#6

女の子はリンカと名乗った。地元の小学生だった。サトウ自身も通ったことがある公立学校に通っていた。そういうとリンカはよくわからないと言った顔をした。

「先生。多田先生まだいる?」と昔の担任の事を聞いてみるといないと首を横に振った。

「じゃあ橋本は?橋本教頭」

「この間いなくなった」と口に手をやりながら答える。

「うるさかったでしょ」と聞くと、リンカは「超うるさかった」と彼女は漸く笑った。「リンカちゃん何していたの」と聞くと、すぐに口元をへの字に曲げた。コロコロと表情が変わる。

「海、戻っていればなって思ったけど、まだ戻ってなかった。お父さんその内に戻るって言っていたけど。海、どうなっちゃったんだろう」

 どう考えても日の入りの異常の影響だと思った。潮の満ち引き自体は、確か月の満ち欠けと関係があると聞いた事がある。だがこんな事になるほど影響があるのかと思った。

 リンカが親がいるという集会所に戻ると言った。聞いてみると向かう方向が同じなので、一緒に歩いて行く事にする。ほんの数十分の距離だ。海沿いの遊歩道は駅からの道と同様、人気がない。それもその筈で昨晩避難指示が出たのだと彼女は教えてくれた。

「ジチ、ジチ何か」

「自治体?」

「そう、それ。でもみんな一緒だからちょっと面白い」林間学校みたいと言う。

 生暖かい風が吹いたので、遠くに下がった水平線を見るとその先から暗雲が重なって立ち込めるのが見えた。巨大な真っ黒い入道雲など初めて見る。

 リンカも気が付いたのか、目を丸くして「なんだアレ!」と大声を出した。サトウも「なんだアレ!」と一緒に大声で言った。リンカがこちらを見上げて子供らしい甲高い笑い声をあげた。しかしサトウはその目の奥にある確かな恐怖を見て取れた。子供だって太陽が沈まないという事がおかしい事くらいわかる。子供が不安になっている姿を見て、上手く言えない程ショックを受けた。

暫く一緒に笑った後、「大人なのになぁ」と言ってしまう。大人なのに、子供一人上手く安心させてあげられない。聞きつけたリンカが「大人なのになぁ」と面白そうに何度か繰り返して、又笑った。

 大人だからって何かを知っているわけじゃ無いなと思う。むしろ何も知らずに来てしまったんじゃないか。無意識に日常が普通に続いていくと根拠なく思っていた。変わる時は否応なく変わるのだ。

 入道雲が風に乗って西から広まりつつある。厳しい日差しは雲に覆われて緩んできた。リンカは少し小走りに歩いている。サトウはその後を、少し項垂れて歩いた。

大通りに入り、少し高台に出た所で曲がった。顔を上げると、コンクリートの三階建ての建物が見えて、サトウは、あぁここだったかと思った。その昔ここは空き地で木造の平屋があった。リンカは「バイバイ」と手を振って、自動扉を通って入っていった。

 サトウの家はそこから暫く行かなければならない。そう遠くないと思った時、鼻梁に大粒の水滴が当たって弾けた。何か水球でも投げられたように感じた。

「嘘だろ」

 空を見ると黒雲が風に流されて急速に空を覆いつつある。薄暗いを通り越して夜のようになってきた。

 今度は頭に衝撃を感じるほどの雨粒がバラバラと当たり始める。サトウは大慌てで実家に向かって走り始めた。

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