第18話『オマケ』

 正直なところ、「やはりそう来たか」というのが有真の抱いた感想だった。

 いつぞやの昼日中の言葉が脳内をよぎる。


『ICDPは災害の対応にかかりきりで、今は調査の方面にまで手が回ってない。要するに、人手不足なんだ。やっこさんは』


 なんで昼日中がそんな事まで知っていたのかは分からないけれど、今の状況を鑑みるに真実を語っていたらしい。

 だって、でなければ有真たちに誘いをかける訳がないから。


 今の有真たちは、言うなれば紫のだ。

 勧誘の言葉を発した冥から向けられるは、彼女の柔らかな物腰に似合わぬ、矢じりのように怜悧な目線。期待をしているようでも、値踏みをしているようでもある。さながら場に伏せられたトランプカードがジョーカーか否かを見極めんとするように、じっと言外の集中でもってこちらの返答を待つ。

 

 さて、この場合、どう返答をするのが正解だろうか。

 イエス、と答えるのは簡単だ。ICDPに協力することで新たな情報を得て、有真たちの状況──すなわち、契約状態の“混線”──の解決につながる可能性もある。しかし、協力をするとなれば当然、危険はこれまでよりも格段に増す。今までのように、襲ってきた敵を倒して自己防衛、じゃ済まないのだ。時にはこちらから危険な地域に赴いたり、ネガシグマニオンに戦いを挑まねばならないだろう。組織に属して戦いに身を投じるというのは、そういうことだ。

 しかし、眼の前のリスクを避けてこの選択にノーと言ったところで、問題の抜本的な解決にはつながらない。


 有真にも律花にも、残念ながら命はひとつしかなくて、それを簡単に奪ってしまえる化け物がいる。

 有真は化け物を呼び寄せてしまい、律花はその有真が居なければ変身できない。

 現時点でも危険は常に身近にある。あるかもわからない可能性に賭けて、さらなるリスクを犯すべきなのだろうか?



「やります」

「!」


 有真の思案を打ち止めたのは、他でもない律花の声だった。 


「おい律花、もっとよく考えて……」

「いいの」


 姉の浅慮さに待ったをかけようとする有真だったが、律花は毅然とそれを留めた。


「いいの、有真」


 再び言って、律花はまっすぐに冥を見つめる。その瞳は律花が何度も振るってきた拳のように真っ直ぐで、力強い。冥の矢じりと律花の拳が一瞬、交錯する。

 それを見て、有真は律花の決意の程を悟った。ずっと一緒にいるんだ。有真にはよくわかっていた。こういう顔をするときの律花は、自分の意志を絶対に曲げない。有真が有真なりに考えたように、律花も律花なりに考えてこの答えを出したのだ。であれば、それを愚かにも止めるのはまさしく浅慮というものだろう。


「こちらからお願いしておいてなんですが……良いのですか? 燈山様以上に急なお話かと存じますが」

「はい。正直、びっくりしました。全然、予想すらしていなかったので。でも──」


 律花は、ちらりと紫を見やる。紫はなにか考えごとでもしているのか、律花の視線には気づいていない。


「──でも、私の力が紫先輩のためになるなら、それを使わない訳にはいかない」


 強い言葉。語調や声量ではない、こもった意思の強い言葉。

 それを聞いた冥がほんの少しだけ瞳孔を広げたのを、有真は見た。


「昔話をします」


 律花は唐突にそう言った。突然の話題の転換に冥は訝しげに眉をひそめる。紫も顔を上げた。律花の視線は冥に向いているが、この話は紫に対して、また自分自身に向けてのものであろうと有真は直感的に理解していた。

「……その話とわたくし達にお力添えいただけることに、なんの関係が?」

 冥は律花に尋ねたが、その問には有真が答える。有真には、これから律花が何を言うのかがなんとなくわかっていたから。

「······聞いてあげてください」


「私と有真は今、東町ひがしまちに住んでいますが、そこに越してきたのは10年前。それと同時期に、有真は陽咲家に養子として迎え入れられました。なので、私と有真には血縁上の関係はありません」


「義姉弟……」

 紫がこぼす。そういえば、彼女に有真たちが義理の双子であることを伝えてはいなかった。クラスの友人らや部活のメンバーにはすでに知れ渡っている情報なので、つい彼女も知っているものだとばかり思っていた。この反応を見る限り、知らなかったようだ。


