第64話 神の小船
宿屋の主人ホカニと数人が頬傷の男たち五人を衛兵のところへと連れて行きすべてが無事解決したタイミングで、町のほうから多くの住人が雨にもかかわらず河岸へとやってきた。
遠くからでも巨大な石像が見えたからだった。
皆が巨大化した河の神を見上げて驚嘆した。
そんな彼らに、ずっとこの場にいた人たちが、自分が直接見た奇跡を自慢するように話して聞かせた。
「マァリヤ……」
話を聞いた者が、ミルカやその家族と抱擁を交わしている貴子を見てつぶやいた。
さらに、あとから来た人が巨神像を見上げる。
その人に、話を聞いた人がまるで見ていたかのように自慢げに話す。
そして、また来た人が――と、このようにして、魔女貴子の噂はまたたく間に町中に広まっていった。
◇◇◇
二日後。
予定より一日遅れで貴子とダニェルはミルカの操る小船に乗り、対岸の町スブへと向かっていた。
天気は晴れ、太陽の光に煌めく水面を船が滑るようにして進む。
昨日は、二日前に降った雨量が予想以上に多かったため河がまだ完全には静まっておらず、船の点検のことやミルカの体調なども考えて対岸への移動は中止にした。
幸い、ミルカの体に変調はなく、船も損傷箇所はゼロということで、今日の朝食後、貴子とダニェルは、ずっと感謝を伝えてくるフゥエとロィン、寂しがるサエリィとトルタに別れを告げてデュワの町をあとにしたのだった。
ミルカの操船技術は素晴らしく、変に揺れることも蛇行することもなくまっすぐ目的地へと向かっていた。
船に乗って一時間もするとスブの町が見えてきて、さらに三十分後、町の桟橋へ到着した。
ミルカが先に桟橋へ降りて、ロープで船と桟橋の杭を繋ぎ、
「タカコ」
へと手を伸ばした。
「ありがと、ミルカ。サリィシャ」
貴子がお礼を言ってミルカの手を取り桟橋に上がった。
「いや~、快適快適。超気持ち良かったよ」
ストレスのなかった短い船旅に満足な貴子。
ダニェルもミルカの手を握って桟橋に上がり、
「タカコ イシェオ テビ ビウ エ オォバ ウェンブト コミ セピエ ソレシャ マァビ。メイ ルク ジェス サフィ」
貴子の言葉と自分の感想をミルカに伝えた。
「メイ ニス オォバ ササァラ ジェス セブレイ ユディグ」
ミルカが微笑んで返事をし、
「『とても嬉しい、言葉。ありがとう』」
ダニェルが翻訳。
「タカコ」
ミルカが貴子を呼ぶ。
「ん?」
首を傾げる貴子にミルカはハグをして、
「サシャ シウ メイエ カフ ソォフ ビセフィン メア アンシェ」
と言ったあと頬に口づけをした。
「お、おう?」
貴子がオットセイみたいな声を出した。
「『あなた、私の、命、救った。ありがとう』」
という意味の口づけだった。
「そ、それは何回も聞いたって。アハ、アハハハ」
貴子がいろいろと照れた。
「ダニェル」
「ヤァ」
ミルカが呼んでダニェルが答え、二人がハグを交わす。
「メイ フラァタ シウ ミィフ シア マウセェヤ」
ミルカがダニェルの背をポンポンと手でたたいた。
「サリィシャ ミルカ。メイ ソォエ フラァタ エ ナァド ソワ ソウニグ イス エゼタァ アゥス シア ソレシャ」
ダニェルもミルカの背をポンポンとたたき、二人はハグを解いて、
「アハハハ」
「アハハハ」
晴れやかに笑った。
「うんうん」
何を言っているかわからないが、貴子は雰囲気で頷いた。
「フォウ、メイ ニス ロビィフィン」
ダニェルが荷物を肩にかける。
出発するつもりなのだろうとわかり、貴子も荷物を持った。
ミルカは、もう一度ダニェル、貴子とハグをしてから、
