俺の幼馴染に、なにやら猫の尻尾が生えているらしいのですが。

ぺろりの。

モフモフと幼馴染


 ――おはようございます。松山伊織まつやま いおりサマ。


 本日は2255年7月6日、天気は、晴れのち曇り。

 気温は23度、湿度は42%です。

 降水確率···46%···にわか雨に、ご注意ください。


 念の為に、折り畳み傘のご準備を致しますか? ――


 右耳のピアスに埋め込んだAI-アドニス-から聞こえる、機械とは思えない程、流暢りゅうちょうなアナウンスに、俺は目をこすりながら答えた。


「要らない···セット・ワン」


 俺の指示を受けたアドニスから、青い光が零れ始め、俺と寝室全体を包む。緑のカーテンが気に入っている、爽やかな寝室の景色は、瞬く間に、洋風なリビングへとモードチェンジした。

 それと共に長年、部屋着に愛用している、灰色の安物トレーナーが、俺が通っている第一明鏡めいきょう高校の制服へと、切り替わった。


 茶色のブレザーは、しわひとつ無く、俺は左袖を撫で、手触りを確認する。

 ――うん、大丈夫そうだ。今回もした。


 食卓へ着くと、ご丁寧に朝食セットが出来上がっている。

 今日のメニューは、旧式ベーグルとベーコンエッグ。

 作り立てのそれらは、ほかほかと湯気を出し、ベーコンの焼ける香ばしい匂いが、俺の食欲をそそる。


 ここ2、3日は新式の食事ばかりだったから、嬉しいな。


 ――あの四角いキューブよりは、100年前の食事の方が食べている感覚がある気がする。


 初めて旧式の料理を食べた時の事は、よく覚えている。

 俺は母の手料理を、食べたことがない。

 と言うよりも、母は幼い時に心臓病で亡くなり、正確には手料理どころか、顔すらも覚えていない。

 ただ写真に残っている母は、笑顔が可愛い人綺麗な女性だった。

 金髪碧眼きんぱつへきがんの容姿は、見事に俺に引き継がれている。


 碧い瞳でさえ目立つのに、金髪だと更に悪目立ちするので、今は黒髪に染めている。

 AI-アドニス-の容姿テクスチャで隠すより、直に染めた方が安心だったので、その方法で染め続けている。

 ···髪の根本が金色になってきたし、また追加で染めないとな···。


 親父は、と言うと俺が高校へ入学する前に、仕事の都合とやらで、突然パリへと海外赴任になった。

 頑なに、仕事の詳細を明かさない親父にイラつき、当時は何度も喧嘩した。

 最近は特に忙しいのか、連絡すら取れないが、あの親父の事だから、おそらく元気にしてるのだろう。


 いつもは何だかんだと文句を言いつつも、晩飯は必ず、親父と一緒にとることが多かった。


 親父がパリへと旅立った日、1人で食べる晩飯は、いうもより味気なく、と言うよりかは、食べていてつまらなかった。


 誰かと食べる飯程、美味しいものは無いのかもしれない、と気付いたのは、その時だ。


 そんな中、初めてまじまじと旧式のビーフシチューを見た。


 何故だか、写真で見た母の顔が浮かび、まるで母が作ってくれたかのように感じ、泣きながらビーフシチューを頬張った。

 あのビーフシチューの味が、未だに忘れられない。


 そう言えば、新式のみを食べる人が最近増えたと、ニュースキャスターが言っていたな。


 アドニスのメニューでは、日々の献立を細かく設定できる。

 当然、旧式を毎日選び続ける事も出来るのだが、なんだか毎日食べるのは勿体なく感じ、今はランダムに設定している。


 やはり、旧式を引き当てた日は、何となく気分が良い。

 毎日の運勢占いとやらは、こんな感じだったのかもしれない···――と言っても、今ではもう、占い自体が廃れてしまい、占い師が居なくなった為に、滅多に見かけなくなったが···。


 リビングのテレビ横にある時計に、ちらりと目を向けると、時刻は7:30を過ぎようとしている。

 ···もうこんな時間か···朝は苦手だ。

 もたもたしていると、すぐに時間が過ぎてしまう。


 慌ててベーグルの一口目を、口いっぱいに頬張り、味わっている時だった。

 軽快な着信音と共に、視界上に【-着信中- 初雪はつゆき みく】と表示された。

 いつも通りの幼なじみからの着信に、応答した。


「――···むぐっ···みく。おはよ」

「···いおちゃん···っ うっ···く···」

「···え? みく、どうした?」

「······ぐす···っ」

「おまえ···もしかして、泣いてる···?」


 明らかに、いつもの様子とは違う声色。

 しおらしい幼なじみの様子に、戸惑いを隠せない。


「···が、···たの···」

「え? 何だ?  ···何て言った?」

「私の腰に、猫の尻尾が···っ! 生えた、の···」

「···はぁ?」


 コイツ、何言ってんだ?

 いや、俺が寝ぼけてるのかもしれない。


「なんだ? 寝不足か? 昨日寝れなかったのか? 人間に、尻尾なんて生えるわけ···」


 刹那、みくの顔が視界上に浮き出る。

 俺は思わず「うわっ」と、変な声を上げてしまった。


「みく、イメージモードを起動する時は、一言かけろって···なんども――?!」


 寝起きなのだろうか、いつもは整えられた筈の彼女の栗色の髪には、くるりと寝癖がついている。

 耳たぶまでリンゴのように真っ赤になった、みくの顔の後が映った直後。


 映像画面が切り替わり、今度はみくの顔ではなく、腰元が映し出され、その次は彼女の背中が映った。体勢からして、どうやら彼女は、ベットにうつ伏せになっているようだ。


 背中部分のパーカーがはだけ、もこもことした白のショートパンツの腰の辺りから、白と水色の縞々パンツが、ちらりと見えている。


 だがそれ以上に、目を疑う物が、そこにはあった。


 ――なんだ、これ···? 本当に、猫の尻尾なのか···?

