西の森の魔法使い
@hinataran
第1話
幾重にも折り重なる様々な世界。
その中の一つに、人と精霊が暮らす世界があった。
精霊とは、自然の力が人や動物の姿として現れたものである。長い年月を生きる巨岩や大樹は、強い力を持つ精霊となって形を取った。
しかし、精霊は普通の人間の目には見えない。精霊が見える者、精霊と対話し、知識を得て自然の力を操る者は、『魔法使い』と呼ばれた。
ある時、一人の魔法使いが、国を興した。
その魔法使いは、火の精霊、水の精霊、風の精霊、土の精霊、すなわち全ての属性の精霊と対話することが出来、精霊たちの頂点に立つ光の精霊『ディーヴァ』を呼びだすことが出来た。
魔法使いは国に結界を張り巡らせ、外国との接触を絶った。豊かな大地を狙う外国の脅威から守られた民は喜び、魔法使いを国王として敬った。
人々は、魔法使いを尊敬の念をこめてこう呼んだ。
精霊たちに愛されし者――精霊(せいれい)の愛(まな)――と。
高い山脈と、深い森、広い平原に囲まれた王国、ディー王国。
偉大な魔法使い、精霊の愛が興した国で、大地は精霊たちに愛されていた。天候は一年中穏やかで、四季も緩やかに移りゆく。作物も豊富に収穫でき、山には宝石の鉱脈があった。
尽きない富と豊かな大地。閉ざされた王国は、檻の中の楽園に似ていた。
この物語は、そんな王国の隅っこで、それなりに一生懸命生きている、一人の魔法使いとその使い魔の話である。
寒さが和らぎ、春がやって来た朝。
温かい毛布にくるまれて、フォーマルハウトは優しい夢を見ていた。それは、彼の左目が見せる記憶で、この身は母の腕に抱かれていた。彼はこの左目を手に入れるまで、母の記憶を持たなかった。長い間孤独の闇を彷徨っていた彼にとって、この夢は初めて得た安らぎであり、暖かな光とも言えた。何度夢に見ても、とても心地いいものだった。
しかし、夢は突然終わる。
「ひょえ――――っ!!」
なんとも間の抜けた叫び声で、フォーマルハウトは叩き起こされた。若干可愛さに欠けるが、間違いなく若い女の悲鳴である。
寝床にしている大きな籠からでて、体を伸ばす。その間にも、『え、えっと、どうしよう?だ、大丈夫だよね?!落ち着け私っ!!』なんて声が聞こえてくる。
できれば、小鳥の囀りで夢から現実へ導いて欲しかった。ゆっくり毛並みを整える時間も欲しい。だが、そんな平和な朝を過ごすことは無理なようだ。
「変化(エグネフ)」
呪文を呟き、姿勢を正す。魔力が体を巡って、視界がすーっと高くなった。
艶やかな白銀の毛並みは消えて、代わりに引き締まった長身の体躯が露わになる。
「まったく、しょうがないな……」
ため息交じりに独りごちる。寝ていた籠の毛布の中に手を突っ込み、髪紐を引っ張りだした。腰まで伸びる白銀の髪を首の後ろで手早く束ねる。春とはいえ、朝の空気は何も纏わない体には冷たい。なので、さっさと箪笥から洋服を引っ張り出して着替えることにした。
「嘘っ!?まずいわっ!!フォルッ!!フォル―――!!!!」
自分を呼ぶ声が聞こえて、フォーマルハウトは危険を感じる。どうやら急いだ方がよさそうだ。上着のボタンを締めないままに、彼は部屋を飛び出した。
廊下を走って飛び込んだのは、台所兼食堂。長身のフォーマルハウトはガツン、と出入り口に頭をぶつけるが、いつものことだ、気にしてはいられない。
問題は彼の目の前で起こっていた。扉の真正面の竈からは、何故か火柱が上がっている。そして竈の前では一人の女がフライパンを抱えたままウロウロしていた。
「あ、フォル!ど、どどど、どーすればっ?!」
「どーもするな」
慌てる女とは対照的に冷静に言い放つフォーマルハウト。女の肩をぐい、と押しやって、彼は竈の、いや火柱の前に立った。
手をかざして、呪文を唱える。
「放出(ウツフスォ)」
唱え終わると、彼の掌から勢いよく水が噴き出し、火柱は無事に消火された。
