ファンタジーお姉さん

海沈生物

第1話

 この村は狂っていると思う。もう時代も令和であるし、テレビもスマホも電波だってある。それなのに、「幽霊屋敷」などという前時代じみたものが信じられている。 

 一体何をメディアから摂取しているのか。陰謀論にハマって怪しい人物からお金をもぎ取られていないだけマシか。それよりも質の悪い「辺教」に入っているような気もするが。


 こういう論理について考える度、田舎というものが嫌になる。都会に夢を見ているわけではないが、それでも、田舎という「枠」にハマらなければ息すらもできない環境が良いということにはならない。

 だが、私だっていつまでも愚痴を言っているわけではない。机上の空論の中で、いつまでも正義を語るわけではない。まだ小学生でしかない私にとって、都市に逃げる方法はない。家出をしても、成人未満は追い返されるのが目に見えている。


 そこで、私は考えた。手始めに、幽霊屋敷における幽霊の非実在をクラスメイトに証明しようと。年寄りは写真を見せて聞く耳を持ってくれないが、若者はかなり柔軟だ。彼らも一定数村のしきたりのようなものに飽き飽きしていて、「高校は都内に行くんだぁ」と夢想している。私も行きたいが、お金を出してもらえないような気はする。少なくとも高校卒業までは、この田舎で過ごすことになると思う。


 そんなことよりも、だ。彼らは幽霊屋敷に興味がないし、わざわざボロ屋敷に足を踏み入れるような愚行をしたくないという。ただ、幽霊の実在するのかどうかは楽しみにしていると言ってくれた。そこまで言ってくれたのなら、行くしかない。私は鼻息を荒げつつも、自信満々にボロいだけの屋敷の写真を見せる自分の姿を想像する。

 きっと彼らは「えーすごい!」とか「モノミちゃんって勇敢なんだねー」と褒めてくれるはずだ。そんなハーレムを想起して、つい頬が溶けた。


 幽霊が出現するといえば、やはり「夜」だろう。家に帰って眠ったフリをすると、深夜一時半、私は都会へ行った兄から譲り受けたブカブカのコートを着ると、窓から外へとジャンプする。降りた先にあった石に躓きそうになったが、なんとか助かる。村の人たちが誰も道にいないことを確かめると、さっさと幽霊屋敷の方へと走った。


 そんな幽霊屋敷だが、無論、そのバックグラウンドも存在する。元々、戦後近くまではあの屋敷はある地主の持ち主だったらしい。しかし、その地主はとても性格が悪く、いつも雇っていたメイドをイジメていた。そんなある日、メイドに対して「お前が全部悪いんだ!」と癇癪を起していると、メイドの目の色が代わり、部屋に鍵を閉め、屋敷に火を放ってしまったのだという。部屋から動かなかったメイドは死んだが、逃げ道を失った地主も死んでいた。他にも「庭師」「メイド長」「坊ちゃん」「奥さん」の四人もいたが、たまたま旅行中であり、帰ってくるまでその異変に気付かなったという。その四人は燃えカスとなった家の前で泣きじゃくりながら、「違う」とそれぞれに呟き、そのまま行方をくらましたという。

 それから数十年の間に新たな主が現れて一度は再建がなされたが、毎日聞こえてくる「三人の」奇声に耐えきれなくなり、やがて家を置いたまま死ぬまで二度と来ることがなかった。今では村の端ということもあり、ただの危険スポットに成り下がり、見る影のないボロ屋敷ではあるのだが。


 屋敷の前に着くと、確かに噂になるほどの雰囲気があった。周辺の庭はもう手入れがなされていないので、私の家の庭とさして変わりはない。けれど、屋敷本体には重厚なドアと大きな窓、入り口の上にあるテラス、と洋風のテンプレートをしっかりと踏んでいた。強いていえば、入り口に置いてある一対の石の阿吽像という和風テイストが気になるが。別にこの館へ謎解きをしに来たわけでもなし、あくまで重要なのは「幽霊がいないことを確認する」ということである。

 私はポケットからスマホを取り出すと、カメラの動画機能をオンにする。画面越しに補正された世界を覗きながら、建付けの悪いドアを開けた。


 目の前に広がる光景も、いわゆる典型的なボロ屋敷だ。細かな描写をする必要もない。中央に階段があり、そこから左右に伸びている。壁には吸血鬼なのかただのサイコパスな人間なのか分からない、巨大な肖像画がかけられている。

 あまりのつまらなさに私は落胆した。こんな記号みたいな幽霊屋敷を見に来たわけではない。危うくスマートフォンを落としかけたが、なんとか膝と肘のツーロックでキャッチする。ほっと一息つくと、止まってしまったカメラを起動し直し、館の中を取る。ない、ない、ない。何も面白いことがない。作業的に取り終わると、一階と二階で合計五つのドアがある。ひとまず入り口から見て一番右手のドアに入ることを決める。


