幽霊の遺言

くしき 妙

聡美の友達

「子どもの頃の友達」


 作家の孝之は、『友』というお題で短編を書こうと構想を練っていた。夕食の時に、妻の聡美に聞いてみた。


「聡美、お前、はじめてできた友達のことって覚えているか?」

「覚えているわ、幽霊だったの」

「は? また、お前の世迷言か」

「あら~本当のことよ!」

「だよな、お前の言うことは俺はなんでも信じているよ」


 孝之は、妻の聡美を変人としか思っていない。芸術家は変人の妻を持っていると、才能を開花できると思って変人妻を娶ったので、別に怒りはないが、とことんネジが外れた妻の聡美を時々、哀れに思うことはある。でも、放り出そうとはいう気はなかった。


「話してみろ」

「うん、あのね、私が小1の時のことだったの……」


 ――――― 聡美さんは、かなり寡黙で大人しい少女だった。友達も少なく一人でポツンとしていることが多かった。


 寂しそうな聡美ちゃんを近所のお姉さんやその弟達が誘ってくれた。


「聡美ちゃん! 友達がいないんでしょう? 遊んであげるよ」

「うん……」


 聡美ちゃんは、友達がいないと言われたのはちょっとショックだったが、本当のことなので、甘んじて遊んでもらうことにした。


 お姉さんの弟達は、ガキ大将で暴れん坊だった。


「おい!聡美!ドッチボールするぞ!」

「うん」

「そら!とりやがれ!」


 すごい勢いでボールが飛んでくる。聡美ちゃんははっきり言ってどんくさく、運動音痴だ。とてもじゃないが、あんなスピードで飛んでくるボールを受け止められるわけもない。


 案の定、キレイなストレートパンチを浴びたように顔の真ん中にボールを受けて、聡美ちゃんは後ろにふんぞり返るような体で倒れていった。


「聡美!!」


 今頃心配するのか、ガキ大将! すっ飛んで来た時には、時すでに遅し。聡美ちゃんは気絶してしまっていて、ゆすっても起きない。


 聡美ちゃんの耳には、聡美!聡美!聡美ちゃん!あんたたちなんてことしたのよ!というガキ大将兄弟のお姉さんの声が遠くに聞こえていた。


 しかし、その声と一緒に、聡美ちゃんにはもう一つ聞こえてきている声があった。


「大丈夫か?」

「……」

「声出せないよな?」

「……」

「動かないで、じっとしていろ」

「……」


 そういうと、その声の主が、聡美ちゃんの体の中にすーと入ってきた。聡美ちゃんは身動きができないから、拒否もできない。声も出せなかった。


 次の瞬間だ。聡美ちゃんの意志に反して、突然、聡美ちゃんの目がぱちっと開いた。


「おい!聡美大丈夫か?」

「大丈夫じゃねぇわ! ほっとけ! いや、頭動かさないようにして、家に運べや!」

「なに? 変な喋り方してるぞ、此奴!」

「怖いよ!」


 ガキ大将のお姉ちゃんは、弟達がしたことが大人に発覚するのを怖れて、とにかく家に戻そうと思った。


「あんたたち! 早く! 頭と、足を持って、そうそうそう! ゆっくりよ、ゆっくり」

「そうだ! ゆっくりだ!」


と、聡美の中に入っているらしい某が、聡美の声を使って言った。


 聡美は家の玄関の上り框にそっと横たえられた。ガキ大将達は、これ以上の逃げ足があるかという速さで逃げていった。


 ガキ大将達には見えていなかったようだが、聡美の手が握っているのは、聡美の手だった。

え? つまりこうだ。


 ボールが顔の真ん中にあたった時、聡美の魂が聡美の体から飛び出してしまった。つまり幽体離脱したのだ。その離脱してしまった幽体に話しかけたのがこの某だ。そして、某は聡美の体から生体反応をなくさないために体の中に入り込み、尚且つ、聡美の幽体が浮遊していかないように手を握って抑えていたのだ。


