第16話『MAY I HELP YOU?』

 有真と律花のもとに紫から連絡があったのは、約束の日の朝だった。厳密に言えば、早朝……未明。まだ有真も律花も起き出してこないくらいの早い時間に、短いメッセージが送られてきた。


 有真がそれを確認したのは、なんとなく早く起きてしまい手慰みにスマートフォンを手に取った午前8時前のこと。


『[燈山紫]≫心配をかけてごめんなさい。わたしは大丈夫。予定に変更はないわ。午前11時、直接ここに来て』


 感情を測ることの出来ない無感情な文章に、青文字で英数字の羅列がぶら下がっている。位置情報のURLだ。有真はそれをタップし、情報を確かめる。ヒットしたのは、やはりと言うべきか、ICDP本部の所在地だった。


 ひとまず目的地の情報を確認した有真は、ふとメッセージに返信してみた。


『[Y.Harusaki]≫先輩は今どこにいるんですか? 1週間も姿を見せずに、一体何を?』

 

 送信の直前、ほんの一瞬だけ考えて、律花とのやり取りにたまに使う、コミカルなキャラクターのスタンプを同時に送った。ネコのマスコットが、大げさに首をひねって『?』を浮かべているやつだ。


 こういう、明らかに事情がありそうな相手にその内実を問おうとする時、どのような態度でそれを聞けばいいのか、イマイチよくわからない。特に文面だと言葉の真意は伝わりにくいから、あまりお硬い文章だとなんだか問い詰めているようで気が引ける。かと言ってあまり砕けた物言いをするのも軽薄すぎる気がする。結局、折衷案としてそこそこ真面目な文面にスタンプを付けて「何があったのか知りたいけれど、強制しているわけではないですよ」とアピールするという結論に落ち着いた。

 もっとも、そのアピールだってきちんと正確に伝わるとは限らないが。


「……」


 しばらく、有真はメッセージを送ったスマートフォンとにらめっこをしていた。1分、3分、5分……。愛想のないスマートフォンはとうとう、表情を変えないどころか画面を暗転させてそっぽを向いてしまった。有真は大きく一息つくと、うんともすんとも言わない無愛想をベッドに放った。


「んにゃ」

「ゴンザレス」

「エスにゃ」


 有真が動いている気配を感じ取ったか、有真の部屋で丸まって眠っていたエスが目を覚ました。前足で顔の毛づくろいをして、後ろ足で耳の裏をせわしなく掻く。大きなあくびを一発かまして、伸びをする。呆れるくらい呑気なやつだ。


「紫先輩から連絡があった」

「にゃんて?」

「心配するなってさ」

「ふーん。まあ、本人がそういうんにゃらいいんじゃないかにゃ」

「……そういうもんか?」

「たぶんにゃ。みぃとしてみれば、あの眼鏡の姉ちゃんはともかくが気に食わんにゃ」

「板切れ? ……ああ、ファニーって言ったっけ、あのシグマニオン。たしかに、折り合いは悪そうだな」

「ふんっ」


 エスは鼻先をツンと天井に向け、尻尾をゆらりと揺らす。

 先日の部室での問答において、エスは終始ファニーに噛み付いていた(もちろん、言葉や態度、という意味だが)。現実的かつ機械的なファニーの言葉には、事実こそあれ配慮はない。ふてぶてしくて図々しいエスとは、相性も悪かろうと有真は納得した。


 ぴろん。

 

 ベッドの上に放り投げたスマートフォンがようやく笑った。


「返信が来たかにゃ」

 エスはつぶやくが、外れだった。

 魔法少女の先輩からの連絡ではなく、ただの友人からの連絡だったから。ちょっとした肩透かしを食らった気分だ。


 ぴろん。ぴろん。ぴろん。


 有真がメッセージを確認するや否や、その通知はここぞと言わんばかりにどんどん増えていく。有真は付きかけたため息を飲み込んだ。見てしまった以上仕方がないと、適当に返信をする。


『[ともたつ]≫おい、大ニュースがあるんだが、聞きたいか? 聞きたいよな!』

『[ともたつ]≫お、既読ついたな! 早起きで何より! この大ニュースをいち早く聞けるんだからな!』

『[ともたつ]≫ニュースとは!』

『[ともたつ]≫なんと!』

『[ともたつ]≫俺の!』

『[Y.Harusaki]≫興味ないわ』

『[ともたつ]≫叔父さんちにびsy』

『[ともたつ]≫いや塩すぎるだろ、対応が。途中で変なんなって送っちまったじゃねーかよ』

『[Y.Harusaki]≫今日は多分忙しいんだよ』

『[Y.Harusaki]≫月曜日ゆっくり聞くから』

『[ともたつ]≫いや、多分ってなんだよ、もっと汲んでくれよ俺の興奮を』

『[Y.Harusaki]≫お前の興奮とか知らんよ気持ち悪いな』

『[ともたつ]≫お前がそんなに冷たくて薄情なやつだったなんて……』

『[ともたつ]≫知ってた』

『[Y.Harusaki]≫そりゃ何よりだわ』

『[ともたつ]≫は~~~~~~~~~じゃあいいよ』

『[ともたつ]≫勝手にしゃべるから』

『[Y.Harusaki]≫勝手にどうぞ~』

『[ともたつ]≫そう…始まりは昨日の夜のことだった……』


 ……いつ終わるんだ? これ。


 そう思ったときには、すでにやり取りをしようという気持ちの一切を放棄していた。端末自体もマットレスに投げ捨てた。

 どうせしょうもない内容であるだろうことはこれまでの大友との付き合いから察しがつく。それをわざわざ、朝から深夜みたいなテンションで言ってくるんだからたまったものではない。大友はつくづくジャンクフードのようなやつだな、と有真は思う。何処にでも現れていつまでも喋る。ファストかつ高カロリー。常に元気の有り余ったバイタルモンスター。彼のそういうエネルギッシュな一面は憎からず思っているけれど、申し訳ないが有真は朝からハンバーガーを食べたいとはあまり思わない。胃もたれするのが目に見えている。


「ど、どうかしたのかにゃ?」

「いや。大友が……」


 驚くエスに、言葉を選ぼうとしたがそれも面倒くさくなった。


「うざかった」

「あ、そうなんにゃ……」


 そんなやり取りをしている間に、すでに時刻は8時半を回っていた。

 そろそろ、寝坊助な姉を起こさなければ。用意や移動などのことを考えると、約束の時間なんてすぐだ。有真は律花に声をかけるべく、自室を出た。エスもついてくる。

 ベッドに置きっぱなしのスマートフォンは、未だにぴろん、ぴろん、と通知を鳴らし続けていた。




△▼△▼△▼△




 律花たちは、約束の場所に向かって歩いていた。

 起きたばかりであくびを噛み殺している律花と、その律花を起こすのに難儀して朝から疲れている有真。お世辞にも覇気のある二人組とは言えない。


 「で。ICDPってどこだっけ?」


 律花は隣を歩く有真に尋ねる。有名なグループだから、名前くらいは聞いたことがあるけれど、実際その会社がどこにあるかなんてわからない。

 有真は、なぜか通知を切っているスマートフォンを操作し、地図アプリを開きながら答える。

 「えーと……目的地の本部があるのはいおり町だから、このまましばらくはまっすぐだな」


 いおり町は、朝久市の南西部の一角に位置し、ビジネス街と高級住宅街に挟まれる形で存在している地域だ。陽咲家や日彩学園高校はどちらかといえば朝久市の東側、繁華街エリアや『モーモー』も西側ではあるけれど北寄りの立地のため、いおり町はあまり高校生が頻繁に遊びに行くようなところではない。

 有真のスマートフォンを横から覗きながら、律花はなんとなく思ったことを話す。


「てかさ、ICDPって伊織坂の会社なんだよね?」

「そうだな」

「伊織坂の会社がいおり町にあるのってなんか面白くない? 狙ったのかな」

「いや、狙ったっていうか、むしろ逆だな」

「逆?」

「うん。いおり町に伊織坂の会社があるんじゃなくて、伊織坂の会社が多く発展してきたからいおり町って名前になったらしい。グループ会長さんの家もその辺にあるんだと」

「へー」


 隣を歩く有真は訳知り顔で解説を入れてくる。きっと、律花が起きてくるよりも早く起きて、色々調べていたのだろう。いや、もしかするとこの1週間、ずっとそうだったかもしれない。有真は、出来る限りの準備をして本番に望むタイプだ。テストでも、何でも。変なところで真面目というか、慎重というか……。感覚派で、ぶっつけ本番で生きている律花とは対象的だ。「弟」のこういう面を見るたびに、決して血のつながった親類関係ではないんだよね、と改めて実感する。


「……と、ここだ」

 傍らの有真は足を止め、スマートフォンの地図アプリと眼の前のビルを見比べる。律花も釣られて、有真の視線を追いかける。

「……ここ?」

 思わず口をつく。見上げた律花の視線の先にあるのは、街並みを構成する有象無象のビル群、その一つに過ぎなかった。強いて言うならば、周りの建物に比べて少しばかり背が高い……それくらいしか、律花には思うところがなかった。それほど、平々凡々な普通のビルだ。律花は勝手に、魔法少女が関わっている組織なのだからそれなりに個性的だったり目立つ会社だと思っていたのだが、なんだか期待を裏切られた気分だ。


「地味だね」

「そんなもんだろ」


 ビルは全体的にシックな濃い灰色で塗装されている。正面玄関には派手でないが確かに己を主張する金縁のプレートが自己紹介していた。


『(株)伊織坂シグマニウム・シグマニオン災害専門警護』


「いくぞ」

 有真に声をかけられ、律花は視線を地上に戻す。

「緊張してる?」

「ちょっとな」

 肩を少しこわばらせながら、有真はビルに入る。律花もそれに続いた。




 ビルに入った律花たちを迎えたのは、外観と同じように何の変哲もないロビーだった。エントランスは白い大理石の床がきれいに磨かれており、清潔感がある。玄関からまっすぐ正面にはインフォメーションカウンター。タイトなグレーのスーツを着た女性が何事かと訝しげにこちらを見ている。そのさらに後ろには、2つのエレベーターがある。フロアには黒い革張りのソファと背の低いテーブルが何対かあり、壁際には等間隔に大きな観葉植物の鉢が置かれている。

 律花が周囲を観察している一方、有真はカウンターの女性に声をかけた。


「すみません。今日、ここに来るよう言われていたんですが……あ、陽咲です。陽咲有真と陽咲律花」


 はじめ、素性不明の高校生の登場に困惑気味な態度をとっていた受付の女性だったが、有真が自分たちの名を伝えると「少々お待ち下さい」とどこかへ電話をかけ始めた。ものの数十秒ほどの電話を終えると、女性はこちらに向き直った。


「ただいま、係の者が参ります。そちらのソファにおかけになってお待ち下さい」


 言われたとおり、律花と有真はロビーのソファに座って待つ。「高級そうだよね、このソファ」「売ったらいくら位になるかな」と馬鹿話をすること数分。


 「お二方」


 不意に鼓膜を揺らす澄んだ声に、そちらを向く。

 そこには一人の女性が立っていた。女性は、まるで物語から飛び出してきたかのように異様な雰囲気を纒っており、周囲とのギャップが凄まじい。女性の周りだけ世界観が違う。

 なぜそう思ったのかは一目瞭然。彼女は、まるで西洋のお屋敷づとめの召使いのような……端的に言えば、クラシカルなメイド服を着ていたのだ。ギブソンタックにまとめた髪といい、現代的なこのビル内には彼女の姿がえらく浮いて見えた。

 突然現れたメイド服の女性に言葉を失いかけるも、律花は辛うじて最低限の疑問を呈することが出来た。


「あ、あなたは?」


 女性は、足元までを覆い隠すロングスカートを上品に持ち上げ、恭しく頭を下げた。

 その仕草は、彼女の纏う雰囲気を一部たりと壊すことのない、どこからどう見ても完璧な一礼。さながら舞の一節でも見ているかのようだ。ゆっくりと頭を上げた女性は、柔和な笑みを浮かべて名乗った。


茅原冥かやはらめいと申します。親しみを込めて、冥、とお気軽にお呼びくださいませ」


「ど、どうも……」

 

 思わず律花たちまで頭を下げてしまう。それを見て再び微笑んだ冥。


「陽咲律花様、陽咲有真様ですね? お話は伺っております。どうぞこちらへ」


 促され、律花たちはソファを立つ。冥は律花たちを先導して進む。

 ところで、律花も立ち上がって初めて気づいたのだが、冥は女性にしては大きい。身長160cm弱の律花はおろか、165cmはあったはずの有真よりも頭一つ分は背が高い。180cmほどあるのではなかろうか。それに、露出が少ない服装ながらところはしっかり出ていて、彼女のプロポーションの良さがかえって際立っている。


 とまれ、冥に導かれた律花と有真は、フロア奥のエレベーターへ乗り込んだ。冥は手慣れた様子で、それこそ熟練のエレベーターガールのように律花たちをエスコートしてくれた。

「4階へ参ります」


 しばし、無言の時間が流れる。エレベーターの窓から見える景色も、いつもどおりの町並みだ。

 エレベーター内の沈黙に耐えきれなくなった律花は、思わず尋ねた。


「あの、冥さん。その服は?」

「仕事着でございます」

「ってことは、メイドさんなんですか? コスプレとかじゃなく、本物の?」

「はい、そのとおりでございます、律花様」

「へ~」


 感心した律花は、有真に耳打ちする。

「本当にメイドさんっているんだね」

「そりゃいるだろ。こんな町中で見るとは思わなかったけど」


「お二方」


 既視感ある流れで、冥に声をかけられる。エレベーターはすでに目的の階に律花たちを運んでくれていたようだ。冥に促され、フロアに出る。

 

 一階のロビーとは違い、ネイビーのカーペットが敷かれた廊下を進む。

 「第三会議室」と書かれた部屋の前で立ち止まると、冥はこちらに向き直り、優雅に一礼した。

 

「お入りください。わたくしは、上のものを呼んで参ります」


 そう言い残して、冥は別フロアへ行ってしまった。

 

「じゃ、入ろうぜ。自分らで開けちゃっていいってことだよな」

「そうだと思う、ほら、鍵もかかってないし──」


 律花が何の気なしに引いたドアノブ。

 しかし、律花の手はそのドアノブを離すことが出来なかった。

 ドアノブだけではない。視線も、ある一点に釘付けだ。どうした……と言いかけて、有真もまた硬直する。

 それは、部屋の中を見てしまったからだ。

 部屋の中にいる人物を見てしまったからだ。


 第三会議室の中に居たのは、紛れもなく燈山紫だった。


 傷だらけで、覇気もない、着ているものもぼろぼろな、律花たちの記憶の中とは全く違う姿の燈山紫が、そこにいた。


 紫はこちらの存在を認めると、ほんの少しだけ口角を上げて微笑んだ。

 先程見た、冥の自然で素敵な微笑みとは程遠い。紫のそれは、無理して形だけをなんとか整えたような、ぎこちない未完成品でしかなかった。


 

「来たのね」


 その声からは、紫の持つ暖かさや明るさは微塵も感じられなかった。

 その声は、ただただ、乾ききってかすれていた。


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