三つ星フレンチでディナーを

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三つ星フレンチでディナーを

 早春の淡雪が降る夜だ。東京新宿の大きな老舗百貨店のショーウインドーは、新型コロナウィルスの感染再拡大でも、深夜まで人通りは絶えないメーンストリートに面している。

 ポーズをとる三体のマネキンは、軽快な春のファッションだ。自転車をはさんだ男女の二体は、アラサーを意識した雰囲気をかもして、女は白いロングワンピースに青白バイカラーのキャンバストートバッグを持ち、男は薄いグリーンの大胆なボタニカル柄のオープンカラーシャツを着ていた。アンティークな木製の白いベンチに、青いパーカーとマリンボーダーのインナーをコーディネートしたショートボブのユニセックス風な一体が腰掛けていた。

 ほとんどの通行人が、マネキンとは対照的な日本人のお仕着せファッションで黒っぽい防寒着の肩をすくめて歩き去った。さすがに、それも途切れる時刻だった。

 ボタニカルの男が両目を開いた。キョロキョロと周囲を警戒して口を動かした。

「おい、起きてるかあ」

「当たり前じゃないの。ずっと、寝ていないわよ」

 ロングワンピの女だ。

「おい、若いの、どうだ?」

「はい、大丈夫です。肩凝っちゃったあ」

 パーカーが小声で応えた。

「若い女は、我慢が足りないな」

「わたし、いや、ボク、女でも男でもないんです。カジュアルなユニセックスの着こなしアイテムなんです。LGBTQのQです」

 Qはクエスチョニングあるいはクィアを意味している。自分のセクシュアリティが分からない、決めていない、決めたくない、迷っている人たちを指している。

「はいはい、分かってますよ。それにしても、やってられねえなあ。人間の世界は、とんでもなく景気が冷え込んじゃって、高級品のアパレルなんか買いに来る客はいないぜ。この店も売り上げがドカンと落ちてるんだぜ」

 ボタニカルは、吐き捨てるような口調だ。

 ロングワンピが、ゆっくりと首を回した。

「マネキンのあんたが、店の売り上げを心配しても何になるのよ。あ~あ、わたしも、同じ姿勢で肩凝ったわよ。いつまで、こんなの続くのかしら」

「マネキンなんだから、耐用年数次第だろうさ」

「あとはお払い箱ね」

「そりゃあ、マネキンなんだから」

 突然、パーカーが叫んだ。

「こんなの、もうイヤ!人間になって、ミシュランの三つ星フレンチでディナーしたい!」

「ええっ」

 ボタニカルとロングワンピが同時に驚いて、顔を見合わせた。

「わたし、いや、ボク、なにかヘンなこと言った?」

 パーカーはキョトンとしている。

「あのねえ、あなたは、まだ新人だから、分からないのねえ」

 ロングワンピが諭すように、でも温かみのこもった眼差しを向けた。

「ずっと、外の通りを見ててごらんなさい。人間の世界なんてひどいものよ。高級車に乗ってバカみたいに金を使う人もいれば、きょうの食べる物もなくて、炊き出しに長蛇の列よ。この寒さ、ホームレスには堪えるわあ。政治の貧困ね。ミシュランなんて、一部の富裕層の道楽よ。マスコミに煽られているだけ。無自覚な現代人の末路よ」

「そうだぜ」

 ボタニカルは、しんみりと続けた。

「金持ちと貧乏人の格差がすごいんだ、とってもな。救いようがないぜ。でもなあ、ここにいりゃあ、少々、肩は凝るが、いいもの着て、温かく安全だぜ」

「コロナがねえ…特に若い女性にとっては、生きるのが重荷よ。自殺も増えているらしいわ。かわいそう。人間になっても損、損なだけ」

 ロングワンピの声は暗い。

 パーカーはしばらく、口を閉じた。確かに新入りだ。昨秋にFRP、繊維強化プラスチックで製造され、このシーズンから仲間入りしたばかりだ。

「人間はなあ、愚痴ばかり言っているぜ。SNSには、不満と憎悪が満ち満ちしている。ヤバイわ、な。そんな世界に飛び込んでも、気が滅入るだけだぜ。ペッ、だ」

 ボタニカルは吐き捨てるような口ぶりだ。

「でも……」

 パーカーは、おずおずと切り出した。

「ここにずっといても、古くなったら処分されるだけでしょう?その前に自由を味わいたい。ミシュランの三つ星フレンチで、美味しい料理、堪能したいの。だって、この間、ウィンドウの外で若いカップルが、これから三つ星ディナーだって…女の子は素っ頓狂な声で、大喜びだったもの」