「ハス シウ テカ デト ジェス シア マウセェヤ、メイ イス クィブ シウ ネヨォサ。レェタ シウ、ダニェル。テェデ」
二人へ向けて手を上げた。
「サリィシャ、ミルカ。レェタ シウ。テェデ」
ダニェルも手を上げて歩き出す。
「またね、ミルカ。テェデ」
貴子も手を振って別れを告げた。
「ミルカ、言った、『あなた、お母ちゃんと、一緒、帰る、のとき、私、また、あなた、送る』」
ダニェルが嬉しそうに翻訳。
「そっか」
貴子もつられて笑顔になった。
「ハグしてたときは、何話してたの?」
「ミルカ、言った、『あなた、お母ちゃん、会う、祈る』。私、言った、『私、ミルカ、お客、たくさん、集まる、祈る』」
「なるほどね」
貴子は頷き、
「ミルカの船にお客さんがたくさん来ますように」
ダニェルと同じくミルカのために手を合わせて祈ったのだった。
……
ダニェルと貴子が去って行く。
ミルカは二人の姿が小さくなるまで見送ると、手を組み合わせてダニェルたちの旅路の安全と幸運を神に祈った。
祈りを終えて組んでいた手を解くと、
「ムンッ」
今度は握り拳を作ってミルカが自身に気合を入れた。
これから客探しをするのだ。
ミルカが声をかけるために辺りを見回す。すると、
「エイ」
荷物を抱えた男性がミルカの肩をたたいた。
「レシィレ ティケ メオ シュ デュワ?」
なんと男は客だった。
客のほうから声をかけてくるなんてミルカには初めての経験だった。
「ヤァ!」
ミルカは元気に返事をして、男の荷物を運ぶため受け取ろうとした。そこへ、
「ゼス シウ シィキ メオ シュ デュワ」
また客がミルカにデュワまで運んでくれるよう依頼してきた。
「ヤ、ヤァヤァ!」
ミルカは嬉しくて何度も頷いた。さらに、
「ゼス シウ ティケ メオ?」
「ティケ メオ ヤ」
「メオ ヤ」
次から次に客がミルカのところへやってきた。
六人、七人、八人とどんどん数が増えてゆき、あっという間にミルカの周りには数十人の客が殺到した。
全員がミルカにデュワへ渡してくれと頼んでいる。
全員に乗って欲しいのはやまやまだが、ミルカは涙を呑んで、船の乗船人数の上限を考え最初に声をかけてくれた五人だけを乗せることにして、あとは断った。
しかし、半数以上の人が、「だったら君が戻るまで待つ」と答えてくれた。
「……」
返事を聞いたミルカは、呆然とした。
これまで客を誘ってもまったくと言っていいほど引っかからず、依頼されることもなかったミルカの渡し船。
なのに、どうして客が殺到し、何時間も待ってまで乗ろうとしているのかミルカにはわからなかった。
だが、もちろんこの状態には理由があった。
それはここに集まっている全員が、魔女がこの船に乗り、魔女が召喚した(と勝手に思い込んでいる)河の神シヤフェスィンがこの船に触れたと知っているからだった。
そのような船に乗れば、一生自慢できるし、河の神が触れたので水難事故にあう心配がないし、それどころか何らかのご利益があるかもしれないと誰もが考えたのだった。
そんな理由も知らぬままに、とにかくミルカは、順番を待つ人たちに急いで戻りますと告げて、船を出発させることにした。
対岸のデュワでも同じような状況が待ち構えているとも知らずに。
……
この日以降、ミルカの船は、『神の小船』と呼ばれるようになった。
そして、魔女と神様が触れたこと、さらにミルカの優れた操船技術も相まって客足が絶えることはなくなり、マァリ国で一番有名な渡し船となっていくのだった。
黒髪の魔女は金属バットを振るう 蝶つがい @Chou_Zwei
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