#7

「あんた、傘」

母のさとは、サトウの顔を見るなり顔をしかめて言った。

「突然だったからしょうがない」

「あんたはいつも用意がない」と小言を言い始めそうな母親を横目に、靴を脱いで家に上がり込んだ。

「シャワー浴びちゃって。着替えだしておくから」

「父さんは?」

「公民館。手伝いに行っている」

「避難の?」

「避難の。あんた海、驚いたでしょ」

 驚くも何も。ここ数日で二番目にびっくりした。

「避難は津波にって事なの」

「ニュース見ていないのあんた」と言いながら、さとはバスタオルを投げて寄越した。

 そう濡れたわけではなかったが、浴室に入りシャワーを浴びた。

 

 浴室を出ると、昔来ていたシャツと下着が用意してある。着込んで座卓に座ると、さとが昔から使っていた湯呑にお茶を入れてくれた。

 海の異常は強力な引き潮であると、さとは説明されたそうだ。

「同じような事は北陸でもあったんだって、ただ目立つ目立たないがあるみたい。不思議よねぇ」と、さとは小さな干菓子を口に放り込んで言った。引き潮なので、いずれ上げ潮になった時にどういう影響が出るかわからない、わからないから一応の避難をさせるという事らしい。

「何か言い訳っぽいね」

「そう。一応なのよ。お父さん、役員だからって駆り出されちゃって」

 そう言いながら、さとも湯呑から茶を飲んだ。昔から使っている茶碗だ。柄と少し入っている罅に見覚えが有る。

 サトウは父が定年後、家にいると思っていたが、地域活動に取り組んでいるとは思わなかった。

 窓の外を見ると、白い糸のような雨が降り出していた。小さな庭に植えてある椿の葉が雨に叩かれて揺れ動いている。

「ほんと、どうなっちゃうんだろうね。お父さん不安なんだと思うんだ。だからじっとしていられないんだと思う」

「何ができるわけでもないしね」

 実際、太陽だ海だと話が大きすぎて、手に負える気がしない。

さとは少し首を振って「今日、何食べたい」と言った。

「何でも良いよ」

「おい。何でもが一番困るのよ。あんた彼女いないでしょう」

「握り飯とか。そういうのでいいんじゃない。非常事態っぽく」

 それを聞いたさとは、なるほどと頷いた。お父さんも手軽な方がいいって思うかしらね。と腰を上げた。

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