無音

化野生姜

静かなる街

 最悪の事態はに進行していく。



 顔をあげるとオフィスに誰もいなかった。


 がらんどうの広いスペース。

 人の声やキーボードを叩く音さえ聞こえない職場。 

 妙な不安と焦燥感にかられ、立ち上がった私は室内を彷徨う。


(…終業時間には、まだ早いはずなのに)


 時計が差すのは午前十時。

 まだ昼にすらなっていない。


(なぜ席に誰もいない?電話番までいないのは、さすがにおかしいだろう)


 給湯室にトイレ、喫煙スペースまで覗くも人の気配はない。無人の個室の天井で換気扇が虚しく回り、私はひとりその場を立ち去る。


(一人だけでも良いのだ、この場のことを説明できる人間さえいれば)

 

 職場に戻るべきか迷うも不安が勝り戻れない。

 エレベーターに乗り込み、無人の受付の前を通り過ぎる。


(まさか、誰もいないのか?)


 人気のない自動ドア。

 車一台、歩行者の姿も無い。


(ここは大通りに位置するビルだぞ?)


 ドアをくぐり、誰もいない大通りへと出る。


(地下はどうだ?駐車場は)


 近場の通路から地下駐車場へと向かう。

 焦りからか呼吸を荒くしつつ、私は階段を降りていく。


(…いない)


 だが、期待は容易に裏切られた。


 車でひしめき合う駐車場。

 人の姿は無く、鉄の箱だけが整然と並んでいる。


(待てよ、車は駐車されている。つまり、今しがたまで人がここにいた可能性があるということだ)


 みれば、運良く一台の車に駐車券が残されていた。

 時刻を見れば、十分程度しか経っていない。


(外に出て間もないということか)


 希望を胸に地上へ出るために階段を歩き出し…そこで気づく。


(…おや?)


 ビル内を歩き回っていた頃から、わずかに感じていた違和感。

 呼吸をするたび、階段を上るたび…その感覚が否応無しに増していく。


(なんだ、なんなんだ?)


 なりふり構っていられず階段を駆け上がり、私は再び大通りへと出た。


 ついで駅前へと目をやった瞬間…

 私は無造作に積み上げられたソレを見て息を呑む。


(あれは?)


 それは組み合わされた奇怪なオブジェ。

 首がねじれ、白目を向き、組み合わされた人の塊。

 オブジェを通過する風が私の頬を撫でていく。


(何十…いや、何百人使えば、こんなものができあがるんだ?)


 吹き抜けていく死臭…その中で閃くものがあった。


 ビル内の換気扇。階段を昇降する際の足音。呼吸。

 そう、今まで感じていた違和感の正体に。


(これのせいで…!)


 ついで、巨大なオブジェの向こうから何かが姿を現した。

 その存在こそが全ての元凶だと私は悟るも…遅かった。


 あっという間に距離を詰めてくるソレ。

 抵抗するまもなく、私は声の限り叫ぶ。


 だが、それは響かない。

 オブジェの中を風が吹き抜け、無音となる。


 完全な無音の世界。

 

 …そして、オブジェの部品がまた一つ増えた。

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無音 化野生姜 @kano-syouga

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