女はそれを見届けると、フライパンを胸に抱いて、ほっと胸を撫で下ろした。引きつった苦笑いを浮かべつつ、女はフォーマルハウトに向き直る。
「ありがとう、フォル。間違えて油の瓶を引っ繰り返しちゃったの」
あはは、と苦笑いする女に、フォーマルハウトはわざとらしくため息を吐いてやった。
「ミリエッタ、フライパンを置いてから油の瓶を取れと前に言っただろう。そもそも、どうして料理なんかしようと思ったんだ」
「ごめん、前に言われてたのに、忘れてた……。」
ミリエッタの眉が八の字になる。フォーマルハウトは、彼女のこんな風に謝る素直なところが好きだ。けれど、何度注意してもドジをしてしまうのが、たまに傷であった。
ミリエッタは、フライパンの底に指で円を描きつつ、言いにくそうに弁解を始める。
「料理しようと思ったのはね……。そのぉ、たまには、フォルにゆっくり寝ててもらいたくて。朝ご飯用意してから起こしてあげよっかなぁ……とか……」
上目遣いで、叱られた子どものように言い訳する彼女。
この家で料理を作るのはフォーマルハウトの役目だ。しかし、彼女は、いつも彼に作らせてばかりなのは悪いと思ったのだろう。
聞かされた理由がそれでは、なんとなくドジを責められない。
(…………しょうがないな)
結局、フォーマルハウトはその一言で、自分を納得させた。
無言のまま、フォーマルハウトはミリエッタから乱暴にフライパンを奪い取ると、調理台を指差した。
「目玉焼きは俺が焼く。…………今日は、なんとなくミリィのサラダが食べたい気分だ」
最後の方は、聞こえるか聞こえないかの小声で呟く。けれど、ミリエッタはちゃんと聞きとっていて、瞳がみるみる輝きを取り戻した。彼女の表情はころころ変わるから、心の内が手に取るように分かる。
「美味しく作るねっ!!この間作ったドレッシングもかけるから!!」
「指は切るなよ」
『はーい』なんて返事をしていたが、たぶん、聞いちゃいない。調理台に向かうミリエッタの後ろ姿は、スキップしていた。
実のところ、フォーマルハウトは料理が好きと言うわけではない。けれど、少々訳ありで、ミリエッタに火を使った料理をさせるわけにはいかないのだ。
「しょうがいないご主人様だな」
やれやれと肩を回して、フォーマルハウトは新しい薪に火をつけた。
フォーマルハウトは、王都の西に位置する森の中に、魔法使いと一緒に暮らしていた。
魔法使いの名前はミリエッタ。十六才の女である。一年前、彼女に呼び出されて契約を結び、フォーマルハウトはミリエッタの『使い魔』になった。
朝食後、フォーマルハウトはウッドデッキでミリエッタの仕事を手伝っていた。
ミリエッタは魔法使いであると同時に薬師でもあり、特定の医者から処方箋を受け付けて薬を調合している。薬草園に面したウッドデッキは、木漏れ日が暖かく、晴れた日にはここがミリエッタの仕事場になっていた。
天日に干して乾燥させた薬草を回収した後、ミリエッタはフォーマルハウトに仕分けを頼む。そして彼女は分けられた薬草を粉末にし、調合していくのだ。
ゴリゴリと、薬草を擦り潰す音が聞こえる。フォーマルハウトは、茶色く乾燥して見た目がほとんど変わらない薬草たちを匂いで分けていく。
時折頬を撫でるそよ風が心地良い。思わず眠くなる状況だが、人間より敏感な耳は、僅かな羽音を聞き逃さなかった。
「ミリィ、避けろ!」
「え?」
ミリエッタを押しやろうと手を伸ばしたが、その前に、やつは現れた。
バサバサと大きな羽音がして、木々の間、太陽の光の中から巨大な物体がミリエッタ目がけて急降下してくる。
「ミリィッ!!」
「うわぁ!」
巨大な物体はミリエッタの頭に勢いよく着地。彼女の額は派手な音を立ててウッドデッキとぶつかった。
「いったぁい……」
ミリエッタが顔を上げると、目の前には、一羽の鷲がいた。勝ち誇ったように胸を張り、大きな灰色の翼を広げている。
「……おかえりぃ~、ジーンさん」
赤くなった額を押さえながら、ミリエッタは灰色鷲にとりあえず微笑んだ。灰色鷲は嬉しそうに鳴いて、ミリエッタに頭を擦り寄せる。くすぐったいと言いながら、彼女も灰色鷲の体を撫でる。
そんな中、フォーマルハウトはぬっと手を伸ばした。ミリエッタの前髪を掻き分けて、赤くなった額を覗きこむ。
「毎度ミリィの頭にとまることないだろうが、ジーン」
ミリエッタの額を一撫ですれば、もう赤みは消えていた。確認の為そのまま指で撫でていると、ジーンが突然羽を広げた。ジーンは今彼女と彼の間にいるから、もちろんその羽は彼の鼻を直撃する。
「って!……お前な……」
ジーンと視線を合わせれば、完全に威嚇の姿勢を取っている。
「なんなんだ、この態度の差は……」
訴えるつもりではないが、ぼそりと本音が漏れる。
このジーンという灰色鷲、ミリエッタは好きだがフォーマルハウトは嫌い。
灰色鷲は大型の猛禽類で、勇猛な性格から人には懐かない。しかし、ジーンはミリエッタに助けられてから、彼女にだけは懐いている。
毎回彼女が受け止めきれないと分かっていながら、頭に着地するのも、ジーンにしてみればじゃれているだけ。そして、いつもジーンに潰されるミリエッタを助けるのがフォーマルハウトなわけだが、ジーンはそれが気に入らない。
(お気に入りのミリィに触るなって、ところだろう。……縄張り意識が強い生き物だしな)
これ以上威嚇されて突かれでもしたらたまらないので、さっさと薬草の仕分けに戻ることにした。ミリエッタの額も簡単に癒したし、大丈夫だろう。そう一人で納得して、フォーマルハウトは薬草を手に取る。
一方のミリエッタは、ジーンの足首につけられた細い筒状の入れ物を開けて、中身を取り出した。中身は新しい処方箋だった。
「えぇっと、いつもの薬ね。了解了解っと」
紙の一番下、『医師、レビスタ・シルヴァスタ』のサインを確認し、処方箋をポケットにしまう。
「いつもありがとう、ジーンさん。またよろしくね」
『どういたしまして』と言っているのか、ジーンはもう一度彼女に体を擦り寄せてから、空高く飛び去っていった。
太陽が真上に上り、正午になった。
ミリエッタは台所でデザートのフルーツを切り分けていた。鼻歌を歌いながら、果物ナイフを休む間もなく動かしている。フォーマルハウトは野菜炒めを作りながら、こっそり覗いてみるが、何の形に切っているのかは分からなかった。兎だとしたら、耳が短過ぎるし、花だとしたら花びらの数が少な過ぎて、妙に角張っている。
(相変わらず不器用だな……。まぁ、手を切らないだけましか)
子どもの工作でも、此処まで下手ではないだろうなんて、思えてくる。けれど、危なっかしいからとナイフを取り上げたら、ミリエッタは本気で落ち込むだろう。
本人が楽しんでいるんだから、怪我さえしなければ良し。それが使い魔の見出した妥協点であった。
野菜炒めもできあがって、テーブルに皿を並べ出した頃、玄関からノックの音が聞こえた。
「は~い。今行きま~す!」
ミリエッタが走っていく。その後で、フルーツの盛り付けから一つ摘まんでみる。真ん中に細い切り込みが二つ三つあった。それらが雄蕊や雌蕊なのか、はたまた目なのか鼻なのか。やはり、フォーマルハウトには判別がつかなかった。
手に持ったついでだと言い訳して、口に放り込む。
(うまい)
良い熟し具合だ。それに一口サイズでちょうどいい。
何だか応接間の方から困ったような声が聞こえてくる。そろそろ助けが必要かと、フォーマルハウトはゆっくり食堂を後にした。
「い、いいいっ、いらっしゃいませ!毎度どうも、ありがとうございます!ノノナさん!」
応接間で、テーブルを挟み、ソファに向かい合って座っているミリエッタと中年の女性。
中年の女性の膝の上には、薄桃色の毛並みの兎が一羽乗っていて、背中を撫でられて大人しくしている。