 みくの腰元からは、もふもふとした白い尻尾が生えおり、それはまるで、己の意思を持ったかのように、ゆらゆらと動いている。


 俺の親友、宮下颯太みやした そうたから、颯太の飼い猫の写真を貰うのだが、何処と無くその猫の尻尾の形に、似ている気がする。


「! な、な···なんだそれ、なんで、そんなもんが?! ···つか、みく、お前···パンツ見えてるぞ···!」

「~~~っ!?」


 彼女は、声に鳴らない悲鳴を上げ、慌てた様子で、ぷつりと映像が途切れると共に、視界上に【No image】と表示され、音声モードに切り替わったのだと分かった。

 しばらくすると、視界上の文字表記は消え、先程まで見ていた、リビングの景色が戻ってくる。


「···いおちゃん···どうしよう···」


 情けないようにも聞こえる、弱々しい声を出す幼なじみに、俺は頭を少し抱えた。


「みく、迎えに行くから、待っててくれ」


すっかり冷めてしまった、食べかけの朝食を残し、俺は急ぎ足で、自宅であるマンションを後にした。


 * * *


 5軒先の角地に建っている、みくの家に来た。

 門扉を開け、玄関の扉へと辿られた、赤レンガの道を歩く。

 ガーデニング好きの、みくのおばさんの趣味で飾られた、色鮮やかな庭を横目に、玄関の横に設置されたインターホンを押し、彼女の応答を待つ。


 ――すぐ出ないということは、おばさん達は仕事行ったんだろうな。


 ちらりと足元を見ると、幼稚園の時にみくと一緒に植えた、紫色のアサガオが目に入った。

 朝からたっぷりと水分が与えられたのだろう、まだ花びらには、水やり後のしずくが残り、それ等は太陽の光を一身に浴び、キラキラと笑っている。


 幼稚園時代の、おぼろげな記憶を、ぼんやりと思い浮かべている時、赤い屋根の一軒家――みくの家の2階部分から、バタバタと階段を駆け下りる音がする。


 ガチャリと玄関扉が開くと、うるうると瞳を潤ませたみくが、顔を覗かせた。

 まだ支度が整っていない、と言わんばかりに、制服ではなく、手触りのよさそうな、もこもことした白のパーカーを着ている。


「おっす···」

「うん···」


 何となく、彼女と視線を合わせるのが気恥ずかしくて、つい目を逸らしてしまった。チラリと彼女を見ると、彼女も恥しそうに、ぎこちなく小さく手招きしている。


 玄関の中に入り、見慣れた造りの廊下の先にある、階段を彼女の少し後ろから上がる。

 彼女の腰周りからは、それらしき尻尾は見当たらない。

 みくは、階段を上がりきった先の右角にある、彼女の自室の扉を開き、俺を再び招いた。


 日当たりの良い、幼なじみの部屋は、昔の面影を残しつつも、前とは違った、ふわりと甘い彼女の匂いが、俺の鼻をくすぐる。


 きれいに整理整頓され、女の子特有の可愛らしい小物に囲まれた部屋に入るのは、何故だか、より一層、恥ずかしく、一気に緊張感が増した。


 部屋の中心にある、白い円形のラグの上に、なぜか正座で座る彼女。

 ゴクリ、と唾を飲み込み、俺も意を決し、彼女の部屋へと、足を踏み入れる。


「···お、おじゃましまーす」

「ど、どうぞ〜」


緊張のあまり、敬語になってしまった俺に、同じくカチコチと音がなりそうな程、固まったみくの返事が返ってきた。


俺は彼女につられて、彼女の近くで、同じように正座で座った。


「これ···」


 白いパーカーの中から覗かせる、ふわふわとした尻尾。


「まじか···これテクスチャとかじゃないんだよな···? ···触っていい?」

「···うん···」


 恐る恐る尻尾に触れると、みくは「ひゃ···っ」と小さな悲鳴をあげ、身をたじろいだ。

 白い尻尾は、見た目通り手触りが良く、俺の手から逃れようと、必死に動いている。


「すっげ! まじで尻尾だな!」

「~~っ!? そんな強く、握らないで···っ」

「ごめんごめん」


 驚きのあまり、無意識に握っていた事に気づき、俺は手を放した。指の間からするりと、尻尾が逃げていく。


「あの···どこか体調悪かったりしないのか?  ···大丈夫かよ」

「それは、大丈夫···。不思議なくらい普通なの···。朝起きたら、腰の辺りがもふもふってして···鏡みたら、もう尻尾が···。とってもびっくりしたの···」

「···そりゃあ、びっくりするだろうな」


 朝起きて、尻尾が生えていたら、俺だったら、もう一度寝るな。

 そして、起きて夢じゃなかったと絶望するだろう。


「何か変な物でも食べた?」

「んーん。そんな変な物、食べた記憶ないよ···」

「うーん···」


 暫く頭を抱え、どうしたものかと、うなっている俺の前で、彼女は白い尻尾を、己の右太ももに巻きつけ、ベットにあった手触りの良さそうなクッションを、抱えていた。


 ベッドの枕元にある、テディベアの形をした置時計の時刻は、もう8時を回ろうとしている。


「···学校休むか?」

「やだ! 生徒会長になりたいもん。休みたくないよ···」

「そうか、確か、皆勤賞近い生徒が推薦されるんだっけ」

「うん。でも···どうしよう。今日プールあるのに···」

「あー···今日プール開きの日か···」


 ぽりぽりと人差し指で、眉間をかきながら、女子の水着を連想した。


 学校指定である、脇腹部分に白い縦ラインが入った、紺のスクール水着には、とても尻尾を隠せる隙間は無いだろう。


 つい彼女の姿を、想像してしまう。

 つやのある栗色の髪をした、ポニーテール姿の彼女が、髪をおろし、少し癖のある毛先は、スクール水着の胸元まで広がっている。そこに、白い猫耳と尻尾が生えているとなると···。

 当然彼女が、恥ずかしそうにたじろいでいる姿は易々やすやすと思い浮かんだ。


 我が幼なじみながら、全然アリだ。

 ――いやむしろ、大アリだ。

 まぁ、猫耳は完全に俺の脳内オプションだが。


「···いおちゃんのえっち」


 俺の良からぬ妄想が、バレたのだろうか。

 目前の彼女は、ぷくーっと頬を膨らませ、不機嫌そうにしている。


「···コホン···。で隠す事は出来ないのか?」


 わざとらしく咳払いをした俺だが、なにも、闇雲に提案したわけじゃない。

 誰だったか···。開発者の名前はJなんとかバーターソン?