「聡美、ゆっくり自分の身体の中に戻れ」

「ねえ、誰?」

「俺か? 昔からここに住んでるんだよ。ヒロシだ」

「何年生?」

「俺は、尋常小学校の6年だ、お前は?」

「小学1年」

「お前、大人しいな? 彼奴らに苛められてるのか?」

「ううん、遊んでくれてた」

「遊ばれてたじゃねぇか」

「そう?」

「そうだ、彼奴らはおめぇをもてあそんでたぞ、いいか負けるんじゃねぇ」

「ねえ、お家どこ?」

「だから、ここだ」

「ここ、あたしの家だよ」

「おめぇらが後から来たんだよ。俺の家族はもう居ねぇがな、俺はここの主だ」

「そうなの?」

「ああ、そうだ。難しいことは考えなくていい。とにかく自分の身体に戻れ」

「できない」

「なんで、できねぇんだ?」

「やり方、わかんない」

「そうか……一回出ちまったら、戻れねぇんだったかなぁ?」

「死んだの?」

「死んじゃいねぇよ。じゃあ、お前、俺にこの身体貸しとけ」

「私は、どうなるの?」

「手を離すな、おめえは幽霊じゃない、魂だからふらふら浮いちまうからな」

「幽霊なら浮かないの?」

「幽霊は自分を制御できるんだよ、でも、魂のお前は自分じゃ制御できねぇから、お前の手がお前の魂と繋がってりゃどこもいけないからな」

「わかった」


こうして、尋常小学校6年のヒロシと小学1年生の聡美ちゃんの相棒生活が始まった。ヒロシがまずやったことは、聡美の顔のど真ん中にドッジボールを投げたガキ大将をやっつけることだった。



「こら~、ガキ大将ども!さっきは痛かったぞ~」

「聡美! 復活したか! お前、どんくさいな!なんであれくらいのボール避けられないんだよ!」

「いきなり放るからだ~」

「なあ、お前、なんか喋り方変だぞ」

「こら~謝れ!」

「ああ、ごめんな、聡美」

「お~それでいいぞ~。俺にも投げさせろ~!」


 聡美に乗り移っているヒロシがガキ大将2人とドッチボールをやりだした。突然、身体能力があがった聡美に驚いているガキ大将のお姉ちゃん。


「ダー!」


 聡美、いや、ヒロシの投げるボールは異常に速かった。ガキ大将の兄の顔面にクリーンヒットが決まった。


「グー」と一唸り、ガキ大将はもんどりうって地面に沈んだ。

「やったぜ! いいか、てめぇら! 聡美を虐めるなよ!」

「分かったよ」


 なぜ、聡美が自分を聡美と言って、苛めるなというのかはガキ大将の想像力の欠けた頭ではわからなかったが、ガキ大将のお姉ちゃんは、キツネでもついたのか?と震え上っていた。


「どうだ? 聡美、やられたらやり返す。これは生きる基本だぜ」

「でも、女の子は乱暴しちゃいけないんでしょう?」

「誰が、そんなこと決めたんだよ?」

「だって、ママが言っていたよ。女の子は女の子らしく、喧嘩はしちゃいけないって」

「ママって誰だ? 」

「ママは、えと……お母さんのことだよ」

「そうか、お前の母ちゃんは、女らしいのか?」

「うん、ママはキレイだよ」

「キレイ? キレイなおべべを着てるのか?」

「おべべって何?」

「着るもののことだ」

「うん、ママはお洋服がキレイだし、お顔もキレイなの」

「いいか、聡美、外側がキレイなのは、本当のキレイじゃねぇよ」

「どういうのが、ほんとうのキレイ?」

「ここだ、ここがキレイなことをキレイって言うんだぜ」


 ヒロシは胸のあたりを親指で差した。


「お胸?」

「心だ。心は見えねぇよな? だから、そのキレイさは目に出てくるんだぜ」

「目? ヒロシ君はお目々がキレイだね」

「おお、そうだ、俺はもうお星様だから、キレイなんだぜ。聡美、俺がおめえに人生を教えてやる。おめぇ頼りなさすぎるからな」

「うん」


 聡美は、よく分からなかったが、お兄さんができたような気持ちになって心強かった。

 

