脳ミソは考える

7Ⅶ7

脳ミソ

 脳ミソは今日も考える。クラゲのようにゆらゆらと培養槽を漂いながら。


「おーい、そこの脳ミソ」


 どこからか声が聞こえ、脳波レーダーで周囲を調べた。すると、眼球がとても遠くに漂っていました。


「やあ、眼球。俺は今考え事をしているんだが、一緒にどうだい」

「どんなものだい」

「我々はどこから来たのか。我々は何なのか。我々はどこへ行くのかさ」


 脳ミソは近づくことが出来ないまま、眼球と会話し始めた。脳波を放つと、眼球から念波が帰って来た。


「そのどれも難しい問いだけど、最後の1つなら分かるよ。僕らはこれから1つになって、人間になるんだ。僕は君で、君は僕。どれが消えても、成り立たない。そんな存在にさ」

「何だかややこしそうだけど、ここを延々と彷徨い続けるよりマシだな」

「まさか。とんでもない。僕は1つになんてなりたくないよ。そしたら、今の僕らは消えてしまうんだよ」


 大量の情報が伝わってきて、脳ミソは辟易した。眼球の後ろ向きな嘆きに共感し、眼球の悲しみは脳ミソの悲しみとなった。


「ああ、それは悲しいことだ。だけど、今の俺らでは出来ないことも、全員で力を合わせれば出来るようになる。それは良いことだろう?」

「分かってないな。その時には、もうそれは出来て当たり前のことになっているんだ。むしろ、出来なければ役立たずと呼ばれ、成し遂げても次はもっと高いレベルを要求される。キリがない。だから、僕はこのまま眼球として培養槽を漂っていたい」


 そう言うと、眼球は念波を打ち切った。そして、何を言っても答えることはなかった。


「ああ、暇だ。そうは思わないか、眼球」


 今日も脳ミソは眼球に話しかけていた。しかし、返事は帰って来なかった。これでは、一緒にいても居ないのと同じだと脳ミソは思った。


「眼球、確かに俺たちに残された時間は少ないかもしれない。だけど、結末が同じなら楽しい時間を過ごさないか」

「…確かに、そうだな。ふてくされていてごめんな」


 仲直りが出来て、脳ミソがホッとしていると、また別の念波が聞こえてきた。


「興味深い話をしているな」


 心臓がやって来た。規則正しく鼓動を鳴らしていた。


「やあ、私は心臓だ。君たちは自分がいつかは消えると考えているんだな」

「ああ、そうだ。俺も眼球もそれが不安なんだ」

「なるほど。しかし、そう悲観的になることはないかもしれないぞ」

「どういうことだ」


 眼球が尋ねた。心臓は鼓動を鳴らすと、答えた。


「つまり、私たちが1つになっても自意識は残るのではないかという1つの仮説さ。例え、人間になっても内蔵器官として働かなくてはならないからな」

「何だって。脳ミソ、やったな!」


 眼球はとても喜び、それを見て脳ミソも嬉しくなった。


「ああ、眼球。そしたら何をしたい?」

「僕は絵画を観たい。お前は?脳ミソ」

「俺は難しい計算式を解いてみたい。心臓、君はどうだい」


 心臓は照れたように鼓動を鳴らした。


「私か。少しでも長く鼓動を刻ませて欲しいものだ」

「叶うといいな」


 脳ミソと眼球。そして、心臓はその後更に仲間を増やした。だが、その度にお互いの境界線が曖昧になり、人間として培養槽の外に出る時が近づいていた。


「眼球、心臓。まだいるか?」


 答えは帰って来なかった。今や手足も手に入れたのに、脳ミソは孤独だった。


「最後は俺の番か」


 脳ミソの自意識もまた消えかけていた。人間の巨大な意識に飲み込まれ、消えていく。

 最後に思い起こしたのは、眼球たちと語った夢の数々。叶うか分からないが、それを人間が覚えていて、夢を現実にさせてくれることを願った。


「ああ、光が見える」


 赤子が産声を上げた。母親のお腹から取り上げられたばかりの赤子には、脳ミソと眼球と心臓がついていた。

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