 ···思い出せないが、ここ何十年かの、グランドクロス社のテクスチャ技術により、衣服だけでなく、室内や家具まで自由に、自分でデザインできるようになった。


 俺の親父世代は、まだ衣服のテクスチャが浸透してないらしく、未だに昔の服を好む人が多いと聞く。

 だが、俺たちの世代では、テクスチャが当たり前だ。

 今では、制服までテクスチャを適応し、学校公認になっている。

 可愛くない制服でさえ、自由にカスタムし、アレンジ出来るので、女子達が『可愛い制服が着れる!』と喜んでいた。


 テクスチャの実装当初は、装置の不具合で、上手く反映されなかったり、酷い時は肌が透けたらしいが、今では安定し、不具合も起きない為、学校公認になったらしい。


 ブランドやジャンル事に、振り分けられたテクスチャのデザインは、色形が数えきれない程ある。自分で好きなように組み合わせることが可能で、しかも直ぐその場で、適応される為、かなり便利だ。


 もちろん、新規のテクスチャを購入するのには、多少お金はかかるけれど。

 お洒落に疎い俺でも、カスタムしているくらいだ。

 今後、皆が昔の服を外で着ることはないだろう――。


 目前の彼女は、見ているこちらが不憫ふびんになるほど眉を下げ、しょんぼりとして、首を横に振った。


「テクスチャは、もう試した···。でも、どんなテクスチャでも···尻尾の根元までしか隠れないの···」

「まじか···。もふもふだからか?」

「! ひゃっ···急に触らないでっ」


 白い尻尾が、またするりと俺の右手から離れ、バタンと地面に打ち付けると共に、彼女の顔から、湯気が出そうなほど真っ赤に染まっていく。

 こんな彼女の顔を見るのは、久しぶりだ。


 最後に見たのは、思い出せる範囲では、中学2年だろうか、今から3年前か···。

 その年も、同じクラスだった俺達は、明らかに周りと比べ仲が良かった。


 ···そりゃ。自分でも、仲が良いとは思っていたが···。

 幼なじみだし、それくらいは普通だと思っていた。

 今思えば、堂々としていたからか、周りから面と向かって、冷やかされることも無かった。


 ――忘れもしない、中学2年のバレンタインの日までは。

 みくは、毎年、手作りのチョコレートをくれていた。


 今の時代、手作りなんてする必要はなくなり、ほとんどの人が、料理など作らなくなった中で、わざわざ「食材を取り寄せ、毎年張り切って作るのよ」と、みくのおばちゃんが、こっそり俺に教えてくれた。


 俺はこれからも、彼女が作ってくれたチョコレートを受け取るのだと···。半ば、儀式のようなが。

 このままずっと続いていくと信じて、疑わなかった。

 ――でも、違った。


 以降、俺達はどことなくギクシャクしていたが、お互いに距離を置くわけでもなく、すらも、自然と消えたかのように、気付けば、普通になった。


 俺が知っている、みくの姿――恥ずかしがり屋で、泣き虫な甘えん坊だった、幼なじみは、徐々に、見慣れない、冷たく凛とした雰囲気を纏うようになり、まるで別人かのように、お淑やかで清楚な、気品ある生徒会長に憧れる女の子になっていった。


 だから思わず、考えてしまう。

 ――そんな風に恥ずかしがられると、昔に戻ったのではないか、と。


「みく。生徒会長に、なるんだろ?」


 俺は立ち上がり、意気消沈した彼女へ、右手を差し出す。

 彼女は、俺の手を取り、ふらりと立ち上がった。


「···うん···。なりたい」

「じゃあ、行くしかないだろ!」


「セット・ワン」と彼女が呟くと、彼女の右耳に着いていたアドニスが反応し、青い光が瞬く間に彼女を包み、第一明鏡高校の制服に切り替わった。


 俺は視界上で、あるカスタマイズ品を選択し、彼女にその場でプレゼントを送信する。


 我ながら、成績が良いとは言えない俺は、彼女が大切だと思っているであろう、生徒会の事などは全く分からない。

 だが今まで頑張ってきたみくが、後悔する姿は見たくない。


 例え、俺が贈ったプレゼントを、受け取ったと思われる目前の彼女が、涙目になり、今にも火山が噴火しそうなほど、ふるふると怒りに震えていたとしても。


「〜〜っ!! いおちゃん···最低っ!!」


 * * *


 先ほど、した幼なじみから、――右頬のジンジンとした痛みが、随分と薄れてきた頃。


 ようやく怒りが静まったらしい彼女を隣に連れ、俺たちは何とか予鈴がなる前に、教室に辿り着いた。


 2-A組と書かれた教室の扉を開くと共に、クラスメイト達からの視線が、一斉に俺達へと集中した。

 つい先程まで、教室の扉を抜け、廊下へと漏れ出る程に賑やかだった教室内が、俺達を見るなり一瞬で静まり返った。


 ――分かってはいたが、見ず知らずの人に、後ろ指を刺されるより、はるかにクラスメイトから送られる、冷ややかな眼差しの方が、何万倍もキツい。


 ひそひそと話をしている奴らを一睨みし、居心地の悪さを感じながらも、俺たちは堂々と席へ向かった。



「おっす」

「いおりん、なにそれ!」


 俺の隣の席で突っ伏していた俺の友人、宮下颯太みやした そうたは、俺の頭上を見るなり、けたけたと笑っている。


「いおり〜ん···。そういう性癖ィ? あーナルホド、ハイハイ···」

「うっせ! これが最新のトレンドなんです~。ほら見ろ! こっちもあるんだぜ!」

「···これを制服でカスタムして登校しちゃうあたり、お前マジでイカついわ···よっ! 黒歴史決定! おめでと〜」


 ひらひらと片手を振り、完全に茶化された。

 ――アイツが笑うのも無理はない。

 何せ俺の頭には、黒い猫耳がしっかりと生えている。

 腰に生えた黒い尻尾は、ゆらゆらと揺れ動き、本物と遜色そんしょくないほどリアルで、ぴくぴくとしている。


「みくち、ちーっす···ってあれ···君らお揃いな感じ? かーわいい~」

「颯太くん、おはよう。貴方の声を聞くだけで、酷い頭痛と、目眩と、吐き気がするわ···。もう一生、私に喋りかけないでもらえるかしら」

「ほわ〜。いつもながら、みくちゃんの塩対応、頂きましたわ! あざっす!」


 俺の隣に居たみくは、へらへらと笑う颯太を見るなり、こめかみを抑えた。

 そして大きく溜息をついた後、いつも通りゴミを見るような目つきで、颯太を見下ろし、足早に窓際の席へと移動していった。

 彼女の後ろ姿には、ブレザーの隙間、俺と同じく腰の辺りから出ている白い尻尾が、バタバタと激しく揺れ動いている。


 ···あれって本人の意思とか、何かしらの感情が出てたりするのか?