「もうっ!ミリィさんってば、そんなに緊張しなくてもいいのに!会うのはこれで二度目でしょう?」
ノノナはそう言って人のよさそうな笑みを浮かべた。対するミリエッタは、しっかりと閉じた両膝の上で、震える両手を握りしめている。
「そぅ、そぉ、あ、そう、ですね。いや、すみません……」
声が高くなったり低くなったり、視線もあっちへいったり、こっちへいったりと落ち着かない。だが突然、思い立ったように、ミリエッタは立ち上がった。
「そうです!そう!お薬!ででっ、出来てます!!」
「あら、ありがとう。シルヴァスタ先生に言われた通りに取りに来たんだけど、タイミングがよかったみたいねぇ」
兎を撫でながら嬉しそうに頬を緩ませたノノナに、ミリエッタもエヘっと微笑む。しかし、頭は相当混乱しているようで、立ったまま動けなくなってしまった。
「えぇと、薬薬……。どこに置いたっけ……。ご、ごめんなさい!すぐに持ってきますから!ええと、ええと……」
「いいのよ、ゆっくりで。おばちゃん、急いでないから、ねぇウサちゃん」
挙動不審なミリエッタを責めるわけでもなく、ノノナは膝の上の兎に話しかけた。答えるかのように、兎もノノナの手にすり寄る。
ミリエッタは自分の両手を握って、必死に考えていた。しかし、手の震えは治まってはくれなくて、うまく思考も働かない。
(落ち着かなきゃ……。もう、どうして私ってばダメなの?これはお仕事なのに……)
薬の在りかが思い出せずにミリエッタが立ちつくしていると、目の前に紙袋が現れた。
いや、よく見ると紙袋の向こうによく知る顔が見える。フォーマルハウトだ。
「これだろう?今朝ジーンが持ってきた処方箋の分」
「そう!それなのっ!ありがとう、フォル!」
ミリエッタの顔が安堵と歓喜に輝いた。
紙袋を受け取って、ノノナに手渡す。
「えっと、前回と同じです。毎日寝る前、一包お嬢さんに飲ませてくださいね。あの、お嬢さんの足の具合、どうですか?」
ミリエッタが尋ねると、ノノナはますます嬉しそうに口角を上げた。
「それがねぇ、この間立ったのよ。歩けなかったあの子が、立ち上がることが出来たの。本当にありがとう、ミリィさん」
心から満面の笑みを浮かべるノノナ。その笑顔と良い報告に、ミリィも嬉しくなって笑みを返すのだった。
ノノナが帰っていった後、ミリエッタは森の中の月光花の花畑に来ていた。
先程までノノナの膝にいた薄桃色の兎が、月光花を咥えて持ってきてくれるが、ミリエッタは座り込んだまま膝を抱えている。とても、花冠など作る気分にはなれなかった。
「いつも、そう……。うまく人と喋れないの。フォルやメイたちとは話せるのに……。ダメだね、私……」
瞬きをしたら、涙が一粒零れ落ちた。
ミリエッタは、人と話すのが苦手だった。しかし、仕事上、人との接触は仕方ない。それに、薬師をやると決めたのは自分。自分で決めたのに、接客がどうしても上手く出来ない。それが、悔しかった。
「落ち込まないで、ミリエッタ……」
フワリと、柔らかい腕に抱きしめられた。顔を上げれば、薄桃色の長い髪、薄桃色の瞳の少女が自分を抱き締めている。
「ミリエッタは良くやっているわ。お客さんも喜んでいるし、人と話すのもだんだん慣れるわよ」
『ね?』と可愛らしい顔で彼女が微笑んだ。ミリエッタも、涙を手の甲で拭って笑って見せる。
「ありがと、メイ。私、頑張る」
「その意気よ、応援してるわ」
そう言うと、メイは月光花をミリエッタに手渡した。二人は並んで、花冠を作り始めた。
作り始めてしばらくすると、段々彼女の不器用っぷりが明らかになってくる。メイの花冠はとても綺麗なのに、ミリエッタはところどころ崩れていて、しかも丸くない。
「もぅ……どうして、できないかなぁ。メイ、上手いよね……」
「だって、私、月光花の精霊だもの。きっと他の誰よりも上手いわ!」
