第63話 神の大剣
雨が降りしきる中を必死に駆けてフゥエが河岸へやってくると、百人ほどの老若男女がそこにいて、みんながメニゥ河へ向かって叫んでいた。
フゥエも河を見やる。
大雨と強風で荒れに荒れている水面に見慣れた一艘の小船が浮かんでいた。
乗っているのは六人。
船を漕いでいる自分の息子ミルカと見知らぬ五人の男だった。
「テビ シィ ダノ! セブレイ ジュウ ソル ワグ!」
遅れてやって来た宿屋の主人ホカニが男たちを指さして叫んだ。
それを聞いて、フゥエは、あれがホカニと従業員を切った男たちだとわかり、この大雨の中、ミルカを脅して強引に船を出させ、町から逃げようと考えたのだろうと相手の思惑も読み取った。
「ミルカ! ミルカ!」
サエリィ、トルタ、ロィン、そして町のみんながミルカを呼ぶ中で、
「ミルカーーーーーッ!」
フゥエが雨を弾きそうなほどの大声で息子の名を叫んだ。
「ハッ!? マァヤーーーーーッ!」
ミルカが母親に気づき、櫂を漕ぐ手を止めて呼び返した。
「ヤァディン!」
頬に切り傷のある男が止めるなとばかりにナイフをミルカに突きつけた。
ミルカが風雨に荒れる河を再び対岸へ向けて櫂を漕ぎはじめる。
「ミルカ! ミルカ!」
フゥエが河へ駆け出そうとした。
しかし、周りにいる人々がすぐにフゥエを羽交い締めにして止めた。
「レシィレ! クアック ダソレシャ セファ!」
フゥエが集まっている人々へ向かって船を出してくれるよう懇願した。
だが、誰もそれに応えられない。
河が荒れていて船を出すことができないのだ。
ミルカの小船もいつ転覆してもおかしくないほどにだ。
「ミルカ! ミルカーーーーーッ!」
フゥエは、瞳から涙を溢れさせ、遠ざかっていく我が子へ手を伸ばした。そこへ、
「私が助ける!」
空中を金属バットに乗って飛んできた女と少年が、フゥエの頭上を飛び越えて河岸に降り立った。
貴子とダニェルだ。
「オ、オゥ!? ハァテ!?」
飛んでいたように見えた二人に周囲からどよめきが起こる。
貴子とダニェルは、岸から二百メートルほど離れた河の水面にある小船と乗っている人間の様子を見て、
「やっぱりあいつらだ!」
「ヤァ!」
自分たちの想像が当たっていたことがわかり、すぐに状況も把握した。
「タカコ、ダニェル、ウウッ、ミルカ! ミルカ!」
フゥエは、どうしていいかわからず、貴子とダニェルの服を掴み声を詰まらせ涙を流す。
むせび泣くフゥエを見た貴子は、
「私に任せて!」
自身の胸を叩いて答え、すぐさま走り出した。
高さは五メートル、髪は逆立ち、手足や首は短いが全身筋肉の塊のような逞しい体で、手に身の丈を超える長剣を持っている河の神シヤフェスィン。
その石像が建つ台座の下で貴子が足を止めた。
「タカコ!」
ついて来たダニェルに、貴子はコクリと頷いて、
「絶対に助けるから」
と約束し、集中力を高めるために目を閉じた。
ここへ来るまでの間に貴子はミルカを助ける方法をすでに考えていた。
それを頭の中にイメージとして描き出す。
胸の中に熱い塊が生まれる。
貴子は、カッと目を開き、
「石よ岩よ集まれ! 石像と混ざり巨神となれ!」
魔法を発動した。
河岸にある種類も大きさもさまざまな石や岩が石像のもとへと転がってくる。
集まった岩石は、河の神シヤフェスィンの石像につま先からくっつきはじめた。
シヤフェスィンの足が、ふくらはぎが、太腿が、腰が、胴が、胸が、手が、腕が、首が、どんどん太さを増し、上背も伸びていく。
持っていた身の丈を超える剣も同様に巨大化し、最終的に二十メートルを優に超える巨神像となった。
「……」
