。まあそれもそうか。
強いやつが勝つんだもんな。
「職業とかはあるの?」
「基本的に二つ。簡単に言うと戦闘職とそれ以外」
「細かいのだと?」
「戦闘職は大まかに剣士、魔法使い、僧侶、戦士、鍛造士で全部。戦闘職じゃなきゃ商人やどこかの事務官、私達みたいな教会人とか色々いるわ」
剣士、魔法使い、僧侶、戦士、鍛造士。商人や教会人……。戦闘職でなくても生きられはするみたいだ。
それと剣士と、なんだ?
戦士って?
「剣士と戦士ってなにが違うんだ」
「戦士っていうのは、基本的に防御専門の人を指すのよ。魔法の防御に適正があるのが魔法使いや僧侶。でもそうすると相手が魔法でない分野で強力な魔物だったりすると、全滅に近い結果になることもあるの」
「………つまり物理専門」
「そう!」
なるほど。
戦士という名前に納得はできないが、とにかく戦闘職にはパーティの存在が不可欠なのか。一人でどうこうできるなんてことはなさそうだ。
それにしても。
この世界の言語の基準ってどうなってるんだ。適正や物理とかの単語は通じるんだよな。でもケース・バイ・ケースだとか横文字っぽい単語には首を傾げた。
文字が読めないのに言葉が通じるってなってるとこからもう疑問だったけど、つくづくあやふやを極めてるな。
まあそのことは置いといてと。
大体のことは分かった。アンリに感謝だ。
「ところで俺はここで何をして暮せばいいんだ」
「……別に、なにも」
「へ?」
「あなた記憶がないんでしょう?……だったら、どう生きるかくらいのんびり決めなさいよ。ここは教会。身寄りのない子達が集まる場所よ。あなたの一人や二人背負う余裕くらいあるわ」
「せ、背負うって……」
まるでニートみたいに……。
「でもルールには従ってもらうわよ。朝の祈りには出てもらうし、基本的に食事後の食器を洗うとか服を洗うとかは自分でやってもらう。それ以外は自由。欲をかかなきゃお金がなくても過ごせるわよ」
なんだそりゃ。お金なくても過ごせるってなんだ。
「もしここで働きたいってなったら他に仕事はいくらでもあるけどね」
「む、むぅ……」
なんか、俺の世界とは全く違うな。せかせかしてないっていうか。縛りがないっていうか。
あ、でもここまで縛りがないのはここが教会だからなのか。ちゃんと生まれてちゃんと育つと同じもんなんだろうな。
「どう?少しはなにか思い出した?」
「ごめん。知識はついたけど記憶は全然だ」
「そう……。私はもう仕事に戻らなきゃだからもう行くわ。とにかくあなたは早く身体を治すこと。無理しちゃダメだからね?」
「分かった。ありがとう」
「うん。じゃあまた」
あれこれ悩んでいる内に、アンリは扉を開けて治療室を出てしまった。そこからは無言で考える時間が続く。
『もし戦闘を生業とするなら武具にもできる』
セルトナには申し訳ないがこれは売ろうと思う。これを売って金は教会に寄付してそれから違う人生を見つけるのだ。転移させられた理由も方法も分からないまま戻るのだけをただ待つのもダメな気がする。なんとなくだ。
だからって、戦闘は無理だが。
頑張って修行して、お店でも出せれば御の字だろうか。それとも商人として物を売るのが向いているんだろうか。いや、商人だと色々あるだろう。
飲食店を開くのでもそうだ。全く魔物や魔獣に出会わないとなると自分の身体を資本にするしかないなではないだろうか。いや、ここは王国なんだ。材料ならここのでも全然仕入れられるのか。
「マッサージとか、靴磨きとか?」
うむ。ダメだ。
考えがまとまらん。
「………」
どう生きるのか………。
『綾斗、高校はどうするの?』
『あぁ、近いし偏差値も悪くないからここでいいよ』
『綾斗、大学は考えてたりする?』
『いや、まだ全然考えてない』
『焦ってほしくはないけど、手遅れにならないようにね』
『広瀬ぇ、お前大学で何したいんだ』
『うーんと、何したいんスかね』
『俺に聞くなよ!』
『選択肢多すぎですって……』
『先生はなぁ、お前に夢をもって欲しいよまったく』
考えすぎてボーッとしていると、勝手に過去の映像が出力されてくる。映っているのはどんな時だって「将来」という不確定なものを適当に考えてる自分自身の姿。
考えてみればあっちでもどう生きるかなんていくらでも聞かれてきた。選択を迫られて、そこから逃げていた。そんなもんだと、人生こういうもんだと決めつけて。
「やっぱ、妄想ばっかしてるのがダメだったかな……」
生きることを軽く考えていたアヤトに死の洗礼を与えた出来事は未だに脳内にフラッシュバックしてくる。くどいようだがそれだけ鮮烈だった。そしてそれは逃げてる俺を戒めるように深く突き刺さる。
そうか。俺は強くなることから逃げたいのかもしれない。まともな理由をつけて避ける。楽な道なんてないのだろうし、どんな職業だっていずれそんな時が来るけれど。
特別な力がないとしても、自分を鍛えていなければいけないと後悔する日は来る。だって恐らくそういう世界なのだから。この世界で生きるには、それ相応の覚悟が必要だ。たとえ教会人であっても。
「俺が生きてるのだって、そういう人の強さのお陰だからな」
なにかしなくてはならない。
窓から吹き込んでくる風を浴びながら、俺はどうするか揺れる。
「そういえば……皆どうしてんのかな…」
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