その夜は、両親の手前、ヒロシは聡美の話し方を真似して不審がられないようにした。聡美のベッドに聡美と一緒に眠った。


「おめえの母ちゃん、確かに別嬪だな」

「べっぴん?」

「キレイな顔ってことだ」

「うん、べっぴん」

「おめえも別嬪になるぞ」

「ほんと?」

「ああ、別嬪は良く寝るんだ。さあ、寝ろ」

「うん、お休み」


 朝起きると、ヒロシ君が聡美の手をしっかり握っていた。二人はお母さんの用意した朝食を食べて、学校にいく支度をした。


「ヒロシ君、学校行く?」

「おお、俺がランドセルとやらを背負ってやるからな。おめえは俺の手握ってろ」


 朝学校に着くと、ヒロシが聞いた。


「おめえ、苛められてねぇか?」

「男の子たちが、後ろから蹴ったりする」

「やっぱり、おめぇ苛められてんじゃねぇか! よし、俺に任せろ。俺から離れんなよ」

「うん」


学校の門をくぐると、男のたちが取り囲んできた。


「聡美! 今日も間抜けそうな顔してるな」

「そうだ、泣け! 泣けよ!」


「おお、なんだ!てめぇら! 聡美の泣き顔が見たくて苛めてるのかよ!」


 急に男言葉で話し出した聡美に、同級生の男の子達が呆気にとられている。


「生憎だがな、聡美は泣かねぇよ。俺がついてるからな」


「「「ぎゃ~、なんかついてる!怖い!」」」


 同級生男子どもはヒロシの剣幕に蜘蛛の子散らしたように逃げていった。


「聡美、黙っているな! 黙っていると相手はつけあがる。なんでもいいから言え、いいな?」

「うん」

「手、離すな」

「うん」


 ヒロシは教室で聡美の席に座った。クラスメートがいつものおどおどした聡美じゃないことを不審がって寄ってきては、髪や服に触ってくる。


「聡美ちゃん、どうしたの?なんか偉そうにふんぞり返ってるね」

「偉いからな」

「え? みんな~聡美ちゃんがキャラ変したよ!」

「なんだって?」

「性格が変わったってこと」と、聡美が耳打ちする。

「よう、お前ら、聡美は俺の子分だ。苛めんな!」


 おかしい、明らかにおかしいとクラスメートが先生に言いつけに言った。


「先生、聡美ちゃんが頭が変になりました!」

「どういうこと?」

「男の子の言葉で話してます」

「え? どれどれ、聡美ちゃん、なにかありましたか? お熱ありますか?」

「あんた、先生か?」

「はい」

「男の連中が聡美を苛めてる。男が女の子を、しかもこんなチビでまともに口も利けないガキを苛めるなんてのは、許せねぇ。あんた先生ならちゃんと注意しろ」

「は???」

「はじゃねぇよ!」

「聡美ちゃん! 保健室に行きましょうね!」

「あ!こら、放せ!」


 ヒロシもといヒロシが入った聡美の身体と、その身体にしっかり手を繋がれている聡美の魂は、保健室で熱を測ってもらっていた。担任の先生が心配そうに見ている。


「佐々木先生、思春期の子ならいざ知らず、多重人格でしょうか?」

「まさか、子供のことです。ふざけているんですよ」

「おい、あんたも先生か? 師範なら師範らしく生徒の苛めを取り締まれ!」

「なんでしょうね、この子は!!」

「先生、親御さんを呼んだほうがいいでしょうね?」

「そうですね」


 職員室はこの話題で持ちきりになっていた。あの大人しくてほとんど口をきかない聡美が突然、一夜明けたら、男の子の乱暴な言葉で、大人を説教しているのだ。聡美の母親が呼び出された。


 聡美の母は仕事を持っているので、会社を早退してやってきた。


「聡美! あんた、どうしたって言うの? 乱暴な言葉を使うなんて」


 聡美は、ヒロシが入っている自分の身体にぴたっとくっついてはいるが身体の中に戻ることができない。

―ヒロシ君、ねえ、聡美の言うとおりに言ってー

「おお、任せろ」

―ママ、聡美、苛められてたの、それを先生にわかってもらいたかったのー

「まま。聡美、苛められたから、それを先生に訴えたんだよ」

「まあ、そうなの?? どういうことです?先生!」

「すみません、男のたちが、聡美ちゃんが泣くのを面白がって……」

ー男の子にいじめられたから、男の子みたいに言えば聞いてくれると思ったのー

「男どもが苛めたから、目には目を、歯には歯をだと思ったんだよ」

ーヒロシ君! 言う通りに言ってよ!

「おお、言ってるだろ」

「さっきから、何、ブツブツ言っているの?聡美?」

ーママ、今日はお家に帰りたい

「まま、もう、家に帰っていいよ、聡美大丈夫だから」

「聡美!」

「お母さん、じゃあ、聡美ちゃんもこう言ってますから、様子を見ましょう」

「聡美、ほんとに大丈夫なの?」

ーママ!聡美も帰る!

「まま、帰っていいよ」

ーヒロシ君!