 そんな呑気な事を考えつつ、俺も席へ座った。

 ふと黄色い声が、みくの方向から聞こえる。


「――なに、何!? 伊織いおりくんとカップルコーデ!?」

「カップルではないのだけれど···いえ、お揃いという意味では、違わないわね···。ただ、これには複雑な訳があって···」


 俺の席とは、反対側に位置する窓辺に居る彼女の様子を見る限り、今度は彼女の友人である涼村すずむらさんに、捕まったようだ。

 涼村さんは、すっかり興奮した様子で、自分が教室の隅まではっきりと聞き取れる程、大声が出ていると気付いていないらしい。


「えぇー!? まさか、みく···伊織くんと···?」

「いえ、それは違うわ。花音かのん、少し声量抑えてもらえないかしら、私、頭が痛いの」

「あ、ごめん···」


 余裕が無いのだろうか、友人へ向けて冷たく言い放った彼女へ向け、俺の後方から「うざ。頭が痛いのは、朝からそんなもん見せられてる、私らだっての」と罵倒する声が、はっきり聞こえた。


 その声は、当の本人へも届いた様子で

 彼女の肩はぴくり、と小さく震えた。


 だが彼女は前を向き、決して俯く事はなく予鈴が鳴り終わってからも堂々としていた。


 * * *


「はーい、皆おはよ〜ふわぁ···。出席とりまぁす」


 気だるそうに教室の扉をあけ、入ってきた新任教師。

 明らかな寝癖に、傷んだ金髪。なぜこの高校に異動できたかも謎な、とても高校教師とは思えない2年A組の担任教師。


 今年に入ってから、第一明鏡高校に異動してきた佐倉咲也さくらさくやの瞳は、今にも寝落ちしそうな程とろんとしている。


 明らかに寝不足な担任教師は、うつらうつらと船を漕ぎながら、出席を取っていく。


「田中ー」

「はーい」

「長瀬〜」

「はい」

「初雪···あれ?  ···おかしいな···」


 とろんとした佐倉の瞳が、突如見開き、みくを凝視した後に、教卓に居たはずの佐倉が、即座に彼女の席にかけより、彼女の席に両手をつき、その場で声を荒らげた。


「俺の目の前に天使が居る!!」


 酷く興奮した、異常なまでの担任教師の姿を前に

 クラスメイト達がざわめき始める。


「みーくっ! 何それ!? かわいいじゃん!」

「···っ」


 酷く不愉快なその光景に、俺はくらりと目眩がした。

 彼女は少し眉をひそめ、一瞬酷く冷たい視線を佐倉先生へ向けたが、次の瞬間には笑顔になった。


「···佐倉先生? しまいますよ?」

「···あ、あはは。ただの冗談だよ、初雪さん」


 興奮した様子の佐倉先生が、みくの言葉を聞くなり目を泳がせた後、すっかり覇気を失い、覚束無おぼつかない足取りで教卓へ戻っていく。

 そんな先生の姿は、ヒソヒソと交わされる噂話を盛り上げるスパイスにしかならず、出席確認が再開した事など関係なく、やがて噂話は教室内を包んだ。


「やっぱり、あの噂。本当なんだ」

「あの、佐倉が初雪さんをストーカーしてたってやつ?」

「え、なにそれ、気持ち悪」

「てかさぁ、平気な顔してぇ、普通に佐倉と会話してる初雪さんも、凄くなーい? あーしだったら絶対ムリ〜」

「それな〜! なんか、男に媚び売る感じの慣れてるんじゃないの?」

「あはは。そんな事言ったら、初雪さんが可哀想だよぉ〜」

「てかストーカーが本当なら、なんで佐倉、他校に飛ばされないの?」

「なんかぁ〜、初雪さんが警察届け出すの、やめたらしいよ〜」

「え、意味わかんないじゃん。2人が付き合ってたとか?」

「あの猫耳も、松山くんの趣味じゃなくて、佐倉の趣味だったりして! なんかめちゃ喜んでたしさぁ」

「うわ、キツいって」


 後方で話している、ギャル4人組の会話は、最早内緒話とは程遠く、わざとらしく大声で話しているように感じたが、俺の感覚は間違って居ないはずだ。


 今までだって、みくにヘイトが向くことは多々あった。

 容姿端麗な上に、真面目で頭脳明晰な彼女へ向けた、一部の女子達の明らかな僻みは、少なからず昔からあった。


 まるで獲物の弱点を見つけた、と言わんばかりな獣の様に、彼女達がみくのプライドを傷つけようとしている事は、明白だった。


 湧き上がる、ふつふつとした怒りに任せ、彼女達へ向け、立ち上がろうとした矢先――颯太に強く左腕を捕まれ、強引に座らされた。


「···なんだよ···」

「やめとけ」

「···邪魔すんなよ」

「お前、少しは冷静になれ。ただの噂話だろ? それとも、みくちゃんから、って直接話聞いたのか?」

「···聞いてねぇ」

「じゃあ尚更、今お前が出たらどうなるか、分かるだろ?」

「······。···颯太、サンキュ」


 何時になく真剣な面持ちをした颯太に止められ、我に帰った。

 颯太が止めてくれなかったら、今頃もっと、みくへ向けて、彼女達から不満の声が出ていたに違いない。

 息が詰まる程苦しいが、今はひたすらに怒りを堪えるしかなかった――。

 窓際に座る、彼女の小さな横顔は、後ろを振り向く事無く、 只々前を向いていた。


 * * *


 4人組のは、出席確認が終わってからも続いた。

 結局佐倉先生は注意する事、否。注意する素振りすらも、一度も見せず、そのまま朝礼が終わり、午前の授業が始まった。

 みくの様子を心配したが、特に変わった様子はなく、10分休憩の合間に、みくに話を聞こうと何かと近づくも避けられ、気付けば昼休みになった。