 ドアノブに手をかけると、不意に前方から白い物体が飛んでくる。顔にかかったのを見て、思わず心臓が飛び跳ねる。幽霊、バケモノ、宇宙人、白蛇、ワンタン、白い布。ただの白い布だった。どうやら中側のドアノブに引っかかっていたらしい。くだらないことに驚いた、と口先を尖らせる。しかし前へ進もうとすると、今度は床から呻き声が聞こえてきた。ビビりながらも耳を澄ますと、段々と言葉が鮮明になっていく。私は震える身体のまま幻覚だ、幻覚だ、と思っていると、次第に音は近付いてくる。それも、さっきの布から。もしかして、この布が生きているのではないか。怖がりながらもスマートフォンを向けると、そこに、青白くて透明なものが見えた。私が口をパクパクしていると、その青白くて透明なものは輪郭と色を濃くすると、ふふっと笑ったように見えた。


「どうやら、久しぶりのお客様のようだね。そんなに小さいのにどうして今の時間、こんな場所なんかに?」


「どうして、って。それは……」


「まぁどうせ、”幽霊なんていないことを証明してやるっ!”と粋がっていたんでしょ? 久しぶりだねぇ、そういう度胸を見せてくれた子。……そうね。良い機会だし、お茶でも一杯飲まない?」


 青白い人が指を鳴らすと、部屋の電気が付く。次に指を鳴らすと、部屋の中がみるみる内に片付いていく。見違えるように美しくなった部屋に口をパクパクとさせながらも、いつの間にか私は椅子に座らされていた。

 青白い人はいつかネットのオークションで時価数百万円と出ていたティーポッドで紅茶を沸かすと、私の前へと置いてくれる。いつの間にかカメラを通さなくても姿がはっきりと見えることに驚いていると、彼女は私の前へと座った。


「さて。クッキーは今焼いている所なので済まないが、その間なら何でも君の質問に答えてあげるよ。……あぁもちろん、出来る範囲で、だけどね」


「それじゃあ……お姉さんは幽霊なんですか?」


「直球だね。その質問に対する答えは半分イエスで半分ノー。君たちの言うであろう透明な幽霊という存在の定義には当てはまる。が、同時にニアイコールでもあるわけだ」


 ニアイコール、ニアイコール、ニアイコール? 言葉の意味がよく分からなかったが、イコールの親戚みたいなものなのだろう。私は分かったフリをするため頷く。


「幽霊ではないんですが?」


「あぁ。私は生者が死んで残した魂ではない。それを模したもの、あるいは……”実在性を証明できない非実在の実在”とでも言うべきだろうか。小学生には難しいかい?」


「い、いえ! えっと……つまり、幽霊ではないんですね!」


 お姉さんは一瞬笑っていない笑顔を見せた。「そうだね」とだけ言って、手元のカップに口を付けた。私も慌てて口を付けると、「あちっ」とカップの中身を服にこぼしてしまった。あたふたとしてしまう私にお姉さんは、今度こそ本当の笑いを見せると、「ちょっと待ってて」と言って、別の部屋からタオルを持ってきてくれた。

 さすがに顔を俯かせていたが、お姉さんは優し気な微笑みを見せてくる。その奥はそこはかとなく深く、混沌が渦巻いているようだった。そんな僕を気遣ってか「あぁそろそろかな?」と表情を変えると、奥の右腕を掴んだ。とても冷たいが、確かに実体のある、人間の指をしている。


「本当に幽霊……とかじゃないんですね」


「だから言っただろ? 幽霊なんて存在しない。そこにいるのは、非実在の実在の……ともかく。幽霊じゃない、”お姉さん”だ。それ以上でもそれ以下でもない」


 わっと腕を脱臼しそうなほど強い力によって引っ張られていく。どこへ行くのかという気持ちより早く離してくれないかという祈りが高まっていると、いつしかキッチンに立たされていた。実際庶民的なキッチンというよりはお店の厨房に近い広さと設備を有していたわけだが、彼女が目の前で焦げた匂いを垂れ流すクッキーに「あぁ!」と声を上げていたのを見る限り、「厨房」としての役割は果たせていないのだろう。

 厨房に対して概念的な同情を抱きながら、「そっちの窓開けて開けて!」と頼まれた。何かと見ると、オーブンから黒い煙がもくもくとこちらに向かってきている。目の前が真っ暗になったのにビビりながらも窓を開けると、爽やかな風と黒い煙が竜虎激突していた。外は何も変わらない、平凡な村である。それなのに、この建物の中だけは特別な一つの世界みたいで、なんだか頭がクラクラしてしまう。


 夜の空気を肺の中に吸い込んでいる内に、いつしかクラクラも収まった。顔を外から中に戻ると、焦げてボロボロになったクッキーを、お姉さんが「まずぃ……まずぃ……」と呟きながら食べていた。


