もう顔も見たくないのに。

陸一 じゅん

もう顔も見たくないのに。

 よく見る夢は、水彩画のように淡く滲んでいた。

 それはいつかのことで、もう僕の頭の中にしかない夢だ。

 紫と青、ピンクと水色。

 紫陽花とアサガオ。アヤメ。藤の花。

 いろんな花を、夢の中で見る。


 雨飛沫を纏った風が、うつむく僕の額を打った。

 現実は、地面も体もしとどに濡らして、重力を味方にプレスしてくる。

 イヤホンで耳を塞ぎ、視線を地面に向けていても、決まった時間に駅へ辿り着き、居眠りしていても決まった駅で降り、決まった目的地へ歩いて行ける自分の器用さを誇っていたのは、まだ僕が、あの子といたころまでのことだった。


 幼いころ、たまたま同じ地区で育ったというだけのあの子と僕は、いわゆる幼馴染というやつだ。

 親同士が仲が良く、家が近くて、誕生日は三日違い。当たり前のように同じところに纏められていただけで、あの子と僕の人格には、さして共通点がなかった。

 あの子はお絵かきが好き。

 僕は外でボール遊び。

 あの子は水色が好き。

 僕は黄色。

 あの子は音楽が好き。

 僕は国語と体育。

 あの子は、外で遊ぶのが嫌いで、走るのが遅くて、黄色が嫌いで、体育も、漢字の書き取りも嫌いだった。

 それでも一緒にいたのは、あの子が僕が知る中でいちばん優しくて、丁寧な言葉選びをする子で、手先が器用で、色が白くて、小さめの口から綺麗な声で喋るのや、肩に落ちるさらさらの髪の曲線だとかが、とても素敵だったからだ。

 あの子の親が、僕を褒めるたび、僕はあの子の素晴らしい友達であると、誇らしい気持ちだった。

 あの子のおかげで、僕はいつもでっかい声で、胸を張っていられたのだし、提出物はいつもカンペキ、テストは100点というスーパー小学生だったのだ。


 中学になると、あの子は僕と違う友達を作り、僕はスーパー小学生から、生徒Aに変わる。

 あとはまあ、そうだ。たいして語ることもない。


 十六の冬。卒業を待たずして、彼女は夢を掴んだ。

 せっかく同じ高校を受けたのに、彼女はその学校へは行かず、自宅で楽器をかき鳴らすことを選んだ。

 毛先を脱色して青く染め、ピアスを開けて小さなシルバーの鎖の先に花を吊るし、赤いリップを塗って、駅前の路上に立つことを選んだ。

 春が来て彼女は、大きなスーツケースと楽器を背負い、僕が今度こそ行けないところへと電車に乗って行ってしまったのだ。



 □■



 水彩画みたいな夢を見る。

 その中では僕らは変わらず気の置けない友達で、あの子は和裁が好きなばあちゃんから贈られてくるっていう毎回違う浴衣を着ていて、もう存在しない坂の上の駄菓子屋の前で、巾着を手にして待っている。

 僕らは、そこでラムネを買って、たこ焼きを分け合い、秘密の場所で花火を見る。


 坂の上にある堤防の橋。縁日のある神社の裏から行ける、鎮守の森に沿うあぜ道。田んぼに落ちないように自転車でも通れないそこを抜けると、眼下に道路が走る誰も知らない高台に行き着く。

 人ごみの中で、わざわざ場所取りをするなんて馬鹿だよね。毎年そんなふうに笑う。


 そんなときの夢を見る。

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もう顔も見たくないのに。 陸一 じゅん @rikuiti-june

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