「はい。ですが、それ以前から……それこそ、物心ついた頃から有真とは知り合いでした。幼なじみというやつです。私たちは、毎日のように顔を合わせては遊んでいました」


「幼い頃から、有真様と律花様はずっと一緒に過ごされてきたのですね」

 納得げに頷く冥に、しかし律花は首を横に振る。


「いいえ。結果として今は一緒に居ますけど、実は有真に会えなくなった時期があるんです」

「と言うと?」

「災害です」

「災害? ……もしや」

「はい。空裂災害です。私が幼い頃住んでいた家は暁町あかつきちょう……つまり、旧朝久市に当たる地域にあったんです。災害が起こったその日、私は有真と一緒に公園で遊んでいて……空が開く瞬間を見ました」


 はっ、と有真と律花以外の全員が息を飲んだ。驚きの度合いに差はあれど、皆一様に『本当か』とその目が訴えている。

「あの場にいたのね」

 ここまで黙していた努が一歩前に出て口を開いた。先刻口を開いたときよりも数段真剣で、重量を感じさせる声だ。

 努の放つオーラにやや気圧されながらも、律花は言葉を紡ぐ。


「は、はい。でも、そこから先は全然覚えてないんです。空がガラスでも割れるみたいに裂けて、そこから黒いが大量に出てきて……。それが街を壊しながら動いてるのを見て、有真と一緒に走って逃げ始めた辺りまでは覚えてるんですけど、そこから先の記憶は曖昧で。よく思い出せないんです」


「……無理もないわね。アナタは当時5歳やそこら。ショックで記憶が混濁していてもおかしくないわ」

 努は顎に手をやってつぶやく。


「気がついた時には夜で、周りには何もありませんでした。空に裂けたはずの穴も、そこから出てきたはずの大量の黒い何かも、見慣れた街の風景も……有真も。周りにあったのは、水のない津波に押し流されてしまったかのように破壊された街の姿でした。なんの音もしなくて、周りは街灯もなくて真っ暗。怖くて、不安で仕方なかったけれど、幸い私は怪我1つしていませんでした。歩けるのを良いことに、その後は夜明けまで有真や、両親、知ってる人を探してまわりました。じっとしてると、気持ちに押しつぶされて泣いてしまいそうだったから」


「律花ちゃん……」


「結局、次の朝に親に見つけられて、私は東町へ移り住むことになりました。その間、ずっと、ずっと、お母さんに聞いてました。『有真はどこ?』って。私は無事で、お母さんもお父さんも無事だった。なのに、有真だけが居ないなんておかしいと、私は散々に泣きわめきました。何度も何度も家を抜け出しては有真を探しに行って、何度も何度も連れ戻されて怒られました。有真が死んだなんて信じられなかったんです」


 律花が言葉を区切る。

 ……まあ、実際死んではいない。死んでたら、ここには居ない。

 冥が続きを促した。

「それで、どうなったのでしょう」


「災害から、有真が居なくなってから1ヶ月くらい経って、新しい環境に戸惑いながらも少しづつ慣れてきた頃……有真が現れたんです。嘘みたいにひょっこり。新しい家の近くの公園に、平然とした顔で。でも、有真は……」


 有真が続きを引き継いだ。


「記憶がありませんでした。今でも、5歳より前のことはわかりません。オレの一番古い記憶は、律花に見つけられて声をかけられたことです。当然、それ以前に何をしていたか……律花と幼なじみだったことどころか、どこに住んでいたのかすらもわからない状態でした。律花の両親がオレの事を調べてくれましたが……如何せん、オレ自身がなんの記憶もなければ探せるものも探せなくて。役所にも聞いてみてくれたそうなんですが、とうとうオレや、オレの家族のことは何もわからなかったそうです。そして、最終的には陽咲家に引き取られることになりました」


「そんな事があったのね……」

 紫が言う。

 律花は頷いて、今度は意識だけでなく体ごと紫の方を向いて口を開く。


「紫先輩。もし私にど人生のどん底というものがあったとするのなら、それは有真が居なくなった1ヶ月間です。自分の一部とも思えるような人の消失。あったはずのものが戻らなくなる痛み、辛さ……全部分かります。お前に何が分かる! って言われたって、分かるもんは分かります。だから、お姉さんを見つけるの、私たちが手伝います」