自画自賛して、メイは自分の花冠を太陽にかざした。かなり御満悦の様子。対するミリエッタは、どうして上手くいかないのか、うんうん唸りだしてしまった。
すると、突然、頭に何かを乗せられた。気配がして振り返れば、そこにはフォーマルハウトが屈んでいる。
「フォル、お散歩してたんじゃないの?」
「暇つぶしにはこっちの方がいいと思ってな」
「ん?」
彼が何を言っているのか分からず、ミリエッタは自分の頭に手をやった。乗せられた何かを膝に下ろすと、それはシロツメクサの花冠だった。見た目も綺麗だし、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにない。
ミリエッタは感嘆の息を吐いて、頬を緩ませた。
「すごい!やっぱりフォルは器用だね!あ、こんなだけど、フォルにもお返し」
嬉しそうに笑いながら、彼女は自分の作った花冠もどきをフォーマルハウトの頭に乗せた。白銀の髪に、薄桃色の花が散って、とても綺麗だと、ミリエッタの笑みが増す。
(フォル、私が落ち込んでるから、花冠編んでくれたのかな。嬉しいな……)
彼は、いつも『しょうがない』といいながら、面倒くさそうに世話を焼いてくれる。こうしてくれている今も、そうだ。ノノナが帰った後ふらりと散歩に出掛けてしまったのに、傍に戻って来てくれた。気にしてない振りをして、フォルはいつも気にかけてくれている。フォーマルハウトのそんな優しいところが、ミリエッタは好きだった。
ニコニコしながら、ミリエッタはフォーマルハウトを見つめる。
だが、フォーマルハウトはムッと顔をしかめた。
「俺は、花冠はいい」
「えー?そりゃあ、下手だけど……」
「そういう問題じゃないだろう」
首を傾げるミリエッタに、フォーマルハウトは自分の頭にあった花冠を乗せてやった。彼女の黒髪に、桃色の花々が飾られる。
彼女の髪は肩に届かない長さで切り揃えられた、いわゆるおかっぱ頭。着飾ることに興味がないのか、それとも動きやすさ重視なのか、彼女は街の女たちのように髪飾りも着けない。だから、桃色の花で飾られた彼女は、フォーマルハウトの目に、新鮮に映った。
「ほら、お前の方がいいだろう」
あえて、『花が良く似合う』とは口にしないフォーマルハウト。
意味が分からず、ミリエッタは首を傾げていた。
ミリエッタの髪は黒色、同じく右目の色も漆黒。しかし、彼女の左目は空の色を写したかのように、見事な青色だった。
その左目は、フォーマルハウトの目だ。光を宿すことのない、見えない目。
(よくもまぁ、あんな契約を結んだものだ)
一年前を思い出して、彼はそんなことを思った。
魔法使いが魔法により、異世界と繋がると、悪魔を呼びだして契約を結ぶことができる。悪魔と契約をすると、魔法使いは更に魔力と知識を得て、大きな自然の力を操れるようになるのだ。
利益は大きいが、代償もまた大きい。魔法使いは悪魔が持ちかける契約に応じなければ、悪魔を『使い魔』にすることはできない。
フォーマルハウトは、失明した左目とミリエッタの左目を交換することで、彼女と契約を結んだ。
「そんなに見つめて、どうしたの?フォーマルハウト。もしかして、ミリエッタに見惚れちゃってる?そうよね、そうよね、だってミリエッタはとっても可愛いもの!」
メイがはしゃいでフォーマルハウトの腕をつつく。この花の精霊。恋の話が好きなようで、何かにつけてフォーマルハウトとミリエッタをくっつけたがる。
フォーマルハウトはそんな会話にも慣れたし、なにより、
「えぇ?ないない。悪魔は記憶を食べて生きるんだよ。だから、フォルはいっぱい綺麗な女の人を知ってるって」
「そんなことないわ!例えそうだとしても――」
「フォルは美人さんだから、きっとモッテモテだったんだって。ねぇフォル~」
こののんきなミリエッタの応対にも慣れてしまっていた。いつも、はぐらかすのは良いが、最終的に自分に話を振るのはやめて欲しい。