「なんか……よく分からないですけど、魔法でどうにかならないんですか?」


「魔法……あぁ違う違う。私は実在云々だし、ある程度周囲の空間に影響することができる。それでも、魔法みたいに自由じゃない。例えば、さっき飲んだ紅茶あったでしょ?」


「まだ飲んでないですが」


「えっ。……まぁいいや、飲んだ体で行こう。それであの紅茶を飲んだのなら分かると思うんだけど、そこに味はないの。私は君の記憶から生まれた虚構の延長で、それで……」


「その説明、いりますか? 私が聞いたのは、魔法なのかそうでないのかだけです」


「そう……うん、そうだったね。少なくとも、君が魔法と思っているものでは、クッキーはどうにもならないよ」


 「こう返信いい?」と念押しをしてくる姿に若干の困惑をしながらも頷く。さっきまで良い表情をしていたのに、なんだか突然機械的な調子になってしまった。お姉さんは焦げたクッキーを全部ゴミ箱に捨てると、代わりに冷蔵庫からクッキーを出してきた。

 なんだ、やっぱり出せるじゃないかと不満を募らせる。お姉さんはテーブルにクッキーを置くと、「食べていいよ」と私に進めてくる。顔も目も表情も、なんだかさっきより不自然だ。とはいえ指摘できるほど論理的な思考が頭で構築できていなかったので、大人しくプレーンのクッキーを紅茶で流し込む。


 言われた通り、本当に味のない食べ物だった。まるで発泡スチロールを口の中に含んだ時の味と似ている。これは比喩ではなく、最近近所のおじさんが山一つ越えた先の湾で買ってきた魚を入れていた発泡スチロールを誤って食べたことがあるので確実だ。発泡スチロール紅茶と発泡スチロールクッキー。美味しくない食感と味に顔を歪ませている一方、お姉さんはそんな私をじぃーと見つめている。その姿につい背筋が伸びてしまう。


「お姉さんは……食べないんですか?」


「食べるって何を?」


「だから……目の前のクッキーを」


「食べろと言われたら食べるけど、所詮は私の一部みたいなものだしねぇ。食べても仕方なくない?」


 ぶっと紅茶を吹きかけたのに、「そんな驚くこと?」とお姉さんは驚いたような苦笑いをする。いや、驚くだろう。某ウミガメのスープの話ではないが、目の前に食べている食べ物が意思疎通の取れる相手の一部だと言われて、吐き気を催さない常識人がどこにいるだろう。


「まぁそれを言うなら、私はこの空間と同意義だしね。同じ部品が三つずつ入ったレゴ、みたいな表現だったら分かる?」


「また組み立て直したら、また別のお姉さんになるってことですか?」


「そうそう! 記憶の連続性もあるし、別に大きな支障があるわけではない。でも、同じ組成の私ではもうない……という感じ。人間だって細胞分裂するんだから。その感覚や間隔が違うだけで、似たようなものでしょ?」


「それでも。今この瞬間のお姉さんと会えるのは、今だけなんですよね? だったらそれは……同じだとしても、同じじゃない……んじゃないですかね。ちょっと、論理に欠いている論理な気がしますが」


 お姉さんは私の顔をしばらく見つめていると、やがて席を立ち上がり、ふふっと笑った。そのまま私の方へ近付いてくると、髪をかきわける。くせっ毛なのでお姉さんが伸ばそうとする度に、びよんと戻ってしまう。ヘアアイロンでもかければマシなのだろうがと思っていると、不意に、開かれた頬にキスをされた。困惑して固まる私に、お姉さんはふふっと意味ありげに笑う。


「ありがとう、少女。そうだね。そこに論理的な意味がないとしても、君たちは救いを求めるのだから。だから……そろそろ時間だよ」


 お姉さんがトンっと僕の額を押すと、椅子が倒れていく。頭をぶつけると思ったその時、身体が無重力に放り出される。ぐるぐると、ぐるぐると、混沌の中を回る。いつしか視界が真っ暗になり、パッと光を取り戻した。


 気が付くと、私は家の前で倒れていた。発見した両親に「あんた、二階から落ちて死のうと思ったの!?」と変な心配をされたが、そんなわけはない。ただあの屋敷の経験については、口の中に無機質なクッキーと紅茶の味だけは覚えていたが、それもまるでものであり、あの屋敷で経験したものではないような気がしていた。


 数年後、私は都会へと出た。渋谷の巨大な画面にも人の波にも慣れなかったが、それでもあの田舎よりはマシだと思っていた。今日もバイト先へと出勤していると、不意に渋谷の大画面に一人の女性が映った。その黒髪の美少女はきらりと私に向けてウィンクすると、画面はいつもの企業広告に戻った。現実の感触を取り戻せないままでいながらも、私はなぜか、湧き上がる懐かしさに涙を流していた。

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