 紫はそれを聞いて、今更ながら焦ったように早口でまくし立てる。


「で、でもっ。そう言ってくれるのは嬉しいけれど、だったらなおさらよ。ICDPに入るとどんな危険があるか考えた? それに、さっきも言ったでしょう? 今の旧朝久市にはわたし達が戦ったこともない規格外の敵も、正体不明の敵もいるのよ? わたしのために、あなた達まで不要なリスクを負う必要は───」


「友達に手を差し伸べるのは、不要なことですか?」


 律花の一喝。それは静かな問いであったが、どんな大声よりも的確に周囲の空気を黙らせた。ビリビリと痺れるような律花の声が静寂を揺らす。


「私は、紫先輩のこと、友達だと思ってますよ。なので、迷惑だって思われても勝手にお姉さんを探します。私みたいに、悲しい気持ちを続けては欲しくないから。で、どう思われてもどうせお姉さんを探すなら、プラス・アルファで色々サポートを受けられるICDPに入る方がいい。でしょ? やることは変わらないんだから、があったほうがお得じゃないですか」


 律花は事もなげに言ってのける。まるで、万人が自分と全く同じ結論を下して当たり前だと言わんばかりに。

 全く、律花は恐ろしい。我が姉ながら恐ろしい。有真は思わず、口の端から笑みを漏らしそうになってしまう。

 あくまで、自分たちは紫のオマケだと、そう思っていた。実際、ICDP側もそういう認識であったことだろう。有力な魔法少女をスカウトしたら、ついでに知らない魔法少女が付いてきた。どうせだし一緒に話をしてみるか……とか、きっとその程度。価値を図られるのは、こちらの方だったはずだ。


 けれど律花はどうか。


『友達が困っているから助ける』


 シンプルが故に強いこの目的が、律花を突き動かしている。きっと、紫の話を聞いた瞬間にはもう答えが決まっていたのだろう。律花の行動動機は、一度目的を決めてしまえばあとは簡単だ。その目的までの道程に、邪魔が有るか無いかだけを考えれば良い。有れば殴る。無ければ無視する。『ICDPへの加入』は、律花にとって邪魔にはならない。その程度の価値だ。値踏みどころか、判断の秤にすら乗っていない。


「ふふっ……うふふっ」


 笑いが漏れる。有真のではない。律花の正面に座っていたボロボロの先輩、紫だ。


「ははは、あははははははっ!」


 笑い声は次第に大きくなり、会議室に響き渡った。今までの物憂げな表情が嘘のようにお腹を抱えて笑う。まだそんなに長い付き合いではないけれど、有真だって紫のことを友達だと思ってるし、たとえそうでなくたってどんよりとしているよりは朗らかな方がずっと良い。笑う紫を見て、なんだか有真まで嬉しい気持ちになってくる。

 ひとしきり笑って、ふぅー、と落ち着いた紫は言う。

「オマケですって? ふふっ、本当、律花ちゃんは面白いわね。なんだか久しぶりに笑った気がするわ」


 見れば、決して表情を崩さなかった冥や努までもがくつくつと肩を揺らしている。

 当の律花は、有真に対して「私、なにか笑われるようなこと言ったかな?」などと耳打ちしてくる始末。それを聞いて、有真もとうとう耐えられずに笑ってしまった。


 だが、和やかな時間はそう長くは続かないのが世の常だ。

 笑う有真たちを諫めるように、会議室にガガ、ガーと耳ざわりなノイズ音が走る。音の出どころは、努の胸元。彼(彼女?)の装着している無線機が緊張を知らせる。


「ハーイ、努よ。……ええ……ええ。了解」


 努は短い通信を終えたかと思うと、有真たちに告げた。


「早速だけれど、お仕事の時間よ。律花ちゃん、有真ちゃん。お手並拝見といこうかしら」

「!」

「冥!」

「はい、隊長。目標は市内北東部エリアを南下中。数は3。詳細はオペレーターへ分析を急がせます。このまま群れが直進した場合、10分と経たずに市街地へ被害が出る恐れがあります」

 努に呼びかけられることが予めわかっていたかの如く、的確に情報を伝えていく冥。その手にはいつから持っていたのかタブレット端末が。冥の報告を受ける傍ら、努は忙しなくも素早く無線機やスマートフォンを駆使して方々に指示を飛ばしている。まさに阿吽の呼吸だ。

 それに、先程までは冥が努のことを呼ぶ時には『努さん』と言っていたのに対して、今では「隊長」と呼んでいる。声色も心なしか固い。あまりに自然で一瞬気づかなかったが、明確に仕事モード、ということなのだろう。そのシームレスな切り替えに思わず舌を巻く。


「早い……」


 思わず口に出してしまうほどに。

 行動だけじゃない。判断や指示、決断がとにかく迅速だ。有真が口を出す間もなく努らは準備を終え、有真たちを連れて会議室を出た。

 努のもとに連絡が来てから1分やそこらで、つい先程まで5人の会話が飛び交っていた会議室には誰もいなくなった。


 廊下を大股で進む努。音もなくその1歩後ろを進む冥。有真・律花・紫は小走りでその後に続く。

 このフロアに来るために使ったエレベーターの前に着くと同時、右側のドアが開いた。こちらの到着を待ち構えていたかのようなタイミングだ。階層を示す電光板には、このエレベーターが上の階へ進むことを示している。


「こちらへ」

 冥に促され、有真と律花は箱に乗り込む。紫も続こうとして、努に留められた。


「アナタはあたしとこっちよ」

「わ」


 左側のドアも開いて、そちらに努と紫が乗った。


『冥。律花ちゃん。有真ちゃん』

 どこからか努の声が聞こえる。拡声器を通したような声だ。エレベーターの何処かにマイクがあるのだろう。

『武運を』

「はい」

 冥が短く答えると同時に、エレベーターが上昇を始める。有真と律花は反応しそびれてしまった。

「冥さん、紫先輩と道明寺さんは……?」

 律花が疑問を呈する。有真も気になっていたことだ。

「わたくし達は屋上へ、隊長と燈山様は地下階へ参ります。隊長はあくまでも指揮官という立場で、魔法少女ではありませんし、燈山様は負傷しており戦闘には参加させられません。今回はわたくし達が屋上にあがり、お二方には前に出て頂きます」

「そうなんですね……」


 頷く律花。

 現場実行部隊隊長、と大層な肩書を背負っている努だが、もしかして、と思ったことは口に出さずに済んだ。いや、それが見たいかと言われれば見たくはないけれども……


「道明寺さんって魔法少女じゃなかったんですね」

「おい」


 言うんかい。

 有真がせっかく言わずに踏みとどまった禁忌のワードを律花が口に出す。いや、流石にそれは失礼に当たらないだろうか。せっかく脳内から消し去ろうとした筋骨隆々の魔法少女姿が再び輪郭を形作っていく。

 有真の予想に反して、冥は穏やかに笑って答えた。

「ええ。隊長は男性ですから。研究の結果、女性の方がシグマニウムに強く反応する事がわかっています。自然、それによって構築されたシグマニオンとの契約に適正があるのも、自ずから女性が多いのです。ただ、あくまでも多いだけであって、『魔法少年』も……数こそ少ないですが、存在は確認されております」

「なるほど……」


 そんな会話をしているうちに、エレベーターのドアが開いた。屋上についたようだ。


「わっとと」


 高いところだからだろうか。それとも立地的な条件か、屋上には強風が吹きすさんでいた。否が応でも先日の空サメを思い出してしまう。

 北の方角を見れば、遠目に煙が立ち上っているのが分かる。なるほど、だから屋上に来たのか。高いところから町を一望すれば、異変が一目瞭然だ。破壊の進行はいまだ市街地には届かないが、時間の問題だろう。


「さて、あまりモタモタはしていられません。律花様。有真様。わたくし達はここから出撃します。ご変身を」

「はい! ……って、え?」


 威勢よく答えた律花が、小首をかしげる。

「わたくし……達?」

「はい。先程、申し上げましたように、わたくし達で前線に出ますので」


 冥は冷然と言い放つ。あの、矢じりのように鋭い瞳を伴って。


「僭越ながら、変身させていただきます」

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シグマギア・ガール くれはら @kurehara

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