 今度こそは、逃げられないように。

 チャイムが鳴ると同時に、彼女に近寄り教室から連れ出した。

 みくを連れ出す時に、また随分と周りが騒がしかったが、気にならなかった。


 彼女を連れ廊下を抜けた先に、旧校舎へと繋がる人通りの無い渡り廊下がある。

 そこまでたどり着くと、今まで沈黙を保っていた彼女が、口を開いた。


「···いおちゃん、うで、痛い」

「あ、悪い」


 無意識に、力が入りすぎたのだろう。

 謝罪と共に、手を放す。

 彼女は、右手首を撫でながら俯いていた。


「みく、佐倉と···」

「付き合うわけないじゃない。大体教師と生徒よ? ――あのバカ4人組の言うことなら、全部違うわ。ストーカーも、されてない···」


 ふと右手首を丁寧に撫でていた彼女の手が、止まった。


「いえ、正確には···未遂で終わったの」

「未遂···? ストーカー未遂って事か? ···あの野郎···っ! みく!  なんでそんな大事なこと、俺に言って」

「言うわけないじゃない···っ!」


 彼女からしからぬ予想外の大声が、俺の耳を貫く。

 俺と彼女の距離が、少しでも縮まったと思ったのは一方的な俺の勘違い、否。勘違いと呼ぶ事すらおこがましい、欲望だったのかもしれない。


「···は、···そうか」


 俯いたまま動かない彼女の元を離れ、俺は屋上へと向かった。

 去り際に見た、彼女の白い尻尾はだらりと項垂れ

 心做しか悲しそうに見えたが、それすら俺の心の中の願望なのだろう。


 ――松山伊織が去った、旧校舎へと続く渡り廊下の真ん中には、白い猫の耳を持つ少女。


「···言える、わけ···ないじゃない···」


 消え入りそうな声でぽつりと呟き、小さな肩を震わせると、彼女は人知れずひっそりと泣いた。


 * * *


 階段を一気に駆け上った後。

 せ返るような暑さの、塔屋の扉の前で、俺は白いコンクリート素材の天井を見上げ、塔屋の扉を背に向ける。そのまま力が抜け、ずるずると地面に崩れた。

 ――この扉が開かない事は、馬鹿な俺だって知っている。

 だがここが一番、人が来る確率が少ない事も知っていた。


 見上げていた天井の凹凸おうとつある模様が、かすんでにじみ、じわじわとぼやけ始める。


 上を見上げれば、涙が落ちてこないと至極原始的な考えを抱きながら、必死に嗚咽おえつを噛み殺した。


 瞳からぼたぼたと、溢れた涙は、もはや止める手段が無く、流れ続けている。


 ――なんで、気づかなかったんだ。

 これまで毎日話して、沢山数え切れないほど、時間を共有して。

 彼女の事を分かった気になって···アイツが一番頼ってるのは、俺なんだって···。


 その心地よい独りよがりな優越感に浸っていた時期ですらあった。

 ――否。その思いは、今もそうだ。俺は何をやっている?

 あのクソ野郎とやってる事が何も違わないじゃないか。何やってんだ、俺は···。

 何をしたら、あいつはまた頼ってくれる?

 何をしたら、俺はみくを···。


 太陽が一番高く昇り、容赦なくジリジリと塔屋を照り付ける日差しの中、昼休みの終わりを告げる予鈴が聞こえた。


 5限目の授業は、確か体育か――。


 を作り出しておいて、今更みくを1人にしたくない。

 俺はよろりと立ち上がり、プールがある体育館横へ向けて歩き出した。


 * * *


「酷い顔ですよ? 松くん」


 プカプカとプールに浮いている俺へ向け、頭上付近から声がしたが、太陽の光がプールの水へと反射し、顔がよく見えない。


 俺の事を『松くん』と呼ぶのはクラスメイトの田村夕梨香たむら ゆりかしか居ない。


 太陽が一瞬陰り、顔を隠した時、白い麦わら帽子を被った田村の顔がはっきりと俺の目に映った。

 彼女は、三つ編みを揺らし、俺の顔を覗き込んだ。

 普段のメガネをかけている時のように、くいっと持ち上げる仕草をした後、俺の頭の真横にしゃがんだ。


「それに。松くん、猫耳似合ってないです。世界の猫さん達、全員に謝ってください」

「うっせ。田村も、あの丸メガネ無いと違和感しかないな」

「メガネは私の本体じゃありませんので。松くんのそういう発言が、初雪さんに嫌われるのでは無いですか?」

「···今回は、まじで嫌われたかもしれないな」


 ぼそっと呟いた俺の本音は、男子共の湧き上がった歓声で見事にかき消された。プールサイドを歩く山本と蒲田かまたの会話が聞こえる。


「俺、猫耳いけるわ」

「いやー、あのテクスチャの完成度はやべえよな。俺も彼女に着てもらおうかな」

「く〜! 彼女持ちはいいよなぁ。つかやっぱうちの学校のスク水エロいっしょ! スク水に猫耳と尻尾···! たまんねぇ〜っ!」


 紛れもなく、みくの事を話している山本は見るからにデレデレしている。

 自分の額に青筋が、浮き出ているのが分かる。

 山本に向け、言い及ぼそうとした刹那。

 ――柔らかくあたたかい感触が、俺の唇を通して伝わった。


「あ?」


 パチリと、0距離で田村と目が合った。

 白い麦わら帽子の彼女は、俺の惚けた顔を見るなり、満足気にくすり、と笑って、その場を後にした。


 ――は? 今···俺、キス、されたのか?


 あれは、何だったのか。田村、まさか俺の事を···?

