#8

壁の時計が十九時を過ぎた所で、父の正人が帰ってきた。

「―おう。戻っていたか」と正人は珍しいものを見たような顔をして言った。「ただいま」と返すと、軽く頷いて定位置の座布団に腰を下ろした。

「おにぎりでいいっていうからさ」とさとが、大皿に握り飯を十ほども持って台所から出てきた。端に大葉を混ぜ込んだ味噌や、明太子を載せている。

「母さん多いよ」と正人が呆れたように言った。

「大丈夫ですよ」とさとが返す。見慣れたやり取りだった。

 握飯を口に含むと、昔通りのやや強めの塩加減だった。変わらないと思って、直ぐに違うと思い直した。全ては変わりゆくのだが、それに鈍感な自分が居るだけなのだ。

「まぁ、色々大変な事になっているけど、しっかりやっていくしかないな」と正人が誰に言うともなく言った。

「しっかりって何ですか。また適当な」とさとが答える。

「しっかりってのは小さな事でもしっかりって事だよ。公民館手伝ってさ、大人のほうが不安そうで、小さい子がそれ見て泣くんだ。しょうがないよな。普段親が見た事ないような顔しているんだから。それで高校生位の子が泣いた子供を宥めてて、なんだかなって思うんだ。よくわからない状態でも、できる事ってあるよな」

「できる事」

「そう。例えば人にやさしくとか」

「なんですか、それ」と、さとが良い音をさせて漬物を噛む。

「何が正解か分からない事はあるんだ。それはしょうがないよ。でもちょっとした手伝いは出来るだろう?」

 正人はちらりと窓の外を見た、さっきよりは雨脚は弱まりつつある。

「結局できる事をするしかないんだってな」

 正人はそう言って、二十一時にもう一回出かけて、毛布の搬入を手伝ってくると言った。

サトウは「少し行って手伝うよ」と言った。

「泊っていくんでしょ?」とさとが言ったが、首を横に振った。

「部屋帰るよ」

さとは呆れた様に「勝手になさいな」と言った。

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