26 蜘蛛
「ルコアさん……」
「は?さん?そんな呼び方しなくていいから」
へりくだった態度のオスカーに顔を顰めたルコアは呆れたように首を左右に振ってから下水道の暗い奥を親指で差した。
何処までも暗闇が続く遠方からは相変わらず水の音しか聞こえてこない。
「アンタもあっち行くんでしょ?混物だっけか。そいつ殺して試験に受かる為に」
「そ、そうだけど……そうだ、じゃあルコアさ……ルコアも一緒に協力して――」
「はぁ?アンタ馬鹿なの?」
なんとも苛立ちを隠しきれない様子で二度目のため息が溢れ出したルコアは腰に手を当てて今度はオスカーの鼻先を指さした。
「依頼の報酬は何人で達成したって提示分しか支払われないのよ?私とアンタで山分けしようって考えかもしれないけど半分こしようものなら目標額には届かないじゃない」
「あぁそうか……どうしようかな……」
「お困りなら私が解決してあげようか?」
そう鼻で笑いながら妙に刺々しい指輪が嵌められた指をオスカーに向けるルコア。その笑みには確かな意地悪さと皮肉めいたものを感じる。
「解決って……どう?」
「それはね――」
何を思ったのか、親指を強く指輪の棘に突き刺すルコアの手から血が滴った――その時、流れた赤い血が艶めく黒に変色し、まるで滴り落ちた水滴が一瞬にして凍り付くかのように固体となり、つららの如く鋭い形状を形成してゆく。
それは一目で鋼鉄と分かるほど静かに輝く細い剣の形となっていた。
「――こうするの!」
「うわぁっ!?」
『あぶない』
形成された剣が容赦なくオスカーの脳天に降りかかる。アビスの咄嗟の判断で触手が刃を弾いたが、ルコアは確かな殺意を持ってオスカーと相対している。
「なにそれキモッ」
「な、なんのつもりだ!?」
「何って、依頼を達成するのはひとりで十分だもの。ここから去るなりこの世から去るなり好きな方を選ばせてあげるわ」
「冗談じゃない!」
振り回される剣が頬を霞め、血が滴る。
反撃しなければやられると判断したオスカーは背負っていた混鈍に手を伸ばし、ついにそれを振り下ろす。重く硬い刃が地面に触れると、金属音が暗闇に響いた。
「お、私とやるつもり?」
「……人を殺す事に抵抗ないのか?」
「何言ってんのよ、メトロじゃひとりやふたり殺したくらいじゃ犯罪にはならないらしいじゃない」
「そういう問題じゃないだろ!」
「ごたごたうるさいわね!郷に入ったら郷に従っときゃいいのよ!」
幾度となくぶつかり合う鉄と鉄の音。
オスカーは攻撃の隙を突きながら下水道の奥へと徐々に進む。しかしルコアはまるで初めて手にした武器を試すかのように攻撃の手を止めようとしない。
『オスカー、このままだと混物が居るポイントにあたる』
「くそっ、引くつもりはないか……!」
「反撃も出来ないでバケモノ相手に戦えるのかしらね!」
やがて空洞が広がる空間へ二人は差し掛かる。そこは依頼で混物が居座っていると予測されていた区画だ。
「いい加減本気出さないとマジで殺すわよ――って……」
「……?」
どんどんヒートアップしているように見えたルコアだったが、オスカーの背後に視界を向けたその時、ぴたりと攻撃の手を止めた。
防御を解除し、後ろに振り返ったオスカーもまた、その光景に目を丸くした。
「……これは」
「なによこれ……もう死んでるじゃない!」
広大な空間に横たわる、黒い体液に塗れた大蛇のような亡骸。
全身に無数の傷跡が見受けられるそれは、明らかに依頼の対象となっていた混物だった。
下水には溶け出した体液が混ざり、粘ついた悍ましいヘドロのようになっている。
「元から死んでいたのか……それか他の誰かに先を越されたのか……?」
「もうこれじゃあ私達バカみたいじゃない!今からじゃ他の依頼間に合うか分かんないし……」
『――オスカー、気を付けて。何か生き物の気配がする』
アビスの言葉にオスカーは再び警戒心を強める。
周囲を見回す彼をルコアは怪訝な眼で見たが、直ぐにその態度はある一言により改める事となる。
「フフ、やはり来たのね」
混物の口内を押し開き現れる、一人の人影。
各所から棘が露出した肌を持ち、黒くタイトな装備を纏ったその腕には毒牙のように歪曲したブレードが鈍く輝いている。
その額には目が八つ並び、ガスマスクで覆われた口は明らかに昆虫のような形状をしているのが見て取れた。
「この時期になるとね、人殺しになる勇気もないクセに賞金稼ぎになりたいって腑抜けがとりあえず~って感じで混物駆除しにくるんだよね~」
「……なによコイツ」
女は妙な息遣いをしながら八つの目線をオスカーとルコアへと向ける。暗闇の中よく見ると彼女の腕は奇妙に枝分かれ、四本の小さな腕が組み合わさって人と同じように機能させているようだ。
「まぁよかったね新人さん。ワタシを殺せば試験合格に十分な賞金が手に入るよ」
「コイツ……指名手配犯なのに何様よ」
『依頼で掲示されていたヤツだ。報酬額は混物の6倍ほどだったはず』
「……やたら報酬額が高い依頼は他の連中が見切りを付けた面倒事、か……」
『名前は確か――アプティス』