「知っているわ。長身で高そうな黄色いダウンのイケメンと、その彼女でしょ。随分と長く、立ち止まって話し込んでいたよね。でもさあ、どうなのかなあ、このカップル。あなた、気が付かなかったの?」

「意味が分かんない」

「彼女の来ていたコート、ストリートファッションの、まあねえ、安物よ。それもわたしはステキだと思うけど、イケメンのブランド物とは雲泥の差。それに彼はロレックスしていたし。本当に愛し合っているのかしら。あのイケメン、体目的で喜ばせているだけのような気がするわ」

「考え過ぎじゃないですか?」

「長年ねえ、マネキンしていると、客の良し悪しは分かるっものよ。ねえ、ボタさん」

「おいおい、おれはボタかあ。ロンピの経験は無視できないぜ、ユニちゃん」

「わたしはロンピ?まあ、いっか」

「人間のカップルのことはどうでもいいです。処分される前に、夢を叶えたいんです。それだけ」

「処分?」

 ロングワンピだ。

「仕方ないじゃないの。ただのマネキンなんだから」

「そうだぜ」

 ボタニカルが相づちを打った。確かに、そうだ。マネキン人形は減価償却という企業会計の理屈からすると、耐用年数は2年となっている。

「新入りだけど、このまま耐用年数を待つのは嫌です。せめて、三つ星フレンチにチャレンジしたい」

「チャレンジ?」

 ボタニカルが薄笑いを浮かべた。

「マネキンに何ができる?いい服、着せてもらえるだけ、満足だろう?分相応、身の丈に合わせて暮らさなきゃあ。人間にも、誇大妄想のアホなヤツがいっぱいいるんだぜ。こっちは、ただのマネキンだぜ」

「違います!」

 パーカーはキッパリと口に出した。

「ただのマネキンじゃない。夢を持つマネキンです!」

「夢?」

 ロングワンピだ。

「夢だあ?」

 ボタニカルだ。二人は見合って、嘲った。パーカーは口を閉じた。

「バカ言うのは止めましょう、新入りさん。ただのマネキンに夢なんかあるわけないじゃないの」

「そうだ。新入りは世の中、分かっちゃないぜ。寝言は、止めておけ」

 三体の間に十数秒、冷たい時が流れた。パーカーは目を床に落としている。

「耐用年数は形だけだし、ずっと使ってもらえるのよ。まあ、時には首や手足をとられて、ボディーだけってこともあるけど。マネキンも多様だから。まあ、マネキンはマネキン」

「嫌です!」

 パーカーは、ロングワンピを遮った。

「ここから出たい。ミシュランのフレンチは食べたい」

「ひぇぇ~あきれたぜ」

 ボタニカルが大げさに身体を動かし、両手を広げた。

「ディナーしたいって、きみは、そのFRPの身体に食道や胃腸が入っているのかあ。だいたい、歯も肛門もないだろう。どうやって食事するんだあ。百歩譲って、どうやって排泄するんだあ。アッハッハッハ~笑わせないでくれよ。その中、空洞だあ。頭も空だから、そんな妄想に耽るんだ、きっと」

