第17話『プラス・アルファ』
「えっ……どうしたんですか先輩!?」
「うん……ちょっと、色々あって……」
有真は紫の元へ駆け、それに律花も続いた。
今の紫は目元には大きなクマがあり、肌荒れも酷く、唇もカサついており、二人の記憶の中の姿とはかけ離れていた。
恐らくはこの一週間のうちに彼女が何らかのトラブルや事件に巻き込まれたことは想像に難くない。だがそうだとしても、一体どんなことがあればここまでボロボロの状態になるのか、二人には皆目見当もつかなかった。
ひとまず、紫の隣の席に座ることにした二人。程なくして何やら書類の入ったクリアファイルを数枚持ってきた冥ともう一人、背高で屈強な男性が第三会議室へ姿を現した。
紺色の警備服に身を包み、胸ポケットにはボールペンやメモ帳、無線機らしきものが見える。流石にそういったことを専門に扱う企業だけあって、体育会系の人が多いのだろうかと有真が思っていると、不意にその男性と目が合い、男はこう言った。
「あら、男の子もいるのね?」
「はい。あちらの子の変身事情は少々特殊らしく」
「そう……ってちょっとアナタ、大丈夫!? ボロボロじゃないの!!」
「あ、えぇと……」
その男性はその見た目とは裏腹に女性的な口調でそう言うと、つかつかと紫の元へ歩き、彼女の身なりや顔色を心配した。
続いて紫の手元が荒れていることに気がつくと、ポケットからハンドクリームを取り出し、適量を紫の了承を得てから彼女の両手に塗った。
「若い頃は多少ケアしなくても良いけれど、だからって荒れっぱなしにしてたらダメよ」
「はぁ……ありがとうございます……」
「
「あら、失礼」
冥と努は、律花たちの向かいの席に座る。
「さて……お待たせして申し訳ありません。早速始めましょうか。改めまして、私は茅原冥。お気軽に冥とお呼びください。そしてこちらは――」
「ICDP現場実行部隊隊長、
努は温和に律花たちに話しかけるも、その肉体と口調から発されるなんとも言えぬ圧に、律花たちはおずおずと会釈することしか出来なかった。
各個人らの服装は置いておいて、学生である律花たちの立場からすると今の状況は面接にも似た緊張感があり、努の威圧感を抜いても身体が萎縮してしまう。
しかし、ただ一人紫だけはそんなものに臆せず、ハイライトの失せかけている目で淡々と、自己紹介へと繋げた。律花と有真もつられ、計五人の自己紹介が終わる。途端、紫は即座に冥に対し食い気味になって発言した。
「それで、加入後についてのことなのですが――」
「燈山様、そう、焦らずとも順に説明しますので」
「……すみません」
「陽咲律花様、有真様。申し訳ありませんが本日は約束の都合上、燈山様優先でお話しを進めます。ご了承ください」
「あ、はい。分かりました」
「私も、大丈夫です」
「まぁ口を挟んじゃダメって訳じゃないから、気になったことがあったら何なりと聞いて頂戴な。あたしにでも冥にでも、ね」
高身長メイドお姉さんと巨漢警備服オネェさん、そうして隣には何故か満身創痍の先輩、という異質な空気感にただただ「はぁ……」と相づちを打つのがやっとな陽咲姉弟。そうして、では……と一拍の間を置いた後に、冥は紫の方へ視線と身体を向けた。
「燈山紫様、まず、本日のお話しに対する認識合わせを行います。我々は、燈山様の魔法少女としての強さを買い、我々の一員に是非とも加わっていただきたいと考えています。無論、ただのお手伝いではなく、報酬の発生する―――いわゆる、仕事を共にする仲になるということです。ここまでは宜しいですね?」
「はい。問題ありません。それで、ええと、結論を急ぐようで申し訳ないのですが、私は今すぐにでも、ICDPに加入したいと、思っています」