 キスと呼ぶには、あまりに短すぎる一瞬の出来事で、ただの事故だったのかもしれないし、いやでも唇···柔らかかったな···。


 ――しっかりしろ、俺。ただのタチの悪い田村のイタズラに、惑わされている時間はない。

 今はみくの事に集中するんだ。

 俺は両手で、自分の頬に気合いを入れ、みくを探した。


 女子から大ブーイングが沸き起こる声の渦中には

 急遽、体育の教師が腹痛で監督できなくなったからと

 サングラスを頭にかけた、傷んだ金髪のがいた。


「えぇー!? なんで佐倉が居んのー?」

「俺は先生なのでぇ、今日は俺がプールの監督しまぁす」

「やだー佐倉キモイから、たけもっちがいい〜」

「竹本先生は腹痛なのでぇ、今日は俺が全部見まぁ〜す」

「何その手の動き、まじでキモいって〜!」


 意味深な動きをしながら、女子生徒と戯れるクソ担任の姿に、俺は勿論、他の男子生徒も一気に興醒めしたようだった。


 プールサイドの端に居たみくを見つけた時、彼女は午前中とは違った絶望した表情で、カタカタと震えていた。

 俺は気づいた時には、そのいけ好かない高校教師に殴りかかっていた。


 * * *


「さてと、松山くん。落ち着きましたかな?」


 校長室のローテーブルを挟んで、前に座っている校長先生は、たっぷりとたるんだ顎に生えた髭を、指で撫で俺の顔を凝視している。


「···はい」


 佐倉の顔を殴り、馬乗りになった所辺りから、記憶が曖昧だ。

 親父と喧嘩した時以上に、頭に血が上ったのは、初めてかもしれない。


「君が何をしたか、分かっていますかな?」

「···佐倉先生を、殴りました」

「そうですねぇ···。佐倉先生の怪我は幸い、致命傷には至らなかったものの、全治3ヶ月の怪我を負ったそうなので、暫くは学校に来ることは難しいでしょう」


 俺がそれを聞いて、まず安心したのは、少なくとも3ヶ月は、みくが佐倉に怯えなくて済むであろうと言う、僅かな期待と安心だけだった。


「残念ながら、君を停学処分または最悪の場合、

 ――退学にせざるを得ないかもしれません」

「···はぁ、そうですか」

「ですがもし、君が心を入れ替え、佐倉先生に謝罪しに行くと言うのであれば私も鬼ではありません。3日間の謹慎のみにしましょう」


 退学という重い言葉よりも、あの佐倉に謝罪しなければならない事実に、酷く落胆した。


 我を失いアイツを殴った俺は、もちろん一般的には悪でしかない。

 だが、アイツに謝罪するくらいなら、大人しく退学になった方がマシだ。


 俺は間違った事をしたと、全く思えなかった。


 意を決して、佐倉へ謝罪する事を断ろうとした時、重厚感のある、校長室の木製の扉が勢い良く開いた。


「校長センセ〜、竹本先生が大事な話があるらしいっスよ〜」


 そこには水着姿の颯太が、頭から血を流した大柄の竹本先生に肩を貸し、佇んでいた。

 颯太が、竹本先生を校長室のソファに横たわらせると、校長先生は慌てて彼に駆け寄っていった。


「竹本先生!? どうしたのだね、その傷は···! 血がでているじゃあないか、は、早く救急車を···!」

「もう呼んだっス」

「そうか、ならば良いが···」


 竹本先生は、途切れ途切れにゆっくりと口を開いた。


「···校、長···先生、やっぱり···クロ、ですよ」

「!」

「だから···この子、たちは···」

「···本当なんだな···」


 校長先生の問いかけに、こくりと、竹本先生は頷いた後そのまま意識を失った。


 校外から、サイレンの音がけたたましく鳴り響き、救急車の到着を知らせている。

 首尾よく駆け付けた救急隊員によって、手際よく運ばれていく竹本先生の姿を見届けた後、校長先生は深々と俺達に頭を下げた。


「君たち、今日はひとまず帰りなさい。また後日、ゆっくりと話そう。宮下くん···竹本先生の事、助けてくれて本当に、ありがとう」

「···ういっす」


 俺たちは、校長先生の想定外の行動に、戸惑いながら校長室を後にした。


 * * *


 日が暮れはじめ、オレンジ色の夕日が差し込む放課後の校舎に向かう廊下を、俺と颯太はゆっくりと歩いた。


 互いにテクスチャを起動し、普段の制服姿になる。

 普段の制服、と言っても相変わらず猫セット付けている俺を、颯太は横目にチラリと見たが、深くは追求してこなかった。


「颯太···」

「あー?」

「助かった、ありがとな」

「別にぃ〜。なんかさァ、お前が佐倉をぶん殴った瞬間に、佐倉あいつ···んだよな〜」

「···笑った?」


 颯太の話曰く、颯太がプールサイドに出た時には既に、俺がブチ切れて殴りかかる直前だったらしく、大層驚いたらしい。そりゃ、そうだよな。


 颯太の位置からは、佐倉の顔が良く見えたそうで、佐倉は背後から殴りかかっている俺の存在に気づいたかのように、わざと振り向き、まるで当たりに行ったように見えたそうだ。

 そして俺に、殴られた。


 佐倉の体は、颯太が想定していた以上に吹き飛んだらしく、そのまま体勢を崩し転倒した。

 転倒先のプールサイド際にあったコンクリートの飛び込み台で、ぶつけた左手首が、変な方向に折れ曲がった――。


 いつもはオーバーリアクションな佐倉が不自然にも、全くもって痛がる素振りは見せず、救急車はおろか、他の先生達にも頼らず、その場に居た生徒に口止めしたそうだ。

 ブチ切れている俺を止めるには、他の先生が必要だったらしく、結局誰かが先生を呼んだそうだが。


 心配する生徒たちをよそに「折れたのは利き手じゃないから、大丈夫だよ」と他の先生が来る前に、佐倉はそそくさと自らの車に乗り込み、機嫌良く病院に向かったそうだ。


 女子達から竹本先生の話を聞いた颯太は、嫌な予感がしたそうで、校舎中、竹本先生を必死に探し回り、やっと旧校舎の男子トイレで、竹本先生が頭から血を流して倒れているのを見つけた。


 竹本先生は、佐倉から「男子生徒が旧校舎のトイレで煙草を吸っていた」と聞き、旧校舎の男子トイレに着くなり、何故か背後から佐倉の声がした後、何かで殴られたと言っていたらしい。

 竹本先生は、自分の身よりも一刻も早く校長先生へ話がしたいと言うので、颯太は竹本先生に気付かれないよう、状況をアドニスで救急隊と共有し、そのまま校長室へと向かったそうだ。