「大丈夫だ」


 お母さんは帰っていったが、先生と相談し、男の子達が苛めないように先生から厳重注意をしてもらうことにした。


 ヒロシと聡美は授業を最後まで受けてから、学校を後にした。


「聡美、どうして帰ろうとした? 逃げたらいけないだろう?」

「だって、ヒロシ君やりすぎだよ。聡美がそんな言葉で喋ったりしたら皆、びっくりするよ」

「そうだな、やりすぎたな。でもな、聡美、これで覚えただろ? 大人しくしていたら周りの人間はいいようにお前をいじめたり、もてあそぶぞ」

「うん」

「自分が嫌なことは、嫌だって言えるか?」

「うん、言うよ」

「よし、よくできた。いい子だ」

「ヒロシ君は、まだ、小学生なのにかしこいね」

「聡美、俺はな、もう100年もこうしてんだよ。歳はたしかに12歳だが、心はもう100歳だ」

「そうなの?」

「ああ、俺はな、お前の家の近くに昔住んでたんだが、死んであそこから動けなくなってた。でも、近所のやつらの人情の機微は観察できてた」

「どうして死んだの?」

「大正って時代にな、大きな地震があったんだ。俺の家族はたまたま留守で、俺だけ留守番していて、家の下敷きになって死んだ」

「痛かった?」

「瞬きするぐらいの速さで死んじまったからな、痛くはなかったぞ。でも、それから、100年あまり、俺は地縛霊ってもんになってな。ずっとあそにいたんだ。人と接触できたことがなかったんだが、お前の魂が身体から出たから、たまたまお前に話しかけることができたんだぞ」

「そうなの? 寂しかった?」

「ああ、退屈だったな。人と話せねえから」

「聡美、ひとりぼっちなんて無理」

「だろ? 俺も、家族に会いたいけどな」

「どうしたら会えるの?」

「さあな、もしかしたら、俺の骨を見つけて供養してくれたら、成仏して涅槃にいる家族と会えるかもしれねぇな」

「骨?」

「ああ、100年前だからもう土に還ってるだろうけどな」

「土になってるってこと?」

「ああ、そうだ」

「でも、聡美探すよ」

「おお、ありがてぇな」

「じゃあ、これから探す?」

「それより、お前に身体返してやる、俺は外に出るから」

「身体に戻っても、ヒロシ君と話せる?」

「どうだろうな、でも、おめえ、俺がいるって知っているから見えるかもしれねえぞ」

「じゃあ、どうやって戻るの?」

「そうだな。俺がおめえを引っ張ってやればいいのかもしれねぇな、来い」


 そう言って、ヒロシは聡美の魂の手を引っ張って、思い切り抱きしめてみた。メリメリっと音を立てながら、聡美の身体の中に、聡美の魂が侵入していった。もとい、戻っていった。


 聡美の魂の手が身体に戻ると、ヒロシの手が聡美の身体から出た。足が入ると、ヒロシの足が出て、交換するように身体を入れ替えていき、ヒロシはまた地縛霊に、聡美は元の身体に収まった。


「どうだ、変な感じしないか? 俺の声聞こえるか? 俺が見えるか?」

「うん、大丈夫だよ。ヒロシ君が見えた」

「おお、どうだ、俺は男前だろ?」

「男前ってなに?」

「色男ってことだよ」

「色がついてるの?」

「ははは、大きくなったら分かるさ」

「ヒロシ君、かっこいいね。ハンサムだよ」

「なんだ、そのはんさむって?」

「えと、顔がいいってこと」

「そうか、わかってんな、聡美! 生きてりゃなあ、嫁にしてやったんだがな」

「大きくなったら、ヒロシ君のお嫁さんになる!」

「なれねえよ、俺、死んでんだぞ」

「あ、そうか」

「聡美、宿題しろ、俺にはちょっと分からねぇわ」

「ヒロシ君、もしかして、宿題が嫌で聡美に身体返した?」

「まあな。でも、学校はいいな。お前の身体に入っているから学校に移動できたんだ。じゃなかったら、どこもいけなかったんだぜ、100年も」

「それは飽きちゃうね」

「ああ、そうだ」

「ねえ、骨探そうよ」


 ヒロシと聡美は家の庭を掘り起こしてみた。何もなかった。家の周りをぐるっと回って掘ってみたがやはり骨の欠片もみつかることはなかった。来る日も来る日も掘り返しては埋め返した。お母さんは呆れていたが、庭の雑草を取るならいいわよと許してくれた。


 数日続いた穴掘りだったが、もうだめかと諦めかけた時、スコップががつっと音を立てた。何かにあたった。掘り起こしてみると、それは、大正時代に流通していた10銭玉だった。


「あ、これ、俺が父ちゃんからあの日小遣いにもらった10銭だな」

「ほんと?すごい、百年もここに埋まっていたんだね」

「ああ、木の根っこに押し上げられたんだな。ここは土掘り返して均してたから、なにもかも土になったと思ってたがな」

「これだけでもみつかって良かったね」

「おお、おめぇのおかげだ」

「どうしたらいい?」

「仏壇に供えてくれ。で、線香あげて、俺が成仏できるように祈ってくれ」

「わかった」


 聡美は、10銭玉を大事に両手の中に収めて、家の仏壇までもって行った。ご先祖様の位牌が置いてある仏壇には季節もののスイカやメロンが供えてある。その位牌の横に10銭玉を置いた。仏壇の引き出しからお線香を取り出して、火をつけた。良い香りが漂いだした。聡美は手を合わせる。


「なあ、聡美、俺は、お前のこと、生まれた時から見てきたんだぜ、知らなかったろ?」

「知らなかった。じゃあ、去年、二階から落ちた時もみてた?」

「ああ、見てたぞ。お前が頭から真っ逆さまに落ちたの見て、俺が飛んでお前を思い切り殴った」

「なんで!」

「死んでる幽霊は人間に直接触れないけどな、必死になって殴ればちょっとだけ動かせるんだぜ。だから殴って落ちる軌道を変えた。そしたら、お前は土の上に投げだされた。俺が殴らなかったら、お前は真っ逆さまにコンクリートに頭を打ち付けてお陀仏になってたんだぞ」

「ヒロシ君は、聡美の命の恩人だったんだね」

「まあ、そうも言うな。おめぇは大人しいからな、特に心配して目をかけてやったんだ」

「ありがとう! 聡美ね、ヒロシ君好きだよ」

「そうか、そうか、やっぱり嫁にしてやりたかったな」

「私、お嫁さんになる!」

「来世でな」

「来世ってなに?」

「死んだあと、また生まれ変わることだ」

「じゃあ、早く死んだらはやく会える?」

「馬鹿言え! いいか、生きぬけよ。ばあちゃんになって寿命が来たら迎えに行ってやるからな。それまでは、俺に似た男でも見つけて幸せに暮らせ」

「ヒロシ君、約束だよ!絶対に迎えに来てね」

「ああ、おめぇのおかげでやっと成仏できるよ。涅槃で父ちゃんと母ちゃんと姉ちゃんにも会える。ありがとうな、聡美、おめぇが寿命がくるまで待ってるよ」

「ヒロシ君!ヒロシ君!またね」

「ああ、聡美、またな」


 ヒロシ君は、だんだん透明になって消えてしまった。


 ――――― 聡美が遠い目をして懐かしい思い出を語り終えた。


「そうか、聡美、それ、お前の脳内でできあがったお話じゃないのか?」

「違うよ! ヒロシ君は確かにいたの!」

「そうか、どんな外見してたんだよ」

「言えるよ。ヒロシ君は、『俺に似た男を見つけて幸せに暮らせ』って言ったの。だから、孝之と結婚したんだもん」

「あ? 俺に似てるのか?その幽霊は」

「そうなの。カッコよくて、ハンサムだった」

「あのな、見ようによったら、誰でもかっこいいし、ハンサムだろうが」

「ううん、孝之はかっこいいし、ハンサムだよ。そこがヒロシ君との共通点だもん」

「そうかよ……」


 聡美は、やはり変人妻だ。おめでたい頭の持ち主だ。でもまあいい。幼い時の妄想を本気で信じているとしても、それも此奴の個性だからなと思って、孝之は己の妻を優しい目で見つめた。


 聡美は言わなかったが、ヒロシ君が消えた後、一度だけ夢枕に立って遺言したのを覚えていたのだ。


「聡美、孝之ってのがお前の亭主になる男だ。俺に似ているぞ。成仏するとな、あちこち動けるんだよ。いろんな奴を見てきたけど、俺に瓜二つだ。逃すなよ。色男だからな」


 見つめる孝之の視線に微笑み返し、聡美は満足そうに頷いた。

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幽霊の遺言 くしき 妙 @kisaragimai

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