彼女の言葉は反転する

華月紅奈

彼女の言葉は反転する

 ──空から女の子が降ってきたら、男は受け止めるべきか。無視した場合、女の子は身体を地面に強打するものとする。


 俺としては、この問への答えはおおよそ二分すると思う。


 まず、「迷わず受け止めるべき」という意見。

 目の前で誰かがケガするのを黙って見ているなど言語道断、人助けに理由と躊躇はいらない。いわゆる人道というやつだ。


 対して、「現実的じゃない」という意見。

 重力加速度だったりの関係で、そもそも都合よく受け止めることなんてできない、創作の中だけの話とも言われたりする。助けようとした側も巻き込まれて、怪我人が増えるだけとか。


 相反するどちらの言い分も、すんなり理解できるものだ。


 けれど、俺は敢えてこう言いたい。

 その状況、実際に遭遇してみ? 考える暇とかねーから。


 そもそも「こんなことが現実に起こるのか」という驚きが勝ってしまって、冷静に何かを考える余裕なんて消え失せる。

 少し行動を迷えば、その間に少女は地面に落ちるだろう。


 結局、実際には全て、咄嗟の判断に委ねるしかないのだ。

 思わず身体が動くか、動かないか。それが全てを決定する。



 ──そして、俺の身体は、頭より先に動いた。

 それだけの話だった。



 いきなり視界が暗くなって、並より大きな影に頭上を覆われたのだと気付く。何事かと空を見上げてみれば、視線を向けた先には一人の女の子がいた。


 咄嗟に両腕を広げて、その身体を受け止める。腕に掛かる負荷は小さくないけれど、耐えられないほどじゃなかった。


 これについては、少女の降ってきた「空」が三階だったおかげだろう。比較的大した高さではないし、だから彼女も俺も無事で済んだ。逆に二階だったら、気付く前に地面に衝突していたかもしれなかった。


「んうっ……?」


 その少女は少女で、来たるべき「地面に身を打ち付ける」衝撃に備えて、目を閉じて身体を丸めていたらしい。

 たぶん賢明な判断だ。つまり、これは自殺とかじゃなく、不慮の事故だったのだろう……そもそも、三階で自殺はないか。


 けれど、俺が受け止めたので、予期していた瞬間はいつまで経っても訪れない。どころか、代わりに違う触感が訪れた。


 少女は、不思議そうに目を開ける。


 ──すると、どうなる?


 状況を客観的に見てみよう。


 抱き止めた姿勢は、さながらお姫様抱っこ……と、これは自分に甘い見方か。受け止めるときに力を入れすぎたせいで、俺は少女の身体を強く引き寄せてしまっている。

 ふむ……まるで、無理に唇を奪おうとしているかのようだ。


 というか、お姫様抱っこの時点で充分すぎる気もする。


 少女もきっと、俺が「危ないところを救ってくれた存在」だということは、状況から認識してくれているだろう。


 だが、それとこれとは話が別。

 俺の腕の中で、少女の顔がみるみる赤くなっていく。


 さながらマンガや小説みたいな展開だ、と思った。

 つまり、こういうときの女の子の反応といえば──


「──ちょっ!? は、離さないで! この健全男子っ!」


 そうそう、こういうの──いや違うよそうじゃなかろうというか何それ、ってはあ!?

 ここは罵詈雑言ばりぞうごんを吐きながら、俺から一刻も早く離れようとするところじゃないのか!?