とりあえず、モテていたか否かについては、今回もノーコメントを貫くフォーマルハウトだった。
「もう、全然分かってないんだから!」
と、メイはプンスカ怒っているが、ミリエッタは何故メイが怒っているのかも分かっていないのだろう。
殺伐とした悪魔の世界を生きてきたフォーマルハウトは、まさか自分がこんな娘に使役されるなんて思ってもみなかった。
日が傾き始め、そろそろ家に帰ろうとミリエッタが言いかけた、その時。
一陣の風が吹き、三人の目の前に、一人の男が現れた。男と言っても、上半身は人間、下半身は牡鹿だ。
新緑の短髪を風に揺らし、樺色の瞳は焦燥の色を宿してミリエッタを真っ直ぐに見ている。
「トゥバン、どうしたの?」
ミリエッタの問いに、千年樹の精霊トゥバンは短く答えた。
「魔法使いが来た」
刹那、空気が張り詰めた。
メイは震えて自分の肩を抱き、ミリエッタに体を寄せる。フォーマルハウトは立ち上がって、森の入口の方へ耳を澄ませた。
「いるな。魔法使いは一人か」
「あぁ」
フォーマルハウトと視線を合わせずに、トゥバンは頷く。
ミリエッタは立ち上がって、自分の花冠をメイの頭に乗せた。
「どうして、魔法使いが……」
目を細め、眉間に皺が寄る。先程まで笑顔で花冠を作っていた女とはまるで別人のような、警戒の表情。
ディー王国の魔法使いは、大きく二種類に分けられる。
一つは、王宮に仕える、宮廷魔法使い。精霊が見える子どもは、そうと分かると王宮に連れていかれ、そこで国の結界の維持と強化の為に生涯働くことになる。
もう一つは、その王宮の手から逃れた、通称『はぐれ』の魔法使い。彼らは縛られることを嫌い、自由に精霊たちと語らう。自分なりの魔法を生み出しながら、自然の生きる様を理解していく者たちなのだ。
ミリエッタは後者であった。昔は王都で家族と暮らしていたが、王宮には行きたくないので、都を離れたのである。
「宮廷魔法使い?それとも、はぐれの……」
ミリエッタの眉間の皺が一段と深くなった。
「どちらにしても、放ってはおけないね」
ミリエッタが瞳を閉じて、両腕を大きく広げると、森に霧が立ち込める。
ミリエッタが対話できる精霊は、水、土、風の属性。その内の水の力を使って、彼女は霧を生み出した。その霧は森全体を包み込み、侵入者を阻む。
大抵の侵入者は、これで森に入れなくなる。
ミリエッタの薬を求めてくる人以外は、この森に入れない。それがこの森の決まりだ。いつもなら、ミリエッタの魔法で普通の人にも見えるようになった兎姿のメイが、客の案内をする。そして、侵入者には森の中を案内するフリをし、散々迷わせた挙句森の外へ放り出すのだ。
だが、今回は相手が魔法使い。メイはミリエッタ以外の魔法使いに会うのが嫌で、震えてしまっている。だから今回は霧で追い払おうとしたのだ。
しかし、そう上手くはいかなかった。
突然、ミリエッタの肩がびくりと跳ねる。
目を見開いて、言葉を口にした彼女の唇は、震えていた。
「森が、燃やされてる……」
その言葉に、トゥバンは激昂した。
「何だと!あの魔法使い!俺が行って――」
「行ってどうなる、燃やされるぞ」
「だけどっ!!」
今にも森の入口へ飛んで行きそうなトゥバンを、フォーマルハウトが押さえた。
それでも怒りが収まらない彼に、今度はミリエッタが声をかける。
「トゥバンは、メイと一緒にいてあげて。他の精霊たちもきっと怖がってるから、落ち着かせてあげて欲しいの」
そう言われて我に返ったのか、トゥバンはミリエッタに寄り添っていたメイを、そっと自分の方へ抱き寄せた。
「私は、フォルと行って来るよ。フォル、手!!」
ミリエッタが差し出した手に、フォーマルハウトの手が重ねられた。すると、足元から風が起こり、ぐんっと一気に森の上空まで浮上する。
心配そうに見上げるトゥバンとメイに見送られ、ミリエッタは煙が上がっている森の入口を目指した。