 颯太は言わなかったが、旧校舎から校長室まではかなり距離がある。

 身長が180cm以上はある大柄の竹本先生を運ぶのに、かなり苦労しただろう。

 颯太は、普段のチャラさからは考えられない程、いざと言う時は頼もしい男だ。


 このへらへらとした親友に、俺は、何度助けられてきたか···。

 俺は颯太の話を聞く中で、静かに颯太への感謝の気持ちを噛みしめていた。


 全て話終わる頃には、俺たちは2-A組の教室前まで移動していた。


 * * *


 夕日が赤く差し込む教室に1人、猫耳見つけた少女の影が伸びている。彼女は、窓辺に佇んでいた。


「みく···」

「いお、ちゃん···っ、ごめん。ごめんなさい···」

「みくのせいじゃない。俺こそ、ごめんな」


 俺の声を聞くなり、彼女は駆け寄り、隣にいる颯太の目も気にせず、俺にしがみついた。

 彼女の小さな肩が震えるのと共に、彼女の尻尾もまっすぐと上に伸びている。


「ほわ〜。しっかし、よく出来た尻尾だな、これ。オレん家の猫そっくり···」


 颯太が関心するように、彼女のよく出来すぎた、非現実的な白い尻尾に、興味本位で手を伸ばした瞬間だった。

 俺が止める前に、触れてしまえたのだ。

 テクスチャならば、掴めるはずの無い、尻尾を。

 颯太が掴んだ、みくの尻尾は、颯太の手をすり抜ける事無く颯太の手中に収まっている。


「···あ、れ?」

「ひにぃっ! ···〜〜っ!!?」


 変な声を出し、瞬く間に顔面を真っ赤に染め、颯太を睨む、みく。

 一方、普段から猫を飼い、彼らに触りなれているであろう颯太にして見れば、触り慣れた感覚そのものだったのかもしれない。

 へらへらと笑う颯太の額から、次第に大量の冷や汗が出ており、ついに颯太の顔面が蒼白になった。


「みくちゃん···。···これガチの奴じゃないよね?」


 * * *


 俺達は、一通りお互いの経緯を報告しあった。

 佐倉の話はもちろん、俺の退学の話も解決していない。

 俺達の話を聞くなり、彼女の表情が強張っていくのが分かった。


 少しの間、静かになった教室内に、壁に掛けられた大きな丸い形をした、壁掛け時計の秩序正しい秒針を刻む音が響いた。


 みくの斜め後ろに座っていた颯太が、いつも通り頬杖をついたかと思えば、彼女の尻尾で遊ぶように、ツンツンとつついた。


「へえ···しっかし、が突然生えてきた、ねえ」

「ちょっと、颯太くん···無暗に触らないでくれるかしら。酷くイラつくのだけれど」


 暗かった彼女の表情が、少しだけ明るくなった。

 それは怒りかもしれないが、今は、それでよかった。

 俺は、幼なじみと親友のやり取りを見て、自然と笑みがこぼれていた。


「まあ、俺も未だに、触ってても信じられないしな」


 颯太の横に座った俺も、叩きつけるように、バタバタと暴れまわる彼女の白い尻尾に、いたずらし、人差し指でつつく。


「偽物であってほしいけど、何かこんなに元気なら、本物なんだろうな」

「まあでも? いおちゃん的には良かったんじゃねぇー? 気になる幼なじみの気持ちとか、分かるかもよ〜?」

「お、俺は別に気になって···」


 ――気になる幼なじみ、か。

 確かに颯太には、色々と話してきたがまさか、みく本人が居る前で言うとは。


 俺が言葉を言い淀んでいると、俺の顔を見るなり颯太は飽きた、とでも言うように立ち上がり、窓へ向け、両手を上げると、ぐぐぐと伸びをした。


「はあ···。だから颯太くんと話すのは嫌なのよ···。貴方はデリカシーってものが無さすぎる」


 俺は何となく、彼女の顔を見るのがはばかられ、机の上の模様を眺めていた。

 彼女がどんな表情をしていた分からないが、彼女の颯太へ向けた凛とした声はひどく冷たく感じた。


 みくは机の横にかけていたスクールバックを持つと足早に教室を出て行った。

 ぼんやりとしている俺の視界上に【受信-宮下颯太-】と表示された。


「なんだこれ···」

「親友からのプレゼント」


 颯太はひらひらと片手を振ると、「じゃ、また明日な」と残し教室を後にした。


 颯太から、送られてきたURLを開く。

 視界上に映し出されたブログには【これを読んだらあなたも猫マスター!? -猫の気持ちと尻尾の動き4選! 愛猫の気持ち、教えます! -】と、なんとも怪しげな、謳い文句がつらつらと書かれている。

 普段の俺とは縁遠い、見慣れないジャンルのコラムに、ためらいつつも、俺はすべてに目を通した。


 * * *


 みくへ向け、何度か着信を入れるも、応答がない。

 仕方なく帰宅する頃には、辺りはすっかりと暗くなり、空には一番星が出ていた。

 帰り道のいつもの道路には、ぽつりぽつりと街灯が灯っている。

 夏にしては涼しい夜の気温が、無性に寂しく感じ、彼女に会いたくなる気持ちを高めた。


 自宅マンションのエントランスから、中に入ろうとした時、みくから折り返しの着信が鳴った。


「もしもし···」

「いおちゃん、連絡遅くなって、ごめんね···」


 物腰柔らかな口調は、学校の時の彼女とは違い優しい。

 の彼女に近い雰囲気を纏い、一気に懐かしさに包まれる。


「いおちゃん?」

「···あ。おう。なぁ、みく···」

「んー?」

「今からちょっと会えないか?」

「···いいよ。どこで会うの?」

「迎えに行く」

「わかった。もう家にいるから、待ってる」


 通話を終了した俺は、エントランスから道路へと踵を返し、みくの家へ向かった。


 * * *


 赤い屋根の一軒家、みくの家に着いた時、玄関が開く音と共に中から彼女が出てきて、ふいに目が合った。


 家の中から籠れ出る照明の光が、彼女の姿を照らしている。

 白いふわりとしたガーリーなトップスと、デニムのショートパンツ姿に、薄手のロングカーディガンを羽織っていた彼女からは猫耳のテクスチャが外され、すっかりと元に戻ったように見えた。