 健全男子……確かに、疚しいことなんて無いけれど。

 或いは、「キスを迫るくらい健全の範疇」って価値観の持ち主? だとしたら、その価値観が不健全だと思うが。


 しかし、口では「離さないで」と言いながら、身をよじったり暴れたり、腕から抜け出す気は満々のようだった。


 よく分からない子だ。

 ひょっとしたら、関わっちゃ駄目な子だったかもしれない。


 ……まあ、落ちてきたのを無視するのもどうかと思うけど。それに、身体が動いちゃったわけだし。


 とりあえず、下ろしてやる。


 少女はまだ何か言いたげに口をぱくぱくと動かしていたが、少しは冷静になれたのか、慌てたように俺に頭を下げた。

 態度から察するに、たぶん「助けてくれたのに悪いこと言っちゃった、謝らないと。それから、ありがとうも言わないと」みたいな感じなんだと思う。


「こ、これで助けただなんて思わないでよね。お礼だって絶対に言わないんだから!」


 おっと、違った。

 まあ、こういうパターンもあるよな……って、いやいや。

 この台詞を、相手に頭を下げながら言うのは見たことない。


 よく分からない子、改め、変な子。

 というか、さっきから言葉と態度がチグハグな子だ。


 すると女の子が、今度は「やっちゃったぁ〜!」とばかりに顔を羞恥の色に染めて、両手で顔を覆い隠した。

 ちなみに声は出していないから、言行不一致ではない。


 ……何なのだろう、この子は。



 大学一年生の春、俺は地元を離れて下宿生活を始めた。


 大学のすぐ近くにある三階建てのアパートで、一人暮らし。

 立地の関係もあって、入居者は同じ大学の生徒ばかりだ。聞いた話だと、俺の前の入居者も卒業を機に退去したらしいし。


 そんな環境だからか、それとも先輩たちの性格柄なのか、アパートの住人同士の結び付きはやたらと強い。

 俺は入居してすぐに、ほとんどの「隣人」と顔見知りになった。困ったことがあれば相談に乗ってもらえるし、暇なときには誰かが遊びに来たりもする。


 下宿生活に不安があった俺にとって、これは素直にありがたかった。入学式から一週間が経った頃には、もう既に当初の不安なんてどこかに消えていたのだから、感謝しかない。

 そこはとても温かで、俺の「帰る場所」になったのだった。


 ──だが、気になることが一つだけ。


 俺は「ほとんどの」住人と顔見知りになった。

 ほとんど。つまり、全員ではない。

 より具体的に言えば、一人とは話したことがなかった。


 そりゃあ同じアパートに住んでいて同じ大学に通っているんだから、姿を見掛けることくらいはある。

 肩口で切り揃えられた黒髪と利発そうな顔付きが特徴的で、精巧な人形かってくらいに綺麗な女の子。

 名前は、匣瀬理はこせり名砂なすな


 ただ彼女は、「無口」なんて言葉では足りないほどに無口なのだ。その声を聞いたものは誰一人としていない、なんて噂が生まれるくらいに。

 さすがにそれは大袈裟だと思うけれど……でも、アパートの俺以外の面々も彼女と話したことがないというのは事実らしい。


 おそらく、匣瀬理さんの方に最初から他人と関わる気が無いということなのだろう。

 そこにどんな事情があるのかは知る由もないが──ともあれみんな、「じゃあ無理に誘うのも可哀想か」ってスタンスだ。

 超えるべきじゃないラインは、きちんと弁えている。


 ……まあ何にせよ、だ。

 きっと俺はこれから卒業まで、匣瀬理さんとは「同じ寮に住んでいる」以上の関わりを持つことなく過ごすのだろう──



 ──と思っていた相手が今、俺に背中を向けて目の前で悶えているのだから、人生とは何が起こるか分からない。


 果たして、こんなときはどう声を掛けるのが正解なんだ? あるいは、何も言わないほうが良いのか?