「ちょっと、ボタさん、下品じゃないの、その言い方。若い子には、もっと優しく説明してあげないよ」

「人間になりたい!人間になって恋したい」

 パーカーは叫んだ。

「シッ、声が大きい。警備員が来るじゃないの」

 ロングワンピが右手の人差し指を淡いピンクの唇に当てた。

「それに、恋だなんて、フフフ、そんな相手がいるわけないじゃない。どんなに着飾っても、しょせん、繊維強化プラスチックに、そんなハート、ないでしょ。新入りさん」

「そうだぜ。肝心なハートが存在しないよな。アッハッハッハ」

「ハートって、心臓のこと?」

 パーカーが訊いた。

「まあ、そうだな」

「じゃあ、恋愛はイコール心臓っていうこと?」

「うん、ううん、何でそんなこと知りたいんだ?」

「心臓がなければ、恋愛はしちゃいけないの?」

「心臓がなければ、そもそも生きてられないだろうが」

「じゃあ、何でマネキンが、こうして話しているの?」

「それは…」

「あのね、それはねえ、ここがファンタジーの世界だからよ」

 ロングワンピが割って入った。

「想像力の世界だから、マネキンも話し合えるのよ」

「それじゃあ、お姉さまにお聞きします。人間になって恋して、ミシュラン三つ星フレンチでディナーしたい夢も叶うじゃないでしょうか」

「それは…」

「おい、ユニちゃん、それは屁理屈っていうもんだ。マネキンにはマネキンの身の丈に合った現実があるんだよ」

 ボタニカルが諭した。

「身の丈って何ですか?自分じゃ、何も変えられないってこと?」

「そうだ。いま、人間の世界では、親ガチャが若いヤツらに流行っているらしい。つまりなあ、こどもの立場から、親は自分では選べない、どういう境遇に生まれるかはまったくの親任せ、ということだ。自分の持って生まれた運命は変えようがないんだ」

「あのね、マネキンに生まれた運命は変えようがないの。だから、耐用年数を立派に勤め上げて、その後は廃棄処分を待つだけ。それがわたしたちマネキンの定めなのよ」

 パーカーは先輩二人の前で言葉を探しあぐねた。マネキンも人間も、誰もが、その出自の境遇から抜け出せないのだ。

「夢は確かに大切よ」

 ロングワンピがしんみりした表情を見せた。

「だからねえ、わたしたちの夢は、カスタマーに心から喜んでもらうことなの。わたしたちの装うカラフルなファッションが、彼らの心を豊かにするのよ。それって、素晴らしいことじゃない?無機物のマネキンが、有機物の人間の生活を刺激するんだから」

「おお、さすがロンピだ、表現力がある。おれは、使命感に燃えるぜ」

「ピノキオだって、人間になれたじゃない!」

 パーカーが大声で叫んだ。

 その時だ。

「おいっ、誰かいるのか!」

 強いライトが照らした。店内を巡回する、二人の男の警備員だ。三体のマネキンは、ピタッと会話を止めた。

「この辺りで、声がしたんですよ。話し声でしたよ」

 若い警備員が説明している。

「そうかなあ、オレには何も聞こえなかったぞ」

 ベテランが首を傾げた。

「いやあ、確かに、ピノキオとか何とか声がしたんです」

「ピノキオ?こどもみたいだなあ。玩具売り場じゃないんだ。何かの間違いさ。初めての夜間パトロールで緊張しているんじゃないか。空耳だよ。さあ、早く回ろうや」

「はい…」

「初々しくて、おれにもそんな頃があったよ。ピノキオかあ、ディズニー映画だな」

 ベテランは笑い声を立てた。若い警備員は首を傾げながら、ベテランの後を追った。警備員は去った。


「大声だすな」

 ボタニカルが小声で叱責した。

「すみません。でも、あのピノキオも善行を積んで人間になるんですから、マネキンだって可能性はあるはずです」

「確かにな、木彫師ジェペット爺さんのいい息子にはなる。しかしな、ピノキオの真実を知っていないな。1881年、イタリアの作家カルロ・コッローディが書いた原作〈ピノッキオの冒険〉ではな、ピノキオはろくでなしの卑劣漢で最初の連載では最期に樫の木に吊るされて死ぬんだぞ。評判が悪くて、あとで書き換えたけどな」

「えっ、ウソでしょ?」

「だから、可愛いらしく、誰にも好かれるイメージの、そんなフェイクが1940年のディズニー映画で作られたんだよ。頭が木だから善悪の判断も出来ないマリオネット人形が、妖精の魔法で最後の最後に夢が叶って人間になるのは、そりゃあ、とんでもない試練の結果なんだ。マネキンには、なんちゃって」

「あんた、ここでそのオヤジギャグないじゃないの」

 ロングワンピが唖然としていた。

「でも、木製のマリオネット人形は夢が実現して人間になるのは原作でも映画でも同じでしょ。プロセスが違うだけでしょ」

 パーカーは食い下がる。

「だから、それにはいろいろな誘惑に負けたり、大きなサメの腹で衰弱したジェペット爺さんを助けたり、もう数えきれない試練の結果なんだ。正しい心を持てば幸せになれるという教訓だろうが、ユニちゃんみたいに人間になりたいと願うだけでは不可能なんだぜ。分かんないかなあ、こんなこと。マネキンに、マネでキンって」

「止めなさい、くだらない、ダジャレ!」

「怒ることないだろうが」

 ボタニカルはロングワンピに口を尖らせた。

「この子の気持ちも察しなさいよ。あんたも頭がFRPだから、判断力はピノキオと同じね」

「バカにするな!」

 ロングワンピは無視した。

「あなたの夢はもっともだと思うわ。でもね、残念なことに、わたしたちには妖精の魔法はないのよ。諦めるしかないわね」

「星に願いを、の曲、好きです」

 パーカーがつぶやいた。

「あのディズニー映画ピノキオの美しい曲ね。When You Wish Upon a Star」

 ロングワンピが優しく応えた。

「星に祈ってみたい」

「それは自由よ。祈りは誰にも妨げられない」

 未明に首都の淡雪は止んだ。澄んだ夜空に幾つかの星が瞬いていた。


 朝が明けた。早春の青空が広がる。ショーウインドーの前は人だかりだ。店内で店員や警備員が青ざめて走り回っている。制服の警察官の姿もある。人だかりは、どんどん増えた。スマートフォンで写し、SNSで拡散している。テレビ局の中継車が到着し、新聞社のカメラマンがカメラを向けた。マネキン三体のいたショーウィンドウが空っぽだ。ガラスが割られた跡はない。三体が失踪した。

 それを遠目にルイ・ヴィトンとバーバリーの店が向かい合う辺りで、二十歳から三十前後の三人がいた。白いロングワンピ、グリーンのボタニカル柄、そして青いパーカーだ。

「おはようございます!来ちゃいましたね」

 パーカーがあっけらかんと笑う。弾けている。

「おはよう?」

 ボタニカルは茫然としている。

「おい、新入り、オレたちも道連れかよ。カンベンしてよ」

「おはようどこじゃないでしょ。あなた、何考えているの?」

 ロングワンピは慎重に周囲を見回した。

「わたしたちも、人間の世界に連れて来るなんて。まだ、寒くて人間は厚いコート、着てるじゃないの」

「だって~独りじゃ、生きていくのタイヘンだし…心細いから…三人なら、なんとかなりますよね」

 パーカーは、あくまでも、明るい。そうだ。繊維強化プラスチックでない、本物のハートがある。これからの冒険に向かってドキドキと鼓動している。熱い血が流れている。生きている証だ。

 人だかりや中継車が増え、パトカーと警官が通りの交通規制を始めた。

 ボタニカルとロングワンピは顔を見合って、トホホの表情だ。

「まっ、いっか。新入りさんには、かなわんぜ。でも、どうしてこんなことになったんだ?」

「星にお願いしたんです」

 パーカーはあくまで明るい。

「う~ん、それはね。わたしはこう思うの。一筆入魂ね」

「なんだ、一筆入魂ってヤツ」

「一文字、一文字、魂を込めて書き進めることよ。この小説の作者が魔法かけて、わたしたちに魂を吹き込んだのよ」

「じゃあ、おれたちこれからどうなるんだ?」

「まず、三つ星フレンチでディナーがいいな。行こうよ」

 パーカーが甘えた。

「どこにあるんだよ、そんな三つ星。それに食べて、ちゃんと排泄できるかなあ。一度も経験ないし、肛門、ちゃんとあんのかなあ」

 ボタニカルは尻をさすった。

「あんたって、ホントに下品ね。そんなに心配なら、食べなきゃ、いいんじないの」

 ロングワンピは嫌味たっぷりだ。

「あそこの書店でミシュランガイド東京を買えば、手っ取り早いですよ」

 パーカーが指さした。

「ああ、あそこに見える紀伊国屋書店かあ」

「その前に」

 ロングワンピは冷静に制した。トートバッグから、白い不織布マスクを取り出した。

「さあ、急いで、これを付けて。してないと、人目につくわ。これが、いまの人間の社会ルールよ」

 マネキンたちは不織布マスクで手早く口と鼻を覆い、足早に朝の人波に消えた。三人の冒険が始まった。          了                                          

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三つ星フレンチでディナーを rokumonsen @rokumonsen2018

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