「認識齟齬の有無と加入の意欲、承知しました。ですが、今すぐに我々と同じように働いてもらう訳にはいきません。詳しくはこちらの資料をご覧ください。ICDPでの雇用形態と情報漏洩に関する書類になります」
冥は所持していたビジネス・バッグの中からクリアファイルをテーブルの上に置き、その中から三枚ほどの書類を紫へ、さらに二枚の書類を律花と有真へと手渡した。ちらりと紫の方を見ると、足りない一枚はどうやら契約書らしいことを有真は知った。
紫はそれらに目を通したのかも怪しい速度で規約書の類いを読み飛ばし、すぐさま同意書にサインを書いて印鑑で判を押していた。用意の良いことに、最初から筆記用具と印鑑を持ってきていたようだ。
「こちらで、お願いします」
「宜しいのですか? 一度持ち帰っていただいても構わないのですが」
「いえ、お願いします……!」
「……承知しました。お預かりします」
「紫先輩、何か、あったんですか?」
端から見ても、何か切羽詰まっている様子の紫へ律花がそう問いかけた。
紫は一瞬律花の方を見て視線を合わせたかと思うと、すぐさま気まずそうにふいと俯くように視線を戻した。
何でもないわ、と気力なく答えた紫だったが、これに追撃を入れたのが冥だった。
「燈山様。失礼ですが『なんでもない』とは見えかねます。もし宜しければ、差し支えない範囲で何があったか教えていただけないでしょうか? 我々が雇用する上で、考慮すべき事案かもしれませんので」
紫はしばらく無言を貫いた後、閉ざしていた重い口を開けて自身が現在思い詰めている事件について話し始めた。
△▼△▼△▼△
事の始まりは、律花たちと別れ、姉が行方不明になったことまで遡る。
ただひたすらに、がむしゃらに、姉の行きそうなところからそうでないところまで、街中をくまなく探し回っていたという。
学校を無断欠席したのはそういうことだったのかと、事の発端を含め驚きを隠せない有真と律花。対照的に冥と努は落ち着いた様子で話を聞いている。
やがて体力が尽き、ファニーが幾度も休息のために家へ戻ろうと提案するも紫はそれを拒否し、なんと変身して無理矢理にでも、すでに満身創痍の身体を動かそうとしていた。そうした中で彼女は、街の北側にまだ行っていないことに気がつく。
この街の北側は、いわば「旧朝久市」とも言える場所であり、かつて朝久市を襲った大災害――通称「空裂災害」の爆心地とも言える場所である。
その被害は甚大なもので、現在では当時を思い出させるような倒壊したビルや廃屋、割れたアスファルトから育ちすぎている草木が生い茂り、一般的に言うところのゴーストタウンと化している。さらにはネガシグマニオンの発生・目撃件数も市街地に比べ圧倒的に多く、凶暴な個体も多いことから、復興作業は遅々として進んでいなかった。
実際問題、こんな場所に住み着いている人間は誰もおらず、空裂災害の記憶から、現朝久市の人間は言わずもがな、外部から人が寄りつくこともない。
たまに不良や怖いもの知らずな動画投稿者が面白さ目当てで興味を示すようだが、ネガシグマニオンの存在が抑止力となり、深刻な人的被害等は幸いにも起こっていない。
早速旧朝久市へと駆けた紫は、初めて訪れる旧朝久市の閑散として不気味に思えるほどの雰囲気に、疲れからではなく恐怖心から足が竦みそうになってしまった。
いかに魔法少女とはいえど紫はまだ女子高生――全面廃墟と化した場所に、しかも深夜に訪れたとあってはそうなるのも無理はない。
しかし姉の手がかりを探すという強い意志が、彼女の足を前進させた。
ひび割れたアスファルトの道を進み、もうすぐで街の外まで出てしまうのではないかと思った矢先、紫の視界に映り込んだ人影が二つ。
一人は暗がりでシルエットしか分からなかったが恐らくは女性、年齢や素顔は分からない。しかしながらもう一人、そのもう一人だけは確実に、こちらも暗がりでハッキリと姿が分かるわけではないが感じ取れた。