 よく見ると、白い猫の尻尾はロングカーディガンに隠され、目立ちにくい。


 ショートパンツから見える、いつもとは雰囲気が違う、きれいな足に、ドキリと心臓が鳴り俺は慌てて彼女から視線を別に移した。


「みく、少し三角公園に行こう」

「ん。わかった」


 俺の左隣に並んで歩くみく。


「三角公園、2人で行くの懐かしいね」

「そうだな」


 三角公園へは歩いて5分ほどで、今の俺達なら目と鼻の先だが、当時は公園へたどり着くまでも、大きな冒険だった。


 ――可愛らしい猫の髪飾りで髪を2つ結びし、白いレースのワンピースを着た小さな女の子は、三角公園の看板前で膝を抱えひとりで泣いていた。


「どうしたの?」

「おにいちゃん、だあれ?」


 しゃがんだまま、俺を見上げた女の子の右膝は、転んだのだろうか、擦り剝け、血が出ていた。


「ふ···びええぇえん···!」


 俺が声をかけるなり、大声で泣き始め、俺は慌てて、先ほど駄菓子屋で買ったばかりの、水色の包み紙に包まれたサイダー味の飴玉を取り出し、女の子に差し出す。


「これ、シュワシュワしておいしいよ! 君にあげる!」

「ふぇ···? ···! ほんろだ···! しゅわしゅわ、すりゅ!」


 先程まで泣いていた女の子が、あっという間に笑顔になった。


「オレは、まつやまいおり! 君のなまえは?」

「わたしは、はつゆき、みく···」

「みくか! よろしくな」

「うん! いおちゃん! よろしくねっ」


 これが俺と、みくが初めて出会った日の事だ――


 公園の白く光る照明が、ポップな塗装をされたブランコを照らす。

 ブランコ横の木製のベンチに2人並んで座る。


「今日は色んな事があったな」

「そうだね、この尻尾、このままずっと無くならないのかな···」

「どうだろうな、明日には消えるといいな。まぁ安心しろ、消えないとしても、みくの尻尾が消えるまで俺も一緒に猫になるよ」

「···いおちゃん、ありがと···」


 そっと左手の甲に温もりを感じると共に、みくの小さな右手のひらが俺の手を握っていた。


「なぁ、みく···」

「なぁに···?」

「何で以降、あんな喋り方になったんだ?」

「···」


 俺たちの中で、自然と――否。

 話題にする事を深く避けてきた


 あの日以降、彼女は突如学校にいる時だけあの口調になる。冷たく凛とした口調に酷く驚いたが、今まで触れてこなかった。

 俺の問いかけ以降彼女は、口を噤み俯いている。


「···いおちゃんには、関係ない」

「関係なく、ないだろ」

「···っ···! 関係ない!」


 みくの言葉とは裏腹に、彼女の右手には、力が入る。

 俺はその手を、優しく握り返した。


「俺が、みくと関わりたいんだ」

「···どうしてそんなにしつこく聞くの···? いつもは、こんな話しないのに···」

「好きだよ、みく」

「え···?」

「幼なじみとかじゃなくて、俺は、みくが好きなんだ」


 俺の告白をきくなり、みくはぴくりと肩を震わせ、俺の瞳をまっすぐ見つめた。


 彼女の大きな瞳は、潤み、震えている。


「···らい···! きらい···! いおちゃんなんて、嫌い···!」


 ――嫌い、とみくが否定する度に、みくの顔に猫のヒゲが一本ずつ生えていく。


 彼女の右目から、涙が一粒零れた時、彼女の頭には、テクスチャを外した筈の猫の耳がふわりと現れた。

 妙にリアルで、テクスチャとは思えない猫耳それに目を疑う。


「嫌いなの! ···いおちゃんを好きになる、自分が···!」


 みくの右手の爪は、鋭く尖り俺の左手を押しやり、俺の左掌からたらりと血が垂れ、痛みで顔が歪む。


 みくの顔に、猫のヒゲが生え揃い彼女の片方の瞳、黒目部分が猫のように鋭くなった時、俺は咄嗟に彼女を抱きしめていた。


「――ッ···! 俺は、みくが例え猫になっても、お婆ちゃんになっても···どんな姿になっても、好きだよ、――大好きだ!」

「···ほんと?」


 ぽろぽろと、涙を流す彼女から、蛍の光のように淡くあたたかみのある光を纏っていく。


「私もいおちゃんのこと、だいすき···」


 みくが打ち明けたあと、彼女を包む光が消え、猫耳も、ヒゲも、しっぽも徐々に透過され、薄れていく。


「みく、尻尾消えかかってる」

「え!?」

 

 みくが気付く頃には、彼女に生えていた不思議な尻尾は、すっかり元に戻り、淡い光と共に消えていた。


 * * *


 ――おはようございます。松山伊織まつやま いおりサマ。


 本日は2255年7月15日、天気は、快晴。気温は26度、湿度は40%です。降水確率···0%···。

 熱中症にご注意下さい。水分をしっかり補給しましょう。


 スポーツドリンクをご用意致しますか? ――


 気温26度って···今日は昨日より、もっと暑くなりそうだな。


「いや、要らない」


 いつも通り、寝室をリビングにモードチェンジし、食卓に着く。

 本日の朝食は、旧式の和食セットか···。

 大根と玉ねぎとワカメの味噌汁と、白ご飯。

 おかずは、丁寧に巻かれた、焦げひとつ無い、綺麗な色をした卵焼きと、パリッと焼きあがった、ジューシーなウインナー。横には、新鮮なミニサラダがついている。


 うん、今日も美味そうだ。


「いただきます」


 手を合わせ、味噌汁の一口目を啜ろうとした時、インターホンが鳴った。アドニスを使い、応答すると視界上には、嬉しそうなみくの姿。


「いおちゃん、おはよう」

「ん、まだ朝食食べてないからとりあえず上がって」

「ご、ごめん! いおちゃんと一緒に登校するの嬉しくて···早かったかな···?」

「いや、みくは時間通りだけど、俺が寝坊した」

「えぇー?」


「も〜!」と不満げに唇を尖らせている彼女の姿に、猫の気配はない。


 結局、俺は退学も、停学すらもならず、通常通りの登校が許可された。

 一方佐倉は、竹本先生の一件で逮捕され、みくへのストーカー未遂も、処罰されるそうだ。

 竹本先生は、頭に包帯を巻いたままだが、かなり回復し、先日、佐倉先生に代わって2-A組の担任になった。


 俺の幼なじみ兼、俺の初めてのカノジョは、学校でも、彼女そのものになった。

 もうあの冷たく、凛とした口調で、彼女は気持ちを誤魔化したりしない。

 あの日の彼女に生えた、白猫の尻尾は、あの夜以降、現れる事は無かった。

 あれが何だったか、何でみくに生えたか、なんて、俺には分からない。


 ただ猫耳姿のみくが、世界一可愛いと思った、なんて。

 ――···本人には、絶対に言わないけれど。


 * * *


 【これを読んだら、あなたも猫マスター!?⠀】

 猫の気持ちと尻尾の動き4選! 〜愛猫の気持ち、教えます〜


 ······

 ·········

 ···貴方を見て、尻尾を上に向け、真っ直ぐと立てる仕草は――。


 ――···あなたのことを、好きな証拠です。

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俺の幼馴染に、なにやら猫の尻尾が生えているらしいのですが。 ぺろりの。 @perorin_nosuke

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