 そう躊躇っていると、匣瀬理さんは「もう覚悟を決めてしまえ、私」って感じで自分の頬をパンッと強く張った。

 思ったより痛かったらしく、それからプラス数秒、今度は羞恥ではなく痛みで悶えた……いや、羞恥もあるかも。


 なんか、今までの印象とはかけ離れているけれど(少なくとも、他人との関わりを拒絶しているときの面影はない)──なんとなく、あれは演技で、こっちが素かな、と思った。


 そして、また復活したらしい匣瀬理さんが口を開く。


「ちゃんと待ってるなんて殊勝な心掛けね」


 ……はい、えーと。

 匣瀬理さんが、必死に涙を堪えるような顔になってる。


「私のこと、変な子とか思ってたら許さないから」


 既に「変」は通り越してるから大丈夫だ。


「……明かす必要はないわよね。まだ隠し切れそうだし」


 何かよく分からんけど、ハンカチ貸すからまず涙拭こっか。


「……お礼なんて言わないんだからね」


 それはさっきも聞いたし、別に礼はいいんだけど。

 でも、さっき俺に何か言う覚悟を決めたんだったら、なるはやで言ってほしいかな。これでも一応、気にはなってるんだ。


「えっと……回りくどく説明するね? 全部嘘だけど」


 何それ悪質。

 相手が理解しにくいようにした挙げ句、それが嘘って。


 けれど俺の言葉は無視することにしたらしく、匣瀬理さんはそこで息を大きく吸った。

 そして、決定的な台詞を放つ。


「──私の言葉は、全て本心なの。嘘が付けないどころか、思ってることの全部、そのまま口に出しちゃう……」


 ……なるほど?


 いや、そんな告白をされても返しに困る……というか、なら今までの台詞は全部本心だったってことか?

 離さないでとか礼は言わないとか、そういうの。


 けれど、尋ねてみると、匣瀬理さんは首をぶんぶん振って否定する。千切れるんじゃないかって心配になる勢いだった。

 どうやら違うらしい。


「そうなの!」


 どうやら違わないらしい。

 ……どっちだよ。



 と、そこで、俺はとある仮説に思い至った。

 仮説というか……不可解な現状を理解するためだけに捻り出した、こじつけみたいなものだけれど。


 しかしそれは、自分で考えておきながら、非現実的としか思えない可能性だった。

 だが、そうでも考えない限り、匣瀬理さんのこの態度と台詞がチグハグな状態を説明できない気もした。


 だから俺は問い掛ける。


 ──匣瀬理さんの言葉はしているんじゃないか、と。

 彼女の思っていることや言いたいこと。その逆の言葉が、常に口をついて出てくる。

 対して、態度だけが本心のまま表れる──だから、どうしようもなく噛み合わない。


 ……こんなことを言って、馬鹿だと思われたらどうしよう。

 正直、自分でも言ってて意味が分からん。


 しかし、その心配は杞憂に終わった。

 と、言っていい気がする。


 俺の指摘を受けて、匣瀬理さんの表情が明らかに輝いた。満面の笑みを浮かべて、「そう、そうなの! 良かった、分かってくれた!」とばかりに無邪気に指さしてくる。


「そんなわけないでしょ!」


 まあ、台詞は否定だったんだけど。

 ひとまずは言葉じゃなく、態度の方を信じてみるとする。


 とりあえずは、彼女の言葉が全て『反転』していると考えたうえで、匣瀬理さんの台詞を思い返しつつ翻訳してみよう。


 抱き止めた直後は「──ちょっ!? は、離して! この変態っ!」で、下ろしてすぐのときは「ご、ごめん……助けてくれたのに。あ、ありがとう」といったところか。


 その後の説明のときは、たぶんこう。


「待たせちゃってごめん。

「きっと私のこと、変な子だって思ったよね。

「……もう隠しきれそうにないから、君には全部言うよ」


「えっと……単刀直入に言うね? 信じてもらえないかもしれないけど、でも、全部本当のことだから。

「──私の言葉は、全部『反転』するの。本当に言いたいことを言えないどころか、逆のことを言っちゃう……」


 まあ一部は意訳的だが、ざっとこんなところだろう。


 そして俺は、これこそが、匣瀬理さんが他人との関わりを拒絶していた理由なのだと察した。


 そもそも大抵の場合は信じてすらもらえないだろうが(俺もまだ半信半疑だ)、ふざけていると思われるくらいで済めば、むしろマシな部類だと思う。

 こんな状態で人と言葉を交わせば、悪い誤解を与えないわけがない。そして、そうなったときには弁明さえもできない。


 彼女の態度やジェスチャーはかなりオーバーだけど、それはきっと、言葉で心を表せないぶんの反動なのだろう。


「みんなにも、このことは知っておいてほしいんだ」

(このことは、誰にも言わないで)


「で、君もちゃんと覚えておいてほしい」

(そして、君も忘れてくれると助かるかな)


 だから、彼女が次にそう言った(正しくは「思った」か)ことにも、不思議はなかった。


 けれど、そう口にする匣瀬理さんの表情は儚げで。

 無理に浮かべたような笑顔は、見ていて痛々しくて。

 ──その態度が彼女の本心なのだと、分かってしまう。


「さよなら。また今度、ゆっくりお喋りしようね」

(きっと、もう二度と話すことはないよ)


 匣瀬理さんはくるりと俺に背を向けて、その場を離れようとする。その立ち姿が、なんだかやけに小さく見えた。


 去っていく背中に、思わず手が伸びる。その背中を掴んで、その名を口にして、呼び止めたい衝動に駆られる。


 けれど、口からは掠れた吐息だけが漏れた。伸ばした腕も、ただ虚空を掴むだけ。

 気付けば、彼女の姿は視界のどこにも残っていなかった。


 ──彼女を独りにすべきじゃないと、分かってるのに。

 ──なぜか俺の身体は、凍て付いたように動かなかった。



 その日から、俺は匣瀬理さんを意識するようになった。


 意識というか、単純に心配。なんとなく不安なだけだ。

 ……あの儚い笑顔が、頭から離れてくれないせいだ。


 他の人との接触を拒み、孤独であり続けようとする彼女。


 今まではずっと、それが本人の望みだと思っていたから、さして気には留めていなかった。

 けれど俺は、実際は違うことを知ってしまった。彼女は、必要性から仕方なくそうしているだけだ。


 そして、いざ視線を向けてみると、彼女のまとうそのハリボテは綻びにまみれていた。


 そりゃあ俺だってストーカーじゃないし、匣瀬理さんを見ている時間なんてたかが知れているのだけれど……彼女の残念っぷりを悟るには、その僅かな時間で充分すぎた。


 広いキャンパス内で迷子になって、宛も無くさまよったり。

 財布を忘れたせいで昼食を抜き、空腹で動けなくなったり。

 部屋の鍵を失くして、業者の到着をぼうっと待っていたり。

 隣の部屋から、いきなり悲鳴が聞こえてきたこともあった。

 チャラい男達に、路地裏に連れ込まれそうになってたりも。


 けれど、どんなときも彼女は、周囲を頼ろうとはしない。


 そのために口を開くことで、誰かと言葉を交わすことで、その身に宿す『秘密』が露呈することを恐れているから。

 だから自ら、望んでいない孤独の道へと歩を進めていく。


 俺はそんな匣瀬理さんが心配だった──なので、彼女が困っていると気付いたときには、手を貸してあげることにした。


 俺は既に彼女の『秘密』を知っているから、問題ないはず。


 それに俺は、咄嗟とはいえ彼女を一度助けたのだから。

 だったら、途中で『手助け』を止めるなんて格好悪いだろ?


 とはいえ匣瀬理さんとしては、やっぱり俺のことも自分から遠ざけたかったらしい。まあそりゃ、「覚えておいてほしい」って言われたくらいだし?