さながら自らの巣に獲物が入り込んだ蜘蛛のように不敵な笑みを浮かべるアプティス。
殺気を隠そうともしない彼女に背を向けて逃げ出そうにも、足元が不明瞭かつ逃げ場の少ない下水道内部では迂闊に行動できない。
先程までしのぎを削っていたオスカーとルコアは共に武器を構え、しかし攻撃をする事も無くアプティスへの警戒を続けていた。
「まぁ逃げようとしないのは偉いね!逃げようとしたところで逃がさないけど」
「……どうする」
「なによ、どうするって……まぁ」
お互いに距離感を図っていた二人だったが、オスカーの目配せにルコアは肩でため息を吐いてから剣を構えなおした。
「こうするしか、ないでしょうね!」
「さぁ楽しませてもらうわよ!」
強く前に踏み込んだルコアは剣を振り上げ、アプティスに斬りかかる。
同時にアプティスは腰部から白い糸を四方に放ち、ルコアの進撃を受け止めようと結界を張り巡らせた。
「もう!邪魔っ!」
脚や腕に付着した糸には粘性があり、ルコアの動きを奪う。
剣で糸を切り裂くのに手間取り隙を見せたルコアの首筋目掛けてアプティスが腕部のブレードで鋭く斬りかかった。
咄嗟にオスカーが割って入り、混鈍でアプティスのブレードを弾き返す。
「あら、さっきまで喧嘩してたのにもう仲良しこよし?」
「今度こそ協力して山分け……でいいか?」
「……はぁ、言っとくけど私が殺したら報酬全額貰うから」
武器を構えなおした二人はアプティスに向けて斬撃を繰り返すが、彼女はその動きの悉くを糸でいなし、かつその隙を縫って周囲に糸による結界を完成させてゆく。
オスカーの重い斬撃は糸に足を取られることもなかったが、アプティスは張り巡らされた糸を器用に扱い、素早い身のこなしで捉える事も許さない。
いくら武器を手にしたとは言え本来は戦闘慣れしていない二人の動きに、アプティスはまるで罠にかかった獲物を糸で巻き取る蜘蛛のように立ち振る舞った。
「ふぅっ……このっ!」
「残念、その剣貰うわね!」
ほぼがむしゃらに近い形で剣を振り回していたルコアの刀身に糸が絡みつき、深い闇の向こうへと剣が放り投げられる。
武器を奪われた一瞬の隙を突き、アプティスの糸がルコアの腕に巻き付く。粘性の強いそれは周囲に仕組まれた糸と絡みつき、ルコアの身動きを封じ始めた。
「もう!この服大事にしてんのに最悪!」
「それ!」
「危ないっ!」
絡まった糸を振り払おうと身動きが取れていないルコア目掛けて再びブレードが襲い掛かる。
オスカーは咄嗟にアプティスの動きを阻止しようとしたが糸に足を取られ、刃はルコアの腕の肉を軽く裂いた。
「痛ッ!?」
「もう、避けようとするから綺麗に切れなかったじゃない!」
「……ふっ!」
アプティスの背後から混鈍を勢いよく振り下ろすオスカーだったが彼女を真っ二つにすることは叶わず、ただルコアに追撃を許す前に引き離す事は出来た。
「……大丈夫?」
「私の心配してどうすんのよ」
飛び散ったルコアの血液は周囲の糸に浸透し、先ほどまで白かった結界は僅かに赤く染まっていた。
「どう?赤い糸も綺麗でしょ !」
「……ひとつ聞きたいんだけどアンタ、なんで人殺しなんかしてんのよ?」
「んー、別に?理由なんてないわ。まぁでも、なんていうか、私だけじゃないと思うんだけど、こうやって人を自分の思い通りに殺せる瞬間って、胸がスッキリするのよね!」
「……呆れた」
傷口を抑えていたルコアはため息を吐き、血液の付着した手を軽く払った。
オスカーもまたアプティスの発言に眉間にしわをよせる。
「聞いた話によるとこの世界にはこんな病気があるらしいわね、殺人中毒、でしたっけ?キリングジャンキーとでも言うのかしら」
「……殺人が常態化すればそういった人間も出てくるのか」
「いいじゃない!このメトロには殺しても無くならないほど命で溢れかえってるのよ!そこから何人か減った所で、むしろ窮屈じゃなくなっていいじゃない?そう思ってるからユグドだって殺人の取り締まりは緩いのよ!」
「でもアンタはやりすぎよ……まぁいいわ」
流れ出た血液を手の内に溜めたルコアは再び剣をその手の中に造り出す。
その様子を見たオスカーは何かを理解したかのように、再び剣を構えてアプティスに向き直った。
「これでアンタはこの世から取り除いて良い命だって事がよく分かったから。アンタも異論ある?えーっと……名前なんだっけ」
「……オスカー」
「あぁ、初めて聞いたわ」
「もう話してばかりでつまらないわ!さっさと殺させて!」
高揚している仕草を見せるアプティスと、それを睨むオスカーとルコア。
暗闇の中に再び、より厳重な糸の結界が張り巡らされる。
「えぇ、そうね。さっさと終わらせてやるわ」
「悪いけど……僕らは君に殺されるつもりはない」
「どこまでその威勢が通用するかしら、ね!」
糸を使い素早く二人目掛けて闇を切り裂くアプティス。
その直後、どこまでも続く暗闇の中、鋭い金属音が鳴り響いた。
旧:メトロカオス マガンルイ @equalouiz
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