時計の夢
この夢をいつから見るようになったのか、もう覚えていない。
私は実家の子供部屋に居て、ベッドの上に座り込んでいる。声は出せない。体は動かせない。瞬きもできない。ただじっとして、枕もとに置かれた目覚まし時計の秒針が動くのを見つめている。
時計は11時59分を示している。秒針がカタカタと回って、時間はゆるやかに進んでいく。
待っていればこの夢が覚めることを、私は知っている。秒針が文字盤の12を指して、時刻が正午になったその瞬間にいつも目覚めるのだ。
夢そのものは悪夢でもなんでもない。ただこの夢を見て目を覚ますと、いつも決まって心臓が激しく脈打っているのが不快であった。
いつだかにこの話を友達にしたら、そいつは面白がってろくでもないことを言いだした。
「それ、覚えてないだけで実は悪夢なんじゃないの?」と。
覚醒時に激しい動悸がするのは悪夢を見ている証拠だ。時計の夢の直後には、実はいつも恐ろしい悪夢を見ているに違いない。しかしあまりの恐ろしさに記憶が飛んで、目が覚めるころには時計の夢しか覚えていないのだ……と、そんな説を開陳してくれた。
「なんか心当たり無いの?目覚まし時計にまつわるトラウマとかさ」
「無いな。マジで無い。一個も思いつかない」
「いやぁ、絶対なんかあるって。嫌すぎて思い出せないように封印しちゃった記憶とかさ」
「そんなもん言い出したらキリがないだろ。無いことの証明は出来ない。それに、本人が思い出せない記憶なんて無いのと一緒だ」
「どうだろうなぁ。絶対なんかあると思うんだよな……」
その時は笑って流したが、あの夢に続きがある、という発想は確かにありそうな話だった。
科学者が言うには、目覚めても覚えている夢よりも忘れてしまう夢の方がずっと多いのだという。ならば、あの動悸の原因もその忘れてしまう夢なのだ、という話も案外馬鹿にできない。
ぼんやりとそんな思い出を浮かべているうちに、秒針が11を指した。もうすぐ目覚める。
カチ、カチ、カチ、カチ、――――そして秒針は、正午の1秒前を指して止まった。
驚きとともに時計を凝視する。相変わらず声は出せない。しかし体が動くようになっている。
時計に手を伸ばす。そこで初めて、自身の手がひどく幼いこと、そしてぷくぷくとした子供の手には似つかわしくないほどに、べったりと血に塗れていることに気づいた。
手のひらを凝視する。見れば腕も、胸も、腹も、足も、どす黒い血で汚れている。
これに見覚えがあると思った。肺を掴まれるような不快感に襲われ、その不快感が罪悪感、強烈な罪の意識であると気付く。
私は、何をしてしまったんだ?
時計を見る。カチ、カチ、カチ、カチ、音はうるさいほど響くのに秒針はぴくりとも動かない。
何かをしてしまった。何かをしてしまったのだ。でもその何かが、思い出せない。これは、誰の血だろう?
かちりと秒針が動いた。
激しい動悸を感じる。
目覚まし時計がぐにゃりとぼやけて、でも秒針が猛烈なスピードで逆回転していることは分かった。
昏倒するように覚醒に引きずられていく。
自分は罪を犯し、その罪の内容を忘れ―――そして今、罪を犯したことすら忘れて目覚めるのだろう。
それが安堵すべきことなのか、罪からの無責任な逃避なのか。
夢うつつの脳味噌では、ただ夢のない深い眠りに落ちてしまいたいと願うしか出来なかった。
暗い逆様 いとうはるか @TKTKMTMT
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