森の入り口では、ローブに身を包んだ魔法使いを、数人の男たちが囲んでいた。
「ゼラウム様、この霧は払えるので?」
「無論だ。そんなことより、お前たちは私に支払う報酬の方を心配しておけ」
「はいはい。いやはや、この森の中に、『長寿の泉』があるならば、どれだけ財を投げうっても構いませんよ」
男たちの目的は、この、『西の森』にあると噂される『長寿の泉』。その泉の水を飲めば、好きなだけ寿命が伸ばせるという話である。
しかし、森は人間を寄せ付けない。
愚かな人間たちは、ならば無理やり燃やしてこじ開けてしまおうと考えたのだった。
その会話を上空から聞いていたミリエッタは、怒りに顔を歪ませた。思わず、フォーマルハウトの手を握る手にも、力が入ってしまう。
「ミリエッタ。相手は『火の魔法使い』だが、大丈夫か?」
フォーマルハウトが心配して尋ねる。ミリエッタは下の魔法使いたちを睨んだまま、表情を変えない。
「大丈夫だよ」
「だが、火は苦手だろう?」
ミリエッタは水、土、風と相性がいい代わりに、火との相性が抜群に悪かった。普段の生活でも火を使おうとするといつもうまくいかない。
「それでも、森を燃やさせたりはしない!絶対皆を守る!だから、フォルの力を貸してね」
微笑まれて、フォーマルハウトは不意をつかれた。
普段、人間相手だとオドオドビクビクするくせに、こんな危機的場面に遭遇したミリエッタは度胸が据わっている。
誰かを守るために魔法を使う時、ミリエッタは笑う。森の精霊たちを安心させるように、浮かべる表情。自信に満ちていて、相手を不安から救いあげる、美しい笑顔。
フォーマルハウトは、ミリエッタのこの笑顔が好きだ。
もちろん、ミリエッタには秘密だが。
「雲を呼ぶよ」
空に浮かんだまま、ミリエッタが片手を上げる。すると、山の向こうから黒い雲が風に乗ってやってきた。フォーマルハウトの体から、ミリエッタの体へ、魔力が流れて行く。
やがて黒雲は森の上に留まり、雨を降らせ始めた。
その雨に慌てて上を見上げた魔法使いたちは、やっと頭上のミリエッタたちに気がつく。
「あれは?!」
「西の森の魔法使いかっ?!」
集中豪雨で、森の入口で揺れていた炎が見る見る小さくなっていく。
火の魔法使いは、炎の勢いを強くするが、雨も同時に強くなり、火を消していく。
これは水の魔法と火の魔法の戦い。魔法使い同士の力比べになる。
ほどなくして、火は完全に消火された。
「おのれっ!西の森の魔法使いっ!!」
火の魔法使いが上空のミリエッタを睨み上げた。対するミリエッタは、火が消えたことにホッとしていた。
「竈の火を消す時も、これくらい冷静ならいいのにな」
ぽつり、とフォーマルハウトが漏らした。ミリエッタは火を見ると大抵混乱してしまい、魔法を使うことも忘れる。その為、いつもフォーマルハウトが代わりに対処するのだ。
「それは、そのっ!その時は慌ててるっていうか……」
言い訳を始めるミリエッタ。
しかし、フォーマルハウトはそれを聞かずに、突然ミリエッタを抱き締めた。
「熱っ!!」
フォーマルハウトの声を聞いて、ミリエッタが下を見ると、火の魔法使いがこちらに向かって手を伸ばしている。そこからは炎が噴き出ていた。
「フォル、大丈夫?痛いよね?」
「俺は水の悪魔だぞ。こんなのすぐに治る」
水は治癒を意味している。水の属性の悪魔である彼は、自分の傷を癒すことも簡単にできる。
しかし、痛いものは痛いのだ。ミリエッタはフォーマルハウトに痛みを与えた魔法使いを許せなかった。
フォーマルハウトの背中に腕を回し、ミリエッタはしっかりと彼に抱きつく。触れる面積が大きくなったことで、大量の魔力がどんどん彼女へ流れ込んでいく。
魔力は魔法を使う上での原動力だから、大量の魔力を使うということは、強力な魔法を使うことを意味している。
まずい、と彼の頭が警鐘を鳴らした。
