穏やかな時間
クリスマスイヴの今日は騒がしい声と共に家の中から陽気な音楽が聞こえてくる。
俺は外のウッドデッキに座りそれをBGMにしながら夜空を見上げていた。今日は特に星が綺麗に見える日だ。
佐伯先生がウィンドサーフィン部を作り、一ヶ月が経とうとしている。
わりと水泳で鍛えてきた方だとは思っていたが、使わない筋肉を使っているのか毎日起きるといろんなところが痛くなる。
まだ始めたばかりとはいえ、なかなか上手くはいかないものだ。
佐伯先生にも「最初はできなくて当たり前」なんて言われたが、元々の負けず嫌い精神が出てしまい、部のメンバーが軽々とやってのけていることにつまずいている自分が腹立たしかった。
「海くん」
玄関の扉が開き、背後から月の声がする。ぎこちなく近づいてきた彼女は少し離れて隣に座ってきた。
「なにしてるの?」
「マリアがうるさいから出てきた」
「あー、踊ってたもんね」
〝マリアが〟というのは冗談だったが、あの小躍りを思い出しくすくすと笑い出す月を見てつられて俺もふっと笑った。
「そっちは?」
「えっと、その。風が気持ちよさそうだなって」
なぜか挙動不審に動き、彼女は不自然にそう答える。しかし今日はあまり風が感じられなかった。
「風、吹いてないけど」
しばらく静かな時間が続く。
バックミュージックは聞こえてくるが、夜独特のしんとした空気と自然の音だけが俺たちを包み込む。
「上手くいかねえな」
そんな雰囲気の中、なぜかボソッと出てきたのは情けない言葉だった。
「そんなことないよ!佐伯先生も褒めてたし、今朝だって凄く上手に」
「今朝?」
途端に何のことか察した彼女が話し出す。でもすぐにはっと恥ずかしそうに俯き、口を閉じた。
急に声を出すもので俺はビクッと反応したが、それよりも今日の客は夢がどうだと話に来た桐島だけだと思っていたから、他にも来ていた人物がいたとはそれの方が驚きだった。
「あの、つまりは始めたばっかりだし、一ヶ月であそこまでできてるなんて凄いんだよって言いたくて」
慌てて顔を上げた月は、気を取り直して大きな身振り手振りで必死に励まそうとしてくれる。俺はそんな彼女を見て口元を緩ませながら気が抜けたように寝転がった。
「自分の力、過信してたのかな」
なんとなく彼女になら弱みを見せられるような気がして、気づけばそう口にしていた。
「やっぱりさ、新しいこと始めるのって体力いるよな。一緒にやってるやつらに追いつくので精一杯だし」
背中を押されたときに一度うじうじと情けない姿を見せている。だから今更かっこつけても仕方がないと思えた。
「まだ感覚つかむの苦労するし、波があるからプールとはわけ違うし。あーくそっ」
本音で語り、ありのままの自分を月になら見せられるような気がした。
「海くん」
「よしっ、なんか吐き出したらスッキリしたわ」
一方的に話したあと、ふぅっと息をついて立ち上がる。
「頑張ろ」
戸惑わせるだけ戸惑わせて、俺はひとりで解決したように彼女を置いて先に家へ入ろうとする。視界の端に困惑して口をパクパクとしているのが見え、ふっと笑えてきた。
「来週の花火大会!」
扉に手をかけた瞬間、月の声に引き止められた。
年越しと同時にビーチで花火が上がると聞いてから、彼女はずっとそれを楽しみにしていた。教室での話題はそればかりだったし、市場で買った雑誌でも夏祭りの特集記事ばかり見ていた。
「ああ、カウントダウンの」
「一緒に見たい」
予想に反して真っ直ぐ向けられた言葉に面食らった。俺は今、あからさまにドキッとしている。
家の中からこぼれる光に照らされて、少しだけ月の頬が赤くなっているのが見えた。
「えっと、月。それは」
「あ、あの、みんなでね。そう、みんなで!」
慌てて付け加える彼女は恥ずかしそうに笑う。
ひとりで納得して頷く俺は、危うく勘違いして変な返答をしてしまいそうになったと安堵する。
一瞬ふたりで行こうと誘われているのかとすら思ってしまった。
「自意識過剰か、俺は」
彼女に見えないよう独り言を呟きながら、気を取り直して向き直る。
「当たり前じゃん。そんなの言わなくたって」
「そうだよね?あは、もう何言ってんの私。ねえ、ごめん本当」
俺は冷静に振る舞うものの、月がいつもより一段とおかしな挙動をとっていて笑わずにはいられなかった。
そんな俺を見た彼女はムッとしてたまらず立ち上がる。重い音を立てて腕を一度ばしっと叩かれた。
俺は軽く謝りつつも、見ていて飽きない彼女にどこか惹かれつつあった。
「もうバカにして。花火大会ボイコットしちゃうよ」
「へえ、いいの?家から送ってもらったやつ無駄になっちゃうけど」
するとぴたっと止まった動き。少し意地悪くしすぎたかもしれない。
「え、なんでそれ……」
「さあな」
熊が今朝、市場で月に会ったと言っていた。大きめのバッグが送られてきていたと聞き、きっと実家からの荷物だろうと推測する。
その中身も普段の彼女を見ていれば一目瞭然で、いつもこれ見よがしに広げていた雑誌の一ページが全てを物語っていた。
「当日楽しみにしてるよ」
目を泳がせる月にそう言い残し、俺は先に家へ入る。
いまだ続いているBGMはいつの間にかハワイアンな曲へと変化している。部屋に入った途端、視覚と聴覚がアンバランスな状況に顔を歪めながら、おそらく犯人であろう人物がいつまでも踊っているのを呆れて見た。
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