第15話 その表情見れば

『お二人が城を出発したらしい』


 ファンファーレの音が届くよりも早く、情報が街中を駆け巡る。

 それを聞いた女性は、急いで追加の品出しを始めた。


 すでに売上は普段の倍以上。これから王女達の一団が通るとなれば、さらに飛ぶように売れるだろう。


(そうだ、忘れないうちにあの記事を貼っておこう)


 柱に新聞記事を貼りながら、肖像画の二人をまじまじと見つめる。美しく描かれた自国の王女を知らないというのに、隣国の王子には見覚えがあった。

 二ヶ月前の事件が起こった日、彼がこの店に立ち寄ったからである。王子だなんて夢にも思わず、ただの男前、程度の認識でりんごをあげた。

 そのおかげで、今日の果物の売れ行きは良い。『王子がりんごを買った店』という、事実とは微妙に異なる噂が流れたからだ。

 おそらく噂好きな住人達にとっては同じようなものなのだろう。


 改めて肖像画を眺め、王子の姿を思い出す。

 ピクリとも動かない表情と、顔の半分を覆う痣。呪いの影響なのは明らかだった。

 気の毒にとは思ったが、実は呪いよりも彼の視線の動きが気になり、それどころではなかった。りんごを渡したのだって激励のつもりだったのだ。

 ――彼の視線を面白いくらい独占していたのが、似た痣を持つだったから。


 それなのに、彼はエールベルトの王女と婚約したらしい。めでたいと思いつつも、少しだけ顔が曇る。


(随分仲が良さそうだったけど、あの子は今、どうしてるんだろうね……)





『王女と王子はとても仲が良さそうで、特に王子は度々王女のことを熱っぽく見つめておられるらしい』


 賑やかさが増す沿道は二人の話でもちきりだった。ファンファーレの音が近付いてくる。


 店主は宿屋から客が全員出たのを確認し、一息ついた。

 数日前から隣国の記者や観光客が激増したため、店は大忙しだった。しかし目的の催しは皆同じ。宿屋がすっからかんな今だけは店主も自由だ。

 多少疲れてはいたが、以前あの子からもらった魔術薬がある。最大級の稼ぎ時、この機を逃すわけにはいかない。


 賑やかな外が気になり店から出ると、どこを見ても、人、人、人。いたる所から噂話が聴こえてくる。

 中でも『どう見ても王子が王女にベタ惚れだ』という話が一番多い。

 どれだけ顔に出る王子なんだ、とやや心配になるが、納得もしている。


 二ヶ月前に一度会っただけだが、あの青年のことはよく覚えている。呪いを含めても綺麗な顔だった……というのもあるが、若干ジトッとした視線をこちらに向けてきたからだ。

 自分は大人であり、自国の暗黙の了解を破るつもりはない。

 だから「呪いで表情は動かせなさそうだけど、視線で相手を射殺せそうだな」などと茶化すことはしなかった。

 相手が王子だったと知った時には、心の中であの日の自分に乾杯したものだ。これは誰にも言えない秘密である。


 とにかく、呪いをかけられていても彼は非常にわかりやすかった。それなのに呪いも解けたという。

 噂の通り王女に惚れているのなら見るのが楽しみだ。……王女に惚れている、という部分が、どうしても納得がいかないのだが。なぜなら、あの日の彼は――


(どう見ても、あの子に惚れてただろうに。……成人したら飲みに来るって話、忘れてないだろうな。このまま顔も見せなくなるなんてのは、やめてくれよ)





『もうすぐ王女の一団が、例の大通りに差しかかる』


 馬に乗った数人の男が情報を告げると、二ヶ月前に事件が起こった大通りに、次から次へと人がなだれ込む。


 この多さでは王子達が見えないかもしれない。と、女性は早々に雑貨屋を閉め、家族揃って大通りの先の中央広場に来た。

 噴水の周りにスペースを見つけ、なんとか位置取る。夫は息子を肩車し、自分は娘を抱きかかえる。エプロンのポケットには、もう何度読んだかわからない新聞記事が入っていた。


「王子さま見えるかなぁ?」

「ここならきっと見えるよ」


『王子が守った民』本人である娘――ノエルは、今日をとても楽しみにしていた。あの日怖い思いをさせてしまった分、遠くからでもオーランド王子の姿を見せてやりたかった。

 この先、彼の姿を見られる機会はほとんどないだろう。エールベルトで過ごしているはずのフィオナ王女でさえ、見るのは今日が初めてだ。


「しっかり見ておこうね」とノエルの頭を撫でる。きっとこの子にとって、忘れられない思い出になる。


「でもノエルね、王子さまもだけど……ルーシーお姉ちゃんに会いたいの」


 小さな口からこぼれ落ちたその言葉に、チクリと胸が痛んだ。


「そうだね、会いたいね」


 事件の日、自分達を守ったのはオーランド王子だった。彼がいなければ多くの死人が出ただろう。新聞記事は間違えていない。

 しかし、足りないのだ。恐ろしい魔術から自分達を守ろうとしたあの子について、何も書かれていない。真実を知る者には違和感があった。


「なんで来てくれなくなっちゃったんだろう?」

「うーん、学校が忙しいのかもねぇ」

「そっかぁ、会いたいなぁ」


 記事に書かれなかったあの子は、事件の数日後に街の様子を見に来て、いつも通りに去り……その後、一度も姿を現さなくなった。

 こんなことは、今までなかったのに。


 どうしたのかと心配していたところに、王族同士の婚約が発表された。

 自分達を守ってくれた隣国の王子と、自分達の国を代表する王女。二人の婚約を喜ばない民などいない。そのはずなのに……喜べなかった。


 だって知っていたから。あの日、オーランド王子が誰よりも守りたかった相手を。彼の力のこもった腕と、切羽詰まった声が誰に向けられていたのかを。


 それなのに、彼が選んだ相手があの子ではないなんて。

 立場が違うのだから当然なのかもしれない。国の関係を考えればこれが正しい。だけど――


(あの子には、笑っていて欲しい)



「ママ! 王子さまたち来たよ!」


 ノエルの声でハッとした。そうだ、オーランド王子が決めたことならば、今はそれを祝わねば。


 中央広場に華やかな一団が入って来る。一糸乱れぬ動きの演奏隊と騎士達に囲まれた、特別製の馬車。そこに立つフィオナ王女と思われる女性を見て、息を呑んだ。

 オーランド王子を見に来たつもりだったのに、フィオナ王女から目をそらせない。

 自分の頬に熱が集まるのがわかる。ぼんやりと視界に入る周りのみんなも、同じような表情をしていた。


『深窓の姫君と呼ばれるフィオナ王女。彼女のどの部分をオーランド王子は見初めたのか』なんて話題で、ここしばらく街は盛り上がっていたのだが。


(これは……一度見たら好きになっちゃうわ)


 そのくらい圧倒的な存在感だった。肖像画で美しいことはわかっていたのに、心を奪われる。

 ふわふわと揺れる薄紫色の髪は、間違いなくエールベルトの象徴。

 柔らかそうな白い肌に、色付く唇。女性らしさに庇護欲をそそられるものの、凛とした姿が彼女の芯の強さを表しているようだ。

 なぜ今まで姿を現さなかったのか、不思議でならない。



 見惚れているうちに、一団は広場の中心に差しかかった。少しでも長くこの場にとどまって欲しいと、わがままなことを考えてしまう。


 その時、辺りに光の粒が舞い、姿を変えた。


(え……?)


 瞬きの後に現れたのは、よく知っている光の妖精。はしゃぐように駆け回る光の動物達も、見たことがある。

 ――もしかして、あの子がどこかにいるのだろうか?

 そう思いキョロキョロと視線を動かすが、住人達と目が合うだけであの子の姿はない。

 あっという間に視界に広がる景色が変わった。一面に咲き誇る、色とりどりの花。


 冷静に働かない頭でフィオナ王女を見ると、彼女は開いた両手を持ち上げた。


『――さあさあ皆さま、両手をお貸しくださいな』


 頭の中であの子の声が聞こえるのは、なぜなのか。反射的に手を開くと、当たり前のように花びらが溢れ出す。


 フィオナ王女がすくい上げるように手を動かすと、地面に浮かび上がった巨大な魔法陣から、大量の花びらが舞い上がった。



「ルーシーお姉ちゃん……?」


 ノエルはぱちぱちと瞬きを繰り返し、フィオナ王女を見つめる。

 娘の言葉を、自分には止められなかった。同じ名前を思い浮かべてしまったから。

 だがこの演奏と大歓声の中では、ノエルの声は届かないだろう。かき消されるだけのはず――だったのに、フィオナ王女はゆったりとした動作でこちらを見る。

 鼓動が早く、大きくなった。


(どうして……)


 彼女の柔らかい笑顔が、自分達に向けられているように感じる。腕の中のノエルは、丸い頬を染めて王女に釘付けだ。

 もちろんフィオナ王女に注目しているのは、広場に集まった全員同じ。彼女の隣に立つオーランド王子ですら、愛おしそうに横顔を見つめているのだ。

 そんな中、王女はたっぷり時間をかけてこちらを見る。


 数秒後、興奮した様子のノエルが叫んだ。先程とは比べものにならないくらい、大きな声で。


「ルーシーお姉ちゃん!」


 凄まじい勢いで手を振るノエル。その姿を見たフィオナ王女は――いたずらが成功した子供のように、二ッと笑った。


 一瞬で鳴り止む、広場の声。


 今まで完全に別人だと認識していたのに……王女の顔が、の顔と重なった。

 一体何が起こったのだ、と開いた口がふさがらない住人達。王女を見たまま、間の抜けた表情で停止する。



「……ふ、ふふっ」


 どうやらみんなの顔に耐え切れなくなったらしいフィオナ王女……ルーシーちゃんの笑い声が、やけに大きく聞こえた。

 直後、ファンファーレをかき消すほどの、われんばかりの歓声が街中に響いた。


 自分達の前で楽しそうに笑うのは、初めて見た深窓の姫君ではなく、誰よりも街を愛する女の子。

 状況を理解した人々は、眩しそうに目を細めた。


(ああ、……いつも周りを気にかけてくれるあの子が)

(明るくて優しいあの子が)

(みんなを笑顔にしてくれるあの子が)


――幸せになるのか。




♢♢♢




「みんな気付いたねぇ」

「あれは相当驚いてるなぁ。……でも、楽しそうだ」


 ルーシーとオーランドは、周囲を見渡しながらハイタッチした。


 王女がルーシーであると気付いたらしい住人達が、大きく手を振ってくれる。

 王族の婚約発表には聞こえるはずのない「幸せになれよ!」「いつでも遊びに来てね!」なんて声が聞こえて、ルーシーとオーランドは顔を見合わせて笑った。


「王女としてはどうなんだって言われそうだけど……ま、いっか! 楽しいし!」


 ルーシーにとって、今日は一度きりの大勝負だった。自分の身分を使った渾身のサプライズは成功と言って良いだろう。

 ぶんぶんと手を振り返し、出来る限り魔術を発動させる。今まで自分を育ててくれたこの国と民に、ありったけの感謝の気持ちをこめて。


 この国と民が好きだったから、知りたいと思った。

 この国が自由の国だったから、魔術学校に入れた。

 この国が魔術の国だったから、オーランドと出会えた。


(幸せだなぁ)


 くすぐったい気持ちに頬を緩めると、風になびく薄紫色の髪に、オーランドがそっと触れた。


「これまでの人生で、今が一番幸せだ」


 彼が自分と同じことを考えている。それだけで心が満たされるようだった。この人と一緒なら、きっと今以上に、未来は楽しい。

 髪から滑り落ちたオーランドの手が頬に触れ、そのまま優しく撫でられる。


「ルーシーに出逢えて、本当に良かった」


 あまりにも幸せそうな彼の表情に見惚れて、何も言えなかった。するとオーランドはふわりと身体を傾けて、ルーシーの頬に唇を寄せる。


「ちょ、ちょっと」


 ルーシーが肩を跳ねさせたと同時に、歓声がさらに大きくなった。頬に残る柔らかい感触に、全身が熱くてたまらない。

 口をぱくぱくさせるルーシーの目の前には、大好きな彼の、蕩けるような笑顔がある。


「ルーシー、愛してる」


 切なくて、嬉しくて、涙が出そうだった。


 二ヵ月前まで無表情だったなんて信じられない。

 魔術について語る瞳はきらきらと輝き、民のために未来を見据える表情は、凛々しく男らしい。拗ねるように口を尖らせるのは大体照れ隠しだ。

 そして――解呪前に想像していたより、オーランドの笑顔は数百倍、甘い。

 これからは彼の笑顔を、ずっと隣で、誰よりも近くで見ていられる。


 耳まで真っ赤になった顔で、困ったように、幸せそうに、ルーシーは笑った。


「その表情かお見れば、わかるわよ」




fin

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その日、王子の顔が壊れた 杏野 いま @annoima

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