魔女は月夜にといかける

月並海

第1話

 夜が過ぎるのをあんなに惜しく思ったのは初めてだった。


 きっかけは、他愛もないことだった。魔物を狩ることで生計を立てている父さんに「私も狩りに連れて行って欲しい」と言った。

 私は今年で十六で世間では大人と言われる年になったし、普段から鍛錬をしているから武器の扱いだって上手い。他の狩りのメンバーに劣らず、父さんの仕事を手伝えると思ったのだ。

 だけど、父さんは苦虫をかみつぶしたような顔で一言、

「駄目だ」

 理由はなかった。条件もなかった。ただの拒絶。私の努力と熱意は一瞬にしてゴミとなった。

 なんでよ、とは聞き返せなかった。聞き返したら何か言ってくれたかもしれないけど、ショックを受けた私はそこに居続けることがすごく苦しくて。何も言わずに家を飛び出した。夜の帳が降りようとしている空の下、私は一心不乱に駆けていった。


 行く当てはひとつだけあった。森の奥のあばら屋、屋根の一部が欠け空が見える石造りの家で私よく隠れて武器の鍛錬をしていた。お小遣いを貯めて買った鉄の剣は森で採集をした後の余った時間で鍛錬をするためにそこに置いてある。

 今日は月が明るいから、獣道を迷わずに走ることができた。むわぁっとした空気が身体にまとわりつく。暑い季節だから羽虫もそこらにいる。普段はそれを考えて回り道をすることもできたけど、今日は無理だった。

 ただただ、あそこに行きたかった。あそこなら私を守ってくれるような気がして。夕方のときの自分に戻れるような気がして。

 あばら屋が見えて私はようやく足を止めた。申し訳ばかりに形を保つ扉を押して中に入る。

 入った瞬間、目の前の光景に息を飲んだ。

 女がいた。

 彼女は冷たい石の上に座り、目をつむっていた。 私と同じくらいか少し年上と思われる容姿の彼女は全身に黒い衣をまとっている。真っ黒な波打つ髪には屋根のない部分から差し込む月の光が吸い込まれていく。

 彼女を見つけた瞬間から私の心臓はドクドクドクドクと、痛いくらいに動き全身に血を巡らせる。顔から足の指先まで全身炎に包まれたみたいに熱い。

 硬直した足先にもようやく感覚が戻ってきた、と思ったら今度は震えが襲ってくる。

 血が巡り酸素の行き届いた頭が、彼女は魔女だと警鐘を鳴らした。

 ──魔女。それは魔物を使役する人外だ。人と近しい見た目をしながら、人を喰らう魔物を飼いならす生き物である彼らは、私たちにとって排除すべき存在なのだ。

 魔女は人間が来たにもかかわらず、いまだ静かに眠っている。鳥と虫の声が響く森の中の小屋では、彼女の寝息など聞こえない。身じろぎもしない彼女はまるで死んでいるようだった。

(この子を捕まえたら、父さんは私を認めてくれるかな)

 唐突に浮かんできた考えは、一瞬で泡の如くはじけ飛んだ。

「んっ……」

 魔女が目を覚ましたからだった。

 瞼をあげた彼女の金色の瞳が私を射すくめた。私は思わず肩を跳ねさせる。

 殺される、と思った。彼女を見てしまった私は呼び出された魔物に喰われて死ぬんだ、と。恐怖が頭の中を駆け巡った。

 けれども、彼女は一向に呪文を唱えたり召喚の儀式を行ったりする様子を見せない。ただ、その場で立ち上がって背伸びをしたり欠伸をしたり、普段の私と変わらない寝起きの動作をしているだけだ。

 そうして軽やかな足取りで固まる私の元まで来て、

「こんばんは、お嬢さん。ここはあなたの秘密基地かしら?」

 と言った。

 人外が人間の言葉を話したことに驚きと恐怖を感じた私は、小さく悲鳴をあげる。

 何か身を守る方法は、と容量をオーバーした頭で考えを巡らせれば、視界の端に宝物を見つけた。

 隠している鉄の剣に私は飛びつき、魔女に向かって構える。

「あっ、あんた、魔女でしょ? どうしたの? 魔物呼べば? 十匹来たって私は負けないんだから」

 私の必死の言葉に、魔女は呆けた表情を浮かべ、その後口元に手を当てうふふ、と笑い声を出した。

「何がおかしいのよっ!」

「別に魔物なんて呼びませんよ。うふふ、最近のお嬢さんは勇ましいのですね」

 ”お嬢さん”。その呼び方が無性に腹立たしくて、私は威嚇のつもりで一歩前に出て声をあげる。

「馬鹿にしてんじゃないわよ! 今すぐその喉切り裂いて喋れなくしてやる!」

 魔女は優雅な笑いを止めた。

 ついに魔物を呼ぶのか、と私が剣を持つ力を強くしたのと同時に魔女は一歩前に進み出た。剣が魔女の黒い衣をかすめるほどの距離まで近づかれる。

 魔女は何を思ったか、衣から露わになった指先を剣の切っ先に添えた。

 金色の瞳と視線がぶつかる。彼女の血の気のない唇がゆっくりと動いた。

「私はお嬢さんよりもずいぶん長い時間を生きてきたけれど、人間も魔物も殺せたことはないわ」

「なに? 命乞いのつもり?」

 説教じみた言葉に私は噛みつく。煽るような語気を受け取ることなく、魔女は続ける。

「いいえ、これは貴女のためを思って言ってる。もっと言えば、これから生まれてくる同胞が故無く貴女に殺されないために言ってる」

「はぁ?」

「貴女は魔物の血を見たことがある? 魔女の血を見たことがある? 人間と同じ色なのよ」

 と言って魔女は添えていた切っ先を強く握った。

 白く美しかった手にたちまちのうちに鮮血が溢れる。赤い血は月光に照らされ、その存在を強く主張する。

 切っ先に流れた血は、剣身を伝わり柄を握りしめる私の手に到達した。

「ひっ!」

 気持ち悪くて私は思わず剣から両手を離す。

 支えを失った剣は私と魔女の間に大きな金属音をたてて落ちた。

 金色の瞳は表情無く私を見つめる。今度はその視線をまともに見返すことが出来なかった。

 だって、知らなかったのだ。魔女が人間と同じ言葉を介すこと。人間と同じように動き笑うこと。殺すことが当然と思っていた生き物に自分と同じ色の血が流れていること。だって、だって、それじゃあまるで人間じゃないか。

「人間に似ている魔女は殺せないけど、似ていない魔物なら殺せる、とか思ってる? 同じ生き物なのに?」

 魔女の鋭い言葉が私の甘ったるい考えに突き刺さる。

「だって、魔物は人間を喰うから……! 自分たちの身を守るために殺すのは当然じゃない!」

 懸命に叫んだが、魔女は頭を振る。

「それだけじゃないでしょう? 人間は魔物を防具や家具の素材にするために狩っている。それはもはや自己防衛の領域ではないわ」

 魔女の反論は最もだ。父さんたちは防具にするための魔物を専門に狩る。村の周りで暴れる魔物を狩る場合もあるけど、ほとんどの狩りは素材にできる魔物の巣まで行く。その行為に身を守るためという大義名分を付けられるとは、もう思えなかった。

 今まで信じてきたことを完全に否定された私は、もう立っている元気もなくなって力なく座り込んだ。

 首だけ動かし見上げれば、魔女の美しい黒髪が夜風に舞っている。月は煌々と輝いてすっかり夜が更けていることを感じさせた。家を飛び出して随分時間が経っていた。

 家に帰りたい、と思った。温かいスープとパン、清潔なベッド、そして父さんがいるあの家。日常に戻りたい。

 だけど、本当に戻っていいんだろうか。父さんの仕事を手伝うことが最も自分が為すべきことだと信じていた自分に、戻っていいんだろうか。

 私は乾ききった口を開け、目の前の生き物に問う。

「どうすればいいわけ……? 私は私の普通を生きているだけなのに……」

「──考え続けなさい。人間も魔女も魔物も同じ生き物であると、等しく営みを持って生きていることを常に考えてみて」

 魔女の声がまっすぐに耳に入る。今度は突き刺さる鋭さを有してはいなかった。

「言葉も通じないのにそんなの無理よ」

「あら、人間にも魔物にも言葉が通じる相手なら目の前にいるじゃない」

 と言って魔女は頬を緩めた。最初に見たときと同じような楽し気な雰囲気を纏う。

「魔女は人間を食べないわ。魔物も殺さない。どちらとも共存できる。だから、最初は魔女と話をすることから始めてみて。きっと最初は難しいと思うけれど、貴女なら大丈夫。できるわ」

「なんでそんなこと言えるのよ」

「うふふ、それは貴女が臆病な子どもだからよ」

 臆病? 私が? 人一倍自分を勇敢であると信じてきた私は臆病、なんて正反対の言葉で評されたことに怒りよりも驚きが勝ってしまった。でも、本当の私は臆病者なのかもしれない。父さんと二人きりの家族、しかも女の私は一人前の大人になりたかった。その思いが勇敢で怖いもの知らずな私という幻想を作っていたのかもしれない。

「ねぇ、教えてよ。私が父さんの魔物狩りの仕事を手伝いたいって思うのは悪いこと? 間違ってるの?」

 絞り出した私の声はか細かった。木々のざわめきにかき消されたかと思ったけど、魔女の耳には届いたらしかった。

「貴女の気持ちが悪い、とか間違っている、なんて言わないわ」

「でも、父さんは駄目だって言ってた」

 そうだ。駄目だった。溢れそうな涙を私は下を向き唇を噛んで耐える。

 すると、目線の先に影ができた。魔女が近づいてきたのだ。

 顔を上げようとすれば、それより早く魔女は私と同じ高さにしゃがみ、指先で私の頬を撫でた。

 金色の目が細められる。躊躇うような間の後に唇が開かれた。

「お父さんは貴女に逃げ惑う魔物を殺す仕事を見せたくなかったのかもしれない」

 魔女の言葉に私ははっとする。思い出せば、父さんは自分の仕事の話をほとんどしたことがない。狩った魔物の話も武勇伝も聞いたことがない。私はそれが私を認めない拒絶と感じていたけれど、もしかしたら自分の仕事を良い仕事と思ってなかったからなのか。

 頬を撫でるのとは反対の剣を握った魔女の手を見る。今更痛みを想像して、自分の指先まで痛くなる。

「手、痛かった?」

 そう尋ねれば、魔女の目は三日月のように弧を描いて

「大丈夫よ。製薬は魔女のお家芸なんだから、こんな傷は家で薬を塗ればすぐに治るわ」

 と言った。私はほっと息をつく。

 震えるほどに恐れを抱いた彼女に、今はもう親しみすら感じていた。

 夜風が吹いた。湿度の高い空気が冷たい空気にかき混ぜられる。

 頭に溜まった熱がいくらか冷めた。

 冷たい石に手をついて私は立ち上がる。

「私、帰る」

「そうね。夜も遅いし、娘がこんな時間に出歩いていたらお父さん心配していると思うわ」

「あなたは、家族はいるんですか」

 私の質問に、魔女は大切そうに答えた。

「昔、夫と小さな娘と三人で暮らしてたわ。今はもう一緒にいないけれど。その代わり、今は魔女や魔物と一緒に住んでいるの」

 私はこの人が独りぼっちじゃないことに安心した。そして、安心したことを不思議に感じた。

「私も帰るわね」

 魔女は、壊れかけの扉から律義にあばら屋を出ていく。

 つられるように私も扉を抜ける。

 魔女の手にはどこから出したのか、木の杖があった。呪文を唱えれば魔法で家まで帰れるのだろう。

 何か言わなきゃと思った。言わないと最後の別れになる気がした。

 私は杖を持った手を急いで捕まえる。大きく見開いた金色と目が合った。

「また会えますか」

 数秒の間があって、魔女は笑って言った。

「えぇ、またこの秘密基地で会いましょう」

 私は掴んでいた黒い衣から手を離し、数歩後ずさる。

 魔女は杖を上空の月にかざして、何やら私の知らない言葉を呟いた。

 次の瞬間、月光が魔女の上に集中して降り注ぐ。魔女の身体が足元から月の光と同じ光の粒子に変わっていく。

 顔が粒子に変わる直前、魔女の唇が「気を付けて」と動いた気がした。

 魔女の姿が全て光の粒子に変わったころ、辺りはいつもの様子を取り戻していた。

 蒸し暑い気温、喧しい鳥と虫の声、瞬く星々、道しるべとなる月。

 全てが幻だったのかも、という思いが一瞬頭をよぎったが、あばら屋の床に転がる血の付いた剣を見て現実だったと確信を持つ。

 鉄の剣は今まで通り、あばら屋の中に隠した。もうきっとあれを使って鍛錬はしないと思う。

 家に帰る足取りは軽い。家に着いたら、冷たいミルクを二人分用意しよう。父さんにどうして「駄目だ」って言ったのか理由を聞いてみよう。

 私たちは家族なんだから。

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