 けれど……やっぱり、なんとなく放っておけなかった。


 だから、最初はかなり強引に手を貸した。その自覚はある。

 それに彼女も、困っていたのは確かだからだろう、不承不承ではあったものの、最終的には拒絶しなかった。


 そんなことを何度か繰り返しているうちに、匣瀬理さんも、いちいち俺を拒絶しようとはしなくなった。

 隣に立つことを許してくれたのかも……単に、こいつに何を言っても無駄だと諦められただけかもしれない。それはそれだ。


 彼女が迷子になっていたときは、目的地まで連れて行った。

 彼女が空腹のときには、俺の昼飯の菓子パンを一つ譲った。

 彼女が鍵を失くしたときは、ひとまず俺の部屋で待たせた。

 彼女が怯えていた大きな虫は、窓から部屋の外へ逃がした。

 下卑た笑みを浮かべる男からは、手を引いて一緒に逃げた。


「……こんなことでお礼なんて、絶対に言わないんだからね」

(……ありがとう、助かったよ)


 手を貸したときにはいつも最後に、柔らかな笑顔と共に、その言葉を聞いた。

 ──そのたびに、胸が弾むような気がした。



「──私、あなたが嫌いだわ」

(──あなたのことが好きです)


 そんな日々が三ヶ月ほど過ぎた、ある休日のこと。


 俺はの誘いで、彼女の部屋を訪れていた。今日は昼前から買い物の荷物持ちを頼まれていたから、そのお礼にと、お手製の昼食を頂くことになったのだ。


 皿の上に並ぶのはサンドイッチたち。具を挟み込みすぎなせいで見た目はちょっと悪いけれど、逆に贅沢だとも言える。

 それに、彼女が不器用なりに頑張って作ったのだと思うと、えも言われぬ嬉しさが込み上げてきた。


 二人で談笑しながら、サンドイッチを頬張っていく。名砂さんとの会話もすっかり慣れたもので、言葉が『反転』していても、彼女の思っていることはすぐに分かるようになっていた。


 ──そんな中、突然に「あなたが嫌い」と告げられた。


 恥ずかしそうに視線を正面の俺から逸らして、両手の指を所在なさげに弄ぶ。顔は真っ赤に染まっていて、モジモジと身をよじるさまが、なんともいじらしい。


 ありきたりな表現だが、その態度は完全に「恋する乙女」のそれだった。ここで「友達として好きってことだな?」なんて解釈をできる男子は、きっと創作の中にしかいないだろう。