ミリエッタが、キレている。
ミリエッタが火の魔法使いを睨みつけると、彼は動けなくなった。彼の足元の土が、彼の足を覆って、固めてしまったのである。
「何をするっ!!くそっ、動けん!!」
彼は身を捩るが、その程度ではミリエッタの魔法は解けない。
次に、彼の周りの大地に、亀裂が走る。その亀裂は大きくなり、ぐるりと魔法使いを囲んだ。このまま行けば、亀裂がさらに大きくなり、火の魔法使いは大地の裂け目に飲み込まれる。
「や、やめろ!やめてくれ!助けてくれ~っ!!」
叫ぶが、ミリエッタには聞こえていない。亀裂は音を立てて大きくなり、ついに、魔法使いの足元まで伸びてきた。
と、その時だった。
「ミリエッタ!!!!」
フォーマルハウトが、大声で彼女の名前を呼んだ。地鳴りがやんで、大地は動きを止める。
フォーマルハウトはミリエッタの頬を思いっきり引っ張った。
「殺す気か、このバカが!」
「ひたひっ!ひたひはら、ひゃめへ~!!」
『痛いっ!痛いから、やめて~!!』と言っているらしい。それでもフォーマルハウトは彼女の頬を引っ張り続ける。
「あの魔法使いを解放するな?」
ミリエッタが頷く。
すると、彼はようやく彼女の頬から手を離した。
同時に、大地が再び動き、元の地形に戻る。足を解放された火の魔法使いは、
「こんな森、二度と来るものかっ!!」
と捨て台詞を吐いて、全速力で走り去っていった。彼の連れの男たちは、いつのまにか姿を消している。
静寂が戻った森の入口に、ミリエッタたちはゆっくりと降り立った。
燃やされた木々は、見るも無残な姿になってしまった。
ミリエッタはフォーマルハウトから離れ、焼け焦げた木の幹に手を当てる。そうして、耳を寄せ、命の気配を確かめた。
木々の精霊たちは、まだ死んではいなかった。弱ってはいるが、生きている。
「フォル、来て」
ミリエッタが手招いた。彼女が何をするのかが分かり、フォーマルハウトは顔をしかめる。
「今日は大きな魔法を幾つも使っただろう。明日にすればいい」
「だめ。時間が立つほど、みんな苦しむもの」
フォーマルハウトは少し離れた位置で、黙ってミリエッタを見つめた。だが、彼女は梃子でも動きそうにない。
長いため息を吐いて、彼は諦めた。
彼女に歩み寄り、その手を握る。
「ありがとう」
フォーマルハウトの魔力が、再びミリエッタに流れ込む。
使い魔の魔力を使う大きな魔法は、一日に何度も使えるものではない。魔法使いも使い魔も疲れてしまうが、魔法使いの負担の方が大きい。
それでも、ミリエッタは魔法を使った。
「今、元通りにするね……」
焼けた木々から新しい芽が出て、枝が伸びて行く。燃やされた草花も、新しい葉を伸ばし、次々に花を咲かせた。
土は、再生を意味する。
実は、ミリエッタが一番得意とするのは、土の魔法だった。
彼女の魔法で、森は、元の姿を取り戻した。
「よかったぁ…………」
笑みを浮かべたまま、ミリエッタが後ろに倒れた。それを、フォーマルハウトが支える。
「本当に、しょうがないな、お前は」
呆れた顔を隠そうともせず、彼はミリエッタを軽々抱き上げた。ミリエッタは彼の首に腕を回す力もなく、そっと胸に顔を寄せた。
悪魔は、記憶を持たずに生まれる。だから悪魔たちは記憶を得るべく、互いの心臓を喰らい合う。初めてフォーマルハウト見た時、彼も血に濡れていた。だが、もう、彼から血の臭いはしなくなった。彼から香るのは、甘い、月光花の香りだ。
その香りをめいいっぱい吸い込んで、ミリエッタは瞳を閉じた。
西の森に一人の魔法使いがいた。
そして、魔法使いの傍らには、いつも一頭の白銀の狼が寄り添っていた。
人を拒む森で、彼らは末永く幸せに暮らしたという。
終わり
西の森の魔法使い @hinataran
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