ep.23 嫉妬から始めるお泊まり会



 気持ちの良い夜風が吹き抜け、今夜は快適な気温となっているはずなのに額から流れる汗が止まらない。



「あっれー? 先輩、遠くにいるんじゃないんでしたっけー? あれあれー? ウソついてたんですかー?」



 水瀬に見つかった俺は擬態を解除し、流れるような身のこなしでアスファルトに正座しといた。


 ちなみに膝が壊れるくらい痛い。


 けれど、目の前に仁王立ちする水瀬はキュートな笑顔を貼り付けながら何やらヤバそうなオーラを放っているので、なんとなくこのポーズを取らなきゃと肉体が反射的にこうさせたのだ。


 恐らく、これが覇気ってやつなのだろう。


 おまけにさっきまですぐそこに居たはずの鳴上が、俺と水瀬がエンカウントするものの数秒間で跡形もなく姿を消していた。

 逃げ上手の鳴上は水瀬の覇気を察知したのか、夜風と共にすぐさま逃亡したのだ。


 とりあえず滲み出ているオーラを落ち着かせるために、丁寧に正座から土下座の体勢に移し替えてみる。



「ウソをついておりました。誠にすいませんでした」



 すると、今世界一低姿勢である俺に合わせてしゃがみこんだ水瀬の手が肩にポンと添えられた。



「先輩の家に泊めてもらえたら許します」


「断る」



 だが、俺は間髪入れずに即答した。



「なんで!?」



 理由は大まかに三つあった。


 普通に環境が複雑な俺の家に他人を招きいれたくないのがひとつと今日はもう疲労困憊なのがひとつ。


 そしてもうひとつは今日、俺の脳裏には水瀬のピンクの下着が焼き付いてしまっているからだ。


 ちなみに最後が断る理由の九割を占めている。


 けれどここは(実質)大人としてそれっぽいことをちゃんと理由付けしておくべきだ。



「あのなぁ、今日あんな目にあってるのに、どうして性懲りもなく男の巣窟に踏み込もうとしてんだよ。ちゃんと反省してんのか?」



 そして、更にここを形勢逆転のチャンスと捉えた俺は立ち上がり、いつものように説教ポジションに居直る。



「それは本当に反省しています、ごめんなさい。けど、だからこそ……今日だけは誰よりも信頼できる霧島先輩にずっと一緒にいて欲しいんです」



 が、彼女はあろうことかその行動を逆手に取って、俺の胸の中にするりと入り込み、有無を言わさず上目遣いで俺の顔を見つめてきた。


 吃驚しつつもはっきり言おう、色気がやばいと。


 この距離で密着されると流石に込み上げてくるものがあるが、このまま折れてしまうのも示しがつかないのでこっちはこっちで踏ん張りを見せなければならない。



「……俺はこの前、距離を取ろうって話したはずだけど?」


「けど、それは契約違反です」



 しかし、小賢しくも食い下がる水瀬。



「そうは思わない。付き合っていくうちに距離を取るなんてことはいくらでもあるもんだし、それも付き合っているうちだ」


「でも彼氏なら自業自得だったとしてもこんな目にあった日くらい、わがままを聞くものだと思います」


「…………」



 やめてくれー。

 

 そんな台詞を呟きながら俺の胸に頬をすりすりしないでくれ、こそばゆい感覚が病みつきになっちまう。


 俺の胸にお前の胸を押し付けないでくれ、暴力的な感触で脳みそが蕩けちまう。


 俺の胸の中から紅潮させた顔で見つめないでくれ、ただでさえ疲弊した思考力が更に鈍くなる。


 まずいなぁ……

 理性がだんだんと麻痺していく……。



「先輩……一生のお願い」



 ダメ押しとばかりに強く強く俺に抱きついてくる今世界一かわいい生物。


 くそぅ……負けて……たまるかぁー!



 …………だめだ。



「………………条件がある」



 結局、俺はどこまでいっても男だったわけだ。





          ▼▼▼





 水瀬に強くお願いされたことで渋々、本当に渋々だが俺の寝室に忍び込まないという条件付きで彼女を招き入れた。

 

 断じて、誘惑に負けたわけではない。


 それに、逆に考えれば水瀬の一生のお願いという切り札をここで消費させたことになる。

 と、ポジティブに捉えておくことで俺は精神の平静を保った。



「ただいま」


「お、お、お邪魔しますっ!」



 鍵を開けてドアを開き、玄関で靴を脱ぎながら二人で声を掛けるが、中からは何の返答も返ってはこない。


 まぁ、慣れたことだ。


 まるで他に誰も住んでいないかのように静まり返った様子を不思議に思ったのか、水瀬はこそっと耳打ちしてくる。



「あれ、先輩って一人暮らしでしたっけ?」


「いや、妹がいる」


「そ、そうなんですね。静かだし、もう寝ちゃってるんですか?」


「分からんけど、たぶん起きてると思うぞ」



 たしかに時刻は既に夜十時を過ぎているので、この時間に寝てる人はいくらでもいるだろうがウチの妹に関してはそれはないだろう。


 俺の妹、霧島露きりしま つゆは二つ年下の中学三年の代なのだが、一年以上前から現在進行形で中学を不登校中のひきこもりである。

 

