第4話 屍江稻 異座穂
目の前に広がる天井に付いているオレンジ色のLEDライトが、ワタシたちを照らしていた。
雪よりも明らかに硬い床から起き上がって、周りを見渡してみる。
ここは……見覚えがある。喫茶店セイラムだ。
「……ボクたち、戻ってこれたの?」
「ああ、そのはずだ……」
足元には、あの時の画用紙が落ちていた。
画用紙に埋め込まれていた羊の紋章は赤く点滅して、やがて力を失っていくように薄くなり、消えてしまった。
店長さんは電話を終えて返ってくると、ワタシたちの姿が消えて慌てたみたい。
そこで床に落ちていた画用紙を目にして、いやな予感がして護身用の警棒をもって入っていったんだって。
店長さんからその事を聞いた後、ワタシとマウは店長さんに浴槽を貸してもらって、シャワーを浴びることにした。
頭に斧が刺さった時に一緒に飛び出してきた絵の具が、髪の毛についちゃったからね。
シャワーからあふれた水の音が浴槽の中で響く。
髪の毛についた赤い絵の具をシャンプーで落としていると、ふと、鏡が気になった。
曇った鏡をシャワーで流すと、鏡はワタシの全身を映してくれた。
先ほど、斧でたたき割られた図解骨はすっかり戻っていた。
マウの巻いてくれた包帯に埋め込まれた“治療の紋章”が治してくれたんだ。
ほら、整えられた顔立ちの白髪の首が、元通りになってる。
10年前、女の子が抱えていた首と、
まったく同じものが。
枝のように細い右腕。
筋肉質な左腕。
少しだけ胸の膨らみのある色黒の胴体。
子供のものと思われる小さな右足に、
長さをそろえるために存在する、鉄でできた右足の太もも。
大人びた長い左足。
10年前の事件の被害者の遺体……
それぞれの部位が、縫い合わされてくっついている……
まるでフランケンシュタインの怪物のような、死体をつなげた継ぎ接ぎの体。
色黒の胴体の胸には、保護用の包帯が巻かれている。
体に埋め込んだ紋章たちが、包帯の上からも青く輝いて見えていた。
左胸……
人間でいう心臓の位置には、自立と知能と人格を与える紋章がそれぞれ集まっている。
生き物じゃない“物”に、命を与えるために必要な紋章だ。
あの時、もしもパレットナイフでこの紋章を傷つけられたら、
形が削れた紋章は力を失い、ワタシはごく普通の死体になっていた。
……そこまで想像して、ワタシはひとりで笑みを浮かべた。
まるで、この紋章のおかげで人間になっているような考え方だったから。
ワタシは生き返った“
「イザホちゃん、だったか?」
マウと一緒にカウンター席で迎えを待っていると、いきなり店長さんが聞いてきた。
「あんたは……人間じゃない。紋章によって命を吹き込まれた、10年前の事件の被害者たちの遺体……そうじゃないか?」
思わずマウの方向を見ると、マウもワタシの顔を反射的に向いていた。
「やっぱり、そうなんだな」
ワタシたちの反応に、店長さんは確信するようにうなずいた。
ワタシのお母さまは、ひとり娘がいた。
そのひとり娘は、10年前のキャンプに参加して、他の被害者たちとともに姿を消した。
その後、見つかった被害者たちの部位の中に、ひとり娘の右腕があった。
右腕の被害者の母親……
お母さまは、悲しみの果てに、被害者の遺体をすべて引き取り、それをつなぎ合わせて命を吹き込むことを望んだ。
だけど、お母さまは“娘を生き返らせる”のではなく、“娘の生まれ変わり”として育てることを選んだ。
記憶は紋章で移植することが出来た。
でもお母さまはあえて記憶を移植しなかった。記憶を移植しても、それは記憶を再現したに過ぎなかったから。
だから、ワタシには右腕の持ち主はもちろん、事件の被害者の記憶はまったくない。
声帯を移植していないのも、娘の声を思い出さないためだからだ。
だからワタシには声は存在せず、自分の紋章の中でしかしゃべれない。
娘に関わることはなるべく避けるように、あくまでも生まれ変わりの別人であるから。
「ねえ、どうしてイザホの正体に気づいたの?」
「カレーを食べているイザホちゃんの顔を見た時、10年前のことを思い出した。あの時はキャンプの指導員の仕事をして、現場に居合わせた……その時、女の子が持っていた首と同じ顔だったからな」
そこまで聞いて、マウが後ろを振り向いた。
一緒に振り向くと、玄関側の窓ガラスにふたつの光が現れた。
フジマルさんの車だ。
「私は忘れっぽいからな。事件について聞きたかったら、またこの喫茶店に来てくれ」
「でも……ちゃんと覚えているの?」
「もちろん忘れている。その時に思い出していれば、教えてやる。覚えていたらな」
会計を済ませたワタシは、マウと一緒に店長さんに手を振ると、玄関の扉を開けた。
カランカラーンと、心地よい鈴の音が響き渡った。
喫茶店セイラムから立ち去ったワタシとマウは、フジマルさんが用意してくれた自動運転の車に乗って、引っ越し先のマンションに向かっている。
フジマルさん本人が来ていないのは、仕事で忙しいらしい。探偵の仕事をしているって聞いているけど……
まあ、この車は紋章によって自動運転になってるから、問題ないね。
窓の外の森を眺めながら、この鳥羽差市に二人暮らしをするために訪れた理由を思い出す。
ワタシたちがここに引っ越すことになったきっかけは、お母さまの余命宣告。その自立先を、この鳥羽差市に選んだ理由……
それは、10年前の事件が起きた街だから。
ワタシは時々、自分の存在がわからなくなる時がある。
お母さまのひとり娘の代わりとして作られた死体なのか。
それとも被害者6人の意思を受け継いだ存在なのか。
それとも被害者たちとは関係なく生きるべき存在なのか。
その答えを知るには、10年前の事件について知る必要がある。
被害者たちのことを知って、今のワタシとの違いを知る。
そうすることで、ワタシの存在がはっきりするような気がする。
だから、ここに引っ越すことにした。マウとふたり暮らしをすることにした。
「ねえイザホ、喫茶店セイラムの店長さん……忘れ物がすごかったよね」
助手席に腰掛けるマウが、機嫌がよさそうに鼻を動かしながらワタシの顔を見つめた。
「だからなのかな、ボクもすっかり忘れていたよ。コーヒーを注文したのに喫茶店のコーヒーを飲めなかったことを」
自動運転の車は、今、森を抜けた。
【 喫茶店セイラム 】 章紋のトバサ【ACT1】10728字凝縮版 オロボ46 @orobo46
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます