扉は開かれた
「熊、まだ?」
「なあ、花火って言ったらこっちかな?それともこっち?」
「どっちだっていいわ」
練習を終えてシャワーを浴びたあと、着替えて熊の部屋を覗くとそんな会話が聞こえてくる。
「なに、まだ出れないの」
「服が決まんないんだと。女子か」
呆れる林太郎が椅子にもたれかかって揺れながら、鏡の前で何度も着せ替え人形と化している熊を指さす。
今日は今年最後の日、大晦日だ。
これからビーチで花火を見るため月たちを迎えに行かなければならないのに、時間はとっくに過ぎて
いた。
仕方なく熊の部屋で待とうと中に入ったとき、ふと机の上に置かれているモノに目が入った。
「あれってさ」
「ん?」
「月にあげるって言ってたクリスマスプレゼントじゃないの?」
クリスマスイヴの前日、前々から頼んでいたという彼女へのプレゼントが商船で届いたと喜んで帰ってきた。
中身は教えてくれなかったが、それを渡して告白するんだと息巻いていたのを覚えている。しかし綺麗にラッピングされたまま残っている箱を見て、気になって聞いてしまった。
しかしその瞬間、場が凍りついたようにひどい空気になった。
「え、なんか俺まずった?」
「お前はまた傷口に塩をぬるような真似を」
適当にあぐらをかいて腰掛けたら林太郎に呆れた顔をされた。
「いや、いいんだ。いいんだよ。あれは思い出。いい思い出でいいの」
触れてはいけないものに触れてしまったようで、熊には気味が悪いほどの作り笑いを見せられる。
林太郎もこちらを見てゆっくり首を横に振るもので、それ以上の発言は控えることにした。
「じゃーん!」
やっと月の家に到着したら、玄関の扉からひょっこり顔を出して待ち構えていた彼女が俺たちに気づいて勢いよく現れる。
「おお」
思わず三人の声が漏れた。
そこには淡いピンク地に赤い花があしらわれた浴衣姿の彼女がいて、頭のてっぺんでお団子を作り「私を見て」と言わんばかりにくるりと回って笑顔を見せる。
「今日のためにお母さんから送ってもらいました」
そう言う彼女はどうやらサプライズのつもりだったようだ。でも浴衣の特集ばかり見ているときから今日のために用意しようとしているのをなんとなく気づいてしまった。
だから心の準備はしていたつもりだったが、それでもいつもと違う月が想像以上に可愛くて、一瞬見惚れている自分がいた。
「いい、やっぱ最高。月可愛い、めっちゃ可愛いよ!」
でもそんな俺の反応を大きく上回ってくる熊が興奮したように褒めまくり、林太郎と顔を見合わせて笑ってしまった。
「どう、かな?」
そのとき、月と目があった。
「可愛いんじゃん」
なんとなく照れ臭かったが、目を逸らしながらそう言うと月は嬉しそうにはにかんだ。
「ほら、ナオミもおいでよー!」
すると、月が後方に向かって桐島を呼ぶ。
「むり、やっぱむりだよ」
「いいから。大丈夫だって、ほら」
なかなか出てこようとしない様子に痺れを切らした月が、半ば強引に扉の向こうに隠れていた彼女を引っ張りだす。
そこで俺たちは言葉を失った。
「ちょっと三人鼻の下を伸ばすな」
月の声で慌てて手で顔を覆う動作が三人揃う。
照れたように首元を触りながら目を泳がせている桐島は、紺地に白い花柄の大人っぽい浴衣を着ていた。
オレンジ色だった髪はいつの間にか少し暗めの茶色に変わっていて、見れば見るほどどこかのモデルのように見える。
「なんか私のときと反応が全然違うんですけど」
「いや、違う。月はとびっきり可愛いよ?でも桐島はこう見違えたと言うか、大人っぽいと言うか」
「熊くん、顔赤いよ」
「ごめんなさい」
いじける月に弁解したはずが何のフォローにもなっていない。彼女に怒られながらも熊はしばらくの間、桐島の浴衣姿にポッと見惚れていた。
「五、四、三、二、一……」
島中の声がひとつになる。
水上に停まる船から高い音を響かせて立ちのぼる一筋の光は、一瞬の間をあけて夜空に大輪の花を咲かせる。遅れてすぐに聞こえてきた大きな破裂音が一面に響き渡った。
「ハッピーニューイヤー!」
年が明けた。
砂浜にレジャーシートを敷いてぎっしり埋まる人の中、連続で打ち上がる花火にみんなの視線が釘付けになる。
一番楽しみにしていた月も瞳をキラキラさせて観ていて、そんな様子を横目に俺はゆったり手を後ろにつきながら同じ方向を見た。
「きれいだね!」
すると突然耳元に近づいてきた彼女が花火に負けないように声を出し、にっこりと笑う。
俺はそんな彼女に何度も頷いて返した。
少し間隔をあけてあがり始めると、俺はここぞとばかりに話し出す。
「八月に高校生大会があるらしいんだ」
「え?」
「佐伯先生からちょっと早いけど、実力試しにそこ目指してみないかって言われてる。部活動として申請すれば外出許可も出るらしくて」
最近になって話されたことを、なんとなくだが月に一番に聞いて欲しかった。
「すごい、すごいよ!」
予想通り興奮したような満面の笑みを見せてくれて、元気がもらえた。
「まあ、各高校からふたりずつしか予選にエントリーできないらしいから、その前にまずはここで勝ち残らないといけないんだけど」
そう言いかけた俺はちらりと彼女を見る。
「月、応援にきてよ」
時折、空からスポットライトを浴びたように辺りが一瞬にして明るくなる。その度に彼女の大きな瞳が俺の目にまっすぐ映った。
「もちろん!絶対絶対、絶対いく!」
花火のように明るく満開の笑顔が咲く。
それだけで頑張れる気がして不思議と力が湧いた。
「そのためには六月のレースまでに実力つけなきゃな」
「海くんなら絶対できるよ!」
花火の音にかき消されないよう彼女はこちらに体の向きを変え、必死になって声を出す。相変わらず根拠はなさそうだが自然と出来るような気もしてくる。不思議な力があった。
「何だよその自信」
嬉しく思いながらも照れ隠しでぶっきらぼうに返すと、俺の顔を覗き込む彼女が微笑んだ。
「だって、
半年後。
歓声が響く中、八月の大会に向けて出場できるふた枠を争うレースが今始まろうとしている。
設定されたコースを走るレーシング競技〝コースレース〟だ。これで上位二着までにゴールできれば、公式大会の予選への切符を手にする。
俺は潮の流れに揺られながら十名ほどいる部のメンバーと並び、帆を張って水上に立っている。
「海くーん、海くーん!」
「あいつ……」
人一倍大きな歓声が聞こえてきて、なぜか月の声だけが俺の耳によく届いた。
まだ部活内で争うだけのレースだと言うのに、振り返れば大きな横断幕を掲げて応援しにきている四人の姿が見える。
俺は前へ向き直り大きく深呼吸をした。
背後から包まれるように聞こえてくる歓声は、あの頃競泳をしていたときの懐かしい記憶を思い出させる。
ぞわぞわと全身に伝わる奮い立つような感覚はもう二度と味わえないと思っていた。
俺はぎゅっと手を握りしめ、噛み締めるように力を込めるとゆっくり帆をにぎる。
スタートを知らせるピストルの音がビーチに響き渡った。一斉にスタートした俺たちは水平線に向かって突き進んでいく。
「海の扉は開かれたー!」
月の叫ぶ声が聞こえてくる。
俺は大きな声援を背負ってゴールを目指す。
夢への扉は今、開かれたばかりだ。
扉は開かれた 静間弓 @yumi_shizuma
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