 ひきこもって以来、彼女は完全に昼夜逆転の生活をしておりもっぱらこの時間はネットでゲームかなんかをやっていたはず。


 こんな歯切れの悪い言い方になるのは、俺がタイムリープしてきて以降、まだ一度も顔を見るどころか声すらも聞いていないからだ。

 

 露は母親を強制入院させた俺を物凄い剣幕で糾弾してきたし、それ以前から俺に対して嫌悪感を剥き出しにしていたので確実に俺を嫌っている。


 昔はかなり仲良かったはずだが、露も中学に入って思春期真っ盛りだろうし、そういうタイミングで俺が色々やらかしたこともあってそうなってしまったんだろう。


 ただ、何より過去で彼女と決別したきっかけはこれから二ヶ月後に起きる母親の自殺である。

 父が死んで、母も失い、その原因が元々嫌っていた兄だったとなれば殺したいほどに憎んだはずだ。


 だからこそ俺としても未だにどうやって関わっていけば良いのか分からない状態でもある。


 なにより露の拒否感が顕著でどうしても俺と顔を合わせたくないという頑な意思を感じるので動きようもないのもあった。


 とはいえ、これに関しては今はどうしようもないのでひとまずしばらくは考えないようにしている。



「とりあえず先、風呂入ってきていいぞ」


「ふ、ふふふ、風呂っ!? いや……それは……」



 その間に適当に晩飯を済ませようとして、特に意識して言ったわけではないが水瀬はその提案に分かりやすく動揺していた。



「なに、お前は風呂入らない系女子なの?」


「いや入るわ! めちゃくちゃ入るわ! け、けど! 桃が先だと先輩があとから……桃の入った残り湯を」


「俺はシャワーしか浴びない派だから安心しろ。それに俺はゲテモノを啜るような悪食ではない」



 ポカンとする水瀬を案内しつつ、バスタオルと露のパジャマを渡して立ち去ろうとしたが、水瀬はそれらを掠め取ると、ぷいっと頬を膨らませて脱衣室の戸をピシャッと閉められた。



「……むぅぅぅう! ノンデリカシー男!」



 戸の向こうから捨て台詞を吐かれたが、これに関してはどっちがノンデリカシーなのかと問いたいところ。


 さておき俺も腹ペコなのでとりあえず家にあるカップ麺を三分クッキングしてから摂取して、風呂が空くのを待った。



「あの……、お風呂ありがとうございます」


「おわった? 諸々用意しといたからこれ飲んだら歯を磨いて、二回の一番奥の部屋使っていいよ」



 摂取が終わった後、出るまでに水瀬がすぐに寝られるように部屋やら何やらの用意をしておいたのでそれを伝えて就寝を促したのだが、



「先輩が終わるまでここで待ってます」


「え、もう遅いし寝ていいよ」


「たぶんまだ寝られないんで大丈夫です」



 どうせ言っても聞かなそうなので、それ以上は何も言わずにリビングのテレビだけを付けておいた。




  

          ***





「……ふぅー……あったかい」



 お風呂から出ると、先輩はミルクセーキを桃に渡してさっさとシャワーを浴びに行ってしまった。


 一人になり、流れてくるテレビのニュースを聞き流しながら一息ついていると、じんわりと今日の出来事が蘇ってきた。


 自分の負の感情の吐口として他人を弄ぶような行動を起こした結果、危害を加えられそうになり結果は助けてもらうという最悪な一日。

 

 本当に皆んなには迷惑をかけた。


 鳴上先輩はそこまで関わりがあるわけじゃなかったけど、駆けつけてくれたうえにその後も場の雰囲気が重苦しくならないように立ち回ってくれていた。 


 なるちゃんも相当怖かったはずなのに、泣くほど必死になって桃のところまで来て抱きしめてくれていたし、最後まで桃の心配をしてくれていた。


 なこみ先輩なんて桃がわがままな嫉妬心で勝手に苦手意識を持っていたんだけど、ああして助けてくれたあとのお店でもずっと怖かったよね、もう大丈夫だよ、と声を掛けてくれた。


 そして霧島先輩は距離を置こうとしていたのに、桃のピンチを知って来て、あんな状況から助け出してくれた。


 こう言ってはダメなんだけど、桃のために皆んなが必死になってくれたことがなりより嬉しかった。



「まだ起きてたのかよ」



 そんなことを考えていると、いつの間にかにシャワーを浴び終わっていたのか先輩が水を片手に立っていた。



「あんなことがあったのでなかなか眠れませんよ」


「ま、それもそうか。とりあえずリビングの物とかは好きに使っていいからな。んで俺は疲れたから寝る」



 それだけ言うと、先輩はふらふらと二階にある自室にこもっていってしまった。



「おやすみなさーい」



 最近、というかよくよく考えてみると、なんとなくだけど先輩の本性がよく分かってきたかもしれない。


 普段ぶっきらぼうで説教くさくて目が死んでいる上に桃のことをちっとも甘やかしてくれない先輩だけど、桃が本当にしたいことをさせてくれたり、困っているときは助けてくれたり、実はすごく気遣いとか優しさに溢れているような気がするんだよね。


 たぶんだけど、先輩は本当はとてつもなく優しい人だ。


 そして、その先輩の周りにいる人たちも優しくて、桃とは比べものにならないくらい良い人で、桃もそんな良い人になりたいと自然に思ってしまう。


 その反面、桃はやっぱりどこまで行っても自己中心的で性格の悪い女だと実感もする。


 だって……あんなに今日優しくしてくれたなこみ先輩に対してすぐ後のお店でも嫉妬しちゃうんだもん。


 

 ——なこみ先輩のお店についてすぐ、先輩となこみ先輩の姿が見えなくなったから追いかけてったら、二人がベンチで並んで話していて、本当にお似合いなんだと思っちゃった。

 それにまた先輩はあの笑顔を彼女に見せていた。


 桃にはまだ一度も見せてくれていないあの笑顔をなこみ先輩はいとも簡単に引き出しちゃうんだもん。


 あんなことがあったのに、またこの胸をひどく締め付ける嫉妬心が出てきちゃって、どうしても今日だけは先輩とずっと一緒に居たくなっちゃったんだもん。


 つくづく桃は性格が悪い女だ——



 だけど桃はこのままでは終われないし、終わりたくない。


 先輩はありのままの桃で良いと言った。


 ならば、この醜い感情さえも桃のありのままだし、桃は自分の本当にしたいことをするべきだ。


 いくら周りに悪女と思われようとも……。



「よし、先輩に添い寝してもらおう」



 そんな自己中心的な目的のために桃は用意してもらった部屋に入り、あまり優秀じゃない脳みそをめいいっぱい使った。


 

(先輩は寝室に忍び込むことを禁止した。その約束はちゃんと守りつつも先輩と添い寝をする方法……)



 腕を組んだり、こめかみをぐりぐりしたり、ベッドに腰をかけて足をバタバタさせながら必死に考えたあと、桃は携帯に手を伸ばす。



『先輩、助けて!』



 そして、メール画面にそれを打ち込んで送信する。



『もう寝てる』



 すぐに返ってきた。

 


(いや、起きとるやないかい!)



 心の中でツッコミを入れつつ、部屋でバタバタと暴れながら、再び返信する。

 


『やばいやばいやばい! 虫っ! 虫がいるっ!』



 すると、廊下からドアが開く音がした。



『ねぇ、早くっ! 助けて!』



 追撃メールを送ると少しして部屋のドアが開かれた。



「どこ? G?」



 先輩は律儀にノックをしてから、よくわからないことを呟いて桃の部屋に侵入してきた。



「あ、あそこのベッドの下らへんに逃げ込みました」


「え、見失ってんの? めんどくさいなぁ」



 だるそうにしながらも、虫を潰すハタキみたいのを握ってやっぱり助けようとしてくれる先輩は部屋の奥へと足を踏み入れた。



「ふふっ、ごめんね先輩!」


「は?」



 その瞬間にドアを閉めてからそこを封鎖するように目の前で仁王立ちをした。


 先輩は少しポヤァっとしていたけど、すぐに状況を理解したようだ。



「これで密室で二人っきりになれましたね♡」


「約束が違うぞ?」


「いえいえ、約束は破ってないですよ? 先輩は桃が寝室に侵入はしないってことしか言ってないですもん。桃は一切侵入はしてませんよ?」



 そう。

 ルールとしてこっちが忍び込めないのなら、むしろあっちから来てもらえるように誘き出せばいいのだ。

 見たか!

 これが桃が無い頭で考え抜いた添い寝大作戦だ!



「……はぁ。まぁまぁちゃんとしたいい作戦じゃん。それで? 俺はどうすればいいの? 要求はなんだ?」



 えッ!! 褒めてもらえた!!!


 じゃない! ここで究極の二択を突き付けるのだ!


 

 桃は先輩に向けて渾身の要求をぶつける。



「桃にここでキスして部屋に戻るか、添い寝でこの部屋に残るかを選べぇぇぇえええ!!」








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クズから始める高校生活 キシロギ @iakot88

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