 ……まあ、台詞は好感じゃなくて嫌悪なんだけど。


 しかし、あまりにも唐突に投げられた告白だ。

 何の前置きもなく放たれた言葉こくはくに、当然ながら俺は心の準備なんてできているはずもなくて、ただただ驚きに硬直する──否。


 パンを口に運ぶ手の動きが止まったのは本当だけれど、でもそれは、驚きだけが理由ではなかった。


 もっと大きな理由が、他にある。

 ──俺が、自分の気持ちに気付いたからだ。


 名砂さんが俺に向けてくれているらしい好意。

 それと同じものが、俺の中にあって。

 その想いの向く先が目の前の少女なのだと、気付いたから。


 ……恥ずかしながら、自分では全く気付いてなかった。


 俺にとって彼女はこせりなすなは、謂わば手の掛かる幼子のような存在だった。落ち着いて見ていられないというか、見えないところにいると不安というか。

 だから放っておけなくて、手を貸すと決めたわけだし。


 でも、彼女と共に過ごす時間は、とても楽しくて。

 何度もあの笑顔を見ているうちに、想いは『恋』へと少しずつ形を変えていった、ということなのだろう。


 あるいは俺は、最初に彼女と会ったときから既に──


 ──だから、俺の答えは決まっていた。



 俺たちの関係が「恋人」へと名前を変えてから、早くも一ヶ月が過ぎていた。


 もちろんそれは、ただ呼び方が変わったってだけじゃない。

 何より変わったのは、世界の見え方──「恋人」と過ごす時間は何もかも新鮮で、幸せな気持ちに包まれて笑いあっているうちに、一日一日が風のように過ぎ去っていく。


 もっと言葉を交わして。もっと想いを交わして。

 何度もデートをした。手を繋いだ。キスもした。

 ふとした仕草にときめいて。会えないときも相手を想って。

 理由がなくても会いたくなる。

 側にいたくなる。側にいてほしくなる。


 俺の、への想いは日ごと膨らんでいく。

 それはきっと、名砂から俺への気持ちも同じで。


 だから俺は名砂に、たくさん愛の言葉を伝えた。

 名砂は俺に負けじと、愛の言葉を返して応えた。


 甘い蜜が心の瓶を満たしていく、それは何より幸福な時間。


 ──けれど。


「嫌い」

(──愛してる)


「嫌い」

(──好き)


「大嫌い」

(──大好き)


 いつからだろう。

 ──その言葉を聞くのが、どこか辛いと感じ始めたのは。


 愛を囁くたびに、お互いの想いを与えあうたびに、俺達の想いは際限なく肥大していく。恋心の大きさに、天井はない。


 名砂の「嫌い」は、回数を重ねるごとに強くなっていく。

 俺の想いも、時間が過ぎると共に大きくなっていく。


 俺が愛してやまない、その笑顔で。その声で。その仕草で。

 とろけそうな甘い(大好き)が、俺の心を鷲掴みにする。


 だが、その一方で──俺の心は、少しずつ傷付いていく。


 大好きな相手から、「嫌い」だと言われ続ける苦痛。

 それは、そこに内包されているのが反対の意味だと分かっていても、俺の心を鋭い爪で引き裂いていくようだった。


「この世の誰より、あなたが嫌い。あなたの恋人になんてなりたくなかったし、もう一緒にいたくもないわ」

(この世の誰よりも、私はあなたのことが好き。あなたの恋人になれて、あなたと一緒にいられて、本当に嬉しい!)


 膨らむ互いの想いは、刃となって襲いかかる。


 それでも……俺は、この傷を名砂には隠し続けると誓った。


 罵詈雑言を浴びても、それは名砂の本心じゃない。むしろ深い愛情が『反転』した結果だ──それが分かっているから、罵倒されても気にしないし、むしろより大きな愛を以て応える。


 ──そんな自分を、演じ続ける。


 だって、もし俺のその傷を見られてしまったら?


 そうなれば名砂は、きっと俺のもとを離れてしまう。

 彼女は優しいから、俺を傷付けることを嫌うし、俺を傷付けた自分を嫌うだろう。

 そして、二度と俺とは関わらないことに決めるだろう。


 ──そうなれば、名砂は、また独りに戻ってしまう。


 言葉の『反転』が理由で、ずっと人との関わりを断って生きてきた名砂。そんな彼女がようやく出会えた、共に生きてゆける、頼ることのできる存在が俺だったのに。


 その俺が、言葉の『反転』で傷付いていると知ったら?

 彼女はそのとき、今度こそ誰とも関われなくなってしまう。

 人と共にいることも、人を愛することもできなくなる。


 そんな未来が、俺は嫌だった。

 大好きな彼女が幸せでいられない未来が、大好きな彼女が俺の側にいない未来が、たまらなく嫌だった。


 だから、俺は笑顔を浮かべて、彼女の愛にこう応える。


「──俺も、名砂のことが大好きだよ」


──────────────────────────

おはこんばんにちは、初めましてお久し振りです。

このたびは『彼女の言葉は反転する』を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。


このオチは、完全に私の性癖です。こういうの大好き。


まあ読者ウケって意味では、どうかな? って感じですけど。

でもほら、読者ウケを深く考慮しなくていいのは、ウェブ小説の一つの強みだと思いませんか?(言い訳)


そんなわけで、よろしければ感想お待ちしてます。

感想を直で送って返信が来るのも、ウェブ小説の強みの一つ!(取って付けたように)


ではでは。

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