第2話

 会見終了後に廊下をあるく杉森と康平のすがた。


 「ああいったやからはどこにでもいるもんね、粗探しのためだけに弁舌と知識を磨いてきた、自称辛口ジャーナリスト」


 動きやすいローヒールの踵を鳴らす杉森に、気をつかう様子でつぶやきかける白衣の康平。


 「しかし彼の意見も一理あります」


 「どの辺が」


 「専門家でも間違いは起こす」


 その言葉に杉森は止まってから振り返り、そして。


 「間違いを犯すのが嫌なら研究者をやめることね、やめて頭の中だけで妄想するか、趣味の研究を自前で続けなさい」


 「いえ、そこまでは」


 「でしょうね、大学で准教授にもなれずうだつの上がらなかったあなたが、ようやく拾った研究職と主任の地位だもん、簡単に捨てられるわけない」


 黙ってうつむく康平に。


 「いいかげん童心を捨てて大人になったらどうなの康平、才能と好きな気持ちだけで研究が続けられるほど、世の中は甘くない」


 「それは大学の時に自覚してます」


 「だったら部外者の意見に耳をかたむけるんじゃなく、会社に貢献することだけを考えなさい、そうすることがあなたやあなたをスカウトした私、そして治療を待つ患者のためでもあるのよ」


 納得しないまでも言い返せない康平は、杉森の背中を見ながら廊下を追随した。



 数日後、研究施設の一室に杉森と康平がいた。


 「順調そう?」


 「ハイ、人工知能からの電子信号は、不足なくアメーバをコントロール下に置けています」


 システムエンジニアが自信を持って断言。


 「破格のスーパーコンピューターを購入した甲斐があったわね、ね、康平」


 巨大なコンピューターが並列する室内で、杉森に話しかけられた康平が気のない返事をした。


 「なにか言いたそうね」


 圧力のある杉森に遠慮ぎみに答える康平。


 「前の記者会見でもそうですが、AIによる指向性のことぐらいは、世間に公表してみてはいかがでしょうか」


 急に目つきが鋭くなる杉森副社長。


 「公表して我が社になんのメリットがあるの」


 「少なくとも疑念の一部は解消されるかと」


 「疑念を解消させる必要がどこにあるかと聞いているの」


 「はぁ」


 敏腕副社長の気迫に押される康平。


 「あなたは世の中をナメているわね、一部の疑念を解消させるために公表すれば、必ずAIによる指向性を試みる企業や研究機関があらわれ、類似品のA・Sが開発されたのち、社は研究費を回収できず悪くすれば破産、そうなったら誰が責任をとるの」


 康平は無言でうつむく。


 「だから大人になりなさいと指摘しているの、あなたが好きな研究を続けていられるのも、会社が莫大な研究費を捻出するおかげでしょ、たかが赤の他人の記者が言ったことを気にして、職場を失うようなマネをしてどうする気」


 口を閉ざす康平を杉森はかまわず説き伏せる。


 「研究者なら研究することだけに注力しなさい、他の雑事はすべて会社が請け負います、余計なことに首を突っ込まないように」


 言い捨てた杉森はコンピューターの画面を見て、康平はただ黙って床を見つめることしかできなかった。



 2年後A・Sの普及は加速度的にすすみ、外国からの承認も増加しメディカル・バイオ・テック社(略称MBT)は、絶大な信頼と巨額の利益を得ることになる。


 そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのMBT社屋の一室で、優雅にマニキュアをぬる社長に昇進した杉森に、社内チャットが届き。


 「井塚研究代表が起こしになっています」


 康平もA・S研究の主任から、研究全体を監督する立場にまで昇格。


 「通して」


 数分後、康平が浮かない顔で入室すると、相手の表情も見ずに自分の指に息を吹きかける杉森。


 「A・Sに不安材料が発生しました」


 康平の言葉に杉森は一瞬だけ体を反応させ、すぐに爪を見つめる。


 「どんな材料」


 「A・Sを養分とする捕食細菌が現れました」


 深刻な声色で発言する康平とは対照的に、悠然とかまえる現社長。


 「そう、詳しく説明して」


 杉森のあいかわらずの態度に不満をもちつつ、康平は説明をはじめる。


 「現在の症例は10人前後で数は多くありませんが、どうやら野生の狐がもつ細菌だと判明しました」


 「10人?、今や治療を受けた患者が1000万人をこえる中、よくそんなナノレベルな症例をひろい上げたわね、目のつけどころが鋭いと言うか細かすぎると言うか、で、患者の容体は」


 「発症してから軽度の倦怠感と微熱ののち、沈静化に向かいましたが」


 それを聞いて杉森は思わず吹き出す。


 「なにそれ、それでよく代表の職責をすっぽかして、わざわざ私のところまで来れたわね、あなた今暇なの?」


 「暇ではありません、事の重大さを深刻に感じたからうかがったのです」


 「深刻もなにも、細菌が原因で癌が再発したとか、A・Sを捕食する過程で容体が重篤化するとかならわかるけど、軽症でしかも発症者は快然に向かったんでしょ、問題にするような事情がどこにあるって言うの」


 「数も少なく軽症ですんだことが問題なのではありません、A・Sを起因として予想外の捕食者が現れたことが問題なのです」


 無言で聞き耳を立てる杉森に続けて説明する康平。


 「つまりこれは我々の手の及ばない範囲で、有機物たちが行動を開始したことを意味します、A・Sはコントロールできても、捕食細菌は制御不可能で、これからどのような事態を引き起こすか、まったく予想ができない、それが大問題だと説明しているのです」


 「やっぱり暇ねあなた、力説すれば私が納得すると思ってるところが、暇な証拠」


 絶句する康平を見てタメ息をつく杉森。


 「私は問題ないと言ってるの、だいたい発症したのはA・Sや開発側の責任じゃない、狐由来の細菌が原因、責任があるって言うなら細菌に問うべきでしょ、私たちには関係ない」


 「しかしA・Sを好んで捕食しているのです、そこに責任がないと言い張るなら、すべての研究機関は無責任にテクノロジーを垂れながす、マッドサイエンティストのそしりを受けることになる」


 「あいかわらず子供じみた正論、聞き飽きたけど答えてあげる」


 杉森は椅子から立ち上がり窓の外に視線をうつし。


 「仮に捕食者の発生に責任を求めるなら、我々開発側は第三者の存在を考慮しながら研究をつづけなければならない、車で言えば製造者が車の欠陥もないのに、運転手が起こした事故の責任まで問われるってこと、そんなことになれば、すべての産業界や研究機関は賠償に追われ、とても経営や運営を維持できなくなる、あなたの言ってることはそう言うことよ」


 「それは極論で暴論だ」


 「極論暴論おおいにけっこう、あなたと私の価値観の相違ってやつね、説明は以上、これからウェブマガジンのインタビューを受ける予定なの、なんならあなたも同席する?」


 「帰ります」


 「そう」、と杉森はそっけなく応対して、そのあと両者視線も合わせることなく面会は終了した。



 この面会から半年後、血相を変えた康平が杉森の社長室にふたたび現れ。


 「大変なことになりました」


 それを聞いても杉森はパソコン画面から目をそらさず。


 「半年ぶりに現れて、口をひらけばまたそんなこと、今度はなに」


 「キツネ由来の細菌を捕食するウイルスが現れました」


 「そう、有機物たちも生存競争に忙しいわね、それで?」


 驚く様子もない杉森は話の先をうながした。


 「ウイルスは最初、捕食細菌を養分としていましたが、どうやら途中で対象を変更したようです」


 「変更ね、人体の悪玉菌でも食べるようになったとか?」


 「違います」


 康平は一呼吸おいて、震えるくちびるから言葉をおしだす。


 「内臓細胞を侵食してい行くのです」


 それには敏感に反応する杉森が瞳をほそめ。


 「つまり、どう言うこと?」


 「人間の肉を食い始めた、そう言うことです」


 杉森は聞いた瞬間、顔を下にむけ康平に表情を見られぬよう隠し、10秒ほどたってから顔をあげ。


 「聞かせてちょうだい、できるだけ詳細に」


 無言で首をたてにふる康平は、慎重に言葉を選びながら話し出した。


 こうして無機質な社長室は緊迫とよどんだ空気に支配される。




 

 




 


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