群衆が、声もなく出来上がった像を見上げた。
「マァリヤ! タカコ シィ エ マァリヤ!」
サエリィとトルタの高い声が辺りに響くと、
「マ、マァリヤ……」
みんなが視線を下げて呟き、黒い三角帽子をかぶって黒いローブを纏う貴子を見た。
ミルカと五人の男たちも、口を開けて巨神像を見ていた。
「ミルカっ、今助けるからね!」
目を皿のように丸くしているミルカへ貴子が言い、巨神像を動かそうとした。
その時、上流からの濁流がミルカの小船へと押し寄せてきた。
土砂降りの雨に耳と目を遮られ気づくのが遅れたミルカが岸へ戻るためにあわてて櫂を漕ぐ。
五人の男たちも必死の形相で河の水を手でかいた。
しかし、逃げることは叶わず船の側面に濁流を受け、
「ウワッ、ウワァァァァァッ!?」
ミルカと五人の男たちが乗った船は横転して濁流に飲まれた。
「キャアァァァァァッ!」
「ミルカーーーーーッ!」
皆が悲鳴を上げ、絶叫した。だが、
「絶対に助ける!」
貴子は、船の飲まれた場所を睨むように見つめ、
「絶対に助ける!」
金属バットを掲げ持ち、
「河の神よ、その大剣を振るえ! 目の前の大河を真っ二つに斬り裂け!」
振り下ろした。
「ウオォォォォォォォォォォッ!」
吠えるような声で応えたシヤフェスィンの巨神像が大剣を両手で握り、頭上に持ち上げ、大股に一歩右足を踏み込み、
「エアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ」
気合の咆哮とともに河へ向けて大剣を振り降ろした。
空気を斬った一振りが衝撃波を生み出す。
直進する衝撃波は、雨粒を払い、岸辺の土を
巻き上げられた河の水が空中に飛び散る。
「ミルカ、あそこ、いた!」
目の良いダニェルがいち早くその中にいるミルカを見つけて貴子に教えた。
そばには、五人組とミルカの小船もあった。
割れた大河は元に戻りミルカたちが河に落ちた。
ミルカたちは、沈むことなく水面に浮いている。
「河の神よ、ミルカを助けろ!」
貴子がすぐさま命令を下すと、
「オォォォォォ!」
巨神像が応えて足を動かし、地響きを立てながら歩きだした。
河に入った巨神像は、河岸から二百メートルほど離れた場所にいたミルカのもとへあっという間に辿り着き、ミルカとミルカの船、五人の男たちを巨大な手で優しく掬い上げた。
巨神像が回れ右をしてザブンザブンと水飛沫を上げて歩き岸辺に戻ると、地面に片膝をついて掬い上げた人と船を河岸へと降ろした。
意識のはっきりしているミルカが、地面に横たわったまま巨人像を見上げた。
みんながミルカへと駆け寄る。
「ミルカ!」
まずミルカの母フゥエがミルカを抱きしめて額に口づけをし、涙を流して無事を喜んだ。
そのあとから、ミルカの家族やダニェル、集まっていた人たちも輪になってミルカに抱きついた。
みんなが歓喜に沸くそばで、五人組の男たちがこっそりと立ち上がった。
そして、すぐに走って逃げ出した。
「逃がすな」
だが、しっかりと警戒していた貴子が巨神像に命じた。
巨神像が一歩分右足を前に出し、ドスンと大地を揺らして逃げる五人の前に下ろした。
「ギャアーーーーーーーーーーッ!」
悲鳴を上げた五人が後ろにのけ反って腰砕けにお尻を地面についた。
貴子が五人のもとへ行き、
「逃げたら踏み潰す」
警告した。
急いで貴子の隣へやってきたダニェルが怒気を込めてそれを五人に訳して伝えると、
「(カクカクカクカク)」
男たちは、血の気の失せた顔をただひたすらに上下させた。
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