第19話 第一部「始まりの、あの日」 最終話

 それから二時間近くが経った午後八時過ぎ、おおよそカミングアウト大会も終了の兆しを見せていた。

 雅美は、俺が『ちゃんと、ゆっくり話そう』、そう言ったことに『あんたは、そういう奴だと思ってたよ。ありがとね』と、感謝の意を表しつつ、自らの生い立ちの話をした。

 久志はやっぱり俺と雅美に『ごめんなさい』と謝りながら、それでも自分の気持ちを一生懸命に話したし、自らがトランスジェンダーであることを告白した。(勿論、雅美は既に知っていたことではあるのだが)

 途中、どういう訳だか(いや、必然だったのか?)、俺も加奈子との失恋話を自らぶちまけてしまい、久志と雅美はそのことに対して「辛かったねぇ」とか「苦しいよねぇ」などと同情の涙まで流すという、何とも不思議な展開も起こっていた。

 三人が三様に告白した話の内容は、もし傍で聞いている見ず知らずの誰かが居たとすれば、それはもう修羅場、若しくは地獄のような話に聞こえたかもしれない。

 にも拘らず、俺は心地好ささえを感じていた。久志と雅美、この二人に関しても、恐らくは俺と同じで、ある意味開き直ったような清々しさとでも言おうか、そんな表情をしていたと思う。

 そして、俺を含めたこの三人の関係が、俺にも漸く理解出来てきたと同時に、当初俺が考え、妄想していたことよりも、何て簡単な話だったのだろう、そう思えるようになっていた。


 ☆。そして、男である俺のことが好き。


 ☆雅美は男の心では、女の子である久志が好きなのだが、同時に、その視線の先に居た俺に興味を持ち始め、そして俺のことも好きになってしまった。


 ☆俺は二人のことを気の置けない友人と思い始めていたところだった訳で、その二人から好意を寄せられて悪い気はしない。



 なーんだ、至極単純で、至って明瞭な話じゃないか。

 ・・・。いいのか?そんな感じで?・・・。

 良いに決まっているじゃないか・・・。

 決めるのは、俺だ・・・。

 俺がそれで良いと思えば、それで良い・・・。簡単なことだ。


「えーっ、もうこんな時間っ」

 唐突な雅美の叫び声に、何事かと、俺と久志が「どうした?」「どうしたの?」と同時に彼女に視線を向ける。

「何か今日予定でもあったのか?」

 俺の問い掛けに、雅美は至って落ち着いた様子でこう答えた。

「いや、何もない。そうじゃなくって、あんたたち、お腹空かない?」

 久志がクスクス笑い出す。

「ったく、お前ってやつは・・・」

 そう言って、俺も可笑しくなって笑い出し、雅美は雅美でおやつを強請る子犬よろしく、久志に期待の眼差しを向けているし・・・。

「分かりましたって、部長。食材、ちょっと買い過ぎちゃってたから、部長の分も作りますから」

「やったね。じゃ、うちらは先に、一杯、やっちゃいますか、ねぇ、高柳?」

 グラスを煽る仕草をする雅美を咎めるように、久志が「ふたりともねぇ・・・」とは言いはしたものの、何かが吹っ切れたのかタガが外れたのか、それとも開き直ったか、その目も口調も明らかに嬉しそうに笑っている。

「飲むって言っても、俺がさっき買ってきた500mlのビール二本しかうちには無いぜ」

「そういえば高柳、あんた、まさか一昨日あたしが冷蔵庫に残していったハイボール缶、まさかもう飲んじゃったの?」

「はぁ?飲んでる訳ないだろ。ってか、大体、そんなもんが残ってるって知らねぇし。冷蔵庫開けてねぇし」

「知らないって、あんた。あんたたちが飲まずに潰れちゃうから余ったんじゃない」

「うん、部長、さっき見たらまだ六本残ってたよ」

 久志が更に嬉しそうにそう答えると、雅美はうんうんと頷きながら、俺と久志の顔を見比べるようにしてから指を折る。

「ビール二本にハイボール六本・・・。四の、二と、二で・・・うん、少し足りないけど、まぁ、晩酌にはちょうど良いくらいか」

「どんな計算だよっ」

 俺が突っ込む、雅美がおどける、そして久志の笑顔が弾ける。


 久志の作ったハンバーグと生姜焼きのコンボプレート(みんな大好きなヤツだっ)とサラダにスープ。

 それにお酒も入って、幸せな気分だ。

 俺はこんな生活が毎日続いても良いとさえ思う。

 つい数時間前まで、ああでもないこうでもないとグダグダ妄想と対応策を捏ねくり回していた自分が嘘のように思えるのだが、俺のことを(正直に)『好きだ』と言ってくれる久志と雅美二人に囲まれ、フラれたことも怪我をしたことも、もうどうでも良くなっていたし、寧ろその事があったからこその、ここに繋がったひとつのターニングポイントのようにも思えて来た。