――あれは、間違いなく、あれこそ間違いなく姉の、縁の姿である、と。
瞬間、それまで疲労の蓄積で今にも倒れてしまいそうだった紫の身体は途端に気力を取り戻し、全快時に引けを取らぬ速力で姉の元へ彼女の身体を突き動かした。
遠く、紫は縁の名を呼んだ。自身の呼ぶ紫の声がハッキリとでなくとも僅かばかり耳に届いたのか、縁は周囲を見渡すような仕草をした。
紫はその様子を見て一筋の希望を見い出した、失踪してから今まで姿すら拝めずにいた姉に自分の声が届いたのだ。
身体はさらに前へ、つんのめる勢いで縁の元へひた走った。すでに息も絶え絶えになっているというのに、体力などもう残っていなかったはずなのに地を蹴る足が衰えない。一種のハイになっているのだろう。
後もう少し。
あともう少しで―――
「そっっっっっっこまでですわーーーー!」
「っ!?」
『左です。マイハニー、回避を』
どこからともなく、少女の声が、真夜中の辺境に木霊する。
仄暗い空の下、紫の視界左端から正体不明の「何か」が猛烈な勢いで彼女を襲撃した。間一髪回避したものの、これにより集中力が一気に切れてしまい、急激に体力を消耗している事実を脳が受け入れてしまった。がくんと全身から力が抜け、あまつさえ地面に膝をついてしまった。
「あらららら~? すでに満身創痍なんてつまりませんわよ」
『マイハニー、身体を動かしてください。退きましょう。規格外の大きさです、攻守共に現状では太刀打ち出来ない可能性があります』
ファニーの見立てで15mはあろうかという巨体、力強く発達した四肢、頭部から生えている鋭く無骨な二本の角、赤色の体毛の下では筋肉質な黒色の皮膚が月光を吸い込み、爬虫類のそれにも似たライトブルーの双眸を持った狼のような化物が、喉を鳴らして紫を見下ろしていた。
そうして、そんな獣の背に乗り従えているのは、くすんだブロンドをお下げにしたライムグリーンの瞳の少女だった。
爛々と、鮮やかなその瞳で大型ネガシグマニオンの上に座る少女は、視線をどこかへと向けた。その方向は、縁ともう一人誰かがいた場所だった。
「透さーん! 魔法少女ですわよー!」
お下げの少女は縁と共にいた女性――透へそう呼びかけた。
透と呼称された女性は縁を黒いもやのようなものに押し込めると、次第にもやは縮小し、最終的には縁の存在諸共消え去った。
すると透はもやをもう一つ作ると今度は自身がそれに入り、次の瞬間、紫の目の前にもやと共に彼女が見参した。
彼女はずいっと紫の顔を覗くと「ふ~ん?」と明らかに侮っている様子でニタニタと笑いながら、お下げの少女へ視線を向けた。
「なーんか、もうすげー疲れてんじゃん。鴨がネギ背負ってきたってか? って……んん? おい、右手に持ってるそれなんだ?」
「触らないで!」
透は紫が縁の部屋から持ってきたエメラルド色の謎のペンダントへと手を伸ばすと、紫は奪われてたまるものかと咄嗟にその手を振り払った。
パチン、と乾いた音が響くと、透は一つ舌打ちをした後に、お下げの少女に命じた。
「殺せ」
「ラジャーですわ!」
『マイハニー。早く立ってください。死にます』
「ダメ……足に力が……」
とても冗談とは思えぬほどの、確かな意思が宿った言葉。疲弊しきった身体と何よりも圧倒的で絶望的な戦力差――紫は、透が本気で自分を殺そうとしているのを実感した。
ファニ-は紫にすぐに逃げるように告げるが、彼女の足は蓄積した疲労によってすでに立ち上がることさえままならなかった。
お下げの少女は自身が乗っている赤狼に「やっちまえですわ!」とこれまた楽しそうに命令すると、そいつはその強靱な前足をゆっくりと持ち上げて紫を潰さんとばかりに勢いよく振り下ろす。
