第3話
康平の話はこうだった。
A・Sを養分とするキツネ由来の細菌は、半年たった今でも発症者の数も少なく、康平が当初懸念していたほどの問題にはならず、順調にA・S治療は普及されてゆく。
しかしここに来て治療を受けた患者の中から、原因不明の感染症が発生し、発症者は細菌感染時の症状である倦怠感と微熱の他に、食欲不振や嘔吐などの症状もくわわり、それが細菌を主食とするウイルスによる感染と判明。
だがキツネ由来の細菌自体が少ないためか、ウイルスの爆発的増殖にはつながらず、安堵していたところ、ウイルス感染者に初めての重症者が現れ、のちに死亡が確認される。
康平はこの時点で徹底調査し、検体を調べたところ、なんと人体の大腸と小腸の3分の1が消失、残り3分の1は
康平が状況を把握したころ、同じような症状の患者があいつぎ死亡者も続出したので、あわてて杉森に報告にくる。
「もはや公表しないわけにはまいりません」
「患者や死亡者はすべてA・S治療者に限定されているの?」
指摘した問題とはズレた質問をするので、不可解に思う康平。
「いいえ、ウイルスですから、治療者以外にも感染しています」
「なら公表しなくていい、もしマスコミに聞かれても因果関係はわかりません、そう答えなさい、いいわね」
ショックのためか言われたことの意味をとっさには判断できず、青ざめてから康平は口をゆっくり
「この後に及んで隠蔽するつもりですか!」
声をはり上げて詰問する康平に、背もたれに上半身をあずける杉森。
「人聞きの悪いこと言わないで、前にも言ったわよね、A・Sを捕食するフォックス細菌に対して責任はないって、ましてやその細菌を捕食するウイルスなんて、関係ないを通り越して言わば部外者、部外者の起こした事態に私たちが責任を負う義務などありません」
「だが人工培養のアメーバが元で発生した食物連鎖に、研究者として無責任ではいられない、犠牲者を減らすためにも一刻も早く公表すべきです」
「愚問ね、感染対策は個人や集団がそれぞれ気をつけること、公表したからと言って犠牲者が減るわけじゃない、そして何度も言うけど今回の件は我が社とは関係ない、全責任は人の内臓を食らうウイルスが背負うべき問題」
「正気ですか?」
杉森は冷徹な経営者の瞳に氷をやどし。
「A・Sがどれだけの人を救ったかわかっているわよね、そのA・Sを開発したあなたや私のMBTが、なんで直接関係ないウイルスの発生に責任を負わされ、破滅しなければならないの、悪はウイルス、敵はウイルスでしょ、勘違いしないことね」
ひきつった呼吸音とともに康平がようやくつぶやいた。
「君は変わった、大学の研究員だったころはもっと叙情的で快活だった、しかし今は鋭利なカミソリにしか見えない」
「たしかに経営に移ってからは、あなたと違って大人になったかもしれない、でもそれは仕方ないこと、誰しも康平のように子供のままではいられないから」
たんたんと述べる杉森の態度に握りこぶしをつくり、怒りをおさえる康平。
「とにかく公表はさせてもらう」
「いいわよ、勝手にすれば、でも・・」
数秒だけ間をおいて。
「辞表と一緒に公表することね」
その一言に目をみはる康平に追い討ちをかける杉森は。
「それと再就職はあきらめた方がいい、今やグローバル・カンパニーに成長したMBTの全ネットワークを使って、あなたの行き所を遮断してあげる、それでいいなら公表しなさい」
そこまですることを予想してなかった康平が、力なくささやく。
「君は本当に変わった・・」
退室する康平の背中にむかって杉森が念をおす。
「このことを知ってる連中に、あなたから戒厳令を敷いておいて、もし外部に情報が漏れた場合それ相応の対処をするから、そのつもりでいなさい」
心臓をえぐるような呪いの言葉を背中に受けながら、康平は重い足どりで部屋をでていった。
1年後、ワクチンも抗ウイルス薬も効かない、肉食ウイルスと名づけられたウイルスによって、世界全体で100万人の死者をだす。
しかし感染初期の段階でウイルスは、主食をキツネ由来の細菌から、完全に人肉を捕食するようになり、またMBTが情報を隠蔽したため、ウイルスの発生源は特定されず、世界は恐怖に包まれる。
死亡者のうちA・S治療者がごく少数だったことも、情報を隠蔽した杉森の追い風になり責任を取らされることもなく、本人は社長室で洋菓子を食べながら日常業務に従事していた。
そこへ杉森との人間関係が破綻し、研究代表から研究員に降格させられた康平が、1年ぶりにおとずれ。
「風邪でもひいたの?」
マスクをして現れた康平が小さくうなずく。
「そう、早く治るといいわね」
肉食ウイルスは接触感染が主なので、風邪とは思いつつも杉森は距離を置くように康平に声をかける。
「ところで風邪をひきながら今日はなんの用?」
「いろいろ伝えたいことがあって」
社長デスクの向かいにある応接テーブルの上に、辞表の文字が書いた封筒が置かれ。
「辞めるの、別に止めないけど、今さら公表はしないわよね」
「しないさ、僕も大人になったからね、つまらない義侠心は捨てた」
瞳の沈んだ康平に不信感をもち、注意深く観察する杉森。
「辞表は受理します、他に言いたいことはある?」
「MBTと君に世話になったから、最後に特別な置きみやげを用意した」
もともと人付き合いの苦手な康平が社交辞令的な発言をするので、杉森はかすかに眉をしかめる。
「あなたと私の仲でしょ、気を使わないでいいのに」
歯の浮くようなセリフを聞いて目尻を下げる康平。
「どうやら僕は肉食ウイルスに感染したようだ」
「えっ?」
杉森には曇るような声が聞き取れなかった。
「そしてどうやらウイルスはとてもグルメで、人間のホホ肉を食べるように変異したらしい」
言いながらマスクをとる康平のホホ肉に穴があき、その向こう側から歯と歯グキがむき出しになる。
卒倒しそうな勢いで口を両手で抑える杉森。
「さらにこの有機物は優秀でね、人間を喰らい尽くしたいからか、空気感染するよう進化もしたんだよ、すごいだろ」
嬉しそうに話す康平を見つめる杉森の体が震えにゆれる。
「彼ら微小世界の住人に、最初から人知などが敵うわけもなかったってわけだ、ましてやコントロールなどおこがましい」
ガクガク震える足で部屋から逃げ出そうとする杉森を、康平が一喝。
「もう遅いよ!進化したこのウイルスは感染力がケタ外れに強いんだ、君が感染するのにじゅうぶんな時間をいただいた、だからもう遅い」
康平の座るソファーの横で、膝からくずれ落ち頭をかかえる部屋の主。
そんな恐怖に絶望する杉森を見ず、社長デスクの向こうに映る窓の外をながめる康平。
「言われたとおり僕も大人になった、君を道づれにする覚悟を持てたのだから」
このとき康平はまどろみの中にいた。
そう、最愛の人であり同時に憎悪の対象である存在を、自分の意思で道づれにできる、充足感と言うまどろみの中に・・
完。
アメーバ・クライシス 枯れた梅の木 @murasaki123
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