 あれがなければ、今、こうして三人でちゃぶ台を囲むことも無かったかもしれない・・・。いや、確実に無かっただろう・・・。


「美味しかったぁ。土屋、あんた天才っ。ぜったい将来店持ちなよ。何ならあたしがプロデュースしてあげっからさ。そんで、高柳はその店でマッチョなチーフ・ウェイターかなんかでさ・・・。楽しくない?」

「ダメだよ、僕の夢は将来お店持つことだから、それは良いとして、ヒロは薬剤師さんを目指してるんだ」

 久志のクレームにキョトンとした雅美は、本当に目をまん丸くして、俺の方を向いた。

「あんた、そんな、頭良かった、の?」

 俺が『失礼な奴だな』と笑う前に、雅美が続ける。

「・・・、じゃあさ、あんたは店の奥の一角にカーテン付けた小部屋を用意してさ、そこで食べ過ぎとか飲み過ぎとかに効く薬とかさ、何なら初デートで食事に来たカップルとかにさ、『惚れ薬』みたいなのを売りなよ。ちょっと怪しい感じの・・・あ、そうそう、『占いの館』みたいなコンセプトでさ。それもあたしがプロデュースするわ。ね、ね、良いアイディア度と思わない?思うでしょ?」

 久志は「・・・・・・」。

 俺は言う。

「やっぱりお前はアタオカだな」

「アタオカ?それはあたしにとっては褒め言葉だよ。ある種才能だね、あたしの」

 そう言って雅美は、カッカッカと、声を立てて豪快に笑った。

 ダメだ、これは・・・。楽しすぎる。


 食事のあと散歩がてら、俺は二人を駅まで見送りに歩いていた。

 本当のことを言うと、自分だけ部屋に取り残されて、そこで二人と別れるのが名残惜しかったのだと思う。

 ほろ酔い気分で俺を真ん中にして三人で歩いていると、夜風の心地好さと祭りのあとのような少しの切なさが、何とも言えない情緒を醸し出していた。

 夕方まで晴れていた空には、今は月も星も見当たらない。曇っているのだろう。そのせいで、深夜だというのに、それほど寒さを感じない。

「じゃあな、俺はこれで帰るよ。二人とも気を付けて帰れよ」

「うん・・・。今日は、ゴメ・・・、ううん、ありがとう。ヒロ、ありがとうね。うれしかったよ」

「なんだよ、それ。そんなもん、改まって言うことでもねぇだろ」

「高柳ィ、あたしには『気を付けて』って、言ってくれないのかよ」

「はぁ?今、俺、『二人とも』って、言っただろ?」

「え?言ったか?土屋ぁ、今こいつ、そんな風に言ってたかぁ?」

「はいはい部長、ちゃんとヒロは『二人とも』って言ってました。どうしちゃったんですか、部長?今日は部長が酔っぱらっちゃんですか?」

 雅美が恐らく酔っ払ってなどいないのを、俺は分かっていた。酔ったフリをしているだけだと。

「大丈夫。僕が責任もって部長を家まで送り届けるから、ヒロは心配しないで。それじゃ、ヒロ、今日はホントにありがとう」

 改札の向こうからもう一度振り返って手を振る久志は、実に嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 いや、それは久志に限ったことではない。

 俺も雅美も同様に、この状況を喜ばしく、そして純粋に楽しんでいたに違いない。

 これから始まる俺たちの物語に希望と期待を・・・、そんな風なものを抱いて・・・。


 帰り道、ポツリと降り始めた雨は、次第にその粒の数を増やしていった。

 俺は軒や木陰に隠れることも走ることもなく、ゆっくりと帰りの道を歩く。

 今日、この日に降った雨のことを、俺は忘れないだろう。

 もう冷たくはない。


                「始まりの、あの日」 了

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まさか俺が?誰だって初めは、そう思う…(雨が、好きだ) ninjin @airumika

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