紫の脳内には、生まれてから今までの記憶が巡る。これが走馬灯というものか、これが死というものか。
もうじき終わる自身の命に気づき、自然と彼女の目からは涙があふれ出る。
赤狼の巨大な足裏が紫の視界の全てを覆ったとき、どこからともなく銃声が鳴り響いた。
瞬間、彼女の視界から闇は晴れ、光がぼやけた視界に広がった。
赤狼の前足は刹那のうちに吹き飛ばされ、お下げの少女も透も、何が起こったのか理解できないと言った驚愕の表情を浮かべていた。
直後に紫の眼前へ、真っ黒なコートを身に纏った長身の女性が、コートの裾をふわりと浮かせて降り立った。
魔法少女――なのだろうが、それにしてはやけに魔法少女然としていない、そんな印象を紫は持った。
紫は混乱する意識化で、彼女が片手に持っているいかにもな銃が、先ほどの銃声と大型ネガシグマニオンの前足を吹き飛ばした正体であることを悟る。
「あ……」
「早く逃げな。立てなきゃ手を貸す」
「あり、がと、う、ございます……」
黒衣のコートの女性は紫の方へ振り返ることなく、銃を持っていない手をヒラヒラと背後の紫へ向けると、紫はその手を弱々しく掴んだ。
途端にぐいと引っ張られ、立ち上がる紫、感謝の言葉を述べてもその女性は一つ寡黙に頷くだけだった。
「な……なんっっっっっなんですの!? よくもジェシーの足を……! 返り討ちにしてあげますわ!!」
「やめろ。ここは退くぞ」
「はぁ!? 冗談じゃありませんわ!? まさか怖じ気づいたわけでは―――」
「冗談なのはおめーのネーミングセンスだっての……ったくよぉ、厄介な奴が出てきたもんだな。つーかまだ生きてたのな、お前。天国のお友達もきっとお前のことを待ってるぞ?」
「そっちこそ。相変わらず小さい身体の割に口だけは一丁前だな。やっぱりあの女にベタベタくっついてるから、いつまで経ってもガキのままなのか?」
「……」
「……」
「ちっ。むかつく……が、ちょいとイレギュラーだな。帰るんぞ」
「ちょっと待ってくださいまし! ちゃんと説明を―――」
お下げの少女が文句を垂れている最中にも関わらず、透は自分たちを黒いもやでまるごと飲み込んだ。もやは霧散し、彼女らの姿はその気配の一つも残さずに消え去った。
「……はぁ」
「あ、あの……」
「君」
「は、はいっ!」
「この場所には近寄るな。良いな?」
「えっ……?」
たったそれだけを伝えると、女性は高く跳躍して紫の元を去った。
△▼△▼△▼△
事の顛末を話し終え、有真・律花・冥・努の四人は黙りこくってしまった。
十数秒の間をおいて、冥が口を開く。
「旧朝久市方面……努さん、あそこは確か――」
「そうねぇ。あそこは手出ししていなかった……というよりは出来ていないわね」
「しかも、そんなところにネガシグマニオンを従える少女と、話から察するに空間系に特化した魔法を使うであろう少女……調査する必要がありますね」
「でもうちの人員は正直向かわせられないわよ? 今の装備じゃ、話に出てきたような奴に出会したら抵抗すら出来ないからねぇ」
「……少々、予定を変更する必要がありますね。それと、人員の確保も」
冥は一つ咳払いをした後に、紫と律花たちへ向かってこう言った。
「燈山様、並びに律花様、有真様。この後、お時間は宜しいでしょうか?」
「はい。私は問題ありません」
「俺たちも、大丈夫です。なぁ、律花」
「あ、はい、大丈夫です」
「承知しました――さて、当初は燈山様のみの雇用を検討していましたが、先ほどの話を聞いて、少々予定が変わりました」
律花様、有真様、と冥は二人の名を呼ぶ。
そして――
「お二人の力を、貸していただけないでしょうか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます