#9
目を覚ますと当たり前のように陽が高い。
少しうんざりしながら、顔を洗い、髭を当たって髪を調えて外に出た。電車に乗り込み新宿で下車。新宿二丁目までは歩く事に決めた。
目指す佐伯のマンションはこの辺りだったと筈だが、間の抜けた事に正確な住所を知らない事に思い至った。
がっかりして植え込みの端に座り込む。しょうがない電話で連絡をするかと考えていると、
「―何をやっているんだ、君」と声を掛けられた。
顔を上げると白いシャツに膝丈のパンツ姿の佐伯がいた。サンダルを履いているので、ちょっと買い物に出たという様子だった。
驚いて何か言いたいのだが、うまく言葉が出ない。挙動不審を見かねたのか、佐伯は「しょうがないな」と言った。
「暇なら茶の一杯も出してやるから上がって行きなよ。女の一人住まいに上がり込むんだ。不埒な事をするんじゃないよ」
佐伯は踵を返して、さっさと歩きだした。
佐伯は小ざっぱりした部屋に一人暮らしだった。やけに綺麗に整理されているので、そう言ったら「今日掃除したばかりだ」とコーヒーを入れながら答えた。
「そうじゃなきゃ、人など部屋に上げるものか。全く。で、何だね。上司を出待ちするとはいい度胸だ。闇討ちかね」
「闇討ちって。時代劇じゃないんだから」と答えたが、小声になって口籠った。
「おかしいな、君。普段以上におかしいよ。告白でもしたいのか」と言って、佐伯はドリップしたコーヒーに、氷を入れて差しだしてきた。暫くすればアイスコーヒーという訳だろう。
とても言い辛いと思いながら「実はそうなんです」と何とか口にした。
「なんだって?」
「実は告白をしようと思ってまして」と頑張ってそれだけ言った。
グラスを一口呷り、それをゆっくりとテーブルに置きながら佐伯は「なぁ」と言い、「自分の言っている事、わかっているかね? 君は今上司に告白しているんだが」と大きめの声を出した。
「大きな声を出さないでくださいよ」と、つい、いつもの調子で返した。
「いつからだ」
「割と前から」
「なんで今?」
「ちょっとした思い付きで」
佐伯は、大きな目を更に大きく広げて、「君はあれか。この世が終わるかもと思ったものだから…」
かろうじて頷いた。
それを見て佐伯は「君は、高校生か何かか」と呆れ果てたように言った。
「そりゃおかしいと思いますけど、こんな事でもないと言い出せませんよ」
「そんな風に思うから、高校生だと言っているんだ」
佐伯はソファに放り投げてあった鞄から書類の束を抜き出して差し出してきた。見るとすべて英文だった。
「英文じゃないですか」
「怠けてないで読みなさい」
無理やり目を向けると勤めている会社と提携しているアメリカのシンクタンクが作成した学術レポートだった。英語は得意じゃないが、それでも結論として最終的な解決についてという項目は読み取れた。
「昨晩出回ったレポートだよ。割と無理して入手したんだ。確かに君の懸念の通り、どうやら地球は終わりだと結論付けられている」そう言って佐伯はちらりとこちらを見た。
「―但し、三百年後と計算されている」
「三百年後?」
「そう。三百年」
そう言いながら佐伯やこちらに近づき、レポートをサトウの手からそっと取った。そしてそのままテレビを付ける。国会の様子が映し出されている。なんと首相にメモを渡している男に見覚えがあった。安井が短パン姿で悪目立ちしている
「つまり、今はもう少し事態の解明が進んだんだよ。アメリカとソビエトの衛星により、要は地球は巨大なブラックフォールに落ちつつあるとわかった」
「ブラックホール?」
「そうブラックホール。太陽すら飲み込む大きさと観測されている。要は太陽系自体が大きな穴に落ちている途中という事だね」
「そんな…」
佐伯は手にした紙を二、三枚捲り続ける。
「そもそも、このブラックホールはずっと太陽の傍にはあったらしいんだ。ただ地球から見ると太陽の陰であった事が災いして上手く見えませんでしたという訳だ。なぜ、今このタイミングでこの大穴が太陽系を吸い込み始めたのか等は、更なる研究を要する云々」
余りの事に声が出ない。ゆっくりとアイスコーヒーを飲み、「三百年後」と言った。
「そうだね。そりゃ私だって残念さ。人類の最後を知ることになるとは思わなかった」
「でも、何と言うか」
「わかるよ。三百年後じゃな。君だってそこまで長生きするつもりはないんだろう? 無責任ながら少し安心したとも」
テレビの中では政治家がパネルを持ち上げて何かを喋っている。各国の共同開発で太陽系からの移住を本格的な事業として起こすと説明していた。
「まぁこうなる。ここ暫くは宇宙開発がトップトレンドだね」
「出来るんですかね」
「出来る出来ないじゃないのさ。そういう希望が無いとやってられないのが人間なんだ。終わりだなんて思い詰めると碌な事をしないんだよ。思い残すことが無いように告白などしようとする輩がいる」と佐伯は意地が悪そうにニヤリと笑った。
なんだかとても居た堪れない。
佐伯は思い出したように「ところで君、明日のレポート忘れていないだろうね」と言った。
「世界が終わるのがわかったのに、会社有るんですか?」
「あのね。私たちが生きている間は世間は普通にあるに決まっているじゃないか。会社ベースで物事を動かすのが今は合理的なんだから、寧ろやる事は多くなるよ。しっかりしないといけないのは、これからさ」
佐伯が腕を組んで窓から外を見上げながら言った。日差しがその面差しを強く照らしていた。
「しかし日焼けして堪らんな。君、私が真っ黒に日焼けしたらどう思う?」
そう言って、彼女は子供みたいな顔をして笑った。
了
夏の日の終わりに 大塚 慶 @kei_ootsuka
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